巻ノ参拾七 星降る夜に の巻
「これが掟よっ!」
突然の大声に大作は目を覚ました。反射的に体を捻ると直前まで寝ていた場所に鋭い蹴りが空を切る。
今のはヤバかった。お園の寝相も酷かったがこれは別次元だ。当たってたらアバラを二、三本持ってかれてたかも知れん。
『殺人鬼なんかと一緒にいられるか。俺は部屋に戻る!』と大作は心の中で叫ぶ。
時計を見ると深夜零時だ。朝まで六時間もある。今からテントに行って入れてもらうのは無理だ。船の上で距離を取って寝るしか無いか。
でも寝る前に隣り合わせに寝てた奴が朝、目を覚ました時に遠くにいたら好感度が下がらないだろうか。
お園からメイに乗り換えるプランが大幅に狂い出したことに大作は焦る。眠いので頭がぼんやりして考えも纏まらない。大作は考えるのを止めた。
もし朝、先に目が覚めたらメイが目を覚ます直前に横に行って寝る。後で目が覚めたら寝相が悪くて動いたって言い訳する。これで行こう。
大作は二メートルほど距離を取って横になる。あまりにも眠いので目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
「たぁ!」
大作はさっきの奇襲で神経を研ぎ澄ませていた。おかげで咄嗟の回避にギリギリで成功した。鋭い手刀が空を切る。
何が起こっているんだ。寝相ってレベルじゃないぞ。もはや夢遊病だろう。アルプスから来た女の子かよ! 大作は心の中で突っ込む。
駄目だこいつ、早くなんとかしないと。君子危うきに近寄らず。メイ攻略自体は諦めないが一緒に寝るのは無理だ。命が幾つあっても足りん。別の方法を探そう。
それより今夜はどうするんだ。とりあえずテントに行くだけ行ってみよう。大作は重い腰を上げる。
月が出ていないので真っ暗だ。大作はLEDライトで足元を照らしながらテントに向かう。
なるべく静かに歩いたつもりだったがテントの入口が開いてお園が顔を出す。
「ごめん。起こしちゃったみたいだな。メイの寝相が殺人的に酷くて船で寝たら殺されそうなんだけど……」
怖! お園の目にハイライトが無い。夜だから当たり前か? でも、この目ってアニメやマンガだとヤンデレとか催眠状態の演出だぞ。何か地雷を踏んだっけ?
大作は必死に理由を考える。攻略対象を切り換えたことは知られて無いはず。まさか既にテレパシー能力でも得たのか? だったらもう人を越えた神に近い存在だぞ。
そもそもお園の心が俺から離れたのが原因なんだ。俺は全然悪く無いぞ。でも謝った方が良いのか。何で怒ってるのか聞くしか無いか?
「お園は何で怒ってるんだ。思ってることは何でも遠慮せずに話すって約束しただろ」
「メイにえばの話をしてたわね。とっても楽しそうだったわよ」
あれを盗み聞きされてたのか! でもヤバい発言はしていないぞ。エ○ァのあらすじを説明しただけだ。大作は心の中で言い訳する。
まだメイの攻略に取り掛かっていなかったのが不幸中の幸いだ。だが、お園の追求は続く。
「昼間もずっとメイに掛かりっきりで全然私の相手をしてくれなかったわ」
「相手をしてくれなかったのはお園の方だろ。ずっとスマホばっかり見て返事もしてくれなかったじゃないか。俺だって寂しかったんだぞ」
「私は少しでも早く大佐の役に立ちたくて気張って数学を勉強してたのよ。高度な数学を覚えて欲しいって言ったのは大佐よ!」
そんなこと言ったっけ? 大作は良く覚えていなかった。でも完全記憶能力のお園が言うんだから本当なんだろう。
でも、今ならまだ傷は浅い。十分に挽回可能だ。ここは誠意を見せつつ誤解を解くのがベストだ。大作は素早く方針を変更した。
『お園の凍結を現時刻をもって解除。ただちに攻略を再開させろ』と大作は心の中で宣言する。
「ごめんな。でもメイはサツキと離れて慣れない船旅なんだぞ。俺たちがフォローしてやらないでどうする」
「でも私にも少しは気を使って欲しいわ。お昼からずっと知らん顔されてるみたいでとっても寂しかったのよ」
「今度から気を付けるよ。『我ら二人、生まれし時は違えども、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くせん事を願わん』だろ。片時たりとも忘れたことは無いぞ。筑紫島でラピュタのお宝を見つけたら夫婦の契を結ぼう。約束だ」
大作は右手の小指を差し出す。お園はきょとんとした顔をしている。この時代には指切りは無いのか?
アルプスの女の子すら指切りをしていたと言うのに何てこった。
「お園も小指を出してくれ。こうやって小指と小指を引っ掛けて言うんだ。指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます。指切った」
「げんまんってなに?」
「拳骨で一万回殴るってことだ。でも俺はお園には絶対に嘘なんか付かないぞ。絶対に嘘つかない! 絶対にだ!」
大作は精一杯の真剣な表情を作る。お園はにっこり笑うと不意に大作に口付けした。
「しょうがないわね~」
ミッションコンプリート。なんてチョロい奴なんだ。もしかしてメイと同時攻略しても大丈夫なんじゃね? いやいやいや、無駄なリスクは極力冒したく無い。金山が安定するまではお園一本に絞ろうと大作は自戒した。
ほのかを脇に寄せて今からテントで三人で寝るのは難しそうだ。
夜だというのにとても暖かい。大作とお園はテントの外で並んで星を見ながら眠ることにする。月が無いので満天の星空だ。
お園が大作の手を強く握り締めて身体を寄せてくる。
「星って幾つくらいあるのかしら」
「肉眼で見える星は六等星までだから全天で八千六百個。地面の下にある分は見えないから半分は四千三百個。地平線に近い星は大気の影響であまり良く見えないから今見えてるのは三千個くらいだろうな」
「それは見える星の数よね。見えない星はどれくらいあるの」
大作は『聞けば答えが返って来ると思うな!』と怒鳴り付けたいのを我慢した。今回はこっちに非がある。とことん付き合ってやろう。
とは言ったものの、見えない星の数なんて気軽に聞かれても困る。太陽系近傍では恒星の七十四パーセントが赤色矮星だって読んだことがある。でも銀河の他の領域や遠方の古い銀河がどうかなんて調べようが無い。
そもそも百億光年離れた銀河は百億年前の姿なのだ。今どうなってるかなんて分かるわけがない。適当で良いだろう。
「銀河系内の恒星は少なくとも一千億個、観測可能な宇宙に存在する銀河も少なくとも一千億個。だから一千億×一千億で少なくとも百垓個だ。地球全体にある砂の数よりずっとずっと多いんだぞ」
何で女の子と星空を見ながらこんなロマンの欠片も無いような話をしてるんだろう。って言うか天文学に関してだけ異常に食い付きが良いのは何故だ。大作とお園は明け方まで星について語らった。
翌朝、大作は少し寝坊した。お園たちはすでに朝食を作っているようだ。メイに適当な言い訳を考えねば。大作は頭をフル回転させる。
何も思いつかん! 先に目が覚めたので散歩してたとか適当に誤魔化そう。
食事が出来上がったので三人で船に運ぶ。メイが大作を見て不思議そうな顔をして尋ねた。
「朝起きたらいなかったから驚いたわ。一緒に寝ようって言ってたわよね」
お園の表情が急に険しくなったことに大作は気付く。妬いてるのか? 昨晩あんだけフォローしたのに?
「大佐は私と一緒に寝たわ。てんとの外で二人で手を繋いで寝たのよ。二十日も前から私たちは一緒に寝てたのよ」
「でも昨日、一緒に寝たのは私よ。大佐は私を選んだわ」
何なのこの気まずい空気。もしかして俺のせい? 大作は焦る。お園を攻略対象に選らんだ手前、メイのフォローは出来ない。とは言え仲間内の対立が決定的な物になるのは不味い。
俺が泥を被るしか無いのか? 大作はそもそも自分が二股を掛けようとしたのが諸悪の根源だということを綺麗さっぱり忘れていた。
「俺が悪かったんだ。でもメイは金の見張りがあるから一人で寝ないといけないだろ。四人で旅してるのにいつも一人ぼっちって寂しいじゃないか。縁あって一緒に旅をしているんだ。仲良くしようよ」
不承不承といった感じだが何とか二人とも矛を収めてくれたようだ。モテる男は辛いぜ。まだ日も明けていないのに大作は精根尽き果てた気がしていた。
ほのかが大作の耳元に口を寄せて小さな声で囁く。
「私めも大佐と一緒に寝てみたいな…… みんなにはナイショで」
驚いた大作は思わずほのかを見つめる。ほのかはそ知らぬ顔で雑炊を食べていた。
ほのか、恐ろしい娘。何だか良く分からんが魔性の女の空気を感じたぞ。油断しない方が良さそうだと大作は警戒心を新たにした。
日が昇るころ船は出航した。四国の南東海岸に沿って南南西に進む。
航海は至って順調のようで、室戸岬には昼までに着きそうだ。
険しい山と海に挟まれた細い道が見える。まるで薩た峠の連続だな。江戸時代には土佐東街道として整備されるらしいが現状は酷い道だ。
大作は考える。四国のこっち側には本当に何にも無いな。軍事的には無価値だろうか。
陸の孤島みたいな状態なので将来、強力な海軍を保有できれば海軍基地の候補になりそうだ。紀伊水道を南に抜ける商船の通商破壊作戦とかやったら効果的だろうか。
そもそも九州だって山だらけだから強力な海軍の価値は大きい。余裕が出来たら早い段階で海軍力を整備しよう。大作は心の中のto do listに書き込んだ。
紀貫之は延長八年(930)から四年間、土佐の国司を勤めた。承平四年(934)に任期を終えて船で京に帰る旅を書いたのが有名な『土佐日記』だ。
その内容がどこまで本当かは知らんけど土佐から京の都まで海路で五十五日間も掛かったことになっている。
そして、その中の十日間は天候待ちで室戸岬の手前、室戸の津で足止めを食らっていたそうだ。
当時から室戸岬は海路の難所だったらしい。
万一、船が沈んでも金だけは絶対に失うわけにはいかない。いや、スマホと充電器の方が重要か?
未来の知識や情報で金を稼ぐことは出来る。だが、逆は絶対に不可能だ。だとするとスマホと充電器が優先だ。
ところで、銭千貫文っていくらくらいなんだ? 大作は適当に切の良い額を言っただけで実は真剣に考えていなかったのだ。
この時代の経済は米を中心に回っている。
相場は変動しているが一石(約百五十キロ)が銭一貫文くらいだとすればキロ当たり七文弱。
現代の米価はブランドによって大きな幅があるがキロ当たり二百五十円だとすれば一文は三十七円五十銭になる。
人足の日当が二十文くらいなのでたったの七百五十円だ。時給七百五十円でも最低賃金にすら達しない。日給がそんなに安いなんてありえない。
要するに米が異常に高いのだ。農業生産性の低さが原因だろう。
物によって価格差がありすぎるので単純比較は不可能だ。
感覚的にはとりあえず四倍くらいすれば良いんじゃないかと大作は思う。
銭一貫文を十五万円だとすると銭千貫っていくらだ。一億五千万円!? もしかして桁を間違えていたのか?
銀四十三匁=エロゲー=銭二貫文という換算から五百万円くらいかと思ってたけど銀の価値が数十倍も違っているのを忘れていた!
どうりで津田宗達が変な顔をするわけだ。だったら指摘してくれれば良いのに! 大作は身勝手にも逆ギレする。
こんな大金、持ってても重いだけだぞ。まあ、今さら気が付いても手遅れだ。どうせ運ぶのは俺じゃ無いし。
大作は考えるのを止めた。
そう言えば、一億円の札束は十キロくらいって聞いたことがある。ってことは一億五千万円の札束は十五キロ?
「紙幣って金より重いんだ!」
大作が急に大声を出したので女性陣は顔を顰める。
「しへい?」
「こんなんだよ」
大作はバックパックから財布を取り出して千円札を見せる。三人三様の興味深そうな視線が注がれる。
こ~んなもん。今じゃケツをふく紙にもなりゃしねってのによぉ! 大作は気前よく三人に一枚ずつ配った。
「これは千円札と言って六文くらいの値打ちかな。三途の川の渡し賃に使えるかどうかは知らん。俺の国だと、ちょっと豪華な昼飯が食えるぞ。安い店なら四人で食事することもできる。業務スーパーで五食百五十円くらいのラーメンを買えば四人で三日食い繋げんことも無い。健康に悪そうなのでお勧めはしないけど」
「大佐の国ではお昼にご飯を食べるの?」
メイが不思議そうな顔をして聞いてくる。『気になるのはそこかよ!』と大作は心の中で突っ込む。
「現代人は夜遅くまで起きてるから夕飯が遅い。なので昼にも食べるんだ」
「これはどなたにござりますか?」
ほのかが肖像画をマジマジと見つめながら聞いてくる。メイに比べたらマトモな質問だと大作は感心する。
「野口英世って生物学者だ。黄熱病の研究をしたんだっけ。電子顕微鏡の無い時代にウィルスを探すっていうのは現代から見たら無茶な話だ。知らなかったんだから無理も無いけど、研究に際しては適切な目標設定が重要なんだ」
「ふぅ~ん」
三人には一言も意味が分からなかったらしく大作の話は完全にスルーされた。
「これって紙で出来てるわよ? お金っていうのは金気の物で出来てるからお金って言うのよ。これじゃあ、お紙じゃないの?」
お園がわけの分からない理論というかナニをナニして来る。こっちこそわけが分からないよ。
「紙幣って言うんだ。こんな字を書くぞ」
大作はタカラト○ーのせ○せいに字を書いて説明する。
中国では宋代に交子という紙幣のような物が発行されていたらしい。だが日本で紙幣が発行されるのは江戸時代初期の山田羽書や藩札まで待たねばならない。
紙切れに価値があるなんて考え自体が理解出来ないんだろう。
「これは幣っていう字よね。神様と何か関係があるの?」
「知らん! こんなのもあるぞ。硬貨って言って紙幣より価値が低い。一文銭みたいな物だな」
大作は小銭入れから一種類ずつ硬貨を取り出して並べる。どれも割と新しい物ばかりなのでキラキラと輝いている。
「綺麗ね。一文銭とは全然違うわ」
「好きなのをやろう。一枚ずつ選べ」
お園は五円玉、メイは五百円玉、ほのかは一円玉を選んだ。
「五円玉はご縁がありますようにって縁起を担いで渡すことがあるな。まあ、俺とお園の仲でいまさらご縁も何もあった物じゃ無いけどな」
「そうなんだ。大事にするね」
お園が嬉しそうに五円玉を握りしめた。心なしか頬が赤い。
「メイが選んだ五百円玉は普通に流通している硬貨の中では最も価値がある。千円札の半分だ。大きくて重いだろ」
「ありがとう。とってもうれしいわ」
「ほのかの一円玉は一番安いんだけどアルミで出来てるから一円以上の製造コストが掛かってるんだぞ。とっても軽いだろう」
「金気の物とは思えぬ軽さにござりますな。大切にいたします」
何だか良く分からんが勉強前の雑談はこんな物で良いだろう。大作は精一杯の真面目くさった表情を作る。
「さて、今日は小数の勉強だぞ。一の位から左に十の位、百の位があるけど右には何があると思う?」
「十分の一の位?」
お園が自信なさげに答える。正解なんだからもっと自信を持って言えば良いのにと大作は思う。
「なんでそんなに不安そうなんだ。十の逆数は十分の一だろ。でもそのまま右に書くと区別が付かないから一の位の右下に『・』を書くんだ」
「十分の一は0.1って書くわけね?」
メイが勝ち誇ったように言う。昨日までの不機嫌な顔と偉い違いだ。朝の一件が影響しているのか? まあ、良い変化だと大作は思うことにする。
「百分の一は0.01でございますか?」
ほのかも二人に負けじと元気に言う。これくらい積極的に行かないと埋没してしまうとようやく理解したんだろう。
「ちなみにエ○ァンゲリオンに異なった固有パターンの保持者が搭乗した場合の起動確率は0.000000001%だぞ。一千億分の一ってことだ」
昨日に比べると随分と順調な滑り出しだ。まあ、小学三年で習う内容なんだからこれくらいで躓かれては困る。大作は気を引き締めた。




