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取られたら取り返せ、倍返しだ!

 廿日市の港で船を降りた大作たちが安芸高田を目指して歩き始めてから三日目のお昼過ぎ。険しい険しい上根峠を登り切った一同の目の前に現れたのは世にも珍しい谷底平野だった。


「この谷底平野は大昔、簸川の勢いが良かったころに作られたらしいな。ところが河川争奪によって上流を取られた簸川は水量が激減してあんな小川になっちまったんだ。ちなみに谷底平野が広いのに水がとっても少ない川のことを無能河川って言うそうな。んで、谷のことは無能谷って言うんだとさ」

「何とも無礼な物言いよねえ。元はと言えば川の流れを横取りした根の谷川の方が悪いっていうのに」

「そうよ、そうよ! 美唯も根の谷川が悪いと思うわ」

「にゃあ!」


 お園と美唯と小次郎が興奮した口調で怒りを露わにする。でも、できたらその怒りを俺の方に向けないで欲しいんだけどなあ。大作は思わず体を仰け反らせて回避した。


「そうは言ってもなあ…… いまさら根の谷川の水をこっちに持ってこようと思ったら大変な大工事になるぞ。あの辺りの山を思い切り削り取って川を付け替えるか? それか上流にダムでも作って無理矢理に流れを変えるとか? どっちにしろ根の谷川の下流に住んでる人は困っちゃうだろうしな」

「そんなの知ったこっちゃないわよ。そも、根の谷川の水は江の川へ流れていたんでしょう? 返して貰うのが筋じゃないかしら?」

「取られたら取り返す。倍返しよ!」

「にゃあ! にゃあ!」


 戦国時代の水争いは命懸けの戦いに発展することも珍しくはなかったそうな。そんな荒っぽい価値観とは程遠いところに住んでいる大作には彼女たちの心境がこれっぽっちも理解できない。理解したくもない。とは言え、気持ちを蔑ろにするのも憚られる状況だ。

 これはもう、お得意の話題反らしで逃げるしかないな。大作は適当な話題を探して頭をフル回転させる。フル回転させたのだが…… しかしなにもおもいつかなかった!


「こんな屁みたいにショボい川がどうなろうと俺たちの知ったこっちゃないじゃん! そんなことより、あと二里も歩けば夢にまで見た江の川だぞ、江の川!」

「江の川? それってどんな川なのかしら?」

「聞いて驚け、見て笑え! 一級河川、江の川っていうのは中国地方では唯一無二の先行河川なんだ。その起源は中国山地が形成されたのよりも古い。つまり先に川が流れている所に後から中国山地ができたってことなんだ」

「それって同じ事を言い方を変えて言い直しただけよね?」


 横から美唯が鋭い突っ込みを入れてくる。だが、話の腰を折られたくない大作は華麗にスルーを決め込む。


「とにもかくにも江の川は凄い川なんだ。全国ランキングだと距離で十二位、面積で十六位。中国地方最大にして中国山地を貫いている唯一の川なんだぞ」

「そも、(ごう)っていうのが川のことよねえ? 何だか知らんけど語彙が重複してるんじゃないのかしら?」

「そんなん言い出したらサハラ砂漠やゴビ砂漠なんかも同じじゃね? とにかくそのくらい凄い川だってことなんだよ。さて、そんなことを言ってる間にも阿賀城が見えてきたぞ。見えるか?」


 大作は右手に聳える小高い山を指差した。

 麓から二百メートル以上はありそうな高い山の斜面には曲輪や土塁が連なっているのが良く見える。南北を深い谷間に挟まれた山城は正に難攻不落の要塞といった雰囲気だ。


「またお城なの? 本に此の辺りはお城のバーゲンセールよねえ」

「ここからが本当の地獄だぞ。ここ上根だけでも阿賀城の他に源城、末石城。佐々井にも狐ヶ城、御子丸城、エトセトラエトセトラ……」

「えぇ~っ!」


 お園の絶叫が何もない原っぱに響き渡る。雄の三毛猫の小次郎は大きく伸びをすると欠伸をした。


「ちなみにあの城の城主は井上越前守光貞の嫡子、井上左馬之助就任だって書いてあるぞ。親子揃ってWikipediaに名前も出てこないような雑魚キャラなんだけどさ。恐らくは天文十九年七月十三日(1550/8/25)の大虐殺で殺されちゃうんだろな」

「ふぅ~ん、今日って確か天文十九年閏五月二十日(1550/7/4)だったわよねえ? それって一月半も先のことよ。それまでいったい何をして過ごすつもりなのかしら?」

「ひ、一月半だと?! アレ? 俺、もしかして計算を間違えていたのかな?」

「そうなんじゃないの? そうじゃないかも知らんけど」

「美唯も! 美唯もそう思うわよ!」

「にゃあ!」


 長い長い旅路があと二時間ほどで終わる。そんな絶妙のタイミングで告げられた衝撃の事実に大作は完全にパニックになってしまった。


「ど、どうすれバインダ~! 一月半なんて夏休みより長いじゃんかよ。それまでいったい何をして時間を潰せば良いんだろな? もしかして一度山ヶ野まで戻って出直してきた方が良いのかも知れんな」

「えぇ~っ?! 此処まで来て引き返すと申されまするか?」


 それまで黙って話を聞いていた音羽の城戸が堪らず声を上げた。その声音にはほんの僅かだが非難の色が含まれているような、いないような。


「いやいや、音羽殿。批判をするなら対案を出して下さりませ。井上一族が滅ぼされるというその日まで何をして時間を潰すのか。さぁ~ぁ、みんなで考えよう!」

「し、然らば…… うぅ~ん…… 然らば安芸高田とやらを見聞して回っては如何にござりましょう? きっと楽しゅうございますぞ」

「け、見聞を深めると申されましてもなあ…… ぶっちゃけた話、安芸高田の名所なんて郡山城くらいしか思い付きませんぞ。とは申せ、郡山城を見学させて下さいって毛利輝元…… じゃなかった、毛利元就に言えますか? 言えんでしょう? ねっ? ねっ? ねっ?」

「それはどうかしら? 腹を割って話せば存外と何とかなるかも知れんわよ。何ともならんかも知らんけど!」

「いやいや、なるわけないじゃろ。まもなく毛利は井上を攻め滅ぼそうって支度をしている真っ最中なんだぞ。そこへいきなり謎の僧侶がのこのこやってきて見学させて下さいなんて言い出したら怪しまれるに決まってるじゃん」

「あら、大佐。今までだって散々アポ無し突撃訪問をやってきたじゃない。それといったい何が違うって言うのかしら?」


 ほっぺたをぷぅ~っと膨らませたお園は内心の不満を隠そうともしていないようだ。

 隣ではコバンザメみたいにくっついた美唯が禿同といった顔で激しく頷いている。


「違う違う、全然全く違いますから。月と(すっぽん)、鰻と穴子くらいちがうぞ。いや、F-16とF-2くらい違うって言った方が分かりやすいかな?」

「あれはキャノピーの形で容易く見分けが付くわよねえ。確かF-2は対地、対艦攻撃が任務だからバードストライクを用心しているとか何とか」

「そ、そうだな。T-4のブルーインパルス仕様なんかと同じだな。他にも機体の大きさがF-2の方が一回り大きいし、主翼の形や大きさも随分と違うはずだ。それはともかく、この話はこれでお仕舞。郡山城の見学は無しだ。他に良い考えのある人?」

「……」


 そんな阿呆な話をしている間にも大作とお園と美唯と小次郎は簸川に沿って街道を北東へ向かって歩いて行く。


「いやいや、儂を忘れんで下さりませ。音羽の城戸、音羽の城戸ですぞ!」

「はいはい、忘れてません。忘れてませんから」


 上根峠を越えてから二時間はたっただろうか。左手に続いていた山並みが途切れたかと思った途端、江の川が合流してきた。


「流石は中国地方最大と言われる江の川だけあって簸川よりずっとずっと大きいな。あの三角州みたいなところを通っていけば渡れそうだぞ」

「ねえねえ、大佐。このまま川のこっち側を歩いて行っても大事ないのかしら? 後々の事を考えたら今ここで南側に渡っておいた方が良いかも知れんわよ」

「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。って言うか、先行した奴らはどっちを行ったんだろうな。謎は深まるばかりだぞ。うぅ~ん……」

「下手な考え休むに似たり。考えたって分かるわけじゃなし、さっさと先に進みましょうよ。時が惜しいわ」


 無限ループに陥りかけた大作の思考をドヤ顔を浮かべた美唯が強制終了させる。

 もしかして面目を潰されちまったのか? ここは何か一言でも言い返さねば納まりが付かんぞ。無い知恵を振り絞った大作はようやくのことで言葉を捻り出した。


「それじゃあ美唯の言う通りこっちを行くとしようか。だがなあ、美唯。もし間違っていたら責任を取ってもらうことになるぞ。忘れるなよ」

「あら、大佐。美唯はこっちを行けだなんて一言も言っていないわよ。さっさと行きましょうって言っただけだわ」

「ああ言えばこう言う奴だなあ……」


 大作は悔しそうに顔を歪めると黙って唇を噛み締めることしかできなかった。


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