巻ノ参百六拾参 世界遺産出雲大社 の巻
「お仕事ご苦労さまです! 今日は真に良き日和にございますな」
小早の船首で仁王立ちした若者が何か言いたそうに口を開きかけた刹那、大作は機先を制するように言葉を発した。
ちなみに目上の人に『ご苦労さま』は失礼だという謎ルールが生まれたのは二十世紀末のことらしい。
それ以前はといえば昭和天皇に向かって三木首相が在位五十年記念式典に、中曽根首相が在位六十年記念式典に『ご苦労さまでございました』と言っていたんだそうな。
それが近年では自称マナーの専門家を騙るインチキ野郎のせいで誤った使われ方みたいに言われているんだから嘆かわしい限りだ。
とにもかくにも、若者はほんの一瞬だけ言葉に詰まったように呆けた顔になる。だが、即座に立ち直ったかと思うと良く通る大きな声で返してきた。
「如何にも、良き日和じゃな。して、その方らは……」
「拙僧どもは日向国より参りました巡礼団? 参拝? 拝礼? 何か知らんけどそんなのありますよね? 所謂、宗教施設に行くためのツアーみたいな奴でして」
またしても大作は相手の質問を遮って答えを先回りする。こうやって話の主導権を握ってやろうという姑息な魂胆なのだ。
そんな大作の浅ましくもみみっちい猿知恵を知ってか知らずか、若者は少しだけ気を悪くしたようだ。ちょっと不機嫌そうに口元を歪めると妙に刺々しい空気を醸し出してきた。
「その方らは坊主に信徒じゃと申すか? 偽りではあるまいな? して、その行先は何方なのじゃ
? もしや厳島神社ではあるま……」
「拙僧どもはお伊勢参りのために伊勢神宮を目指して…… じゃなかった、どこだっけ、お園?」
「え? え? えぇ~っと…… 此処からなら出雲の方が近いんじゃないかしら? そうよ、出雲大社。出雲大社へ参らんと欲しております」
全くのノープランだったというのにお園は阿吽の呼吸というかツーと言えばカーというか。咄嗟の機転で一同の出雲詣でを捻り出してくれた。
だが、その答えは若者のプライドというか自尊心というか…… 心の中の何か大切な物をいたく傷つけてしまったようだ。急に顔を赤らめると語気を荒くして詰め寄ってきた。
「な、な、なんじゃと! 目の前におわす厳島神社を素通りして出雲へ詣でるじゃと? その方らには厳島の神様の……」
「どうどう、餅ついて下さりませ。拙僧どもは決して厳島の神様を軽んじておるわけではござりませぬ。とは申せ、厳島神社は平成八年に世界遺産へ登録されたって知ってましたか? なのに出雲大社や伊勢神宮は世界遺産登録されておりませぬ。この違いが何でだかお分かりになりますな? わっかるかなぁ~っ? わっかんねぇ~だろぉ~なぁ~っ!」
「うぅ~む、何故じゃ? 何故に厳島神社は『せかいいさん』とやらに『とうろく』されておらぬのじゃ? 事と次第に寄っては捨て置かぬぞ!」
「それはですねえ。厳島神社は立派は立派ですけど所詮は過去の遺産に過ぎないでしょう? それに比べて出雲大社や伊勢神宮は現代でも立派に生き続けているんですよ。そもそも伊勢や出雲の人たちが登録を望んでいないんだから政府だって世界遺産への推薦を行わないんですね。お分かり頂けましたかな?」
「……」
若者は憮然とした表情のまま、黙り込んでしまった。やったか? 大作は心の中で死亡フラグを立てるが決して顔には出さない。
と思いきや、暗く濁っていた若者の瞳に徐々に真っ赤な炎が燃え上がってきた。
まさか、再起動?! アンビリカルケーブルが繋がっていないのに!
「相わかった。その方らの行き先は出雲で相違ないな? して、積荷はいったい何なのじゃ? 我らは駄別銭として積み荷の十分の一を所望致す。もし逆らうとあらばこの海を通す訳には参らぬと心得よ!」
「いや、あの、その…… さっきの話をちゃんと聞いてました? 拙僧どもは宗教法人だから非課税にならないですかねえ? そもそも積み荷なんて積んでもいないんですけど?」
「空言を申すな、空言を! 斯様に大きな船に何も荷を運ばぬ事などありはすまい。隠し立てするならば容赦はせぬぞ。皆の者、船の中と外をくまなく調べよ!」
「へい!」
若者の号令一下、水主たちが一斉に弾かれたように動き出す。手作り感の溢れた短い木製の梯子が舷側に立て掛けられるやいなや数名の男たちが我先にと船へ乗り込んでくる。
彼らは素早く船内各所に散らばると手当たり次第に辺りを探り始めた。その荒っぽい手付きには遠慮会釈というものが微塵も感じられない。
これって何だか『地獄の黙示録』でウィラード大尉の乗ったPTボートがベトナム人のサンパンを臨検するシーンみたいだなあ。
確かあの場面では籠に隠した子犬のせいでベトナム人たちが一人残らず機関銃で蜂の巣にされちまうんだっけ。
そう言えば、雄の三毛猫の小次郎はどこにいるんだろう。あいつのせいで俺たちが蜂の巣にされたら嫌だなあ。想像した大作は背筋がゾワッとした。
「ねえねえ、大佐。小次郎ならちゃんと此処にいるわよ」
「にゃあ!」
「ああ、ちゃんと繋いでいてくれたのか。やっぱ美唯は賢いなあ」
取り敢えず機関銃で蜂の巣にされるのだけは免れたようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。
そうこうするうちに船内の捜索は終わったらしい。だが、安心する間もなく今度はしょぼくれた顔のおっちゃんが褌一丁になると勢いよく海へと飛び込んだ。
どうやらご苦労なことに船底まで徹底的にチェックする気らしい。
そんなところを調べても何にも無いのになあ。大作は他人事ながら少しだけ気の毒になってきた。
何せ鉄砲は全て分解して素人目には絶対に分からないように自然に隠してある。火縄は編んで縄にしてあるし、火薬や弾丸も一見すると食料にしか見えないようになっているのだ。
やがて男たもようやく得心がいったというか諦めがついたというか…… 疲れ果ててしまったのだろうか。待つこと暫し。海面から顔を覗かせた男が若者に報告した。
「亀姫様! 怪しい物は何一つ見当たりませぬ。如何いたしましょうか?」
「左様であるか、では上がってこい!」
若者は顎をしゃくると鷹揚に返事をする。
良かった! 何も見つからなくて。大作は心の中でガッツポーズ(死語)を取ろうと…… いやいやいや!
「か、か、亀姫ですと?! あんたもしかして女だったんですか? うぅ~ん、あんたも姫様じゃろうが儂らの姫様とは大分違うのお」
「如何にも、妾は女じゃぞ。見て分からなんだか?」
若者…… じゃなかった、女は小首を傾げると悪戯っぽい笑みを浮かべた。
言われて見ればプロポーションが明らかに男とは違って見える。それに髪型も中性的というかボーイッシュというか。何といっても顔つきが美少年でも美少女でも通用しそうな思春期独特の美形なのだ。
とは言え、具足を付けたうえ『やがらもがら』を肩に担いだ女なんてあんまりいないんだから間違えてもしょうがないんじゃなかろうか。大作は心の中で素早く考えを纏める。
「いや、まあ、そんな格好をしていたら男と間違えられてもしょうがないんじゃありませんか? それにしても亀姫様ですか。村上水軍に鶴姫っていうのがいたっていうのは嘘っぱちだそうですけど、よりにもよって亀姫様とは。何度も言って悪いですけど、うちらの三の姫様とは偉い違いですなあ。いやいや、もちろん良い意味ですけどね」
「そ、そうなのか? 褒めたとて何も出ぬぞ」
「いやいや、褒めてません褒めてません。褒めてませんから」
そんな阿呆な話をしている間にも船内を臨検していた男たちはさっさと小早へと戻って行く。
亀姫とかいう若者は居住まいを正すと再び真面目な顔を作った。
「然らば駄別銭は勘弁してやろう。じゃが帆別銭を銭一貫文、通関銭を銭一貫文、それと一人につき銭十文じゃから六十人で銭六百文。合せて銭二貫六百文。払わぬと申すならば此の海を通す訳には断じて参らぬぞ。如何致す?」
「えぇ~っ! ここを通るだけで銭二貫六百文ですと!」
これって現代の価値に直せば四十万円くらいに相当するような、しないような。そもそも海なんて誰の物でもなかろうに。そこから通行料を取ろうだなんて酷い了見もあったもんだ。大作は急にムカついてきた。
相手の人数はたかだか十数人。こっちには凄腕の忍びが十人にハンター協会が四十人。不意を襲えば瞬殺できるはずだ。
とは言え、この海は帰りにも通らねばならん。今は大人しく従っておいた方が吉なんだろうか。
無言で船長の顔色を伺って見れば『早く金を払え』という文字が額に書いてあるかのようだ。霊能力なんて皆無な大作ですら物凄いテレパシーがビンビンと伝わってくる。
ここは一つ船長の顔を立てて置くとするか。大作は懐に手を入れると予め用意しておいた銀塊を幾つか取り出して亀姫とやらの眼前に翳した。
「これで足りますでしょうか? 実を申さば些か手元が不如意にござりまして。だから今はこれが精一杯にございまする」
「何じゃと? もしやこれは銀ではないか。うぅ~む…… 銀なれば斯様な物じゃろうかのう。ほれ、佐吉。持ってみよ。如何じゃ?」
亀姫とやらは傍らに控えた小柄な爺さんに銀塊を手渡す。佐吉と呼ばれた男は恭し気に受け取る。暫しの間、手のひらの上で転がすと小首を傾げながらおもむろに口を開いた。
「斯様な物ではござりますまいかのう、姫様」
「左様か。うむ、佐吉がそう申すならそうなのじゃろう」
大作は心の中で『お前ん中ではな!』と付け加えるが決して顔には出さない。ただただ上目遣いで卑屈な笑みを浮かべるのみだ。
「良かろう。では廿日市まで案内致す故、付いて参るが良いぞ。とは申せ、和尚。手元が不如意と申しておったが出雲までは如何して参られる所存じゃ?」
「そこはそれ、蛇の道は蛇と申しますでしょう? ケセラセラ、なるようになるんじゃないですか? 知らんけど!」
「さ、左様か。まあ、せいぜいい気の緩むこと無きようにな」
亀姫とやらは真面目に相手をするのが馬鹿らしくなったんだろうか。銀塊を大事そうに懐に仕舞い込むとヒラリと小早に飛び移った。
「皆の者、目指すは廿日市じゃ! 気張って漕げ! そぉ~れ!」
号令一下、小早は滑るように走り出す。
大作たちの船は中途半端に帆を掲げると小早を追い越さないよう注意しなが後ろにくっついて進んで行った。




