巻ノ参百六拾壱 男士三日会わざれば の巻
翌朝の総模様も申し分のない上天気だった。例に寄って例の如く、一同は日も暗い時分に朝餉を平らげる。
まるで夜明けを待つかのように船は一ツ瀬川の河口にある富田浜入江を出港した。
気持ちの良い西風を受けた三角帆が丁度良い塩梅に膨らみ、貨物船『寧波』は滑るように日向灘を北上する。
「船足は十ノットといったところかしらねえ」
「なんだよ、美唯。お前さん、随分と利いた風な口をきくようになったな。いったいどこでそんな言葉を覚えてきたんだよ」
「あら、大佐。美唯が船に乗り始めてからもう三日にもなるのよ。男士三日会わざれば刮目して見よって言うじゃないの。これくらいのこと、とっくに覚えちゃったんですから」
「いやいや、お前は女だろ?」
そんな阿呆な話をしている間にも船はどんどん進んで行く。日が高く昇るころには延岡の沖合を通り過ぎ、昼ご飯を食べ終わったころには九州最東端の鶴御崎を回り込んだ。
「知っているか、お園。鶴御崎灯台は旧日本海軍の望楼跡に作られたんだとさ。まあ、どっちも今現在はまだ影も形もないんだけどな」
「ふぅ~ん。まあ、あれだけ高ければ見晴らしはとっても良さそうねえ」
「GoogleMapによれば二十四時間営業しているらしいぞ。だけども昼間の灯台っていったい何を営業してるんだろうなあ?」
「お土産でも売ってるんじゃないの? 知らんけど!」
ドヤ顔を浮かべたお園は両の手のひらを肩の高さで翳すと小さく首を竦めた。
暫くすると船は僅かに進路を変える。風向きも少し変わって一段と速度が上がった。お陰で二時間も立たないうちに四国最西端の佐田岬に達してしまった。
「戦前はここと向こう側の関崎に豊予要塞っていうのがあったらしいぞ。あの先っぽのところには四斤山砲みたいな砲台レプリカが置いてあるんだとさ」
「向こう側っていうのは彼処のことよねえ? どう見ても三里くらいは離れているわよ。四斤山砲だと全く持って届かないんじゃないかしら?」
「そ、そんなこと俺に言われても知らんがな。文句があるなら作った奴に言ってくれよ……」
不貞腐れた顔の大作は小さく口を窄めるとモゴモゴと愚痴るように呟く。
そんな惨めな姿を哀れに思ったのだろうか。ちょっと呆れた顔のお園は宥めるように両手を振り回した。
「あのねえ、大佐。別に責めてるわけじゃないのよ。ちょっと気になったから言ってみただけでしょうに。そんなに拗ねないで頂戴な」
「いやいや、別に拗ねてませんから。俺は拗ねてない! 絶対ニダ!」
「そう、良かったわねえ…… それはそうと佐田岬に着いちゃったわよ。私たち此処を目指してたんでしょう? これからどうするのかしら?」
「どうするのって言われてもなあ…… 取り敢えず伊予方面を目指そうか。船長! 船長はいらっしゃいませんか?」
「……」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
いやいやいや、屍だったら怖いがな!
と思いきや、船の後方から近付いてくる足音が聞こえてきた。
「お呼びにございますか、大佐様? 如何なされました?」
「船長、わざわざお呼び立てして申し訳ございませんな。ここから先の話をしようかと思いまして」
「おお、漸くお聞かせ頂けまするか。して、船を何処へ向かわせれば宜しゅうござりましょうや?」
「発表します! 我々の目的はズバリ、広島にございます!」
「???」
大作が思っていた通り船長の顔に特大サイズの疑問符が浮かんだ。
いつ見てもこの表情は応えられんな。内心で勝利の雄叫びを上げながらも決して顔には出さない。
「やはりご存知ありませんでしたか。まあ、広島っていう地名は天正17年(1589)に毛利輝元が広島城の築城を始めた時に付けたものですから。知っていたら逆にびっくりですよ。広島っていうのは安芸国のこの辺りですかな。んで、その中でも我々が向かうのはここ。この端っこの方なんですよ
大作はスマホに広島付近の地図を表示させると隅っこの方を指で摘んで拡大させた。
小さな画面に表示されたカラフルな映像を船長は目を皿のようにして覗き込む。
「現代でいうところの広島市南区黄金山は戦国時代には仁保島という島だったそうです。ここに仁保城という城が建っていて昔は白井氏とか申す武田氏の警固衆を務めるお方の支城だったそうな。武田氏が滅び、毛利元就に攻め落とされた後は香川光景とか申すお方が城番になったとか。北東に三キロほど離れたところにも出張城とかいう城が建っているみたいですね」
「ほうほう、大佐様のお目当てはその城にございまするか」
「いやいや、それが全く持って違うんですよ。真の目的地はそこから更に山の中を十里ばかりも歩かねばなりませぬ。ですが、取り敢えず船で行けるのはそこまでです。従って船はその辺りに泊めて頂くしかございません」
「して、大佐様のお帰りは何時頃になりましょうや?」
気になるのはそこかよ~! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。って言うか、普通に考えたら一番気になるのはそこなんだろう。
「二週間…… じゃなかった、半月くらいでしょうかな? まあ、万一それより遅くなるようならば伝令を飛ばしますんでご心配なく。最悪の場合は自分たちで別の船を探して帰りますから。もし、一月経っても便りがなければ先に帰って頂いて差し支えございません」
「畏まりましてございます。然れども大佐様。お帰りをお待ちしておる間、いったい我らは何をしておれば宜しゅうございましょうや?」
「何をと言われましてもなあ…… 適当にぶらぶらしてて下さって構いませんよ。当面の生活費をお渡ししておきますので好きなようにしていて下さいな」
「いやいや、そうは申されましてもなあ…… 我らは『れんしゅうこうかい』とやらを成さんがために斯様に遠き所にまで参ったのではござりますまいか? 其れが何もせんで良いとは合点が参りませんぞ。左様に道理の通らぬ話、儂の目の黒いうちは……」
流石は瞬間湯沸かし器(死語)。相も変わらず沸点の低いことで。大作は心の中で嘲笑いながらも表面上は神妙な面持ちを崩さない。
猫騙しの要領で船長の眼前でポンっと両の手を打ち鳴らして強引に話を止めさせた。
「どうどう、餅ついて下さりませ。安芸国まで行って帰ってくるだけでも練習航海としては十分過ぎるほどですよ。過ぎたるは猶及ばざるが如し。腹八分目に医者いらず。人間には適度な向上心が必要です。だけども身の丈に合ったところで満足するってことも覚えないと永遠に上を目指してもがき続けることになりますよ」
「うぅ~む…… これは一本取られましたな。いや、流石は大佐様。有難きお言葉を賜りました」
マトモに相手をするのが阿呆らしいとでも思ったのだろうか。船長は呆気ないほどあっさり引き下がってしまった。
船は東北東へ進路を変えると佐田岬の北岸に沿って伊予灘をひた走る。
例に寄って例の如く怖いくらいの猛スピードだ。お陰様で日が沈む直前には肱川の河口にある長浜という小さな小さな漁港に滑り込むことができた。
「肱川ですって? 随分と妙な名前の川もあった物よねえ。何ぞ由来があるのかしら?」
「よくぞ聞いてくれました! って言っても諸説あるんだけどな。思い付くままに並べて行くから耳をかっぽじって良く聞いてくれよ。まずは流れが曲がりくねって肘みたいだからって言うのがあるな」
「曲がっているから肘ですって? だったら膝川でも良いんじゃないかしら?」
「そ、そうだな。お園がそう思うんならそうなんじゃね? お園ん中ではな……」
初っ端から思いっきり話の腰を折られた大作は思わず一歩後ずさる。だが、一瞬の隙をお園は見逃してはくれなかった。
「ところで大佐。泥土とか泥濘のことも『ひじ』って言うじゃない。比治っていう字を書くんだけれども土方っていうのもそれが由来らしいわね。もしかして比治が多い川だから『ひじかわ』って言うのかも知れないわねえ」
「あのなあ、お園。さてはお前もWikipediaで調べたな。そうなんだろ? 怒らないから正直に話してみ。ワシントン大統領みたいにさ」
「うふふふふ、バレちゃあしょうがないわねえ。ちなみに肱川は昔は比志川とか比治川って書かれていたそうよ。愛媛の地名(堀内統義著)に書いてあるんですって」
「はいはい、Wikipedia万歳! ちなみに宇和島自動車のバスガイドさんによると大水を鎮めようと人柱なったお肘さんを弔うためだって話だな。実際には1331年に伊予国守護になった宇都宮氏が比志城(大洲城)を築く時、工事が上手く進まなかったので『おひじ』とかいう娘を人柱にしたとかしなかったとか。それで近くの川が比地川になったとかならなかったとか」
「随分と胸糞の悪い話よねえ。そんな非道なことをしたら祟に遭って返って酷い目に遭いそうだわ。って言うか、なっちゃえば良いのにねえ」
「詳しいことは知らんけど伊予宇都宮氏って国人は二百年以上も南伊予を支配してたんだけど永禄末期には毛利に下ったみたいだな。んで、天正年間には大野直之っていう家臣が土佐の長宗我部元親に内通して大洲城を追い出されちまう。だけども栄枯盛衰は世の習い。その大野直之も天正十三年(1585)には豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景に攻め滅ぼされる。小早川隆景が三五万石で伊予に入った後も戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治って感じで次々と城主が変わる。元和三年(1617年)に伯耆米子から六万石で加藤貞泰ってのが入って明治維新まで続いたんだとさ。そうそう、こんな話も書いてあるぞ……」
そんな阿呆な話をしている間にも長浜の夜は更けていくのであった。




