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巻ノ参百六拾 格さんの印籠 の巻

 朝早く久見崎を出港した入来院水軍の誇る最新鋭軍船、貨物船『寧波(ニンポー)』は大海原を颯爽と進む。進んでいたのだが……


「大佐様、儂らはいったい何処へ向こうておるのでありましょう? 南や西ならば兎も角、未申へ向こうたとて此方には島の一つとしてござりませぬぞ」


 眉毛を吊り上げて鋭い目つきで睨んでくる船長(ふなおさ)の音声は疑念の色を隠そうともしていない。


「おやおや、船長。いったい何を怯えておられるのかな? まるで迷子のキツネリスみたいですぞ」

「いやいや、儂は何も怯えてなどおりませぬぞ。ただ、水主(かこ)どもが怯えてしまわぬか憂いておるのでございます。あ奴らが恐れ怖いってしもうては船を操ることなぞ叶いませぬ故」

「まあ、それはそうかも知れませんねえ。行き先も目的も知らされぬまま作戦に投入されるなんて装甲騎兵ボトムズの冒頭みたいですもん。とは申せ船長、未申の方に何も無いなんてことはないんですよ。このまま南西へ三百里も進めば台湾がありますもん」

「さ、さ、三百里ですと! 左様に遠き所へ参ると申されまするか? いったい幾日掛かるとお思いで? とても水や兵糧が足りませぬぞ!」


 途端に船長の顔色が茹で蛸みたいに真っ赤に変わった。攻撃色に染まった真っ赤な目玉がとっても怖いなあ。

 よりにもよってこいつまでもが瞬間湯沸かし器(死語)だったとは。お釈迦様でも気がつくめえ。第作は内心で嘲り笑うが決して顔には出さない。


「どうどう、船長。餅ついて下さりませ。慌てると元も子もなくしますぞ。船長は必要な時に水主を動かして下されば宜しいのです。拙僧が政府の密命を帯びていることもお忘れなく。そもそも、台湾に行くだなんて一言たりとも申してはおりませぬぞ。話はちゃんと最後まで聞いて下さいな」

「……」

「我らの最初の目的地は佐多岬です。んで、そのまま九州南部をぐるっと反時計回りに進んで佐田岬を目指します」

「はんとけいまわり?」


 気になるのはそこかよぉ~っ! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。ただただ卑屈な笑みを浮かべるのみだ。


「お園、腕時計を見せてくれるかなぁ~っ?」

「いいともぉ~っ! じゃなくって。何を言ってるのよ、大佐。あれはメイにあげちゃったじゃないの。筑紫島に向かう船の上で」

「そ、そうだったっけ? そう言えばそうだったっけ。ああ、何か思い出してきたよ。んじゃあ仕方がないなあ」


 大作はスマホを取り出すと時計を表示させた。表示させたのだが……


「デジタル時計じゃん! お園、お前のスマホの時計はどうだったっけ? ちょっと見せてくれるかなぁ~っ?」

「いいともぉ~っ! ちょっと待ってね、大佐。はい、どうぞ」


 お園は着物の袂からスマホを取り出すと助さんが印籠を見せるときのように眼前に翳した。


「違うわ、大佐。印籠を翳すのは格さんよ」

「そうだったっけ? いやいや、物凄く偶にだけど助さんが出す時もあるんだぞ。滅多にないんだけどな。これ、試験に出るから覚えとけよ。んで、船長。これが時計です。ほら、見て下さいな。こんな風に針が回っているでしょう。これが時計回り。この反対に回るのが反時計回りなんですよ。お分かり頂けましたかな?」

「おお、此れが時計と申す物にござりましたか。世にも珍しき物を拝見仕りました。此れで漸く合点が参りましたぞ。して、我らは『さたみさき』を通りて『さだみさき』を目指せば宜しゅうございましたかな?」

「佐多岬と佐田岬にございます。名前はちょっと似ておりますが全く持って離れたところにございますぞ」


 大作は慌ててバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと大急ぎで書き殴る。

 船長は白い盤面に書かれた文字を不思議そうな顔で見つめたまま暫しの間、固まってしまった。


「もし宜しければ船長も何か書いて見られては如何でしょうか?」

「……」


 固まったままの船長からは何の返事も返ってこない。もしかして寝ちゃったんでちゅか? 大作はチラリと横目で顔色を伺うがやはり何一つとして反応がない。

 こいつは辛抱堪らんぞ! 痺れを切らせた大作はつまみを掴むと素早くスライドさせて書かれた文字を一瞬で消し去る。

 だがその途端、突如として船長が大きな声を上げた。


「されも面妖な! あれほど数多に書いておられた字が一遍に消えてしまいましたぞ! いったい如何なる絡繰にございましょうや?」

「まあまあまあ、種も仕掛けもございませんから。とにもかくにも、まずは書いてご覧になって下さりませ。さあさあさあ!」


 大作は半ば強引に手を取ると無理やりにペンを握らせる。船長は恐る恐るといった手付きで盤面に筆を滑らせた。

 次の瞬間、まるで般若の面みたいに厳つかった顔が満面の笑みに綻んだ。


「おおっ! 何とも此れは心ときめきまするなあ! いやいや、これはこれは。心底から驚き申しましたぞ!」

「お次はこちらを動かしてみられませ。どうぞどうぞ」

「此れは如何なることか! 書いた字が立ちどころに消えてしまいましたぞ。うぅ~む…… しかし和尚は斯様に珍しき物をいったい何処で手にお入れなさったのじゃ?」

「それは企業秘密です!」


 そんな阿呆な話をしながら大作たちは船長と一緒にお絵描きごっこをして時間を潰す。時間を潰していたのだが……

 徐々に水主たちの顔が不安そうになって行き、とうとう辛抱堪らんといった顔で口々に声を上げ始めた。


「船長、いつの間にやら陸が見えませぬぞ! 儂らはいったい何処へ向かっておるのでしょう?」

「早う戻った方が宜しゅうございまぞ」

「急がねば手遅れになりましょう。心なしか波も高うなって参った様子にて」

「何ぞ遭ってからでは遅うござりまするぞ!」


 不安に駆られた水主たちがまるで烏合の衆みたいに騒ぎ立て始める。よくもまあ、こんな豆腐メンタルな奴らが船乗りになろうなんて思ったもんだ。

 こんな目に遭うんなら船なんかに乗るんじゃなかったなあ。どうして俺は見え見えの地雷を踏みに行っちゃうんだろう。陸の上で大人しくしていれば良かったぞ。

 大作は早くも旅に出たことを激しく後悔し始めていた。

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。タカラトミーのせんせいの盤面から顔を上げた船長が良く通る低音ボイスで声を張り上げる。


「静まれ、静まれ、えぇ~い、静まれい! 大きな声で騒ぐでないわ! 儂らの目指すは佐多岬じゃ。此の辺りの潮の流れならば良う存じておる故、何の憂いも要らぬぞ。今暫く船を進めた後に牛の方へ向かうぞ。然すれば巳の刻には黒島が見えて参る筈じゃ。其処からは甲乙の方へ向かえば日の沈む前には必ずや佐多岬へ着く。案ずるには及ばん!」


 力強い船長の言葉に元気付けられたんだろうか。水主たちの顔にもみるみる安心感が戻ってきた。まるで弾かれたように各々の持ち場に戻ると手際良く作業を始める。間もなく船はゆっくりと進路を南へと変えた。

 程よい西風を受けた分厚い木綿製の帆が孕み、船足が一段と早くなる。

 水主たちが徐々に落ち着きを取り戻すのを待って船長が口を開いた。


「大佐様、船を起きに進めたるは坊津を避けるためにござりましょうや?」

「良くお分かりになりましたな、船長。島津の連中にこの船を見せるわけには参りますまい。なんてったって極秘事項ですから」

「御意!」


 上機嫌な船長の操る船は南へ南へと大海原を滑るように進んで行く。

 地図で確認してみると黒島とやらの最高峰は六百メートル近いらしい。天気がとっても良く、風の具合も申し分ないので日が天高く昇るころには遥か前方に島影が姿を現した。

 左手には坊ノ岬に聳える百メートル以上の山も遠くに霞んでいる。船は枕崎から大きく距離を取ったまま東へと進路を変えた。

 次なる目印は開聞岳だ。標高は九百メートルを超えているので万一にも見失う心配はない。


 まだ日の高いうちに佐多岬を回って五キロほど行ったところにある大泊へ辿り着いた。さほど広くもない砂浜に乗り上げるように船を泊める。

 こうして航海初日は何事もなく無事に済んだ。大作は夕餉を食べながらほっと安堵の胸を撫で下ろしていた。




 翌朝、まだ空が暗いうちに朝餉を平らげる。船が出港したのは日が昇るのとほぼ同じころだった。

 今日も天気はとっても良く、風もベストコンディションに近そうだ。


「何だか怖いくらいに絶好調だな。後半で反動が来なきゃ良いんだけれども」

「心配したってしょうがないわよ。風の向くまま気の向くままなんですもの」


 そこから暫くは海岸線に切り立った山並みが迫り、ゴツゴツとした岩場が続く。

 こんな場所だと万が一、天候が急変しても砂浜に乗り上げるという非常手段が取れない。

 こういう危険地帯はさっさと通り過ぎるのに限る。限るのだが…… 突如として風が止んでしまった。


「こいつはちょっとしたピンチだな。どうすれバインダ~!」

「大佐様。此れしきの事、憂えずとも大事ございませぬ。水主どもに櫓を漕がせます故、ご安堵下さりませ」

「て、手で漕ぐんですか! こんな大船を? 大変ですねえ。他人事ながら心配になっちゃいますよ」

「まあ、大船に乗ったおつもりでご覧下さりませ。二百五十石くらいの。がははははっ!」


 船長は一頻り大笑いすると小走りに船首へと戻って行く。一段高くなったところに仁王立ちになると全身を使って音頭を取った。何とも言えない奇妙なリズムに乗って水主たちが総出で櫓を漕ぐ。やがて船はそろりそろりと動き出した。


 こんなんで大丈夫なんだろうか? だが、大作の心配に反して船は予想外の速さで進んで行く。暫くして岬を一つ通り過ぎた途端、急に潮の流れが変わって船足が早くなった。


「危機は去ったようだな。心配して損しちゃったぞ。ところで、もうちょっと行くと陸上自衛隊佐多射撃場があるらしいな。って言っても何も無い原っぱなんだけどさ」

「そりゃあ何もないからこそ射撃場なんでしょうね。邪魔な物が沢山あったら射撃なんてできないんですもの」

「美唯も! 美唯もそう思うわ!」

「私も同じ思いにございまする!」


 美唯だけでなく菖蒲までもが話題に乗っかってくる。いったい何が彼女たちをここまで駆り立てているんだろう。謎は深まるばかりである。


 やがて風向きも変わって船は再び滑るように走り出す。って言うか、今度は怖いくらいのスピードだ。丁度良い塩梅って物が無いんだろうか。

 燃料代が掛からないのは助かるけれど風任せっていうのは辛いもんだなあ。大作は心の中で愚痴るが決して顔には出さない。


「あの丘の向こう側。一キロほど行ったところにJAXA内之浦宇宙空間観測所があるんだぞ。かの有名なロケット桜は門を入ってすぐ右だ。宇宙科学資料館やロケット追跡レーダーもすぐそばにあるな。イプシロンロケット打ち上げ場のあるMセンターは岩場のすぐ上。二十メートルの巨大パラボラアンテナはあっちの山の上だ」

「ふぅ~ん。だけども、それができるのは今から四百年も先の世の話なんでしょう。今はまだ何も無い草深い山だわ」

「そりゃそうなんだけどさ。だけど、今は何も無いあの山からロケットが打ち上げられるんだぞ。凄いことだとは思わんか? 思うだろ? な? な? な?」

「はいはい、凄い凄い。これで得心したかしら?」


 何だか分からんけどお園が物凄く不機嫌そうだ。これはもう駄目かも分からんな。大作は時間を繰り上げて少し早目の昼食をとることにした。




 火崎の先っぽを掠め、志布志湾を左手に見ながら船は北西へと進んで行く。

 黙っていては間が持たない。大作は水平線の向こうに霞んで見える陸地を指差しながら遠慮がちに話し掛けた。


「あそこを見てみ。あれが志布志だぞ。知ってたか? 志布志市志布志町志布志って地名が実在するって」

「ふぅ~ん……」

「あのなあ、ちょっとくらいは驚いてくれよ」

「うわぁ、びっくりした! はい、これで得心が行ったかしら?」


 お昼ご飯を食べたっていうのにまだ機嫌が直らんのかよ。堪らんなあ。大作は用意していた茶菓子をみんなに配るとお茶を淹れて回った。


 そんなことをしている間にも船は北へ北へと大海原を当ても無く進んで行く。

 いやいや、当てはちゃんとありますから。大作は誰に言うとでもなく言い訳をした。


 日が少し西の空へ傾いたころ、延々と続いていた山陰が不意に姿を消す。そろそろ宮崎の辺りらしい。


「あれがかの有名な鬼の洗濯板だぞ。たぶんだけどな」

「せんたくいた?」

「美唯は知らんのか? 洗濯する時に使う板だけど。まあ、あれが日本に入ってくるのは明治時代だから知らんでも無理はないか。とにもかくにもとっても珍しい地形なんだから見ておいて損はないはずだ。だからといって別に得もないんだけれど」

「ふぅ~ん……」


 反応薄ぅ! 大作は鬼の洗濯板を心の中のシュレッダーに放り込んだ。




 そこから二時間ほど退屈な時間が続いた。日が大きく傾くころ、船は進路をゆっくりと西へと変える。

 急に陸地が近付いてきたかと思った途端、一ツ瀬川の河口にある富田浜入江へと乗り上げるように停泊した。

 どうやら今晩はここで寝泊まりすることになるらしい。

 一同は梯子を使って浜へと降りる。ドヤ顔を浮かべたお園が得意げに捲し立てた。


「ねえねえ、美唯。二十世紀にはあの山の向こう側に航空自衛隊新田原基地が作られるのよ。昔は…… って言うか、1983年から2016年の間にはアグレッサーっていう飛行教導隊がいたんだけど小松基地へ移転しちゃったそうよ。でも、故あって移転しちゃったんですって。それというのも航空自衛隊の訓練空域は全国に二十くらいあるんだけれど一番広いG空域が能登半島の沖合にあるからしょうがないんですって。何とも口惜しい話よねえ」


「そ、そうなんだ。美唯には良く分からないわ…… そんなことより夕餉の支度をしましょうよ。手伝って頂戴な、大佐!」

「へいへい、分かりやしたよ」


 そんな阿呆な話をしている間にも夜は更けて行く。

 この晩も大作たちはテントを張って押し競饅頭みたいにぎゅうぎゅう詰めで眠った。


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