巻ノ参百五拾九 未申に進路を取れ の巻
久見崎の船大工を訪れた大作とお園と十人の忍びと四十人のハンター協会員、それと美唯が抱っこした世にも珍しい雄の三毛猫の小次郎を待っていたのは入来院の小姓、千手丸であった。
「久方ぶりにございますな、大佐様。お変わりはございませぬか?」
「お、お代わり? 別に腹など減ってはおりませぬが?」
「あはははは…… 相も変わらずお戯れがお上手なことで。さて、遠いところを参られてさぞやお疲れにござりましょう。まずは此方にてお寛ぎ下さりませ。ああ、お荷物をお持ち致しましょう」
千手丸は奇妙なほど愛想良く振る舞う。もしかして初めてのお使いでテンションが上がっているのだろうか? 何だか知らんけど不穏な空気というか何というか…… いやぁ~んな感じだ。大作の心中で警報音がけたたましく鳴り響く。
もしかするとこれって破滅の罠? 良く考えてみればあの超ドケチな入来院の殿様が二つ返事で船を貸してくれるなんて話が上手すぎるぞ。もっと疑って掛かるべきだったなあ。後悔先に立たずとは正にこのことか。
大作は激しい自責の念に駆られて髪の毛を掻き毟る。掻き毟ろうとしたのだが…… スキンヘッドなので両の手はツルツル頭を虚しく撫で回すのみだ。
「どうしたの、大佐? もしかして頭が痒いのかしら。早くしないと置いてかれちゃうわよ」
「そうよ、大佐。四十秒で支度しなさいな」
お園の突っ込みに美唯がここぞとばかりに乗っかり、好き勝手を言ってくれる。
菖蒲はといえば半笑いを浮かべたまま傍観の構えらしい。
「あのなあ…… そこは『三分間待ってやる!』じゃね? そうだと思うんだけどなあ……」
大作は卑屈な笑みを浮かべると小走りで皆の後ろを追いかけた。
千手丸が案内してくれた粗末な掘っ建て小屋で大作、お園、美唯は焙じ茶を飲んで寛ぐ。その他の大勢の方々はもっと薄汚い作業場兼倉庫に案内され、それなりの持て成しを受けているらしい。
お茶請けに出された粽の出来損ないみたいな謎の物体を貪り食うお園をチラリと横目で見ながら千手丸が口を開いた。
「して、大佐様。此度の練習航海とやらは何方へお出掛けになるおつもりで?」
「やっぱりそこが気になりますか。まあ、普通はそうなんでしょうねえ。ですけどそれは追々ちょっとずつ明らかにして参りしょう。それまで暫しの間、お待ち頂けますかな」
大作は適当な言い訳で千手丸を煙に巻こうとした。したのだが……
座敷の下座に座っている如何にも海の男という感じの中年男が話に割り込んできた。
「いやいや、それでは困りまする。行く先も知れぬまま船を動かす訳にも参ります枚。そも、兵糧や水を如何ほど支度すれば良いのやら」
「それはその……」
思わぬ反論に大作は一瞬の間、虚を突かれる。見るに見かねたのだろうか。千手丸が話を引き取るかのように口を挟んできた。
「此方は此度の船旅において船長をお任せした長三郎殿にございます。以後お見知り置きのほどを。して、大佐殿。長三郎殿も申しておられる様に行く先知れずでは船を動かすことなぞ出来よう筈もござりますまい。水主どもも怖じ恐れてしまいますぞ。せめて我らだけにでも教えを請いとうございます」
千手丸の口調は一応はお願いという形式を取ってはいる。だが、明らかに一歩も引くつもりは無いという強い決意が伝わってくるようだ。
妥協した方が良いのかなあ。だけどもここで一旦でも引いてしまったらこの先の航海の道中、千手丸の命令に従い続けることになりはしないだろうか。そんなの絶対に嫌だぞ。
大作は何とか妥協案的な物を捻り出せないかと無い知恵を振り絞る。振り絞ったのだが……
しかしなにもおもいつかなかった!
「ですからぁ~っ! お二人は『need to known』って言葉を聞いたことはございませんか? ない? ないんだぁ~っ! ないんじゃあしょうがないですねえ……」
まるで苦虫を噛み潰したような顔の大作はこの世の不幸を一身に背負ったような暗い顔で項垂れる。
流石にこれは不味いとでも思ったのだろうか。千手丸の態度がほんの僅かだけ和らいだような、柔がないような。
「然らば大佐様。何方に向かわれるのか、其の方角だけでも教えては頂けませぬでしょうか? 其れと兵糧や水を如何ほど支度すれば宜しゅうございましょうや?」
「そこまで申されるなら、千手丸殿。貴殿がお決めになれば宜しかろう。その代わり、何ぞ事故にでも遭った時の責任は取って頂きますぞ。千手丸殿にそのお覚悟がございましょうや?」
「か、覚悟? 某が? いやいや大佐様、お戯れを申されまするな。何ぞございました折の責は大佐様に負うて頂かねばなりませぬ。そも、此度のお話をお持ちになったのは大佐様ではござりますまいか。某は巻き込まれただけにござりますれば、責を負わねばならぬ道理など毛頭ござりませぬぞ」
「いやいや……」
「まあまあ……」
そんなこんなで大作は千手丸の追求を華麗に回避することに成功した。
暫しの無駄話の後、大作たちは夕餉にありつくことができた。メニューは例に寄って例の如く魚が中心のようだ。
多少は食べ飽きた感もあるが、新鮮な食材の持ち味を生かしたワイルドな料理の数々にはお園も大満足らしい。
「長靴一杯食べたいわね」
「そうだな、長靴一杯食べたいわよ!」
「にゃあ! にゃあ~っ!」
大作とお園と美唯と世にも珍しい雄の三毛猫の小次郎は人目も憚らず無邪気にはしゃぐ。
下座に座った小姓の千手丸は仏頂面を崩すこともなく黙々とご飯を食べていた。
食後のデザートに干し柿を食べながら焙じ茶を頂く。一息付いた後、一同は船の視察に赴いた。
「如何にございますかな、大佐様。我ら入来院の軍船、貨物船『寧波』は」
「そ、そうですなあ。立派な物じゃないですか? 何ていうのかな。風格って言うか威厳って言うのか。言葉にできない趣のような物をそこはかとなく感じまするぞ。これぞ『本当の船』っていう奴なんでしょうなあ」
何ともコメントに困った大作は思わず口から出任せの勢いで押し切った。
ちなみに世の中のどんなに下らない物でも『本当の』という一言を付け加えるだけで物凄いプレミアが付いてしまうのだから不思議だ。
船に近付いて行くに連れ、大勢の男たちが船内に食料や飲料水など種々雑多な物資の搬入作業を行っている様子が見えてくる。
「千手丸殿、明朝には出港できそうですかな?」
「しゅっこう?」
「港を出るとの意にございます」
小首を傾げる千手丸にお園がすかさず解説役を買って出た。
「ああ、其れならば何の憂いもございませぬ。大佐様がお連れになった方々が思うていたよりも多かった故、兵糧や寝床の支度に手間が掛かっておるだけにござりますれば。時に大佐様。船で何方へ向かわれるのか……」
「千手丸殿、好奇心は猫をも殺すと申しますぞ。貴重な雄の三毛猫が死んじゃったら大変でしょう? 行き先はいずれお教えします。お教えしますが…… 十年後、二十年後ということも可能。今日のところはそれを楽しみに待っていて下さりませ」
「うぅ~ん……」
未だに納得が行かないという顔の小姓を残して大作たちはさっさと小屋へと逃げ帰る。
どうやら布団なんて贅沢な物は用意されていないらしい。部屋の隅っこには汚らしい筵が何枚か折り重ねてあるのみだ。
だが、幸いなことに季節はもう初夏なのでそんなに寒くはない。大作、お園、菖蒲、美唯、貴重な雄の三毛猫の小次郎は適当に寄り添って雑魚寝した。
大作は夜中に何度か美唯の寝相の悪さで安眠を妨げられた。だが、夜の八時に寝て翌朝六時に起きるという十時間睡眠のお陰もあって寝不足感は皆無だ。スッキリ爽やかに目覚めた大作、お園、菖蒲、美唯は顔を洗って歯を磨く。傍では貴重な雄の三毛猫の小次郎も顔を洗っていた。
朝食のメニューは炊きたての玄米ご飯、おかずは例に寄って焼き魚だ。時間が勿体ないので大急ぎで食べる。
慌ただしく食器を洗って返すと一同は駆け足で船に乗り込んだ。
「船長殿。全員の乗船が確認でき次第、出港して下さい」
「しゅっこう?」
「港を出るとの意にございます」
小首を傾げる船長にお園がすかさず解説役を買って出る。
「畏まりましてございます」
船長が手短に指示を出すやいなや、水主たちが見事なばかりの手際の良さで作業を開始する。
待つこと暫し、十数名の水主たちが渾身の力を込めて櫓を漕ぎ始めた。ゆっくりと川岸から離れた船は緩やかな川内川の流れに乗る。やがて河口を通り過ぎて大海原へと乗り出した。
「船長、進路を未申に取って下さい」
「しんろ?」
「進路と申すは船の行き先の意にございます」
「へ、へぇ…… 然れども、大佐様。いったい何方へ参られるおつもりで? 此処から未申へ向こうたところで何一つとしてござりませぬぞ」
船長が少し緊張感を含んだ声音で応える。その顔色は疑念の色を隠そうともしていなかった。




