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巻ノ参百四拾八 そして誰もいなくなった の巻

 五万石の米代を期日までに支払うことができなかった大作が借金の形に小田原城を取られてしまってから数日が経過した。

 皆が一丸となって協力した結果、八幡山の新城への引越しも滞りなく終わる。だが、巨大な巨大な小田原城と比べてしまうと新城はどうにもこうにもコンパクトというか手狭というか…… 少しばかり狭苦しく感じてしまうのは致し方のないことなんだろうか。

 とは言え、その分だけ部屋から部屋への移動は楽だし掃除の手間だって随分と省ける。

 そんなこんなで女性陣からの評判はそこそこというかまずまずというか…… それほど悪くはないといったところであった。




「ここのところ随分と骨折りだったわよねえ。引っ越しの荷物も粗方は片付いたことだし、今日は久方ぶりに骨休めしましょうよ、大佐」

「それもそうだな。仕事ばかりで遊ばないと今に気が狂うかも知れんし。よし! せっかくの日曜日だから今日は休養日にしよう。ちょっくら散歩にでも出掛けるとするか。お園、君は何処へ行きたい?」

「何なの? その、サイボーグ009の最終回みたいなセリフは?」

「いやいや、言葉通りの意味だよ。何処か行ってみたい所とかないのかな? それかやってみたいこととかさ?」

「そんな風に言われると何だか大佐と初めて相見えた晩のことを思い出すわねえ。とは言え、どうせ私たちいつも行き当たりばったりじゃないの。当てもなくその辺をぶらぶら歩きましょうよ」


 そんな阿呆な話をしながらも二人は城下へ繰り出すと適当に街を歩きまわる。

 どうやら石垣山一夜城の炎上は市井の人々の心理にも大きな影響を与えたようだ。通りを行き交う老若男女は皆が皆、穏やかで柔和な顔をしている。もう彼らの中ではすっかり戦は終わっているらしい。


 犬も歩けば棒に当たるとは良く言ったものだ。暫くぶらつくと通りの向こうから見知った顔が現れた。


「これはこれは御本城様。今日は御裏方様とお出掛けにござりまするか。相も変わらず仲睦まじいことで」

「おお、上野介殿。久方ぶりにございます。先日は結構な金目鯛を頂きましたな。金目鯛、美味しゅうございました。拙僧はもう走れません」

「さ、左様にございますか。して、今日は何方へお出掛けで?」


 下田城主にして伊豆水軍のトップ、清水康英(やすひで)はグイグイと詰め寄ってくる。


「ちょ、おま…… 何処へと申されましてもなあ。我々の方が知りたいくらいなんですよ。って言うか、上野介殿。何処か面白い所を知りませんか?」

「面白き所にござりまするか? うぅ~ん…… 面白き所、面白き所……」

「いやいや、思い付かぬのならば無理にとは申しませぬぞ。当てもなく適当にぶらぶら彷徨うのは慣れっこでしてな。では、これにて御免!」


 言うが早いか大作はお園の手を掴むと脱兎の如くその場を後にした。後にしようとしたのだが…… しかしまわりこまれてしまった!


「お待ち下さりませ、御本城様。もし宜しければ某もその『てきとうにぶらぶら』とやらにお供させては頂けませぬでしょうか? 決してお邪魔は致しませぬ故に」

「ちょ、おま…… ちょっと待って下さいな。せっかくの休日に仲良し夫婦が水入らずでお出掛けしてるんですぞ。そこにくっついてくるだなんてちょっとばかし野暮ってもんじゃありませんかな? そんなことないですか? 上野介殿だって奥方様でも誘って何処ぞなりと好きなところへお出掛けすれば宜しゅうございましょう」

「ちょっと待ちなさいな、大佐。上野介様は良かれと思って申されてるのよ。そんな風に迷惑そうに言うもんじゃないわ。断るにしたってもうちょっと物言いに気を付けて頂戴な」

「いや、あの、その…… そうだな、もうちょっと言葉に気を使うというかオブラートに包むというか…… アレをアレすれば良かったな。済まん済まん。だけどもオブラートってあんまり美味しくないんだよなあ。そもそも美味しいオブラートなんてあったら変だろ?」

「さ、左様にござりまするか……」


 清水康英の顔から急に笑みが消え、苦虫を噛み潰したような渋面に変わった。

 何だ? 俺、何か気に障るようなことを言ったかしらん? 大作は自分の胸に手を当てて考える。しかしなにもおもいつかなかった!


「いやいや、上野介殿。オブラートっていうのはデンプンと寒天だけで作られてるんですもん。美味しいはずがないんですよ。そもそも美味しい必要性なんてこれっぽっちも必要ないですし。宜しいですか? オブラートっていうのはオランダ語で『oblaat』って書くんですよ」


 大作はバックパックから取り出したタカラト()ーのせん()いに大きく書き殴る。

 清水康英はキリンみたいに首を長く伸ばして覗き込むとさも感心したように大きく嘆息した。


 俺のターン! 大作は心の中で絶叫すると立て板に水の如く早口で捲し立てる。


「本来のオブラートっていうのは丸くて小さいウエハースみたいな聖餅のことをいうんですよ。所謂、硬質オブラートってやつですな。ですけど日本でそんな物を目にする機会は滅多にないでしょう? せいぜい映画の中で見かけるくらいですもん。んなわけで日本でオブラートといったら普通はデンプンと寒天で作った水に良く溶ける可食フィルムのことをいうんですな。所謂、軟質オブラートって奴ですよ。ちなみにこいつは日本の発明品なんですよ。明治時代に作られたんだそうな。英語だと『eatable paper』って言うそうな。そう言えば、海苔のことを外国人が『black paper』っていうことがありますよね。そうそう、話は変わりますけど……」


 そんな阿呆な話をしながら三人のポンコツトリオは小田原の城下町を西へ西へと進む。

 歩くこと暫し。一行は早川口の丸馬出しへと辿り着く。

 人混みを見つけた大作はトボけた口調で他人事みたいに呟いた。

 

「さぁ~て、今日はいったいどんな出会いが待ち受けていることでしょうか? おやおや、アレは誰かなあ?」

「ああ、あれに見えまするは御馬廻衆の山角殿にござりまするな。山角殿! 山角殿、如何なされました?」


 大作の言葉に答えるかのように清水康英が良く通る大きな声で呼びかけた。

 集団の中で一番偉そうな格好をした若い侍が振り返る。男はこちらの姿を認めると少し驚いた顔で姿勢を正す。


「おお、御本城様に御裏方様。ご機嫌麗しゅうございます。清水様までご一緒とは。そちらこそ、如何なされました?」

「適当にぶらぶらしているだけにございます。何ぞ珍しい物でもござりましたかな? この人集りはいったい何の騒ぎでしょうか?」

「ああ、此れにござりますか。此方の坊主が怪しい動きをしておったので捕らえてまいりました。奥州伊達家の縁者だと申しておるのですが……」


 人垣がさっと広がると中心に一人の初老の男が取り残された。あちこち破けたボロボロの僧衣を身に纏った僧侶は顔中を煤で真っ黒にしている。

 これって誰だっけ? なんだか見覚えがあるような、ないような。いやいやいや、ちょっと待てよ。伊達の外交僧っていえば……

 思い出した! 伊達稙宗の十三男にして東昌寺の十四世住職、大有康甫(だいゆうこうほ)じゃんかよ!


「一風軒殿? 一風軒殿ではござりませぬか! こんなところで奇遇ですなあ。お会いするのは何ヶ月ぶりですかな? マグネット将棋盤の売上は如何ですか?」

「おお、左京大夫様。ご無沙汰しております。将棋盤の売れ行きはまずまずといった所にございましょうか……」

「そうですか。それは良かったですなあ。それはそうと伊達政宗殿…… そっちの左京大夫殿はお元気ですかな?」

「……」


 大有康甫はがっくり肩を落とすと力なく首を振った。死んだ魚のような目をした表情からは一切の感情が読み取れない。答えは聞かなくても分かりきったことだ。


「死んだの? 死んじゃったんですか? 伊達政宗が?」

「殿は石垣山城で催された宴に招かれたのですが、それっきり戻って参られませなんだ。焼け跡も見て参りましたが誰が誰やら見分けも付かぬほど焼け焦げておりまして……」

「あぁ~ぁ、みぃ~んな殺しちまいやがった…… ってことですか? ってことはアレですな、アレ。太閤秀吉や黒田官兵衛なんかも死んじゃったんですかねえ? そうなるといったい今の豊臣方の指導者? 支配者? そういう人は誰なんですか?」

「総大将の意にござりましょうか? うぅ~む…… 大和大納言様(秀長)や鶴松君が身罷られ、秀次様も討ち死に。御本所様(信雄)や駿府左大将様(家康)は亡骸すら見つかぬそうな。」


 状況は大作の予想を遥かに超えて酷いことになっているような、いないような。


『いやいやいや、まだだ。まだ終わらんよ! 豊臣は滅びぬ! 何度でも蘇るさ!  豊臣の力こそ人類の夢だからだ!』


 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。お得意の卑屈な愛想笑いを浮かべると上目遣いで顔色を伺う。


「だったら…… だったら前田や上杉はどうなったんですか? まさかとは思いますけど、あっちも全滅しちゃったとか言われたら困っちゃうんですけど」

「その『まさか』にございます。前田や上杉は言うに及ばず、真田や小笠原も尽く討ち取られたと聞き及んでおります。関東勢も佐竹や宇都宮、結城、多賀谷、里見らが……」


 大有康甫が滔々と語り続けているが大作の心はここにあらずんば虎子を得ずだ。右から左へと話を聞き流しながらも頭をフル回転させる。フル回転させたのだが…… しかしなにもおもいつかなかった!

 うぅ~ん、もう駄目かも分からんな。こうなったら自棄糞だ。毒を食わらば…… じゃなかった食らわば皿まで。お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで。欲しがりません勝つまでは。エトセトラエトセトラ……


 その時、歴史が動いた! 大作が背中に背負ったバックパックから聞き慣れたメロディーが聞こえてきたのだ。


「この曲ってなんだっけ?」

「メロディーチャイムNo.1 ニ長調 作品17『大盛況』よ。きっとスカッド様から電話が掛かってきたんだわ。大佐、早く出なさいな」

「はいはい、分かりましたよ。いま出ようと思ったのに言うんだもんなぁ~!」


 そんな阿呆な受け答えをしながらも大作はスマホを取り出して画面をタップしようと……


「アッ~! 間違えて切っちゃった……」

「もぉう、何やってるのよ。すぐに掛け直しなさいな。大事な用があったのかも知れないわ」

「でも、こっちから掛けたら電話代が掛かるじゃんかよ。本当に大事な用なら掛け直してくるはずさ。家宝は寝て待てってな」

「それを言うなら果報でしょうに」

「マジレス禁止~!」


 だが、待てど暮らせど電話は掛かっってこなかった。


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