巻ノ参百四拾四 食べろ!魴の粕漬けを の巻
花火大会を無事に終えた翌日、本丸御殿のお座敷に集った関係者は反省会を兼ねた打ち上げを行っていた。打ち上げ花火だけに。
「んで、藤吉郎さんよ。収支の方はどうだったんだ? 儲かったのか?」
大作は左手の親指と人差し指で丸を作るとグイッと差し出すように眼前に翳した。昔からあるお金を表すジェスチャーだ。
ちなみに、このハンドサインは国によって相手を侮辱する意味に取られることもあるらしい。気軽に使うには意外と危険なジェスチャーだったりするとか、しないとか。
「ふぅ~ん。じゃあ異国でお金を表すときはどんな仕草をするのかしら? 美唯はそこんところが気になってしょうがないんだけれど」
「気になるのはそこかよぉ~っ! 先に花火大会の収支報告を済ませた方が良いんじゃないのかなあ?」
「私めも其れが気になるわよ」
「小さな事が気になってしまう。某の悪い癖にございまして」
ほのかや藤吉郎までもがここぞとばかりに話に乗っかってきた。
付和雷同ここに極まれりだな。大作は小さく溜め息をつくと懐から取り出したスマホを起動する。
「えぇ~っと…… こんな風に人差し指と親指を擦り合わせるみたいだな。たぶん紙幣を数えるジェスチャーなんじゃね?」
「しへい?」
「こういうのよ、藤吉郎」
ドヤ顔を浮かべたお園が袂から野口英世の千円札を取り出すと『勝訴!』とでも言いたげに翳す。
「ほほぉ~う。して、この御方は何方様にござりましょ……」
「ストォ~ップ! これ以上、話を脱線させるのは勘弁してもらえるかな? 僕にはもう時間が無いんだ。例えるならエヴァレスト・ガロアと同じくらいにな。んで、話を戻すぞ。アメリカでは親指と人差し指と中指の三本を擦るんだそうな。フランスやイタリア、ブラジルなんかでは親指と人差し指の二本を擦る。この時、イタリアでは顔の前で擦るらしいぞ。あと、メキシコでは親指と人差し指で鉄砲みたいな形を作ると金持ちってジェスチャーなんだとさ」
「何でなの? なんで鉄砲の形がお金持ちなのかしら?」
「知らんがなぁ~っ! だって理由までは書いて無いんだもん。んでもってOKサインの話に戻っても良いかな? このハンドサインは中国だと日本と同じでお金の意味で通じるらしい。ちなみにアメリカやヨーロッパの一部では普通にOKサインとして使われているぞ。だけどもベルギーやフランスではゼロって意味に取られて無料とか役立たずと解釈されるそうな。これがドイツやイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカでは卑猥な意味になるんだとさ。ギリシャやトルコ、ロシア、マルタなんかでも以下同文。南米の大半でも同じだ。ブラジルを訪問したニクソン大統領がうっかりこれをやって国際問題になりかけたとか、ならなかったとか。そう言えばこんな話があるぞ……」
その日の午前中、大作たちは外国では使わない方が良いハンドサインに関しての勉強会に励んだ。
翌日、朝餉を食べ終わった大作がお茶を飲んでいると呼び鈴が鳴った。一瞬の後、伝声管からナントカ丸の元気な声が聞こえてくる。
「御本城様、黒田様と滝川様が参られまして目通りを願い出ておられます。如何致しましょう?」
「あいつら、また来たのかよ。ちゃんと手土産は持って来てるのかな?」
「酒を二樽と魴の粕漬けを十匹頂きました」
「そうかそうか。んじゃ、お通ししてくれ。くれぐれも丁重にな」
食べ物をくれる奴に悪い奴はいない。絶対ニダ! 大作は心の中で絶叫しようとするが……
「ほうぼう? それってどんな魚なのかしら? 美唯、そんなの見たことも聞いたことも無いんだけれど?」
「魴っていうのはこんな魚だな」
大作はスマホの中から画像を探して表示させる。お園と美唯が轆轤っ首みたいに首を長く伸ばして画面を覗き込む。
「随分と妙な格好をした魚ねえ。どうしてこんなに赤くて頭が大きいのかしら。それに尻尾の方が三角になってるわよ」
「なんて大きな眼なのかしら。眼の上に棘まで生えてるし。鰓蓋にも棘があるわよ。口は平べったいし。でも、大きな胸鰭は綺麗な孔雀色だわ」
「この胸鰭の前三条が脚みたいに動いて砂の上を歩けるそうな。そうやって方々、海の底を這い回るからホウボウって言われるようになったんだとさ。鳴き声がボーボーって聞こえるって説もあるらしいけどな。骨板に覆われた頭や赤い体が鎧兜を着た武士みたいだからお目出度い魚なんだとか。赤ん坊の生後百日とか百二十日の箸初めで使われるそうな」
「ふ、ふぅ~ん。つまるところ名前の由来はさぱ~り分からんってことね。それでそれで?」
好奇心の塊みたいな美唯は食い気味にグイグイと詰め寄ってくる。大作はロープ際に追い詰められたボクサーの気分だ。
「えぇ~っとだな…… こんな風に幅の広い口で海底の泥を引っ掻き回して餌を丸飲みするんだとさ。んでもって鰾が二つあるそうな。ボーボーとかいう不思議な鳴き声は二つの鰾の間を振動させて出すらしいな。パンパンに膨らませた風船を指先で摘むみたいに擦ったらそんな音が出るって書いてあるな」
「そ、そうなんだ…… んで、そんなことより美味しいの? 美味しくないの? それが問題よ」
美唯と違ってお園の興味は味に集中しているらしい。って言うか、それ以外は眼中に無いんだろう。
色気より食い気って奴だな。でも、ついさっき朝食を食べたばっかりなんですけど。大作は心の中で突っ込みを入れるとスマホに視線を戻した。
「旬は秋から春にかけてらしいな。何でかっていうと魴の産卵期は初夏だからだ。ちょっと肌寒い頃には脂がのってくるそうな。刺身にすると透き通ったような白身で甘みや旨味もあって凄く美味しいんだとさ。刺身で出たアラは潮汁にすると良いそうな。他にもブイヤベース、ムニエル、ポワレ、塩焼き、煮付け、エトセトラエトセトラ…… あと、浮き袋のことを鳴き袋っていうんだけど膠質のどろっとした食感で塩焼き、煮付け、エトセトラエトセトラ…… 美味しいんだとさ。それに肝や心臓もな。そうそう、握りしても脂と甘みが良い感じなんだとさ。」
「ちょっと待ちなさいな、大佐。さっきナントカ丸は粕漬けって言ってたわよ。そんなに美味しいって言うんならお刺身で食べたいんだけれど?」
お園の声が裏返る。引き攣った顔と開いた瞳孔がちょっと…… いや、物凄く怖い。
これは少しでも対応を誤ると修羅場へ直行のパターンだな。大作は慌てて話題の急ハンドルを切った。
「ここで連想ゲームしてみようか。黒田官兵衛と言えば何といっても中津だよな? だろ? んで、中津の食べ物と言えば唐揚げだ。でも、豊前鱧も有名じゃん?」
「じゃんって言われても知らんわよ。唐揚げも豊前鱧も食べたこと無いんですもん。んで、美味しいの?」
「だからこそ魴の粕漬けを食べようって話だよ。あの黒田官兵衛が手土産に持って来たんだぞ。これが美味しくないなんてことがあるだろうか? いや、ない! 反語的表現!」
一同は魴の粕漬けを食べながら魴談義で散々に盛り上がる。盛り上がっていたのだが…… お陰で廊下を近付いてくる足音に気付く由もなかった。
「いやいや、そこまで申されてはお渡しするのが恥ずかしゅうございますな。とは申せ、優れた腕の職人に作らせた魴の粕漬けにございます。どうぞお召し上がり下さりませ」
突如として掛けられた声に振り返れば黒田官兵衛と滝川ナントカが下座で平伏している。
すぐ側には寿司屋が出前に使うような大きな盥を抱えたナントカ丸も正座していた。
「御本城様。黒田様と滝川様が参られました!」
「いやいや、見れば分かるけどさ。でも、急にびっくりさせんでくれよ。驚いちゃったじゃんかよ」
「何を申されまするか、御本城様。お二方をお通しせよと申されたのは御本城様ではござりますまいか?」
「うぅ~ん、何のことかな? フフフ……」
大作は知らぬ顔の官兵衛を決め込む。官兵衛だけに。
だが、この手緩い対応を切っ掛けに女性陣を主力とした総反撃が始まってしまった。
「大佐、惚けたって駄目よ。私もちゃんと聞いていたんですからね!」
「美唯も! 美唯だって聞いてたわよ。何の事かは知らんけど!」
「畏れながら某も耳にしておりました。確かにこの耳で伺っておりますれば!」
今度は聞いてた競争かよ! とうとう藤吉郎までもが自らの両耳たぶを手で掴んで猛アピールしてくる始末だ。その必死さはいくら何でも度が過ぎてるんじゃなかろうか。
とにもかくにも付和雷同ここに極まれり。群集心理って奴は怖いなあ。自分が正義だと信じていると人はどこまでも残酷になれるんだろうか。
天才軍師の黒田官兵衛と滝川ナントカを目の前にした大作は例に寄って例の如く、益体も無い妄想世界へと現実逃避していた。




