巻ノ参百四拾参 上げろ!汚え花火を の巻
小田原評定において花火大会の開催が決定されてから早くも一週間が過ぎ去ろうとしていた。
新聞長官の藤吉郎は宣伝や営業に陣頭指揮を執って八面六臂の大活躍を見せる。
そのお陰もあってかチケットの売れ行きはそこそこと言うかマアマアと言うか…… 所謂『良いお席がまだまだございます』という状態だった。って言うか、有り体に言うと売れ行きが余り芳しくないのだ。
「できることなら空席が目立たんようにしたいぞ。お園、何でも良いから面白いアイディアは無いかなあ?」
「手の空いている方々を集めて座らせるくらいしかないと思うわよ。それか、いっそのこと席と席の間を広げたらどうかしら? 感染症対策とか何とか適当な理由と付けてさ」
「ナイスアイディア、お園! ようするにソーシャルディスタンスってことだよな。そう言えば……」
「御本城様、御本城様! 韮山城から電信が届いておりまするぞ!」
声の主はと振り返れば懐に記録用紙を大事そうに抱えたナントカ丸がドヤ顔を浮かべて傅いていた。
大作は四つ折りに畳まれた紙切れを受け取ると勢い良く振って広げる。
どれどれ、何が書いてあるのかなあ…… って、読めん! 読めないぞ! 例に寄って例の如く達筆過ぎる草書体は解読不可能な暗号にしか見えない。
だが、大作とてこれくらいのピンチは過去に幾度も切り抜けてきているのだ。顔色一つ変えることなくポーカーフェイスを維持したまま文面に一通り目を通す振りをする。たっぷり時間を掛けて内容を吟味した体で軽く鼻を鳴らした。
興味津々にこちらを伺っていたナントカ丸が辛抱堪らんといった顔で口を開く。
「御本城様。韮山はいったい何と申して参ったのでありましょうや?」
「知りたいか? ならば読んでみよ」
大作は紙切れをくるりとまわして差し出す。ナントカ丸は記録用紙を恭しげに受け取ると食い入るように見詰めた。
「……」
「あの、その…… ナントカ丸さんよ。悪いんだけど声に出して読んでもらっても良いかなあ。って言うか、お願いだから声に出して読んで欲しいんですけど?」
「そ、そこまで申されるなら吝かではございませんが。然らば…… 『発、韮山城。宛、御本城様。只今の天候は晴れ、風力は三、雲量は二、会場の設営も滞りのう進んでおりますれば今宵の花火大会には何も憂いはございませぬ』とのことにございます」
「そうかそうか。そりゃあ良かった良かった良かったなあ。そうなると、あとは日が暮れるのを待つばかりか」
「某には未だに信じられませぬ。真に韮山から花火が見れる…… 見られるのでしょうか? 確か韮山は海から一里は離れておった筈にございますが?」
小首を傾げたナントカ丸は上目遣いに顔色を伺ってくる。その視線には僅かばかりの疑いの念が込められているような、いないような。
大作は心の中で『知らんがなぁ~!』と絶叫するが決して顔には出さない。ただただポーカーフェイスを浮かべるのみだ。
「何とかなるんじゃね? ナントカ丸だけに。確かに韮山城と海は五キロ以上も離れている。だけども韮山は高さが百メートル近いんだぞ。まあ、途中に聳える大男山(雄徳山)っていうのが二百メートルもあって凄い邪魔なんだけどさ。でも、ネットに書いてある話が本当なら一尺玉は高さ三百メートル以上まで打ち上がるらしい。だから計算上は見えないとおかしいんだ。って言うか、見えないと困っちゃうぞ。主に我々が。だってチケットを沢山売っちゃったんんだもん」
「三百メートルっていうと二百間に少し足りないくらいね。まあ、見えるんじゃないかしら。って言うか、見えたら良いわねえ」
「いやいやいや、普通に見えるだろ! 計算してみろよ。見えなきゃおかしいじゃん! って言うか、絶対に見える! 絶対にだ!」
「はいはい、分かった分かった分かりましたよ。大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」
お園が飛びっきりの笑顔を浮かべながらも何とも微妙な相槌を返してくれる。
これにて一件落着。大作も満面の笑みを浮かべながら頭を下げて感謝の意を示した。
「それよりも大きな問題は花火を満載した伊豆水軍の関船が江浦湾へ入り込み、三の浦の沖合まで無事に到達できるかどうかだな。再三の話し合いにも関わらず豊臣方との休戦は不成立に終わっちまった。相模湾と違って駿河湾の制海権は完璧とは言い難い状況だ。連中が卑怯な妨害工作を仕掛けてくる可能性は無きにしもあらず。と言うか、普通にありそうだろ」
「ふ、ふぅ~ん。そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど。まあ、思うだけなら大佐の勝手よ。好きにしなさいな。そんなことより碓氷の方はどうなっているのかしらねえ」
「そっちの方こそ問題は少ないはずだぞ。まあ、これも思うだけのことなんだけどさ。碓氷峠から見た坂本の村を覚えてるだろ? あの、木々の隙間からチラっと見えた集落だよ。花火会場はあそこに設定したから碓氷城からは完全に見下ろす感じだな。これぞ究極の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』みたいだぞ」
「あら? 碓氷峠は坂本の村よりずっと高い所にあった筈よ。『打ち上げ花火、上からみるか?』じゃないかしら?」
「いやいや、標高差は三百メートルもないぞ。『打ち上げ花火、下から発射されて上で爆発』が正しいんじゃないのかな?」
「だったら…… それだったら横から見てるで良いんじゃないかしら?」
さっきまで険しかったお園の表情が心持ち緩む。相変わらず発想がユニークというかエキセントリックというか…… 何とも掴みどころの無い奴だなあ。真面目に考える気力がモリモリ削がれて行くぞ。
もう、どうとでもなれぇ~っ! 大作は最後のリミッターを呆気なく解除した。
「そもそも碓氷や韮山の人は…… って言うか、ここ小田原の連中だって誰一人として花火なんて見たことも聞いたことも無いんだぞ。仮に大失敗したところで気付く奴なんていないんじゃね? その時は『汚ねえ花火だ!』とでも言っとけば何とでも格好は付くよ。付かんかも知らんけどな」
「ふ、ふぅ~ん。『汚ねえ花火だ!』え。覚えとくわ」
「美唯も! 美唯も覚えたわよ!」
「はいはい、良かった良かった良かったねと。んじゃ、会場の下見にでも行くとしやしょうか!
「「いいともぉ~っ!」
三人は仲良く揃って本丸御殿のお座敷を後にした。振り返ることもなく本丸御殿から二の丸、三の丸へと抜けて大手門を右に向かう。
八幡山へと伸びる長い長い坂道の両側には大小様々な屋台というか出店というか…… 縁日の夜店みたいな状態になっているようだ。
お菓子、玩具、得体の知れない食べ物らしき物、食べ物かどうかすら見当が付かない物、エトセトラエトセトラ…… 無数の露店が整然と並ぶ様子は壮観な長めだ。
良く見て見れば一人の男があれやこれやと取り仕切っているらしい。おそらくはテキ屋みたいな立場の人なんだろう。
いやいやいや、随分と立派な素襖を着て大小二本の刀を腰に挿しているのが見える。何だか知らんけどテキ屋ってイメージじゃないんですけど。
「おお、御本城様に御裏方様ではござりませぬか。随分とご無沙汰致しております。お久しゅうございますな」
「さ、左様ですな。な、な、何ヶ月ぶりくらいですかなあ?」
「門松の支度を致しておった頃でございますから…… 早、半年近くにもなるのではござりますまいか?」
「ア、アッ~! 思い出した! 門松奉行の人だ!」
驚愕の余り、大作は思わず大声で叫んでしまった。途端におっちゃんの顔に怪訝な表情が浮かぶ。
フォローしようとでも言うのだろうか。ちょっと呆れた顔のお園が話に割り込んできた。
「あらまあ、大佐。もしかして忘れちゃったのかしら? 此方のお方は御馬廻衆の岡本越前守様よ」
「いやいや、知ってましたから! 俺いま言ったよな? 門松奉行って。ただ、名前がすぐに出てこなかっただけじゃんかよ。えぇ~っと…… 本名は岡本越前守八郎左衛門秀長なんていう長い名前なんですな。んで? その門松奉行様が斯様にむさ苦しい所でいったい何をなさっておられるのでしょうかな? 小さなことが気になってしまう。僕の悪い癖でしてね」
大作は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると岡本八郎左衛門の顔色を伺う。
「あの、その、いや…… 此度、某に防火管理責任者を任じられたのは御本城様ではござりますまいか? 違いましたかな?」
「で、ですよねぇ~っ! そう言えば、そんな気がしてきましたよ。そうだ! テレピン油奉行をお任せした時に防火責任者もお願いしたんでしたっけ。だんだん思い出してきましたよ。いやいや、大したものですなあ。あんな危険物を大量に取り扱っているのに事故が一件も起こっていないのは貴殿のご尽力の賜物にございましょう。此度の花火大会でもその能力を如何なく発揮して下さりませ。期待しておりますぞ。それでは失礼おば!」
言うが早いか大作は脱兎の如く逃げ出す。逃げ出そうとしたのだが…… しかしまわりこまれてしまった!
「では御本城様。僭越ながら会場までご案内をば致しましょう。正定殿! 正定殿! 此処をお任せ致す。某は御本城様を会場までお連れ致します故」
「彼方のお方は山角紀伊守様の御嫡男よ。前にもお目に掛かっているわ」
「そ、そうなんだ。さぱ~り見覚えが無いんですけど」
正定と呼ばれた若い男が深々と頭を下げたので大作も最敬礼を返しておく。
お礼とお辞儀はタダだ。使わんと勿体ない。
「では御本城様。参りましょうか」
「いや、あの、その…… お忙しい防火管理責任者様のお手を煩わせるのは心苦しいですなあ。できたらご自分の責務を全うして頂けませんか? 駄目? 駄目ですかねえ?」
だが、おっちゃんは馬耳東風といった顔だ。軽く顎をしゃくると坂の上に向かって歩き出した。
大作、お園、美唯に加えて新メンバーの岡本越前守を加えた仲良し四人組は八幡山への坂道を一歩一歩登って行く。登って行ったのだが……
「アレアレ? 美唯はどこへ行っちゃったんだ? もしかしてあの阿呆、逸れちまったんじゃなかろうな。この人混みの中で」
「えぇ~っ! それって大変じゃないのよ。美唯! 美唯! いたら返事をしなさぁ~い!」
「そりゃあ、いなきゃ返事できないもんな」
「阿呆なこと言ってないで大佐も探しなさいよ。美唯! 美唯!」
まるで杉野孫七を探す広瀬中佐になったかのようだ。大作とお園は声を枯らして叫び、人混みを掻き分けて駆け回る。駆け回ったのだが……
周りの人々の迷惑そうな顔を見ているだけで心が折れそうだ。いつの間にやら急増した人々の波間が通りを埋め尽くし、押し潰されそうだ。これはもう駄目かも分からんな。早くも大作の胸中を諦めムードが支配して行く。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。少し離れた所にいた岡本八郎が叫ぶように声を上げた。
「御本城様! 姫様なれば此方におられまするぞ!」
声がした方に振り返ってみれば屋台で得たいの知れない食べ物を買おうとしている幼女が目に入る。
「おいこら、美唯! 黙っていなくなるなよ。急に姿が見えなくなったから心配してたんだぞ」
「あのねえ、大佐。美唯は童じゃないのよ。こんなお城の目と鼻の先で迷子になる憂いなんてあるはずもないわよ」
例に寄って例の如く、幼女はこまっしゃくれたドヤ顔に薄ら笑いを浮かべている。
これは真面目に相手をしても時間の無駄にしかならんな。大作は咄嗟の機転で搦め手を突くよう作戦を変更した。
「いやいや、童じゃないからこそ心配してるんだぞ。年頃の若い娘が人攫いにでも拐かされたらどうすんだよ。お嫁に行けなくなっても知らんぞ」
「と、年頃の若い娘って美唯のことかしら? そう言われたら悪い気はしないわねえ。んで? もしお嫁に行けなくなったらどうするのかしら? もしかして大佐がお嫁に貰ってくれるのかしら?」
「あのなあ、ちゃんと話を聞いてたのかよ? 俺は『お嫁に行けなくなっても知らんぞ』って言ったんだ。知らんものは知らん!」
「え、えぇ~っ! そんなの非道だわ! 大佐はお寺から美唯や姉さまたちを連れてった折に確と約した筈よ。ちゃんと面倒を見るって! あれは空言だったて言うのかしら?」
「ちょっと待てよ。さっきから言ってるだろ。勝手にいなくなったのが悪いって。ちゃんと傍にいるんなら面倒は見るよ。でも、目の届かない所に行かれたら無理じゃん。な? だから遠くへ行かないでくれ。Do you understand?」
「はいは、分かったわよ。やっぱり大佐は美唯がいなくちゃね。黙っていなくなって悪かったわ、大佐。それはそうと大佐やお園様も食べる? このお菓子、美味しいわよ」
悪びれた様子も見せず美唯は食べかけの麩菓子みたいな謎の食品を差し出した。大作はニヤリと笑みを浮かべると黙って齧り付く。お園や岡本八郎も後に続いた。
四人は様々な種類の露店を一軒ずつ覗いて回りながら長い長い坂道を登って行く。徐々に日が陰り、やがて辺りは夜の帳というか夜の静寂というか…… 要するに日が暮れてしまう。
ようやく会場に辿り着く頃には美唯の両手には簪や絵草紙やら色んな品々で一杯になっていた。どうやら見るに見かねた岡本八郎が手分けして持ってくれているらしい。
お園はお園で珍しい物だろうが珍しくない物だろうがお構いなしに食べ物が目に入ると片っ端から平らげている。お陰で大作の財布からはあっという間に小銭が消えてしまった。そしてこの問題を解決してくれたのも岡本八郎だった。
「申し訳ありませんなあ、越前守殿。すっかりお世話になってしまいまして」
「あの、その…… 御本城様、お世話したわけではございませぬぞ。これは金子を用立てただけにございます。恐れ入りますが後ほどお返し頂きますよう伏してお願い申し上げ奉りまする」
「そ、そうなんですか? 随分と気前の良い人だなあって感心してたんですけど? ちょっとでも感謝の念を抱いて損しちゃいましたぞ。まあ、貸してくれただけでも有り難いことなんですけれども」
「いやいや、戯れにございます。御裏方様と姫様が斯様にお喜び頂けるとは、某も財布を空にした甲斐がございました」
悪戯っぽい笑みを浮かべる岡本八郎の顔は可愛い孫娘にお小遣いをやるお爺ちゃんのようだ。
大作とお園は深々と頭を下げて感謝の意を表す。何せ食べ物をくれる奴に悪い人はいないのだから。
その時、歴史が動いた! 不意に小さな破裂音が轟いたかと思った途端、辺りが仄かに明るくなる。数瞬後、耳を劈くような爆発音と共に夜空に巨大な光の輪が広がった。
「「「うわぁ~っ!」」」
周囲の人垣から一斉に感嘆の吐息が上がる。取り敢えず掴みはOKのようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。
ずらりと並んだ打ち上げ筒は次から次へと一尺玉が打ち上がる。その度に観客席から大きな歓声が上がった。
隣に目を見やればお園や美唯は無論のこと、岡本八郎もぽかぁ~んと大きく口を開けて空を見上げている。
「玉屋~~~! 鍵屋~~~!」
「何なのよ、大佐? その『たまや』とか『かぎや』っていうのは」
「知らん!」
「えぇ~っ! 知らないでそんな大きな声を出してたの? わけが分からないわ……」
ちょっと呆れた顔の美唯は小さく小首を傾げた。
一方でお園は僅かに口元を歪めると囁くように呟いた。
「汚ねえ花火だ……」
「ですよねぇ~っ!」
大作はお園の大きな瞳を見詰めながら手をとって優しく握り締める。お園も禿同といった感じで握り返してきた。
「来年も一緒に花火を見れたら…… 見られたら良いわねえ」
「美唯も! 美唯も一緒に見たいわ!」
「某もお供しとうございます」
いやいや、あんたは別にいなくても良いですから。大作は心の中で岡本八郎をシュレッダーに放り込んだ。
って言うか、小田原征伐って来年まで掛かるんだろうか。いい加減、山ヶ野金山に戻りたいんですけど。
大作は半分くらい忘却の彼方に消え掛かっていた祁答院のことを懐かしく思い出していた。
「ねえねえ、大佐。伊達家で何事か大騒動が起こるって前に言ってなかったかしら?」
「俺、そんなこと言ったっけかなあ?」
「言ったわよ。私、ちゃんと聞いてたんですからねえ」
「美唯も! 美唯も聞いたような気がするわ! たぶんだけど」
「多分かよ! まあ、大勢の人が生活してれば毎日のように何かしら起こるんじゃね? 何がかは知らんけど!」
大作は奥州伊達家の面々を丸っと纏めて心の中のシュレッダーに放り込んだ。




