巻ノ参百四拾弐 開け!二十の扉 の巻
清水康英に手伝ってもらって内政イベントを進めてから数日が経った天正十八年六月十二日。石垣山一夜城の完成まで二週間と迫ったこのタイミングで小田原城の本丸において定例の評定が開かれようとしていた。
先日来、豊臣方の使者が入れ代わり立ち代わり来訪したせいもあってか城中では和議の機運が高まっているようだ。開城も近いのではないかといった根も葉もない噂がまことしやかに囁かれているんだそうな。
だが、あまりにも兵たちの気が緩み切ってしまうのは宜しくなかろう。小幡信貞に命じて城内の綱紀粛正を図った方が良いかも知れない。きっと図った方が良いんだろうなあ……
まあ、どうでも良いか。どうせ戦はもうすぐ終わっちまうんだし。大作は軽く頭を振ると面倒事を頭から追い払った。
ちなみに史実ではこの日、氏政の母親の瑞渓院や継室の鳳翔院が自害したんだそうな。だが、この世界線ではそんなイベントは発生しそうにないんだけれども。
チラリと時計を確認した大作は姿勢を正すと芝居がかった声音で口を開いた。
「えぇ~っと…… それでは刻限が参りましたので評定を始めたいと存じます。今回も碓氷城の安房守殿(氏邦)と韮山城の美濃守殿(氏規)はリモートでの御出席となります。まずは小田原要塞守備軍の総司令官、陸奥守殿(氏照)より状況報告をお願い致します」
「うむ、まずは儂から言上をば仕る。今月も大きな戦は起こっておらず、時折り蓑曲輪や捨曲輪において夜討ちを仕掛けられたくらいじゃ。いずれも容易く打ち払った故、味方に手傷を負うた者は一人としておらぬ。真に張り合いの無いことじゃて。此方からも攻め寄せたいのは山々じゃが御本城様の仰せに従い石垣山一夜城とやらが築かれぬうちは打って出ることも叶わぬ。此れでは兵の気の緩みが心配じゃ」
氏照の発言は直ちに暗号係によって処理され通信班に回される。受け取った無線通信士は目にも止まらない素早さで電鍵を叩く。
この速さは毎分に百二十文字くらいじゃなかろうか。エレクトリックキーヤーを使わずストレート電鍵でこのスピードとは。よく手が引き攣らないもんだ。短点の連続なんてまるで機械みたいに正確だぞ。
と思いきや、思いっ切りエレクトリックキーヤーを使ってるやん! これなら俺だって毎分百文字、いや八十文字くらいなら打てるかも知れんぞ。打てないかも知らんけど。
そんな益体も無いことを考えながら待つこと暫し、韮山城の美濃守(氏規)や碓氷城の安房守(氏邦)からレスポンスが返ってきた。
通信士は物凄い速さで記録用紙に電文を書き留めて行く。それを受け取った復号係が乱数表と首っ引きで解読を行う。
数分は経っただろうか。一同がイライラし始めたころ、復号係が小さく咳払いをした。
「大変お待たせいたしました。然らば読み上げまする。発、氏規。宛、御本城様。韮山城においても兵どもの気の緩むこと甚だ由々しき有様なり。僅かばかりでも気を引き締めんと欲し、様々な策を弄しておりますが未だ芳しき甲斐もございません」
「発、氏邦。宛、御本城様。碓氷峠においても大きな戦は絶えて久しく、将も兵も里心がついてしまい難儀しております。何ぞ良いお考えはございませんでしょうか?」
座敷に集う一同の視線が一斉に大作へと集中した。無言の圧力を感じた大作は思わず目を伏せてしまう。
その時、歴史が動いた! 萌が右手を高々と掲げると良く通る声で宣言するように話し始める。
「緊急動議を提案致します。将兵の慰労のために花火大会を行ってみては如何でしょうか?」
「はなび? 其れは如何なる物なのじゃ? 左様な物は見たことも聞いたことも無いぞ」
「お配りした資料をご覧下さりませ。此度、無煙火薬の量産体制が整いましたお陰で黒色火薬が大量に余っております。これを何かに有効活用できないかと御馬廻衆の皆様方と検討した結果、夜空を彩る光の芸術『花火』が最適だとの結論に達しました」
大作は手元に回って来たカラー印刷されたA4サイズのリーフレットに目をやる。
表紙には大きな極太明朝体で『小田原酒匂川花火大会』の文字が踊っていた。
暫しの沈黙の後、居並ぶ一同を代表するかのように氏政が口火を切る。
「分からん、さぱ~り分からんぞ! 皆は如何じゃ?」
「某にも何が何やら」
「いったい花火とは何なのじゃ?」
「儂らにも分かるように説いては貰えぬか?」
氏照や清水康英、梶原景宗といった面々が口々に話に乗っかって来る。
こいつらはどうして自分の無知を自慢げな顔で披露できるんだろう。無駄薀蓄を生き甲斐としている大作には全く持って理解不可能な心境だ。
ここは一つガツンと言ってやらねばならんな。大作は姿勢をピンと正すと腹の底から響く様に大声を上げた。上げたつもりだったのだが…… 緊張で声が裏返ってしまった。
「質問すれば答えが返ってくるのが当たり前か……? なぜそんなふうに考える……?」
「其れは聞けば答えるのが道理じゃろう? 違うと申すか、新九郎?」
「いや、あの、その…… 質問に質問で返さないで頂けますかな? 阿呆だと思われちゃいますぞ」
「何故じゃ? 何故に問うてはならぬのじゃ? 儂にも分かる様に説いては貰えぬか?」
こんな風に真正面から言い返されると茶化して逃げるのは難しいなあ。諦めの境地に達した大作は潔く甲を脱いだ。まあ、本当に脱いだわけではなく物のたとえなんだけれども。
「申し訳ありません。私、嘘をついておりました! 質問したら答えるのが当たり前です。何でも聞いて下さい。何でも答えささて頂きます! さあさあ、質問はありませんか? 今なら答えを大幅増量しておりますよ!」
「じゃから先ほどから何遍も申しておるじゃろう。花火とやらの正体が分からぬことには如何すれば良いものやら見当もつかぬぞ。左様に海の物とも山の物とも知れぬ物に我ら北条の命運を賭けるわけには参らぬであろうて」
好奇心の塊みたいな氏政は花火の正体が気になって気になってしょうがないらしい。とは言え、マトモに答えてやるのも詰まらんなあ。例に寄って例の如く大作の悪戯心に火が付いた。
「うぅ~ん、そうですねえ。それはちょっと困ったことになっちゃいましたねえ。だったらもう…… だったらもう、二十の扉でもやってみますか? 面白そうでしょう? ね? ね? ね?」
「に、二重の扉じゃと? 其れは扉が二枚重なっておるとの意じゃろうか?」
「いやいや、二重じゃなくて二十ですってば。とは申せ、扉が二十も重なってるわけでもないんですけど。と思ったけど、やっぱ二十枚の扉が重なってるのかな? だって二十回も質問を繰り返すことなんだもん。どっちなんだろな、萌?」
「そりゃあ扉が二十枚重なってるってイメージなんじゃないかしら? とにもかくにも、まずはやってみましょうよ。『やって見せ。言ってきかせてさせてみて。褒めてやらねば人は動かじ』でしょ」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべた萌は人差し指と中指をピンとたてると肩の高さに掲げてクイッ、クイッと二回曲げた。
これはもう駄目かも分からんな。駄目じゃないかも知らんけど。自暴自棄になった大作は軽く顎をしゃくると吐き捨てるように呟いた。
「それでは父上、最初の質問をどうぞ。ただし、答えはイエスかノーかで答えられる物にして下さりませ。山下奉文とパーシバル中将の会見みたいな感じで」
「いえす? のお? いったい其れは何のことじゃ、新九郎」
「それが父上の一つ目の質問にございますか? ですけど、たったいま言いましたよねえ。イエスかノーかで答えられる質問しか受け付けられないって。まあ、父上はこのゲームに慣れておられませぬ故、特別の温情を持って今のはノーカンとしておきましょう。さあ、気を取り直して一つ目の質問をどうぞ!」
「の、のおかん? のおかんとは何じゃ? 新九郎よ、お主は先ほどから俺らに分からぬ事ばかり言いよるな。じゃが、其れが分からぬ事には話がちいとも進まぬぞ。皆も同じ心地じゃろう? なあ、氏邦よ? 清水殿は如何じゃ?」
急に話を振られた氏邦や清水康英は明らかに狼狽えた様子だ。もしかして話をちゃんと聞いていなかったんだろうか。まるで酸欠の鯉みたいに口をパクパクさせると引き攣った笑顔を浮かべながら口を開いた。
「如何にも。まずは、いえす、のお、とやらの意について説いては下さりませぬか? 話は其れからにござりましょう」
「某も同じ思いにございまする。いえすとのお。其れこそが肝要と思し召されませ」
「そ、そうですか…… これは長丁場になりそうですねえ。では、まずはイエスの意味からご説明致しましょうか……」
「日も傾いて来たことですし、そろそろ夕餉に致しましょうか。腹が減っては戦は出来ぬ。ガダルカナル島やインパール作戦みたいになったら嫌でしょう?」
「そうじゃなあ、流石の儂も『がだるかなる』だけは簡便して欲しい物じゃて」
「某も『いんぱある』の二の舞いは御免被りとうございまする」
お前ら本当に意味が分かって相槌を打ってるのかよ? 絶対に知ったかぶりしてるようにしか見えんのだけれど。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
ナントカ丸が伝声管を使って台所に夕餉の支度を依頼する。
待つこと暫し、大挙して押し寄せてきた配膳係たちの手によって整然と膳が並べられた。
「主よ今日の糧をお恵み下さりましたことに感謝の意を捧げます。以下省略。頂きまぁ~す!」
「頂きまぁ~す!」
大作の食前の祈りが終わるのを待ちかねていた皆が一斉に箸を手に取る。と思いきや、お園だけは既にフライング気味にご飯を頬張っていたようだ。
今日のメニューはなんじゃらほい。大作は椀の蓋を取って中を覗き込む。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いていたりするのだろうか。
汁物の具材はどうやら金目鯛らしい。そう言えば、清水康英が金目鯛を運んできたとか言ってたような、言ってなかったような。って言うか、焼き魚も金目鯛じゃね? それに刺身だってどこからどう見ても金目鯛にしか見えない。もしかしてこっちの膾も金目鯛なのかなあ。
まあ、別に金目鯛ずくしに文句があるわけじゃ無いんだけれど。大作は心の中で誰に言うとでもなく弁解した。
夕餉が終わって膳が下げられる。続いて出てきたお茶と一緒に供されたお茶請けは…… 骨煎餅だった!
どうやら金目鯛の骨に上新粉か片栗粉をまぶして油で揚げた物らしい。身を食らわば骨までって感じだな。まあ、ポリポリという歯ごたえが懐かしくもありながら新しい食感だ。これはこれでアリだぞ。大作は心の中で合格点を出した。
「さて、そろそろ花火の話の続きをしても宜しゅうございますかな? 今回の花火で使用する黒色火薬は先ほども申し上げました通り、無縁火薬への切り替えに伴う産業廃棄物のリサイクルにございます。従いまして製造原価もほぼほぼ人件費のみと大変にリーズナブル。とは申せ、来年度以降も継続して花火大会を行おうとした場合、そうは参らぬでしょう。そこで来年度以降も単年度で黒字化できるよう財政均衡を計らねばなりません。開催費用を捻出するためには適切な価格の入場料を観覧車に負担して頂くとともに、スポンサーを募って協力金を負担して頂くのが宜しいかと存じまする。皆様方のお考えや如何に?」
「うぅ~む…… らいぶびゅういんぐとやらに続いてまたもや民草から銭を取ると申すか。こう、幾度も幾度も銭を払わせておっては今に民草どもが臍を曲げるかも知れんぞ」
「然れども父上、昔よりタダより高い物は無いと申しますぞ。態々お金を払って見る花火はタダで見る花火よりずっとずっと綺麗に見えるはずですよ。初歩的な認知バイアスの問題ですな。要は払った銭より大きな価値を提供できるかどうか。その一点が肝要と思し召せ」
「そ、そういう物かのお。まあ、新九郎がそこまで申すなら儂は何も言うまい。お主の思うままに致すが良いぞ」
いま一つ納得が行かないといった顔の氏政はそれっきり黙り込むと視線を反らせてしまった。
これは何でも良いから面白いことを言って場を和ませた方が吉だな。大作は頭をフル回転させて無い知恵を絞る。
「そうだ、閃いた! 折角の花火大会なんですから豊臣方にも声を掛けてみてはどうでしょう。一時的な休戦協定を結ぶんです。この夜だけは戦いを忘れて、仲良く花火見物と洒落込みましょう」
「な、何じゃと! 戦を止めるじゃと? 城から目と鼻の先まで攻め込まれておるのじゃぞ。斯様な所で和議を結ぶなど、叶う筈も無かろうて。戯れも大概に致せ」
「いやいや、別に和議を結ぼうだなんて一言も申しておりませんってば。一晩だけの期限付き休戦ですよ。豊臣方だって頭の上で花火がドンパチやってるのに戦なんてやっとれんでしょうに。まあ、それでもドンパチやりたいって言うんなら地獄を見せてやるまでのことです」
「さ、左様であるか。どんぱちを見せてやるとするか」
そんな阿呆な説明で納得してくれたんだろうか。氏邦は分かったほうな分からんような顔で小さく頷いた。
あとは例に寄って例の如くチケット販売と広告宣伝だ。
「藤吉郎、分かってると思うけど瓦版新聞に小田原酒匂川花火大会が開催されるっていう全面広告…… じゃなかった、特ダネ記事を一面に載せてくれ。とは言え、読者には花火がどんな物か知らんはずだよな。ってことはカラー印刷とかを使ってなるべく分かり易い記事を書いてもらわにゃならんな。んでもって読んだ人たちが金を払ってでも見に行きたくなるような気持ちにさせるんだ。お前さんの腕の見せどころだぞ」
「心得ましてございます。必ずや見事なる記事を書いてご覧にいれまする」
「それとチケット販売も頼めるか? 新聞勧誘のネットワークをフルに活用するんだ。用意するのはボックス席にペアシート。それから立ち見席だな。それぞれどれくらい用意したら良いのかの見積もりも頼むぞ。それから……」
その日、一同は夕餉を食べ終わった後も夜遅くまで小田原酒匂川花火大会の開催について話し合いを続けた。
だが、禍福は糾える縄の如し。小田原から遠く離れた仙台の伊達家において、大作たちの想像も及ばない大事件が発生していることを知る由もなかった。




