巻ノ参百四拾壱 進めろ!内政イベントを の巻
光陰矢の如し。時の流れというものは想像以上に速いもので小田原城包囲戦が始まって早くも二ヶ月という歳月が過ぎようとしていた。
月が替わって天正十八年も六月に入ったある日のこと。大作と愉快な仲間たちは今日も今日とて普段と何ら変わるところのない無為な一日を過ごす。過ごしていたのだが……
「なあなあ、お園。今日は何して遊ぶ…… じゃなかった、何をして時間を潰すのが良いと思う?」
「聞いて頂戴な、大佐! 美唯はねえ、美唯は何をして時間を潰すのが良いか考えて過ごすっていうのが……」
「ありがとう、美唯。いつもいつも物凄く参考になる意見を出してくれてとっても感謝しているぞ。とは言え、お前の意見は耳に蛸が出来るほど聞き飽きちゃったんだよ。だから今日のところはお口にチャックしてヒアリングに徹してくれるかな?」
「あのねえ、大佐。美唯はまだ何にも言っていないわよ。美唯の考えっていうのはねえ、何をして……」
「Be quiet! 頼むから暫く黙っててくれないか? これは限りなく命令に近いお願いなんだ。俺としても可能な限り武力に訴えることは避けたいからな」
「み、美唯、分かった……」
言われたことには黙って従う。それが幼女なりの処世術なんだろう。それっきり美唯は貝のように押し黙ってしまった。
これにて一件落着! 大作は心の中でガッツポーズを作るが決して顔には出さない。美唯にアイコンタクトで謝意を伝えるとお園の方に向き直った。
「んで? 何ぞ良いアイディアは湧いてきたかな?」
「このところ、大佐は雑事にかまけて政を疎かにしていたんじゃないかしら。ここいらで溜まりに溜まった内政イベントを片付けちゃった方が良いかも知れんわよ。そうじゃないかも知らんけど」
「内政イベント? それって具体的にはどんなことなのかなあ」
「工場を建設したり、研究ラインを見直したりするんじゃないの? 知らんけど」
「知らんのかよ! とは言え、俺だって良くは知らんもんな。いくらお飾りとはいえ仮にも北条のリーダー的存在である氏直が状況を何にも理解できていないっていうのは流石に不味いんのかも知れんな。不味くないかも知らんけど。いやいや、それすら良く分からなくなってきたぞ。っていうか、それ自体が物凄く不味いんじゃなかろうか?」
もう、何が何だかさぱ~り分からん。大作は混乱した頭を一度リセットするかのように首をゴキゴキ鳴らしながら回転させる。回転させたのだが……
何だっけ? そもそも何を考えていたのかすら分からなくなってしまった。
「まあ、どうでも良いか。良く分からんけどやるだけのことはやっておこう。所謂、人事を尽くして天命を待つって奴だな。そうしておけば、もし失敗しても言い訳が立つし」
「そうと決まれば善は急げね。慌てる乞食は貰いが少ないって言うし。誰かある! 誰かある!」
突如としてお園が大声を上げながら手を激しく叩いた。叩いたのだが…… しかし何も起こらなかった!
「どゆこと? もしかして誰もいないのかしら」
「そうなんじゃね? そうじゃないとすれば、ひょっとしてシカトされてるのかもな」
「確と? 確とどうしたのかしら?」
「シカトっていうのは無視するってことだよ」
「虫する? いったい虫がどうしたっていうのよ?」
そんな阿呆な遣り取りに現を抜かす大作とお園を美唯は黙ったまま覚めた目で見詰めていた。
「随分待ったけれど誰も来てくれないわねえ。もう、こうなったらこっちから乗り込んでやろうかしら」
「俺も同じことを考えていたところだよ。しょうがない、こっちらか行くと致しやしょうか」
「……」
ふと熱い視線を感じて振り向くと顰めっ面を浮かべた美唯が口をへの字にして低い唸り声を上げていた。
俺、何か虎の尾を踏むような真似をしたっけかなあ。あるいは逆鱗に触れるとか。不意に不安に駆られた大作は腫れ物に触るように遠慮がちに声を掛ける。
「どないしたん、美唯さんよ。もしかして、何か言いたいことでもあるのかな? 遠慮せずに話してみ。対話の門は常に開かれているぞ」
「黙ってろって言ったのは大佐じゃないのよ! 美唯、いっぱいいっぱい思い付いたことがあったのよ。それをずぅ~っと辛抱してたんですからね。言いたいことが沢山あるのに口に出せないなんてとっても口惜しいわ。口だけに!」
これ以上は無いといったドヤ顔を浮かべた美唯が思いっきり顎をしゃくる。
「そ、そうなん? んじゃ、もう話しても良いぞ。思いの丈をぶち撒けてくれよ。心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく話してみ」
「それがねえ…… 忘れちゃった! てへぺろ!」
「ズコォ~ッ! まあ、忘れちゃうくらいなんだからどうせ大したことじゃないんだろ。思い出したら言ってくれ」
「美唯、分かった!」
急転直下。さっきまでのふくれっ面が嘘のように満面の笑みに変わる。
大丈夫なのか、こいつ? まさかとは思うけど双極性障害とかだったりしてな。まあ、だからといってどうすることもできないんだけれど。
そんなことを考えながら廊下を歩いて行くと例に寄って例の如く見知った顔が現れた。
まあ、城の中なんだから見知らぬ人に出会うことの方が珍しいんだろうけれども。
「これはこれは御本城様、御裏方様。ご機嫌麗しゅう存じまする」
「おお、上野介殿。久方ぶりにございますな。恙のうお過ごしでしょうか?」
「お陰様で何不自由のうやっております。今日は生きの良い金目鯛をお持ちしております故、是非ともお召し上がり下さりませ」
「それは忝のうございますな。有り難や、有り難や。そうそう、ここでお会いしたのも何かの縁。ちょっとお話を聞かせて頂けませぬか? 相模湾の制海権がどうなっておるとか通商破壊作戦の現状とか。積もる話もございましょう? ささ、こちらの座敷へどうぞどうぞ。誰かある! 誰かある!」
大作は大声を張り上げながら思いっきり手を叩く。叩いたのだが…… しかし何も起こらなかった!
「さっきからいったどうなってんだ? もしかしてドッキリとかじゃなかろうな?」
「私、ちょっと見てくるわ。お茶とお菓子が欲しいのよね?」
「いや、まあ、そりゃそうなんだけどさ。って言うか、お菓子を食べたいのはお園なんじゃね?」
「そんなの当たり前じゃないの。それがどうしたって言うのかしら?」
「そ、そうなんだ。そこまで堂々と言われちゃ何も言い返せんな。まあ、頼んだよ」
手を振りながら足早に立ち去るお園を見送った大作は清水康英に座敷へ入るように促す。適当に座布団を敷くと二人は胡座を組んで向かい合わせに座った。
「んで、如何な塩梅にございますかな? 駿河湾…… じゃなかった、相模湾の制海権の方は」
「せいかいけんと申すは海を制するの意にございましたな。其れならば大いに平らかな有様にございまする。お陰様を持ちまして金目鯛も大漁続き。萌殿にご教授頂いた神経締めと申す技によって鮮らかなまま小田原に運ぶことも叶うております。真に有り難きことで」
「そ、そうですか。それは良うございましたな。とは申せ、調子に乗って獲り過ぎないように注意して下さりませ。水産資源保護法を順守して持続可能な漁業と水産資源管理に努めて頂かねば」
「……」
さぱ~り分からんといった顔で清水康英が呆けている。この表情を見ることが出来ただけで大作はお腹一杯の心持ちだ。
それはそうとお園の帰りが遅いなあ。いったいどこで油を売っているんだろう。ミイラ取りがミイラになってなきゃ良いんだけれど。
まさかとは思うけどお菓子を食べすぎて動けなくなってたら笑っちゃうんですけど。失礼なこと極まりない想像をした大作は吹き出しそうになったが既のところで我慢した。
「うぅ~ん…… お茶とお菓子が遅いようですな。ちょっくら探しに行くと致しましょうか」
「いやいや、御本城様。いま我らが此の座敷を離れてしまえば御裏方様と行き違いになるのではござりますまいか? 御裏方様がお戻りになられた折に此処が留守にしておくわけにも参りますまいて」
「えぇ~っと…… 要するに上野介殿は留守番していたいってことですかな? んで、拙僧にお園…… じゃなかった、督姫を探してこいと申されまするか?」
「御裏方様をお迎えに上がるなぞ、某如きには些か荷が重うございまする。御本城様を使い立てするなど真に畏れ多きことなれど致し方ござりますまい」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべた清水康英が肩の高さで手のひらを掲げた。
大作はイラっときたがこんな風に正論で迫られたら何も言い返せない。いや、正論には正論返しが有効なのか? 分からん。さぱ~り分からん。もう、真面目に考えるのは止めだ。
「そうは申されましてもなあ…… ここには拙僧と上野介殿の二人しかおらんのですぞ。拙僧が行くか上野介殿が行くか。或いは仲良く二人揃って行くか。はたまた仲良く二人揃って行かないか。この四通りの行動パターンのいずれかを選ばざるを得ないかと思われるのですけど?」
「いやいや、先ほどから申し上げておりましょう。御裏方様が御自ら茶と菓子の支度をなさっておられるのですぞ。もし、二人揃って席を外さば御裏方様が戻られた折、如何ほどお嘆きになられるか思いもつきませぬ。然ればこそ……」
大作と清水康英の議論というか討論というか…… 低次元の言い合いは徐々に徐々にヒートアップして行く。だが、それに反比例して視野狭窄状態に陥りつつあった二人の男は予想外の方向から掛けられた声で急激に冷静さを取り戻した。
「ねえねえ、美唯がいるわよ。もしかして二人とも美唯のことを忘れてたんじゃないでしょうねえ?」
「え、えぇ~っ! お前、最初からそこにいたっけ? もしかして完璧に気配を消していたのかしらん」
「いたわよ! いくら何でもそれは非道じゃなくって? ちゃんといたけどお話の邪魔をしないように気を使って黙っていただけなんですから。んで? 三人いるんだから二人が見に行って美唯が留守番することもできると思うわよ。それか美唯が見に行って二人が留守番をしている方が良いのかしら?」
例に寄って例の如く、こまっしゃくれたドヤ顔を浮かべた幼女は勝手に話の主導権を取りにくる。
何とかしてペースを取り返さなければならん。大作は敢えて火中の栗を拾いに行った。
「えぇ~っと、三人の人間がいてそれぞれが行くか行かないかを選択できるんだから…… 二の三乗で八通りの行動パターンがあるんじゃね? 三人とも行かない、拙僧だけ行かない、上野介殿だけ行かない、美唯だけ行かない、拙僧だけ行く、上野介殿だけ行く、美唯だけ行く、三人とも行く。この八パターンだな」
「いやいや、御本城様。最前より申し上げておる様に一人も残さず行くわけにも参りますまい。とは申せ、一人も行かぬわけにも参りませぬ。よって某のみ参らぬ、御本城様のみ参らぬ、姫様のみ参らぬ、某のみ参る、御本城様のみ参る、姫様のみ参る。この六通りに相違ござらぬかと存じ奉りまする」
清水康英は長ゼリフを一息に言い切るとそれっきり黙り込んでしまった。
この俺に決断しろと言うのか? 決断力なんて言葉と対局の存在である俺に?
それほど広くもない座敷の中を沈黙が支配する。こういう時は先に動いた方が負けなんだろうか。それとも先手必勝か? 分からん、さぱ~り分からん。もう、どうにでもなれぇ~っ! 自棄糞になった大作は大きく息を吸い込むと…… その時、歴史が動いた!
「お待たせ、大佐。お茶とお菓子を持ってきたわよ。上野介様もどうぞどうぞ。美唯は…… って、何で美唯がいるのよ! お茶とお菓子がたりないじゃないの!」
一難去ってまた一難。ぶっちゃけありえんぞ。って言うか、いったいこれのどこが内政イベントなんだろう。謎は深まるばかりだ。
「あのねえ、大佐。言っておくけど私のお菓子は誰にもあげないわよ」
「しょうがないなあ。美唯、良かったら俺のお菓子を食って良いぞ。俺はそんなに…… って、もう食ってるのかよ! 本当にしょうがないなあ……」
美味しそうに外郎を食べている幼女の姿を見ているだけでモリモリやる気が削がれて行く。
大作は小さくため息をつくと内政イベントを丸っと丸ごと心の中のシュレッダーへと放り込んだ。




