巻ノ参百四拾 JAROって何じゃろ? の巻
ひょんなことから日本二十六聖人の選出を小田原の地で行うことになった翌日、大作とお園は選抜総選挙の開催準備に向けて余念がなかった。
「なあなあ、藤吉郎。瓦版新聞の一面に全面広告を出したらいくらくらい掛かるかな? たとえば全十五段ぶち抜きの多色刷りで頼んだらどんな感じだ? すぐに見積もりを出して欲しいんだけど」
「い、一面に全面広告と申されましたか? あの、その、いや…… 流石にそれはご無体ではござりますまいか。一面となれば全五段くらいで留め置かれるのが宜しゅうござりましょう」
「そ、それもそうだな。いくらなんでも一面の全面広告は不味いか。だったら…… だったら広告じゃなくて普通に記事として扱ってもらえないかな。公式発表より前に瓦版新聞が掴んだ特ダネって扱いで『独占取材!』とか銘打ってさ」
「それは報道倫理規定に触れるのではありませぬか? 左様なやり方では一時は売上を伸ばす事が叶うかも知れませぬがいずれは購読者の信を失うことになりましょう」
藤吉郎は口調こそ丁寧だが鋭い視線からは強固な意思を感じざるを得ない。ここで無理強いするのは悪手かも知れんなあ。大作は暫しの間、思案する。思案したのだが…… 何も思いつかなかった!
「だったら…… だったらアレだ! ネイティブ広告って聞いたことあるかな? 一見すると広告に見えないようでいて実は広告って奴だ。だけどもステルスマーケティングとは違うんだぞ。一昔前までは規制がなかったからネイティブ広告もステマの一種だったんだけどな。それが今じゃ規制が進んだお陰で『これは広告です』って明記しなきゃならなくなった。まあ、そのせいでネイティブ広告はステマとは見なされず、ごく一般的な広告手法だと考えられているんだ」
「さ、左様にござりまするか。要は広告に見えないような広告を作りながら『此れは広告なり』と明らかにせよと。然ても珍妙な話にござりますな。いやはや、大佐の深いお考えは某如きには推し量る事すら叶いませぬな。あは、あはははは……」
藤吉郎は戯けた口調で茶化すように囃し立てた。だが、その目が笑っていないことに大作は気付く。
こいつはフォローが必要か? 新たなプロジェクトを立ち上げようってタイミングで現場と揉めるのは不味い。何とかしてご機嫌を取っておかねばならん。大作は上目遣いで顔色を伺いながら探りを入れる。
「どしたん、藤吉郎? もしかしてネイティブ広告が不満なのか? だったらそうハッキリ言ってくれて良いんだぞ。前に言ったよな? お前はナチスに例えるなら新聞長官オットー・ディートリヒみたいな立場なんだって。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス…… じゃなかった、宣伝大臣の萌すら口を挟めないんだからな」
「とは申せ、オットー・ディートリヒ殿はナチス敗北の一月前に総統の勘気を被り、全ての公職と党役職を追われたそうですな」
「そ、そうだぞ。良くそんな細かいことを覚えてたな。ちなみにヒトラー総統も細かい統計数字なんかを丸暗記して人をやり込めるのが得意だったそうだぞ。記憶力の良さは独裁者の必須条件だとか何とか。俺なんかにはとてもじゃないけど真似できんよ」
「もの覚えなら私に任せて頂戴な。ばっちり大佐をサポートしてあげるわ。どんどん頼って良いのよ」
ドヤ顔を浮かべたお園が肩にもたれ掛かってきた。いつになく積極的なスキンシップに大作はちょっと体を捩る。そのせいでお園はズルリと滑って引っ繰り返ってしまった。
「もぉ~ぅ、大佐ったらなんで避けるのよ!」
「ごめんごめん。だけども『色男、金と力はなかりけり』って言うだろ?」
「そんなこと言うかしら?」
「美唯、そんなの聞いたことも無いわよ」
「某も耳にしたことはござりませぬ」
全否定かよ! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。
こういう時は素早くさり気なく話題を反らせるに限るのだ。
「そもそも広告の存在意義って何だと思う? どんなに優れた商品やサービスであろうと人々に存在を知ってもらわなければ無価値だ。従ってその存在を世の中に広く知らしめるという行為はそれを必要としている人たちにとって大いに助けになることだろう。だけども…… って言うか、そんなわけでステルスマーケティングみたいな騙し討ちは倫理的に見て大いに問題があると言わざるを得ない」
「だからこそ『これは広告です』って書かなきゃいけないんでしょう? そう言ったわよねえ、大佐?」
「ああ、確かに言ったな。とにもかくにも広告の内容に嘘や紛らわしいところが無いかどうかチェックする第三者機関みたいな物が必要かも知れんぞ。BPOだかBROだか…… 何だかそんな奴だ」
「いったいどっちなのよ? 一字違いで大違いだわ」
「気になるのはそこかよ…… えぇ~っと、BROっていうのは『放送と人権等権利に関する委員会機構』のことだな。ってことは正解はBPRの方なのかな? いや、BPOは『放送倫理・番組向上機構』のことだって書いてあるな」
「それじゃあいったい何処の誰だって言うのよ? 広告の内容に嘘偽りが無いかどうかチェックしてくれるっていうお方々は」
呆れ果てたといった顔のお園が大げさに肩を竦める。その顔を見ているだけで大作は気力がモリモリと削がれて行くような気がしてならない。まあ実際のところ、とっくの昔にやる気ゲージはゼロなんだけれども。
「いやいや、たったいま思い出したよ。広告審査機構だな」
「じゃろ? 随分と妙な名前もあったものねえ。どういう了見でそんな風変わりな名前を付けたものかしら。美唯、そこんところが気になって気になってしょうがないわ」
「そうよねえ。『じゃろって何じゃろ』とか言われそうよ」
「ああ、そうだな。って言うか、普通にそう言われてたみたいだぞ。さて!」
閑話休題。もうこれ以上、この話にのめり込むのは勘弁して欲しい。大作は両手をパチンと打ち合わせると強引に話題をリセットさせたさせた。
「初代のNBO…… じゃなかった、ジャロの最高責任者? 理事長みたいな? そんな奴は誰が良いかなあ。藤吉郎、お前に任せても大丈夫かな?」
「そ、某にお任せ頂けると申されまするか! これはこれは有り難き幸せにございまする。身に余る大任にございますが粉骨砕身。命に代えてもやり遂げる所存。神仏に誓って必ずや……」
「ストォ~ップ! ちょっと待って頂戴な、大佐。藤吉郎は新聞局長よ。それが広告審査機構を兼任するのは如何な物かしら。利益が相反する立場じゃないの。公平性が担保できないんじゃないかしら?」
「あ、あのなあお園。これは名誉職みたいな物なんだ。形式的っていうかお飾りっていうか…… 何だか知らんけど何かやってます! って感じでお茶を濁しておけば良いんだよ」
「駄目よ、大佐。メディアを制する者は世界を制す。新聞局長っていうだけでも藤吉郎の権限は大き過ぎるくらいだわ。それを牽制する筈の広告審査機構まで藤吉郎に任せたらどうなると思ってるのかしら。世の中の誰一人として手が出せない巨大なメディア王の出現なんて決して許しちゃいけないのよ」
お園が強い怒気を孕んだ声音で早口に捲し立てる。さっきまでのだらけた空気が嘘のように緊張感が高まった。
こういうシリアスな雰囲気は苦手だなあ。何でも良いから適当なことを言ってガス抜きした方が良さげだ。大作は薄ら笑いを浮かべながら茶化すように軽口を叩く。
「だったらお園、お前がやってみるか? メディア王ならぬメディア女王っていうのも乙な物だろ。そう言えば歴史上にもメディア女王とかいうのがいなかったっけ?」
「それってギリシア神話に出てくるコルキスの王女メデイアのことかしら? アルゴナウタイの冒険でイアーソーンを助けた人よ」
「そうそう、それそれ。確か父親を裏切ったうえに弟をぶっ殺したとんでもない女だったよな」
「だけども王女メーデイアはMedeaじゃない。マスメディアとかのメディア(media)は中間っていう意味のメディウム(medium)の複数形よ。情報を提供する者と受ける者の間にあって媒介するって意味なのよ」
「マジレス禁止! とにもかくにも、お園。お前はメディア女王になれ! ちなみに女王は『じょおう』だぞ。『じょうおう』じゃないから注意しれくれ。ここ試験に出るからな」
ここで大作はさらなる話題の転換を図る。目論見は見事に成功し藤吉郎が食い付いてきた。
「では、何故に『じょうおう』ではならぬのでしょうか? 夫婦は『ふうふ』と申します。女房も『にょうぼう』とも押しますぞ。女が『じょう』でも何の触りもござりますまいに」
「鋭いな、藤吉郎。流石は俺の見込んだ男だぞ。褒めて遣わす」
「お褒めに預かり光栄に存じます。して、何故に『じょうおう』ではならぬのでしょうか? 是が非でもご教授を賜りたく、重ねてお伺い致します」
藤吉郎は言葉使いこそ丁寧だが頑として引く気は無いようだ。何が何でも答えを聞くまで食らい付いて離さないという気迫が伝わってくる。
「そうかそうか、では特別に教えて進ぜよう。実は夫婦や女房とかいった言葉は江戸時代より前から使われおったらしいな。ところが女王なんて言葉が出てきたのは明治以降のことなんだ。だから女王を『じょうおう』って読むことは認められていない。これがNHKの人の答えなんだからしょうがないだろ? 文句があるんならNHKのメディア研究部とかに言ってくれ。俺に言われても知らんがな」
「さ、左様にございまするか。真にNHKには難儀いたしますな」
「さて、それじゃあ漸く本題に入れるのかな? まずは小田原城下から候補者を集めなきゃならん。自薦他薦は問わんが千人くらいは欲しいな。続いてそれを書類選考の一次審査で百人くらいに絞り込む。さらに二次審査で面接を行ってファイナリストを絞り込む。まあ、五十人くらいかな。んで、最終的に日本二十六聖人を選出するって寸法だ」
「せ、千人も?! なりたいって人を千人も集めておきながらたったの二十六人しか聖人になれないの? 随分と非道な話ねえ。皆が揃って聖人になることは叶わないのかしら?」
渋面を浮かべた美唯が心底から悔しそうに呻く。
お前はそんなに聖人になりたいのかよ。世俗に塗れた俗物を自覚している大作には全く理解し難い心境だ。
「しょうがないだろ、競争率が高いからこそ選ばれることに価値があるんだからさ。北川景子や本田翼は百回以上も落選したらしいな。波瑠なんて二百回も連続で落選したそうだぞ。新約聖書にも書いてあるじゃん。『狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い』って」
「それって『マタイによる福音書』七章十三節よね。まあ、みんながみんな聖人になるわけにもいかないわ。そこんところは聞き分けなさいな、美唯」
「美唯、分かった……」
不承不承といった顔の美唯が視線を落としたまま口籠る。とは言え、納得はしてくれているようだ。って言うか、納得してくれていたら良いなあ。納得してくれてなきゃ困っちゃうぞ。主に俺が。
とにかくまあ、これにて一件落着! 大作は心の中で絶叫すると日本二十六聖人のことを心の中のシュレッダーに放り込んだ。




