巻ノ参百参拾九 聖人になろう! の巻
豊臣秀吉の軍勢による小田原包囲戦が始まって一月ほど過ぎたある日の午前。大作と愉快な仲間たちは今日も今日とて退屈な時間を潰すために無い知恵を絞っていた。いたのだが……
とうとうネタが尽き果てて戦争終結後の政策というかプランというか…… そんなどうしようもない与太話に現を抜かす羽目に陥っていた。
「さぁ~て、それじゃあ何から決めるとしようかな? 面白い意見のある人!」
「はい! だったら何から決めるかを決めたら良いんじゃないのかしら?」
「み、美唯は賢いなあ…… それじゃあ、何から決めたら良いか意見を出してくれるかな?」
「美唯、分かった! うぅ~んとねえ。こういう時は何をさておいても敵の総大将をどんな風に成敗するかを決めるものじゃないのかしら?」
ドヤ顔で分かったと言いながらも美唯の口調にはイマイチ自信が感じられない。最後の方は小首を傾げながら疑問文になってしまう。
とは言え、所詮は時間潰しのお遊びだ。お題としてはもってこいかも知れん。そうじゃないかも知らんけど。
大作は美唯に向かって軽く頷くと話を引き取った。
「よっしゃよっしゃ。そのアイディアを頂こう。そんじゃ、まず最初のお題は秀吉をどう料理するかを考えようか。火炙りにするも良し。釜茹でにするも良し。生で頂くのも悪くなさそうだな」
「そうかしら? もう、夏も近いわよ。ちゃんと火を通した方が良いと思うわよ」
「そ、それもそうだな。だったら生はNGってことにしよう。他には? 他に面白いアイディアのある人?」
「どうせ秀吉は十年もしないうちに死んじゃうんでしょう? だったら生かしておいた方が良いかも知れないわよ。たとえば…… たとえばだけど、秀吉は三年前に伴天連追放令とかいう触れを出したんだったわね。だったら秀吉に切支丹への改宗を命じるなんてどうかしら? 自らが禁じた切支丹に無理矢理に改宗させられるだなんて思うただけで心ときめくわよ」
大きな瞳をキラキラと輝かせたお園は歌うように節を付けてヘンテコな案を披露する。
何とも言えない中途半端な仕打ちだなあ。こんなんじゃあ爽快感の欠片も無いじゃないか。
だけどもブレインストーミングにおいて批判は厳禁。ここは涙を飲んで受け入れるしかあるまい。大作は小さくため息をつくと頭を切り替えた。
「どうせやるならとことん突き抜けた方が面白いんじゃないのかな。たとえば…… たとえばだけど、秀吉が切支丹の聖人に列せられるなんてどうよ? 聖豊臣秀吉だなんて格好良いと思わんか? まるで聖マッスルみたいで素敵だろ? な? な? な?」
「聖人? それって親鸞聖人の如きものかしら? だけども、其れって勝手に名乗ったら駄目なんじゃないの?」
「そりゃまあ、普通だったら許されんわな。だって、誰でも勝手に聖人を名乗れたら値打ちが下がっちまうだろ? たとえばだけど、カトリック教会ならまずは死後に厳しい審査を経て列福されなきゃならん。んで、年数を経た後に更に厳しい審査をパスしなきゃ列聖してもらえないんだ」
「ふ、ふぅ~ん。つまるところ『かとりっくきょうかい』とやらにお願いしなきゃならないわけね? それで? 大佐はいったいどうやって豊臣秀吉を聖人にするつもりなのかしら。美唯、そこが気になるんだけれど?」
小首を傾げた美唯がグイグイと詰め寄ってきた。このまま話の主導権を握られるのは不味いな。大作は内心の焦りを隠しつつ精一杯の虚勢を張る。
「ところがギッチョン! キリスト教だって仏教と同じで一枚岩じゃないんだぞ。たとえばプロテスタントの連中は基本的に聖人を崇敬していないんだ。ただし聖公会やルーテル教会とかは別なんだけどな。改革派教会より後にできたプロテスタントやバプテストは信徒イコール聖徒らしい。だから一部のプロテスタントにとって聖人っていう単語は亡くなった信徒のことに過ぎんのだとさ」
「それって『ぷろてすたんと』とやらに宗旨替えさえすれば亡くなったあと誰でも聖人になれるってことなのかしら? いよいよもって聖人の値打ちが失せると思うんだけどなあ……」
「まあまあ、話は最後まで聞いてくれよん。カトリック、プロテスタントとくればお次は真打ち登場。待ちに待った正教会の出番だろ? こいつらは面倒臭い調査とかやってないらしいな。自治教会より上位の教会会議が聖人にしても良いかどうか判断するんだとさ。そんでOKが出れば晴れて列聖の宣言がなされて聖人録に乗るって寸法だ。そうなると全世界で祝福してもらえる。まあ、全世界はと言っても正教会の中でって話だけどな。それに一元管理されてるわけじゃないから地域ごとに差があるらしいし」
「……」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
いやいや、屍ではないけれど二人とも死んだ魚のような目をしていらっしゃる。
「お園、美唯。もしかして俺の話って退屈だったりしたのかなあ?」
「そんなことないわよ。そんなことはないんだけれど……」
「つまるところ、どうやったら秀吉を聖人とやらにできるのかしら? 美唯、そこんところが知りたいのよ」
「あのなあ、お前ら…… ちゃんと話を聞いてたのか? まあ、そんなわけで豊臣秀吉を列聖することは可能といえば可能なんだよ。ただし、一つだけ重大な問題があってだ……」
「自治正教会が入用になるってことでしょう?」
大作が話し終わらないうちにお園が割って入る。話の腰を折られるとはこのことか。
人の話を最後まで聞くことができないというのは立派な病気だぞ。もしかして注意欠陥・多動性障害なんじゃなかろうな。
「あのなあ、お園。そうやってどんどん先回りして俺の言いたいことを話しちゃうのは勘弁して欲しいんですけど? 何て言うのかなあ。話のリズムっていうか、ペースっていうか…… そういうのがズレてきちゃうんだよなあ」
「はいはい、分かったわよ。黙って聞いていれば良いんでしょう。もう金輪際、口を挟まないから安堵して頂戴。それじゃあ話を続けてくれるかしら、大佐」
「いや、分かってくれれば良いんだよ。んで、何の話だったっけかな? これだから話のリズムっていうかペースっていうか…… そんなのが崩れるのが嫌なんだよ。そうそう、思い出した。自治正教会を立ち上げようって話だったよな。カトリックでもない、プロテスタントでもない。俺たちの俺たちによる俺たちのために正教会を作ろうって話なんだよ。その名もズバリ……」
「日本ハリストス正教会!」
固く握りしめた右手の拳を天高く突き上げながらお園が雄叫びを上げた。
余りにも突然のことに大作は暫しの間、リアクションを取ることもできない。まるで酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせるのが精一杯だ。
「あのねえ、大佐。こんな時、ノーリアクションは辛いわよ。せめて『先回りするなって言っただろぉ~っ!』とか言って頂戴な」
「いや、あの、その…… そこまで先回りされたら俺、何を言ったら良いのか分かんなくなってきちゃったよ。もういっそのこと、お園が全部進めてくれても良いんだぞ?」
「ちょっと待ちなさいな、大佐。童じゃないだから、たかがこれしきのことでそんなに拗ねないでよね。それで? 何処にどんな教会を建てるっていうのかしら? 確かハリストスっていうのはギリシア語でキリストのことだったわよねえ? もしかしてギリシア風の八端十字架とかを立てるつもりじゃないでしょうね? だったら屋根もモスクみたいな丸くて尖った形にするのが良いかもしれないわよ」
「そ、そうだなあ。まあ、そういう細かいことは建築士? 宮大工? 何かそんな人と相談して決めて行けば良いんじゃね? それより先に予算とか決めなきゃならんぞ。まずは何社かに相見積もりを取らなきゃならんな。いやいや、それよりも何処に建てるかを決めるのが先か。用地買収とかで手間取るかも知れんしな」
「美唯、思ったんだけど石垣山城の跡に建てれば良いんじゃないかしら? あそこなら誰に文句を言われる憂いも無い筈よ?」
例に寄って例の如く、こまっしゃくれた顔の幼女がこれでもかとばかりに顎をしゃくり上げる。自信満々といった表情からは『褒めて褒めて!』という声が聞こえてきそうなほどだ。
ここで美唯の意見に屈するのは癪に触るなあ。だけどもブレインストーミングにおいて批判は厳禁。ここは涙を飲んでこのアイディアに乗っかるしかなさそうだ。
大作は小さくため息をつくと両の手のひらを肩の高さで翳した。
「はい、決定! それじゃあ日本ハリストス正教会の建設予定地は石垣山とします。必要な建築資材は山の麓で事前に準備しておくこと。当日は人海戦術でもって一息に山の天辺まで運んでプレハブとかツーバイフォーみたいな感じで組み立てる。きっと小田原城下の民草たちには僅か一日で教会が建ったみたいに見えるはずだ。後世には石垣山の一夜教会なんて呼ばれるようになるかも知れんな。小田原の新たな観光名所として力を入れていこう」
「そうね、小田原の城下から遠すぎもせず、近すぎもせず。丁度良い塩梅よね」
「折角だから何か面白いネタを用意したらどうかな。たとえば…… たとえばここで式を挙げたカップルには永遠の幸せが約束されるとか何とか。そんな適当な伝説をでっち上げてガンガン宣伝するんじゃよ。戦が終わって世の中が平和になれば結婚する人だって増えてくるはずだ。第一次ベビーブームの到来だぞ。安産祈願のお守りとか作って売るとか、七五三のお祝とか。それから…… 新郎新婦がゴンドラに乗って降りてくるとか、ドライアイスでスモークを炊くとかエトセトラエトセトラ。さぁ~あ、みんなで考えよう!」
こうして今日も今日とて大作と愉快な仲間たちは無為な一日を過ごそうと…… その時、歴史が動いた!
「聞いたぞ、新九郎! いったいどういうことじゃ? 猿関白の如き小者を聖人に叙するじゃと」
「おやおや、父上ではござりますまいか。いったい如何なされました」
「どうもこうもないわ! 秀吉! 秀吉! 秀吉! どいつもこいつも秀吉! 何故じゃ! 何故やつを認めてこの儂を認めのじゃ!!」
『お前はジャギかよ!』
大作は心の中で激しい突っ込みを入れるが決して顔には出さない。
「違うわ、大佐。それはアミバよ」
「気になるのはそこかよぉ~っ!」
「新九郎、儂も聖人にしてはくれぬか? 秀吉が聖人になれて儂がなれぬなど、道理が通らぬぞ!」
「それなら美唯も! 美唯も聖人っていうのになりたいわ!」
「だったら私もなれるわよね? だって私は巫女頭領なんですもの!」
付和雷同ここに極まれりだな。お前らには自分の意思って物が無いのかよ!
大作は内心で嘲り笑いながらも表向きは柔和な笑みを浮かべる。
「はいはい、分かった分かった分かりましたよ。こうなったらもうみんな揃って仲良く聖人になろうじゃないか。そうだ、閃いた! あと二十二人ほど頭数を揃えるってのはどうじゃろ? そうすりゃ日本二十六聖人の完成だぞ。Sts26とか何とか名乗ったら面白いんじゃね?」
本当は聖人のことなんてどうでも良いんだけどなあ。だけどもいまさらそんなこと言えそうな雰囲気じゃないぞ。
まあ、死ぬほどどうでも良いことか。どうせ他人事だしな。大作は卑屈な笑みを浮かべると聖人計画のことを心の中のシュレッダーに放り込んだ。




