巻ノ参百参拾八 責任者、出てこぉ~い! の巻
大作がお園と連れ立って豊臣の本陣を訪れるという一世一代の晴れ舞台から一晩が経った。
翌朝も一同は普段と何一つ変わらない朝餉をとる。とっていたのだが……
どういうわけだか、みんなが集う座敷には何だかいつもと違ってピリピリした空気が漂っているような、いないような。
「お前らどげんかしたか? 言いたいことがあるならはっきり言えよ。どんな意見だろうと真摯に聞いてやるからさ」
「別に大佐に言いたいことなんてこれっぽっちもないわよ。まあ、大佐がどうしても聞きたいって泣いて頼むんなら何ぞ話してあげなくもないんだけどさ」
こましゃくれた顔の美唯が瞳をキラキラと輝かせながら秒で食い付いてくる。その表情は何かを伝えたくて居ても立ってもいられないといった風情だ。
「はいはい、分かりましたよ。聞けば良いんだろう、聞けば。いま聞こうと思ったのに言うんだもんなぁ~! どうだ? これで満足したか? 満足したんならさっさと言え。言わんのなら帰れ!」
「帰れって何処へかしら? まあ、良いわ。一遍しか言わないから耳をかっぽじって良く聞いて頂戴な。さっき台所でとっておきの噂話を仕入れてきたのよ。小田原城下ではお侍様から商人やお百姓さん、翁や嫗から赤子に至るまで皆が皆、揃いも揃って大佐とお園様が豊臣方の本陣を訪ねたって話で持ち切りみたいね」
「な、なんだってぇ~っ!」
余りにもびっくりしたので思わず声が裏返ってしまう。だが、座敷にいた全員が素早く両手で耳を塞いで難を逃れる。
こいつらの学習能力もなかなかどうして侮れんな。大作は感心するのを通り越してちょっぴり呆れてしまった。
それはそうと、いったいぜんたい何処から話が漏れてしまったんだろう。別に秘密にしていたわけではない。
とは言え、小さな事が気になってしまうのが大作の悪い癖。早速、調査のために風魔小太郎を小田原城へと呼び付けることにした。
待つこと暫し。相州乱破の頭領はどこからともなく風のように颯爽と現れる。しかし、その口から飛び出した答えに大作は驚愕のあまり手に持っていた箸を落っことしてしまった。
「其の事にござりますれば、ほれ。今朝の瓦版新聞の一面に大きく出ておりまするぞ」
半笑いを浮かべた風魔小太郎は懐から朝刊を取り出すと恭しげに差し出す。
眼前に掲げられたザラザラの紙束の表面には解像度の荒い写真と共に大きな極太明朝体の活字が踊っていた。
『御本城様と御裏方様。白昼堂々と禁断の密会?!』
「あの、その、いや…… 俺とお園って夫婦だよな? それがなんで禁断の密会なんて扱いをされなきゃならんのだ? 夫が妻に会うのにいちいち裁判所の許可を取れとでも言うのかよ! いったい何処のどいつだ? こんな阿呆な記事を書いた唐変木は! 責任者、出てこぉ~い!」
大作は夢路いとし師匠だったか喜味こいし師匠だったかになりきって独特のしわがれ声を振り絞る。
それまで黙ってご飯を頬張っていたお園がちょっと不機嫌そうに顔を歪めた。
「出し抜けに妙な声を出さないで頂戴な。ご飯が不味くなるじゃないの。それで? 夢路いとし師匠に喜味こいし師匠ですって? もしかして、それって美味しいのかしら?」
「いやいやいや、美味しいわけがないだろがぁ~っ! って言うか、知らんのか? あの有名な『責任者、出てこぉ~い!』っていうネタを」
「あのねえ、大佐。私がそんな昭和のネタを知ってるわけがないでしょうに。って言うか、それを得意芸になさっておられたのは人生幸朗・生恵幸子師匠じゃなかったかしら?」
「マジレス禁止! わざとボケてんだよ。突っ込むなら突っ込むでもっと上手に突っ込んでくれなきゃこっちだって困っちゃうじゃんかよ。そういうのをボケ殺しって言うんだぞ。それって何だか後家殺しみたいで嫌だなあ…… んで? 責任者はいったいぜんたい何処のどいつなんだ?」
大作はひったくるように新聞を受け取ると記事の一番最後に載っている署名を探す。探したのだが……
『文責 藤吉郎』
数秒の間、大作の意識は体を離れて座敷の中を浮遊霊みたいに漂う。しかし、状況が飲み込めてくるに従って急激に頭がはっきりしてきた。
みんなが再び両手で耳を塞ぐ。とは言え、大作にだって学習能力はあるのだ。それを見越して渾身の力を込めてあらん限りの雄叫びを上げる。
「な、なんだってぇ~っ! ゲホ、ゲホ、ゲホ。喉が、喉が痛いよう……」
「もぉ~ぅ、大佐ったら朝っぱらから大きな声を出さないで頂戴な。騒音性難聴にでもなったらどうしてくれるのよ」
「めんご、めんご。次からは気を付けるよ。でも、物凄くびっくりしたんだからしょうがないだろ。おい、藤吉郎。よりにもよってお前が犯人だったとはなあ。いったいぜんたい、どういうつもりでこんな記事を書いたんだ。ことと次第によってはタダでは済まさんぞ」
大作は座敷の隅っこでご飯、味噌汁、おかずの焼き魚を三角食べしている藤吉郎に向き直ると人差し指を突きつける。もちろん、心の中では喪黒福造みたいに『ドォ~~~ン!』という擬音を付けているのは言うまでもない。
だが、肝心の藤吉郎は平然とした顔だ。ゆっくりと口の中の食べ物を咀嚼するとお茶を一口だけ口に含んだ。
「へえ、大佐。如何にも某が書いた記事ににございます。然れども其の記事の何処がお気に召さぬと申されまするか? 何ぞ障りでもござりましょうや?」
藤吉郎の態度には全くといって良いほど悪びれた様子がない。一欠片の曇りすら無い瞳に真っ直ぐ見詰められた大作は蛇に睨まれた蛙の心境だ。居た堪れなくなってすぐに目を反らせてしまった。
「いや、あの、その…… 別に責めてるわけじゃないんだぞ。ただ、その、何て言うのかなあ…… 納得の行く説明というか報告というか…… 教えて欲しいなあって思っただけなんだよ。もちろん、藤吉郎が良ければの話なんだけども」
「其の事なれば大佐が常日頃から申されておられた様に致したまでにございます。責めを負わねばならぬ謂れは露程もござりますまい。針小棒大。火の無い所に煙を立てろ。何も無ければでっち上げろ。もしや、大佐とお園様に限ってネタにしてはならぬとの仰せにございましょうや?」
「そ、そうだったのか…… いや、それならそうと早く言ってくれよ。だったら俺から言うことは何も無いな。これからも楽しい紙面を目指して頑張ってくれるかなぁ~っ? いいともぉ~っ! なんちゃってな。アハ、アハハハハ……」
徐々に声が小さくなり、最後は掻き消すように尻切れトンボになってしまう。
それはそうと尻切れトンボってグロい表現だなあ。何だかちょっぴり気持ち悪くなってきたんですけど。
大作は今朝の朝刊を小さく折り畳むと心の中のシュレッダーに放り込んだ。
「今朝の朝刊って語彙が重複してるんじゃないかしら? そも、今朝の夕刊なんてあるはずもないでしょうに」
「そ、そうなのかなあ? 物凄い田舎の方だと朝刊と一緒に前日の夕刊が配達される所もあるんだとさ」
「ふ、ふぅ~ん」
「それどころか離島なんかだともっと凄いんだぞ。海が荒れると何日も新聞が届かないとか何とか」
「そう、良かったわね。だけども大佐。新聞が無くてもテレビやネットで用が足りるんじゃないかしら。さて、御馳走様でした」
ご飯を食べ終わったお園がマリー・アントワネットみたいに強引に話を切り上げる。周囲を見やれば座敷には誰一人として残っていない。
うわぁ~っ! また出遅れちまったぞ。大作はお椀に残ったご飯を頬張ると味噌汁で流し込んだ。
小走りで廊下を駆けること暫し。お園に追いついた大作は井戸端で丁寧に食器を洗うと台所へ返した。
「さて、今日は何をして遊ぼうかな…… じゃなかった、どんな仕事をしようかな? 美唯、スケジュールはどうなってるんだ?」
「どうもなっていないわ。ずぅ~っと先まで真っ白けよ」
「そ、そうか。そりゃそうだよなあ。史実でもこの時期、豊臣方の包囲軍と北条方の籠城軍の間には戦闘らしい戦闘はほとんど発生していない。ましてや、史実に比べて北条が圧倒的に優位な状況では戦闘なんて発生しようはずもない。かと言って、石垣山城が完成する前に攻めるわけにも行かんしな」
「どうして攻めちゃいけないの? ねえ、どうして?」
ほのかに代わって二代目どちて坊やを襲名した美唯が小首を傾げながら疑問を口にする。
これは痛い所を突かれたな。答えに窮した大作は視線を泳がせながらも必死に頭をフル回転させて言い訳を探す。探したのだが……
「それはアレだな、アレ…… 閃いた! 例えばヒーローの変身中には決して攻撃しちゃいけないっていう不文律があるだろ? 聞いたことないかな?」
「美唯、そんなの聞いたこともないわよ。それって真の話なのかしら? どうせまた『マジレス禁止!』とか言うんじゃあないでしょうねえ?」
「いういや。正真正銘、神様仏様お釈迦様に誓って本当の話だよ。こと『変身中ヒーロー攻撃禁止の法則』に限って嘘偽りは絶対に言わん。絶対にだ! こういう紳士協定っていうかコモン・ローっていうのは歴史的観点から見ても……」
「仏様とお釈迦様って同じじゃないのかしら?」
「き、気になるのはそこかよ……」
こうして今日も大作と愉快な仲間たちは無為な日々を過ごしていた。過ごしていたのだが……
「って、これじゃあ普段と何も変わらないじゃないかよぉ~っ! お前らは今日という日を特別な一日にしたいとか思わんのか? もし明日、世界が滅びるとしたら何をしたいとか考えたことないのかよ!」
「あら、大佐。常日頃と何も変わらない日の何がいけないっていうのかしら? 昨日も今日も明日も楽しく過ごせればそれに越した事はないと思うんだけど」
「そ、それはそうなんだけどさあ…… でも、何でも良いから理由をでっち上げて記念日をお祝いするっていうの悪くないもんだぞ。お前ら何かないのかよ? さあさあ、ほれほれ」
「……」
大作は八月九日に『なんでもない日おめでとう!』とツイートしたせいで炎上して謝罪する羽目になった米企業のことを思い出してちょっとだけ切ない気持ちになってしまった。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。思いもしなかった方向からの援護射撃が届く。
「だったら美唯に考えがあるわ。今日は一日、豊臣との戦が終わった後の事を考えて過ごしたらどうかしら。きっと楽しいわよ」
「そうねえ、私たちこれまで戦の後のことなんてこれっぽっちも考えていなかったわね。丁度良い頃合いかも知れないわ。ねえ、大佐。そうしましょうよ。パズーもそうしろって!」
「パ、パズーはそんなこと言っていないと思うんだけどなあ……」
大作は精一杯に不服そうな顔で不満を口にする。しかし、残念ながらその苦情は誰の耳にも届かない。
こうして、なし崩し的に一同は豊臣との戦が終わった後、どのような改革を行うべきかについて話し合いを始めたのだった。




