巻ノ参百参拾六 注文の多い茶室 の巻
大作とお園の仲良し夫婦は暇潰しと退屈凌ぎを兼ねて黒田官兵衛に忘れ物を届けに行くという重大なミッションに挑む。って言うか、挑んだのだが……
幾多の苦難を克服した二人はついに銀河系を征服しここに巨大な銀河連盟を結成…… じゃなかった、官兵衛に押し麦のサンプルを手渡すという大願を成就したのだった。どっとはらい。
「んで、官兵衛殿。饗応って申されましたがいったい何を食べさせて頂けるんでしょうか? うちのお園はこう見えて業界では名の通った結構なグルメでしてな。変な物を食べさせたら面倒臭い事になりますぞ。主に我々が」
「献立にございますか? うぅ~ん…… 詳らかな事までは存じませぬが京の都でも一二を争う秀でた料理人が腕に撚りを掛けて料理を拵えますれば、必ずや得心して頂ける事にございましょう」
「ほほぉ~ぅ、左様にございますか。当てにしておりますぞ」
口ではそんなことを言っているが本当に信用して大丈夫なんだろうか。気楽に安請け合いする官兵衛の顔を見ていると不安で不安でしょうがない。そもそも京風味の薄味料理なんてお園の口に合うとは思えんのだけれど。考えれば考えるほど大作の胸中を漠然とした疑念が覆い尽くして行く。
これはヤバいことになる前にずらかった方が良いんじゃなかろうか。逃げるが勝ち。って言うか、三十六計逃げるに如かずとはこのことか。とは言え、この状況では脱出こそ至難の業かも知れん。
完全に詰んだな。心底からどうでも良くなってきたぞ。大作は小さくため息をつくと二人の後を小走りで追いかけた。
それほど広くもない海沿いの道を歩くこと暫し。山の斜面に建っているお寺が目に入る。
不意に官兵衛が振り返るとドヤ顔を浮かべながら前方の建物を指差した。
「左京大夫様、我らの本陣は彼方に見える正蔵寺に置いております。初めに本陣を置いた早雲寺は焼けてしまいました故」
「火事ですか? それは災難でしたな。ご愁傷さまなことです。火災保険とかには入っていなかったんですか?」
秀吉が最初に本陣を置いた早雲寺を時限発火装置で焼き払ったのは相州乱破たちだ。そして、その命令を下したのは他ならぬ大作である。だが、そんな不都合な真実は極秘中の極秘にせねばならん。ただただ余裕のポーカーフェイスを浮かべるのみだ。
三人は急な坂道をよちよち歩きで登って行く。とっても遠くて長い石段をえっちらおっちら登り切り、小さな山門を潜るとまたもや見知った顔が現れた。
『待ちかねたぞ武蔵!』とでも言いたげな表情で立ち尽くしている人物はこの時代の人間としては巨漢と言っても差し支えなさそうな大男だ。身長は恐らく百八十センチくらいはありそうな、なさそうな。
その人物とは誰あろう、当代随一の茶人として有名な千利休その人であった。
「おお、左京大夫様。漸く参られましたか。北条宗家の御当主様が御自らのお出ましと聞き、首を長うしてお待ち申し上げておりましたぞ」
「ミャンマーのカレン族みたいにですか? 利休殿、久方ぶりにございますな。お元気そうで何よりです」
「遠き所をようこそお出で頂きました。彼方で茶の支度をしております。ささ、どうど此方へ」
「いやいや、利休殿。聚楽第でお会いした折にも申し上げませんでしたかな? 拙僧はカテキンアレルギーなので医者から茶を止められておるのです。できたらコーヒーをお願いしても宜しゅうございますか? 無いんなら麦茶でも結構ですよ。それも無い? 無いんですか…… んじゃあ、水でも結構ですが?」
「まあまあ、そう申されまするな。茶がお気に召さぬとなれば、せめて白湯なと振る舞わせて下さりませ」
一人増えて四人となった一行はそんな阿呆な話をしながらお寺の境内を歩いて行く。
まるでブレーメンの音楽隊じゃんかよ! このペースでメンバーが増えていったら今にハーメルンの笛吹きみたいになりそうだな。馬鹿げた想像をした大作は一人でほくそ笑んだ。
黙々と歩き続ける官兵衛は本殿と思しき大きな建物の前に辿り着くと急に立ち止まって振り返った。
「ささ、左京大夫様。此方へどうぞ。ここで履物を脱いで下さりませ」
「え、えぇ~っ!? ここでは着物を脱ぐんですか?」
「違うわ、大佐。履物を脱ぐのよ。着物は脱がなくて良いわ」
「マジレス禁止! ちょっとしたアメリカンジョークだよ。それはともかく、そんな風に一挙手一投足を細々と指示されたら宮本顕治の『注文の多い料理店』みたいですよ」
「あのねえ、大佐。それを言うなら宮沢賢治でしょうに。って言うか、どうせこれも『マジレス禁止!』なんでしょうけどね」
「そ、そうだな。良く気が付いたな、お園。偉い偉い」
とてもじゃないけど素の勘違いだったとは言い出せない雰囲気だ。大作は精一杯の虚勢を張って引き攣った笑みを浮かべることしかできない。
本殿正面にある木の階段を昇って中へと進んで行く。建物の奥には派手な光沢を輝かせた巨大な箱が鎮座ましましているのが目に入った。
「如何ですかな? 関白殿下の黄金の茶室は。見事なる物にござりましょう?」
ドヤ顔を浮かべた官兵衛が心底から自慢げに顎をしゃくる。だけどもお前が自慢するのは違うんじゃね? 大作は心の中で突っ込みを入れるが決して顔には出さない。
だが、よく見てみれば隣に突っ立っている千利休はちょっとだけ白けた顔をしているような、していないような。
ネットやテレビでとかで見た話によれば派手好みの秀吉と詫び寂びの利休とでは目指すべき茶道の方向性が異なっていたんだとか何とか。それが切腹を申し付けられた原因の一端だったのかも知れないな。大作は一人で勝手に納得しつつも口から出まかせの適当な相槌を打つ。
「ほっほぉ~ぅ、これが噂に名高い黄金の茶室ですか。成金趣味ここに極まれりって感じですな。でも、拙僧はどっちかっていうと琥珀の間の方が好みですけどね。まあ、ここでグダグダ言ってても始まりませんな。さっさと茶をしばきに参りましょうか」
「利休様、聚楽第で頂いたお菓子。美味しゅうございました。お督はもう走れません」
調子に乗ったお園も話に乗っかってきた。わけが分からないよといった顔の利休が目を白黒させている。
馬鹿どもには調度良い目眩ましだ! 大作は心の中で毒づくと狭い狭い躙り口から黄金の茶室へと飛び込む。飛び込んだのだが……
『知らないおじさんが座ってるんですけどぉ~!』
大作は思わず出掛かった悲鳴をすんでのところで飲み込む。
って言うか、このおっちゃん…… って言うか、爺さんはいったいぜんたい何処のどなたなんだろう? 謎は深まるばかりだ。
黒田官兵衛と千利休の茶会に乱入してくるだなんて。どう考えても只者では無い気配というか雰囲気というか。何かそんなのがプンプンと漂ってくるんですけど。
そんな大作の気持ちを知ってか知らずか謎のじじいは意味不明な含み笑いを浮かべながら口を開いた。
「左京大夫殿、遠路遥々大義じゃったな。近う寄れ」
近う寄れだと? この狭っ苦しい平三畳の茶室で? 正気かよ?
ちなにみ平三畳というのは道具畳の一畳と残り二畳の畳を平行に畳を並べた間取りのことだ。
これに対して道具畳に対して直角に残り二畳の畳を敷いた間取りのことを深三畳と言う。奥三畳とか細長い三畳敷と呼ぶこともあるんだそうな。
ここ、試験に出るから覚えとけよ! 大作は思わず大声で叫びそうになったが既の所で我慢した。
「あの、その、いや…… 始めまして、拙僧は生須賀大作…… じゃなかった、誰だっけ?」
「あのねえ、大佐。大佐は北条左京大夫新九郎でしょうに。自分の名前くらい覚えておきなさいな」
「そ、そうだったな。えぇ~っと、お初にお目に掛かります。拙僧は北条左京大夫新九郎にございます。んで、あなたはだあれ?」
大作はとなりのトトロのメイになりきって精一杯み可愛らしく言ってみる。だが、返ってきたのは人を小馬鹿にしたような嘲笑だった。
「戯れも大概にせい。儂に会わんが為に態々参ったのであろう?」
「いやいや、拙僧は官兵衛殿に『忘れ物を届けにきました』だけなんですよ。本当ならすぐ帰るつもりだったんですけど何か食べさせてくれるっていうからノコノコ付いてきただけで。だって、食べ物をくれる人に悪い人はいませんからね。んで? 官兵衛殿、利休殿。いったい何を食べさせてくれるんでしょうか? 小さなことが気になってしまう。拙僧の悪い癖でしてな」
「あの、その…… 左京大夫様、此方に御座すお方が関白殿下にあらせられますぞ」
が~んだな。出鼻を挫かれたぞ。余りにも予想外の超展開に大作は早くも目眩がしてきた。
だが、こんな人達に負けるわけにはいかない! やられたらやり返す。超展開には超展開の倍返しだ!
「そ、そうだったんですか。写真と全然違うからさぱ~り分かりませんでしたよ、太閤殿下。まあ、袖振り合うも多生の縁と申します。以後、お見知りおきの程を」
「お、おう。そうじゃな。相模守殿は息災か?」
「さ、相模守? それって誰でしたっけかな?」
「あのねえ、大佐。相模守っていうのは御義父様のことよ。それくらい覚えておきなさいな」
「ああ、氏政のことか。あいつ相模守なんて名乗ってたのかよ。どうせ自称なんだろうけどさ」
大作は心の中で嘲り笑いつつも余裕のポーカーフェイスで穏やかに微笑み掛ける。
だが、そんな本音を知る由も無い秀吉は真意を計りかねるといった顔だ。
暫しの沈黙の後、黙っていると間が持たないとでも思ったのだろうか。秀吉の口から出た言葉は予想もしない物であった。
「うぅ~む、左京大夫殿。督姫殿は駿府左大将の娘御じゃったな。加えてその殊勝な心掛け。感服致したぞ。今すぐ豊臣に恭順し臣下の礼を取るとの申すなら、その心意気に免じて伊豆、相模、武蔵を安堵しても良いぞ。如何じゃ?」
「いや、あの、その…… 拙僧は和平交渉に来たつもりなんて全くもってこれっぽっちも無いんですけれど。って言うか、そもそも今現在において劣勢に立たされているのは豊臣方なんじゃありませんか? 当初は二十二万を数えた兵力だって今や半分も残っていないはずですぞ。それに水軍が壊滅したせいで兵糧の輸送にすら四苦八苦してるんでしょう? ぶっちゃけた話、降伏するのは豊臣方だと思うんですけど? 違いますかな?」
「な、な、何を戯けた事を申すか。豊臣は負けてなどおらぬぞ。山中城や足柄城を落とし、韮山城を取り囲んでおるのは儂ら豊臣方じゃ!」
もしかして秀吉には正しい戦況報告が上がっていないのだろうか。これではとてもじゃないけど和平交渉なんて無理みたいだぞ。まあ、そもそも大作は豊臣の降伏なんて認めるつもりは毛頭無かったんだけれども。スキンヘッドなだけに。
大作は心中でほくそ笑みながらもどうやって話を切り上げるべきか頭をフル回転させていた。




