巻ノ参百参拾伍 軍使大作 の巻
大作は叺に入った押し麦のサンプルを両手に抱えて本丸御殿を飛び出した。
何やかやと細々とした物を布袋に詰め込んだお園も後に続く。
「ひとっ走り官兵衛のところに行って忘れ物を届けてくるよ。昼ご飯までには帰れると思うから」
「美唯は? 美唯は一緒に行かなくても良いのかしら?」
「うぅ~ん? どうだろな。一緒に来たかったら来ても良いけど」
「だったら行かないわ。小次郎とお留守番をしているから。代わりにお土産を頼んだわよ」
「へいへい、分かりやしたよ」
そんな阿呆な話で別れを告げると二人は二の丸、三の丸を通って大手門を目指す。
ちょっと小走りで先を急ぐが黒田官兵衛たちの姿は影も形も見えない。
あいつらよっぽど足が早いんだろうか。いくら追いかけても男たちに追いつける気がしない。
「もしかして馬に乗っていたのかなあ。だったら走ったくらいじゃ追いつけっこないぞ」
「石垣山城…… だったかしら? とりま、そのお城まで行けばいるんじゃないの? 知らんけど」
「まあ、留守なら留守で誰かに預けて置けば良いさ。とにもかくにも、押し麦は日本人の食生活を劇的に改善してくれる魔法のアイテムなんだ。何としてでも普及させなければならん。そのための営業だと思って頑張ろうよ。えい、えい、おぉ~!」
「えい、えい、おぉ~!」
死んだ魚のような目をしたお園がこれっぽっちも心の籠もっていない掛け声が返してくれる。
その表情を見ているだけで大作のやる気がモリモリと削がれて行く。
何だか知らんけど急に意欲が失せてきたぞ。まあ、もともと気が乗らなかったんだけれども。
「捨てっちまおう。こいつぁ偽モンだよ。よく出来てるがな……」
「え、えぇ~っ?! これって紛い物だったの? って言うか、何でそんな物を持ってきたのよ? わけが分からないわ」
「マジレス禁止! そういう気分だっていう例え話だよ」
大作たちは無駄口を叩きながらも早川口の虎口へ向かって歩を進めて行く。
門番の兵たちは二人の顔を見た途端、唖然とした表情をしながらも黙って門を開けてくれた。どうやら顔パスで通してくれるらしい。精一杯の愛想笑いを浮かべながらペコペコと頭を下げて素早く通り抜ける。
塹壕に掛けられた狭い板橋の真ん中をえっちらおっちら渡り、どこまでも続いている鉄条網の隙間をこじ開けて掻い潜るとそこはもう惣構の外だ。
見渡す限りの辺り一面には何もない殺風景な原っぱがどこまでも広がっている。視界のずっと向こうには豊臣方の物と思しき土塁が地平線の果てまで伸びていた。
「まるで第一次世界大戦の塹壕戦における無人地帯みたいだな。って言うか、俺たち撃たれたりしないんだろか?」
「ど、どうなのかしら? でも、できることならば撃たれるのだけは勘弁して欲しいわねえ。だって、痛そうなんですもの」
「こういう時には取り敢えず白旗だな。白旗を上げよう。白旗なら何とかしてくれる。白旗なら……」
大作は大慌てでバックパックからテントのポールを取り出すと先っぽに白いタオルを結びつける。高々と掲げられた布切れがそよ風を孕んでヒラヒラと揺れた。
「撃たないで下さぁ~いっ! 軍使でぇ~すぅ!」
「向こうからはちゃんと見えているのかしら?」
「見えてないんなら撃たれる心配もないんじゃね? まあ、もし撃たれたとしても痛いのは一瞬だ。すぐに死んじまうからそんなに苦しまずに済むと思うぞ。何で河豚のことを鉄砲って言うと思う? 当たると死んじまうからなんだとさ。とにもかくにも撃たないで下さぁ~いっ! 軍使でぇ~すぅ!」
コソコソしていると怪しいが、ここまで大騒ぎしながら近付けば返って怪しまれないかもしれん。大作としても今は根拠の無い願望に全てを託して進むことしかできない。
まあ、運悪く撃たれて死んだとしても小田原征伐編が終わって山ヶ野に帰るだけのことだし。って言うか、本音を言えばいい加減に小田原にも飽き飽きしてきたところなのだ。
クリアできないのはちょっぴり悔しいけれど、もう途中で終わらせてくれても良いくらいなんですけれど。大作は喉まで出掛かった本音を既のところで飲み込んだ。
「軍使でぇ~すぅ! 撃たないで下さぁ~いっ!」
大声で喚き散らしながら千切れんばかりに勢いよく白旗を振り回す。
豊臣方の土塁に近付いて行くと足軽風の中年男がひょっこりと姿を現した。薄汚い着物をだらしなく着こなし、無精髭を生やした顔には気品の欠片も感じられない。
「止まれ! 其処な怪しい坊主。いったい何奴じゃ?」
「せ、せ、拙僧のことですか? 拙僧は、拙僧は…… 何者なんじゃろな?」
「あのねえ、大佐。大佐は大佐でしょう? それ以上でもそれ以下でもないわよ」
「それもそうだな。拙僧は大佐と申します。黒田官兵衛殿に火急の用があって罷り越しました。アポなしで申し訳ありませんがお取次ぎをお願いできますかな?」
「火急の用じゃと? いったい何用じゃ?」
「えぇ~っと…… 『忘れ物を届けに来ました』ってことでお願いできますかな?」
大作は精一杯に頑張って糸井重里の物真似を披露する。披露したのだが……
似てない。さぱ~り似ていないんですけども。そもそも元ネタを知らない足軽には全くもって通じていないみたいだし。
だが、男はそんな説明で満足してくれたんだろうか。軽く顎をしゃくると身振りで先に進むように促した。
人の身長と同じくらい高さのある土塁をお園と二人して苦労しながら乗り越える。
豊臣方の支配地域に入った途端、がらりと景色が変わった。
攻城戦の真っ最中だというのに兵たちの顔には緊張感の欠片も見られない。昼の日中だというのに道端には酒を飲んで酔っ払っている者、筵を敷いて賭け事をやっている者、派手な着物を着た遊女らしき女、エトセトラエトセトラ……
こんな所で時間を浪費している余裕は無いな。大作はほんの少しだけ歩くペースを上げる。このままでは昼ご飯までに帰るという美唯との約束が果たせそうにない。
とは言え、ここは勝手知ったる他人の家。そもそも、ほんの二ヶ月ほど前までこの辺りは北条の支配地域だったのだ。
大作は黒田官兵衛がいるであろう豊臣方の本陣を目指して意気揚々と進んで行く。進んで行ったのだが…… 例に寄って例の如く迷ってしまった!
「うぅ~ん…… やっぱGPSが無いのは辛いなあ。何とかして戦国時代にGPSを実現できんもんじゃろかいな?」
「あのねえ、大佐。それはいくらなんでも無理が過ぎると言うものよ。だって、かなりの高軌道に何十機もの衛星を打ち上げなきゃならないんでしょう? それこそ何十年掛かるか知れたもんじゃないわね」
「いやいや、別に衛星に拘る必要はこれっぽっちも無いんだぞ。そもそもGPSっていうのはグローバル・ポジショニング・システムってことなんだもん。大事なのは現在位置を正確に知ることができるかだ。例えば…… 例えばロランとかどうよ? アレなら技術的な難易度はずっとずっと低いはずだぞ。そうは思わんか?」
「ふぅ~ん。大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね……」
突如としてお園の瞳から輝きが消えて行く。ハイライトの入っていない濁った瞳が何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出す。まるで闇落ちしたような怪しい視線に絡め取られた大作は蛇に睨まれた蛙みたいに固まってしまった。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。道の向こう側から見知った顔が現れたのだ。
「おお、官兵衛殿。やっと追いつけましたぞ。官兵衛殿は随分と足が速うございますなあ。オリンピックの競歩に出られるくらい速い…… アレ? おかしいですな。確か官兵衛殿は足が不自由だって設定があったような、なかったような。大河ドラマでもそんな風に演出されていたような気がしますぞ。小さなことが気になってしまう。拙僧の悪い癖でしてな」
「如何にも仰せの通りにございます。長い間、牢に閉じ込められておったことがございましてな。その折に足を痛めてしまいました。普段、歩く分にはなに不自由ございませぬが遠出したり坂を登るには難儀をば致しておりますれば……」
「そうですか、それはご愁傷様ですなあ。だけども、その歩き方ってマッドマックス2みたいでちょっぴり格好良かったりするかも知れませんぞ。とにもかくにも、そうなると出場するのはパラリンピックの方になりますか。話は変わりますけどパラリンピックのパラってどういう意味だかご存知ですかな? アレはパラレルワールドとかのパラと同じでしてな。つまるところ……」
そんな阿呆な話をしながら大作とお園は黒田官兵衛の後ろを金魚の糞みたいにくっ付いて歩いて行く。
って言うか、俺たちはいったい何処へ向かっているんだろう。とっとと荷物を渡して帰らないと昼ご飯に間に合わないんですけれど。
だが、大作はそんな本音を決して顔には出さない。ただただひたすらに人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべるのみだ。
「あの、その、官兵衛殿。実は拙僧は『忘れ物を届けに来ました』なんですよ。これ、これ、これを見て下さいな。この押し麦をお渡しせんがために……」
「お話ならば彼方でゆるりとお伺い致しましょう。態々、北条の御当主様が御自ら遠き道を足をお運び頂いたのでございます。精一杯の饗応を支度させますれば」
「饗応ですって?! それって美味しい物を食べさせて頂けるってことでしょう? ねえねえ、大佐。折角ご馳走して下さるって申されているのよ。断るだなんてとっても失礼なことだわ。有り難くお受けしたらどうかしら。ね? ね? ね?」
食べ物の話題が出た途端、お園が大きな目をキラキラと輝かせながら話に割り込んできた。相変わらず食べ物に関してだけは食い付きが随分と鋭いな。大作は感心するのを通り越してちょっと呆れてしまった。
「そ、そうだなあ。まあ、据え膳食わぬわ男の恥とも申しますしな。いやいや、女性差別しようって言ってるんじゃないんだから。そんな鬼みたいな顔をしなさんなよ、お園。折角の美人が台無しだぞ」
「では、黒田様。ご招待を謹んでお受け致します。いいわね? 大佐」
タダ飯ゲットだぜ! 大作は心の中でガッツポーズ(死語)を作りながら絶叫するが決して顔には出さなかった。




