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巻ノ参百参拾四 歌え!黒田節を の巻

 黒田孝高と織田信雄の家臣滝川雄利の訪問を受けた小田原城では盛大な歓迎レセプションが開かれていた。


「官兵衛殿、滝川殿。北条の郷土料理はお口に合いますかな? 遠慮しないでどんどん食べて下さりませ」

「おお、左京太夫様。この『うぃんなあそおせえじ』とやらは何とも珍妙な味わいにございまするな。山鳥の肉と伺いましたが些かも臭みが無うて大層と食べやすうござる」


 滝川ナントカは箸でウィンナーソーセージを摘みながら心底から驚いたといった顔をしている。


「でしょ、でしょ、でしょ? とっても美味しいでしょう? 私が作ったのよ!」


 ほのかがこれ以上はないほどのドヤ顔で顎をしゃくる。

 隣でズルズルとラーメンを手繰っていた黒田官兵衛も麺を飲み込むと感心したように口を開いた。


「この、猫の赤子が食べれる…… 食べられる『らあめん』とやらも随分と不可思議な食べ心地で。如何にすれば斯様に細長う伸ばす事が叶うのでしょうか?」

「美唯よ! 其れを作ったのは美唯なの! どうやって作ったかっていうとねえ……」

「官兵衛殿、そればかりはご勘弁下さりませ。最重要の企業秘密ですので。そんなことよりも、この盃を受けては頂けませぬか? 官兵衛殿のちょっといい~とこ見てみたい!」


 大作は大声で囃し立てながら巨大な盃になみなみと酒を注ぐ。唐突な急展開に着いて行けず目を白黒させている官兵衛の手に無理矢理に押し付けた。


「お園、こんな時にぴったりの歌があるぞ。現代ではアルハラ礼賛でコンプライアンス的に問題がありありの黒田節っていう歌なんだけどな」

「くろだぶし? 私、そんな節は聞いたこともないわよ。いったいどんな節なのかしら?」

「この歌は福岡藩の武士たちに歌われていた筑前今様とかいう民謡の一種なんだ。最も有名な一番は天保年間(1830~1844)に黒田藩士の高井知定が作ったというから著作権は無問題だな。二番以降も二川相近(ふたがわすけちか)(1767~1836)とか黒田斉清(くろだなりきよ)(1795~1851)とか平家物語とか…… とにもかくにも歌詞に関してはJASRACは気にしなくても良さそうだ。ただし、昭和二十五年(1950)五月二十日に歌詞を一部変更して再発売との情報もある。まあ、今は酒を飲ませるのが目的だから一番を繰り返し歌えば大丈夫だろう」

「そう、良かったわね」


 大作はアルトサックスを取り出すと目一杯に情感を込めて吹き鳴らす。吹き鳴らしたのだが…… サックスを吹いてたら歌えないやん!

 うぅ~ん…… こんな落とし穴があるとは。悔やんでも悔やみきれんぞ。


「しょうがないな。お園、一度アカペラで歌うから覚えてくれるか?」

「分かったわ、大佐。でも、音程を外さないで頂戴ね」

「あのなあ。俺を誰だと思ってるんだ?」


 大作は息を大きく吸い込むと情感をたっぷりと込めながら歌い始めた。


『酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの刀 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士』


 この歌は文禄・慶長の役が休戦していた時のエピソードらしい。官兵衛や滝川ナントカはもちろん、その場にいる全員が揃って初めて聞いたという顔をしている。

 きっちりと歌い終わった大作はアイコンタクトを取って歌をお園に引き継ぐとサックスを吹く側に回った。


 一方、大盃を相手に四苦八苦している官兵衛の隣ではナントカ丸が太刀無銘一文字(名物日光一文字)(国宝)をこれ見よがしに掲げている。


「黒田様、あと僅かでございますぞ。見事、飲み干されてこの太刀をお受け取り下さりませ。頑張れ、頑張れ、飲める、飲める! 黒田様なら絶対に飲める!」


 調子に乗ったナントカ丸が無責任に囃し立てる。

 それを耳にしたお園は不意に真顔に戻ると怪訝そうな顔で小首を傾げた。


「ねえねえ、大佐。これってアルハラじゃないのかしら?」

「いやいや、別に強要してるわけじゃないだろ? 飲み干したら太刀をやるっていうゲームなんだ。やるかやらんかは本人の自由意思だぞ」

「そうかしら? 上下関係や集団によるはやしたて、罰ゲームとかで心理的圧力を掛けて飲まざるをえない状況に追い込む。正に今の状況だと思うんだけれども? こんなんじゃあコーポレート・ガバナンス的に……」

「左京太夫様。飲み干しましたぞ。では、返杯を受けて頂けまするか?」


 お園の話を遮るように黒田官兵衛が割って入った。空っぽになった盃の縁を懐紙で軽く拭うと恭しげに差し出している。


 これは受けないと駄目な流れなんじゃろうか? だけども、一遍にこんなに沢山の酒を飲んだら急性アルコール中毒で命の危険が危ないぞ。どうやって断れバインダ~? 生命の危機に陥った大作は頭をフル回転させる。しかしなにも思いつかなかった……


「しょ、しょ~がないですなあ。これは一つ貸しですぞ」

「いやいや、貸しとか借りとかではござりませぬ。さあさ、一献。左京太夫様のちょっといい~とこ見てみたい!」


 攻守逆転とばかりに勢い付いた黒田官兵衛と滝川ナントカが無邪気な顔で手を叩いて囃し立てる。

 これはもう駄目かも分からんな。大作は半ば自棄糞気味な覚悟を決めた。


 無理矢理に押し付けられた大盃に官兵衛の手で新たな酒がなみなみと注ぎ込まれる。

 藁にも縋る思いでお園の顔を伺う。だが、返ってきたのは養豚場のブタでも見るかのような冷たい視線だった。

 まあ、いっか。今日は死ぬには良い日だ。大きく息を吐き出すと大作は盃の酒を一気に呷る。その直後、目の前が真っ暗になると同時に意識がぱったりと途絶えた。






「知らない天井だ……」

「あら、大佐。漸く目を冷ましたのね」

「ああ、お園か。今は何年何月何日だ? あれから何日経った?」

「一晩しか経ってないわ。開くる朝よ。どう? 良く眠れた? 気色は悪くないかしら?」


 心配そうな顔のお園に見守られながらゆっくりと体を起こす。途端に鋭い頭痛とこみ上げるような吐き気が襲ってきた。


「お、おぇ~っ。げろげろ……」

「ちょ、ちょっと大佐。大事ないかしら? 誰か! 誰か盥を持ってきて頂戴な!」

「美唯が! 美唯がすぐに持ってくるわ。ちょっと待っててね」


 パタパタという元気な足音が遠ざかって行く。


「ふっ、馬鹿どもにはちょうど良い目くらましだ。それはそうと、お園。二日酔の時って何で頭が痛くなったりするか知ってるか? 肝臓で分解しきれなかったアセトアルデヒドが……」

「あのねえ、大佐。こんな時くらい黙っていられないの? いいからちょっとだけ大人しくしていなさいな」


 待つこと暫し、美唯が大きな盥を重そうに抱えて戻ってきた。戻ってきたのだが……


「あのなあ、美唯。これはいくら何でも大きすぎるだろ。行水でもするのかってんだよ」

「しょうがないでしょう。これしかなかったんですもの」

「まあ、いいや。びっくりしたお陰で吐き気も引っ込んじまったよ。そんじゃあ、朝餉を食べに参ると致しやしょうか!」


 巨大な盥を抱えた大作はお園と美唯を従えて座敷へ向かう。

 普段と違って今朝は来客も同席するらしい。そのせいで恒例の朝食ミーティングもキャンセルとのことだ。


 座敷に着くと既に配膳は終わっており、みんなキリンの様に首を長くして大作が来るのを待っていた。


「すみませんなあ、お待たせして。官兵衛殿、滝川殿。お二人は二日酔とか大丈夫でしたか? 問題ない? それは良かった良かった」

「左京太夫様こそ大事ございませぬか? 昨晩は随分とお酔い遊ばされておられたような。まあ、お陰様で斯様に数多の手土産を頂き、左京太夫様にはお礼の申し様もございませぬが」


 薄ら笑いを浮かべる黒田官兵衛の視線の先に目を見やれば太刀無銘一文字(名物日光一文字)(国宝)、葡萄文蒔絵刀箱ぶどうもんまきえかたなばこ、平経正ゆかりと言われる伝説の琵琶の名器『青山』、歴史書の『吾妻鏡』、法螺貝の『北条白貝』、エトセトラエトセトラ……

 北条家代々の家宝として受け継がれてきた貴重な品々が山の如く積み上げられている。

 これらを全部、大酒の飲み比べで賭けに勝って手に入れてしまうとは。官兵衛、恐ろしい娘! 大作は今さらながら失った物の大きさに目眩を覚えてしまう。

 だが、いくら悔やんだところで後の祭りだ。ここは潔く諦めるのが吉だろう。


「ところで官兵衛殿。太刀を入れている黒繻子に舞鶴紋が施された刀袋は大事にして下さいね。こういう付属品を無くしちゃうと下取りに出した時に安く買い叩かれちゃいますんで」

「心得ております、左京太夫様。頂いた品々はゆめゆめ粗略には扱いませぬ。ご安堵下さりませ」


 きっぱりとした口調で言い切る黒田官兵衛の顔には自信が満ち溢れているかのようだ。

 朝餉を平らげた一同は焙じ茶を飲みながら暫しの間、世間話に興じる。


「時に左京太夫様。北条では白米ではなく、玄米を食しておられるのでしょうか?」

「おお、お気付きになられましたか。流石はグルメな官兵衛殿ですな。玄米は健康にとっても良いんですよ。あと、押し麦も三割ほど混ぜておりますぞ。まるで刑務所みたいでしょ? ちなみに節約のために混ぜてるんじゃありませんよ。なにせ、今どきは米より麦の方がよっぽど高価ですからな」

「おしむぎ? 其れはもしや麦を押して潰したとの意にござりましょうや?」

「そうなんですよ。麦に湯気を当てて柔らかくしてからローラーで押し潰してるんですよ。そうすると炊く前に水分を良く吸うから炊き上がりも美味しいんですね。そうだ、お帰りの際にサンプルをお持ち下さい。んで、気に入ったら是非ともご注文をお願いします」


 大作は良い機会とばかりにここぞと押し麦のセールスを仕掛ける。だが、黒田官兵衛は引き気味な笑顔を浮かべたまま黙り込んでしまった。




 黒田官兵衛と滝川ナントカが山のようなお土産を両手に抱えて帰って行く。大作とお園は二人の姿が見えなくなるまで早川口の城門で見送った。


「どうやら生き残ったのは俺たちだけみたいだな……」

「はいはい、そうみたいねえ。だけども、大佐。あのお二方、此度の事で味を占めたりしないかしら。しょっちゅうお仕掛けて来られたり、入り浸られても迷惑でしょう?」

「そりゃそうだな。だったら…… だったら門番に言いつけておこう。手土産があるか無いか確認して、手ぶらだったらお引き取り願えってさ」

「そうねえ、それが良いと思うわ。私たちだって施しでやってるわけじゃないんですもの」


 そんな阿呆な話をしながら二人は本丸御殿の自室へと戻る。戻ったのだが……


「押し麦のサンプルを渡すのを忘れてたぁ~っ!」

「しょうがないわねぇ~! 今ならまだ間に合うわ。急いで後を追いかけましょうよ」

「そ、そうかな? まあ、他にすることもないことだ。いっちょやったりますか」


 例に寄って例の如く、大作とお園の冒険は何の脈絡もなく始まってしまった。


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