巻ノ参百参拾参 知らぬ顔の官兵衛 の巻
十日ぶりに小田原城へと舞い戻った大作たちを待っていたのはキリンの様に首を長くした黒田孝高と織田信雄の家臣滝川雄利だった。
史実では二人は六月二十四日に小田原城を訪れ、降伏勧告を行ったらしい。
同じころ、既に韮山城を明け渡して降伏していた北条氏規も一緒に小田原城へ入って説得を手伝ったんだそうな。
『あの根性なしの裏切り者がぁ~!』
大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。まあ、この世界の氏規は韮山城で籠城を続けているはずなんだけれども。
本丸御殿の自室に戻った大作はお園に手伝ってもらって身だしなみを整える。
迎えに現れたナントカ丸の話によれば黒田孝高と滝川雄利の凸凹コンビは書院とやらに居座っているんだとか。
「まさかとは思うけどあいつらこのまま住み付く気じゃなかろうな? 宿代とかちゃんと払ってもらってるのか?」
「やどだい? そう申さば陣中見舞いにと南部酒を二樽に鮮鯛を十尾ばかり頂いております。黒田様は無刀に肩衣袴の出で立ちにござったそうな」
「そ、そうなんだ。まあ、ちゃんと手土産を持って来たんなら無下にも出来んか。ちなみに岡田利世の奴はアレっきりなのかな?」
「航空大決戦のキャンセルを限りに、とんとお見掛けしておりません。噂によれば関白殿の勘気を被り腹を召されたそうにございます」
「そ、そうなんだ…… ブラック企業に勤めた社畜の末路って奴か。いくら敵とは言え、ほんのちょっぴりだけ気の毒になってきたな」
大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。って言うか、敵同士で勝手に殺し合ってくれるんならむしろ大歓迎だ。どんどん死んでくれたら助かるのになあ。
「さて、お園。準備はオーケーかな? んじゃ、黒田孝高と滝川雄利の顔を拝みに参ると致しやしょうか」
「レッツラゴ~!」
大作とお園はナントカ丸の後ろに金魚の糞みたいにくっついて書院へ向かう長い長い廊下を進んで行く。
オレはようやく歩き始めたばかりだからな。この果てしなく長い廊下をよ……
『蜜柑! じゃなかった未完!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。今はただ、ナントカ丸から逸れないよう卵から孵ったばかりの雛みたいにくっついて行くのみだ。
って言うか、いったいどこまで歩かされるんだろうか。バターン死の行進じゃあるまいし。いい加減にして欲しいぞ、まったくもう。
歩き疲れて足が棒の様になったころ、見覚えのある襖の前でナントカ丸が急に立ち止まった。
「御本城様のおな~り~!」
これ以上はないといったドヤ顔のナントカ丸が突如としてびっくりほど大きな声を出した。耳がキーンとなった大作は思わず顔を顰める。
この小さな体のいったいどこからこんな大声が出るんだろう。謎は深まるばかりだ。
書院の中では二人の男が平伏していた。大作とお園はコソ泥になった気持ちで抜き足、差し足と進みながら遠慮がちに顔色を伺う。
「勘兵衛殿…… じゃなかった官兵衛殿、遠い所をようこそお出で下さりました。お久しゅうございますなぁ。聚楽第でお会いして以来になりますかな? ですよね? ね? ね? ね?」
「さ、左様にございますな。左京大夫様におかれましてはご機嫌麗しゅう存じ上げ奉りまする」
黒田官兵衛がゆっくりと顔を上げる。だが、そこに現れたのは大作の見知った顔ではなかった。
「い、○伊武雅刀さんじゃないだと? って言うか…… V6の岡○准一さんじゃあぁ~りませんか! 分かった! これって2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』ですよねえ? いや~ぁ、こんな所でお会い出来るとは恐悦至極の限りですな。どうぞよろしく」
大作は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら右手を差し出す。
だが、怪訝な表情を浮かべた黒田官兵衛は握手に応える素振りすら見せない。まさかこいつ、ゴルゴ13にでもなったつもりなんだろうか。
安っぽいプライドを傷つけられたような気がした大作はいそいそと這い進む。半ば強引に腕を取って激しくシェイクハンドすると官兵衛が露骨に怪訝な顔をした。
「いやいや、お戯れを申されまするな。聚楽第でお会いしたではござりませぬか。たった今、御自らそう申されましたぞ」
「マジレス禁止! もう御一方は滝川殿でしたかな? そちらのお方とお会いするのは本当の本当に正真正銘で初対面ですよね? ね? ね? ね?」
「如何にも、お初にお目に掛かりまする。以後、お見知りおきのほどを」
「滝川っていうとアレですよね。『瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ』でしたっけ?」
「それって崇徳院の詠まれた歌よね? 讃岐国に流されて怨霊になったお方よ」
「相変わらずお園は賢いなあ。ちなみに2012年の大河ドラマ「平清盛」では俳優の井浦新さんが崇徳院を演じておられたんだ。そうそう、井浦新さんといえば2005年に発売された書籍『メガネ男子』(アスペクト)で『好きなメガネ男子』の一位になったことが……」
そんな意味不明の無駄薀蓄で時間を稼ぎながら大作はWikipediaで滝川雄利に関する情報を探す。
なになに…… 『勢州軍記』の記述によると『三瀬の変』の際、北畠具教の近習を寝返らせて太刀が抜けないよう細工するという卑怯な策で討ち取ったんだとか。
『伊乱記』にも第一次天正伊賀の乱で比自岐合戦の際、絶体絶命のピンチから小賢しい策を弄して逃げ切ったそうな。
天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱では伊勢衆の大将として加太口からの侵攻を担当。調略によって伊賀衆の団結を崩したらしい。これって……
大作は急に姿勢を正すと精一杯の真面目腐った表情を作った。
「滝川殿、貴殿には伊賀攻めの折に民間人を大量虐殺した容疑で逮捕状が出ておりますぞ。貴殿には黙秘権がございます。なお、供述は法廷において貴殿に不利な証拠として用いられる事がございます。貴殿には弁護士を呼ぶ権利がございます。もし、ご自分で弁護士を呼ぶにお金がなければ国選弁護士を呼ぶ権利が……」
「お待ち下さりませ、左京大夫様。我らは使者として参っておるのですぞ。其れに対して斯様な扱いを致すのが北条の流儀にございまするか?」
「まさか外交官特権でも主張されるおつもりで? ですけど、北条も豊臣もウィーン条約を批准しておりませんよね?」
「そうは申されますが、左京太夫様。余りと言えば余りにも非道ではござりませぬか? 我らとてこのままおめおめと……」
大作と官兵衛の議論は徐々に混迷の度を深めながらヒートアップして行く。して行ったのだが……
この話をいくら引っ張っても時間の無駄にしかならんな。大作は早々と心の中で白旗を上げると話題の軌道修正を図る。
「時に官兵衛殿、石垣山城の築城は滞りのう捗っておられますかな?」
「い、いしがきやまじょう? 其れは如何なる意にござりましょう? 築城と申すからには城にござりましょうや?」
顔中に疑問符を浮かべた官兵衛と隣に座った滝川クリステル…… じゃなかった、誰だっけ? とにもかくにも、その滝川ナントカがまるでシンクロするかのように揃って小首を傾げる。
もしかしてこいつら、知らぬ顔の半兵衛を決め込むつもりなんだろうか。官兵衛のくせに。
ちなみに『知らぬ顔の半兵衛』の半兵衛というのは竹中半兵衛のことなんだそうな。
信長が美濃を攻めた時のエピソードだという説もあれば長篠の戦いにちなむという説もある。
それはともかく、あの城は完成するまで秘密にしていたお陰で一夜城なんて呼ばれているわけだ。確か本当は八十日も掛かって作られていたらしい。まあ、八十日城だなんて語呂が無茶苦茶に悪いからしょうがないんだけれども。
大作は上品さの欠片すら無い下卑た薄ら笑いを浮かべると思い切り顎をしゃくった。
「我ら北条の優秀な情報網は豊臣方が笠懸山に城を築いておることに初手から気付いておりましたぞ」
「……」
途端に官兵衛と滝川ナントカが不安そうに視線を彷徨わせた。そわそわと落ち着かない姿はまるで迷子のキツネリスを彷彿させる。
二人は何とも居心地が悪そうに姿勢を崩したかと思えばすぐにまた座り直す。その顔には『こんな時、どんな顔すれば良いか分からないの』と書いてあるかのようだ。
大作は心の中で『笑えばいいと思うよ』と絶叫するが決して顔には出さない。
「今のは『築く』と『気付く』を掛けた駄洒落だったんですけどねえ。滑ったギャグのネタを本人に解説させるだなんて重大なマナー違反にございますよ。お二人とも存外とお人が悪いですなあ」
「さ、然れども左京太夫様。笠懸山に築きし城を何故に石垣山城とお呼びになられました? 小さなことが気になってしまう質にございましてな。某の悪い癖にございます」
「え、えぇ~っ! 気になるのはそこでございますか? う、うぅ~ん。何でと申されましてもなあ。『Wikipediaにそう書いてあるから』では理由になりませんかな? ならない? ならないんだぁ…… 残念! って言うか、関東で最初に造られた総石垣の城だからじゃないですか? この時代になっても関東圏では石垣を備えた城は珍しかったそうですし。千田先生が言ってたような気がしますぞ。まあ、新田金山城みたいな例外もあるんですけどね。この辺りの山は関東ローム層でしょう? だから普通に空堀を掘るだけで甲冑を着て長槍とか持った兵は著しく移動が困難になるんですよ。だから別に石垣なんて無くても困らんのですな」
黙って話を聞いていた黒田官兵衛は人懐っこそうな笑みを浮かべると大げさに関心して見せた。
だが、猜疑心の塊みたいな大作にはその笑顔が人を小馬鹿にした薄ら笑いとしか感じられない。
内心の怒りを必死に抑えつつも新たな知識マウントを取ろうと頭をフル回転させる。
ポク、ポク、ポク、チ~ン! 閃いた!
「ご存知ですかな、官兵衛殿。そも、石垣なんて大砲の発達であっという間に時代遅れになちゃうんですよ。砲弾が当たると石って割れたり欠けたりしちゃうでしょう? それの破片が飛び散ったらとっても危険なんです。だから大砲の時代になると土塁とかの方が重宝されるようになるわけです。まあ、日露戦争くらいまで時代が進めばコンクリート製のトーチカなんかが作られるようになりますけどね。鉄筋コンクリートの強度は積み上げただけの石材なんかとは比較になりませんので」
「たいほう? たいほうとは如何なる物にござりましょう?」
「き、気になるのはそこにございますか? 本に官兵衛殿は目の付け所がユニークですなあ。大砲っていうのはこんな字を書きます。要は鉄砲の大きい奴ですな。土管みたいに大きな筒からボウリング玉みたいに大きな鉄球をぶっ放すんですよ。ナポレオン戦争の映画を見たことがありますけど凄かったですぞ。密集隊形で進軍する戦列歩兵がボウリングのピンみたいに弾け飛ぶんですから」
「ぼ~りんぐ? 其れも存じ上げておりません。いったい如何なる意にございますか?」
「ボーリング(boring)じゃなくてボウリング(bowling)ですよ、官兵衛殿。ボーリングだと地面に穴を掘る奴になっちまいますからね。ボール盤ってあるでしょう? 旋盤とかフライス盤の親戚みたいな奴ですけど。そうそう、ボール(ball)といえば……」
好奇心の塊みたいな官兵衛と無駄薀蓄を語りたくてしょうがない大作は無為な時間を過ごす。やがて日が西の空に傾いたころ、ナントカ丸がやってきて夕餉の支度が整ったことを告げた。
「官兵衛殿、戦時下が故に大した饗しもできませんが心尽くしの料理を支度致しました。田舎料理でお恥ずかしい限りですが量だけはたっぷりございます。長靴いっぱい食べて下さりませ。ただし、食べ残した時は倍額をお支払い頂きますよ」
「ば、ばいがく?」
「マジレス禁止! 流石の拙僧も客人から食事代は取りませんよ。それに、聚楽第ではタダでお菓子を頂きましたしね。んじゃ、食堂へレッツラゴー!」
言うが早いか大作は脱兎の如く書院を後にする。僅かに遅れてお園が後に続いた。
黒田官兵衛と滝川ナントカは唖然とした顔で見送ることしかできなかった。
流石に放置プレイは不味いんだろうか。大作はナントカ丸に二人の様子を見に行かせた。ナントカ同士で意外と気が合うかも知れんし。
そんな阿呆なことを考えながら待つこと暫し。幼い小姓に連れられていい年をした大の大人が現れる。
こいつらにプライドって物は無いんだろうか。無いんだろうなあ。
二人とも五十歳前後にもなるというのに孫みたいな子供に案内されるとは。
俺だったら恥ずかしくて穴があったら埋めたいぞ。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
「漸く参られたか、官兵衛殿、滝川殿。首を長うしてお待ちしておりましたぞ。キリンみたいに。ささ、適当に好きな所に座って下さりませ」
「す、好きな所ですと? いやいや、好きな所と申されましても……」
「遠慮している間に席が埋まっちゃっても知りませんぞ。野生の世界は厳しいですから」
「さ、左様にございまするか……」
面食らった表情の二人は互いに顔を見合わす。諦めたように小さくため息をつくと本当に適当に座った。
まるでそれを待っていたかのように襖が開き、次から次へと膳が運ばれてくる。
いやいや、本当に待っていたんだろう。たぶんだけれど。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事を頂きます。ここに用意されたものを祝福し私たちの心と体を支える糧として下さい。わたしたちの主、イエス・キリストによって。アーメン」
ドヤ顔を浮かべた大作は食前の祈りを朗々と唱えた。
黒田官兵衛と滝川ナントカは珍しい物でも見たかのように瞳を瞬いている。
「官兵衛殿はキリシタンでしたよね? 違いましたっけ?」
分かったような分からんような顔をした二人を放置して大作は焼き魚にかぶりついた。




