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巻ノ参百参拾壱 植えろ!ポット苗とマット苗 の巻

 無事に女性陣との合流を果たした大作は十日間お世話になった風祭の谷をお暇することにする。いくら居心地が良いからといって永住するわけにもいかないし。


「出羽守殿、此度は大層とお世話になりましたな。十宿三十飯の恩義は決して忘れはしませぬぞ。小田原にお出での折には是非とも小田原城をお訪ね下さりませ。精一杯のご恩返しをさせていただきます」

「いやいや、御本城様。勿体なきお言葉にございます。急なこと故、碌な饗しも叶わずご無礼仕りました」

「然らば此れにて御免!」

「お世話になりました」


 大作とお園は深々とお辞儀をすると谷を後にする。いつの間にやら現れた村人たちが一斉に手を振った。

 一同は何度も何度も振り返っては互いの姿が見えなくなるまで別れを惜しんだ。




 谷を出たのは良いけれど、いったいどこに向かっているんだろう。大作は特に目的地も定めることもせず風の向くまま気の向くまま、適当な方向へと歩いて行く。


「ねえねえ、大佐。美唯たちはいったい何処へ向かっているのかしら。お城はこっちじゃないような気がするんだけどなあ」

「さあなあ…… だけど、全ての道はローマに通ずって言うだろ。トレビの泉とか真実の口を見てみたいとは思わんか?」

「いったい何なのかしら、その『真実の口』って言うのは? 美唯、聞いたこともないわよ。もしかして嘘の口もあったりするの?」

「嘘の口なんてないわよ、美唯。真実の口っていうのはねえ。古代ローマにあった下水管のマンホールの蓋よ。こ~んなに大きな丸い石の板ね」


 お園は両手をぐるっと回して大きな輪を表現する。美唯が大きな目を見開いて大げさに驚いた顔をした。

 だが、黙って話を聞いていたメイが意外な突っ込みを入れてくる。


「確かマンっていうのは男のことだったわよねえ? んで、ホールっていうのは穴のことでしょう? 男の穴っていうのはいったい何処の穴なのかしら」

「いやいやいや、そんな風に言うと下ネタみたいに聞こえるじゃんかよ。この場合のマンっていうのは人って解釈して問題ないんだ。そもそもmanの語源はサンスクリット語のmanuからきてるそうな。それから何千年もの間、男女の区別なく人間っていう意味で使われていたらしい。古英語でも人間をmanって言うだろ? 男はwer、女はwifとかwifmanだったんだとさ。んで、manっていう言葉がwerの代わりに男って意味で使われだしたのは中英語からだそうな。manのもつ長い長い歴史から見ればつい最近のことだろ? 現代英語のwomanっていうのもwifmanから派生した言葉なんだし。とにもかくにも語源から考えればmanは間違いなく人間を現す言葉なんだ。絶対ニダ!」


 これ以上はないドヤ顔を浮かべた大作はガッツポーズ(死語)を作る。

 ちなみにフェミニストの中にはmanholeのことをfemholeって言う人もいるそうな。だが、そんなことを馬鹿正直に話す必要はない。大作は素知らぬ顔で知らんぷりを決め込む。


「話は変わるけど日本中にマンホールが幾つくらいあると思う? こういうフェルミ推定を使った問題って一昔前に結構流行ったんだぞ。さぁ~あ、みんなで考えよう!」

「国中にどれほどのマンホールがあるかですって? そんなの分かるわけがないわよ!」

「いやいや、たったいま言ったよな? フェルミ推定を使うって。もしかしてフェルミ推定の説明からしなきゃならんのか?」

「フェルミ推定くらい知ってますぅ~! だけども計算の前提となるデータが不足してるんじゃないかしら?」

「その不十分なデーターから概算するのがフェルミ推定だろ。とにもかくにも騙されたと思ってやってみようよ。きっと楽しいぞ~ な? な? な?」


 卑屈な笑みを浮かべた大作は上目遣いで女性陣の顔色を伺う。一同の顔には『しょうがないわねぇ~!』と書いてあるかのようだ。その表情を肯定と解釈した大作は言葉を続ける。


「まず日本の人口は一億二千万人で良いだろう。んで、一世帯辺りの人数は三人、十世帯に一つのマンホールがあると仮定すると……」

「一億二千万割る三、割る十だから四百万ね。これって正しい数字なのかしら?」

「あちゃ~! 掠りもしないな。Wikipediaによると日本にある下水道用の蓋は千五百万個なんだとさ。しかも、そのうち三百万個は国が定めた標準採用年数(三十年)を過ぎてるから老朽化が心配らしい。だから我々が考えなければならないのは……」


 大量に存在する耐用年数を過ぎた危険なマンホールの蓋をどうすれば良いんだろう。大作と愉快な仲間たちは真剣な議論を戦わせながら山道を歩いて行った。




 山の稜線に沿って獣道みたいな険しい細道が延々と続いている。大作たちはインパール作戦に参加した第十五軍みたいに疲れ切った足取りで進んで行く。歩くこと暫し、急に視界が開けると広々とした平地が現れた。


「此の辺りは久所(ぐぞ)と申します。頼朝公が旗揚げをなさった折、公所(ぐぞ)が置かれたと聞き及んでおりますれば」

「うわぁ! びっくりしたなあ、もう……」


 突如として背後から掛けられた声に大作は思わず飛び上がる。慌てて振り返ると超絶美形くノ一(自称)お絹がドヤ顔を浮かべていた。


「って、誰かと思えばお絹じゃんかよ! お前、なんでくっついてきちゃったんだ?」

「なんでって、大佐…… 私たち夫婦じゃないの。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも。いつも一緒だって確と約したわよ。もしかして忘れちゃったの?」

「いや、あの、その…… そんな約束した覚えは全く持って一欠片も無いんですけど?」

「ひ、非道だわ! 大佐ったら私のこと騙したのね! こんなこと、たとえお天道様が許しても風魔小太郎が娘、お絹が決して許さないんだから!」


 不意にお絹が髪を振り乱して喚き散らし始める。どう見ても論理的思考ができる状態じゃなさそうだな。大作は内心で白旗を掲げると助けを求めるように女性陣の顔色を伺う。

 しかし、返ってきたのはガラスの仮面を被った女優のような白目だった。

 これはもう駄目かも分からんぞ。大作は完全に諦めの境地に達する。だが、捨てる神あれば拾う神あり。いつのまにやら一同の周囲にお絹の大声を聞きつけたギャラリーが十重二重と集まっていた。

 暫くすると人垣の中から一人の中年男性が進み出てきた。武士っぽい髷を結い狩衣みたいな着物を着て腰には打刀を一本だけ差している。


「お坊様方、斯様な往来で如何なされましたかな? 何ぞ困りごとでも…… おやおや! 何方かと思えば風間の姫姉様ではござりますまいか」

「これはこれは中村様! 随分とご無沙汰しております。此方に御座すお方は御本城様と御裏方様にあらせられます。御本城様、此方は中村様にございます。先ほどお話した頼朝公の旗揚げにも合力なされた由緒あるお家にござりますれば…… 然れども中村様。今は豊臣との戦の真っ最中。戦場(いくさば)に居られずとも宜しいのでしょうか?」


 お絹は怪訝な表情を浮かべると小首を傾げた。一方で中村様と呼ばれた男も同じくらい猜疑心の籠もった表情をしている。

 こいつはフォローが必要だな。大作は二人の間に割って入ると心の中で『Break!』と宣言した。


「まあまあ、お二人とも餅付いて下さりませ。中村様? でしたよね? 戦場にいない理由は何かあるんでしょうか? いやいや、別に責めてるんじゃありませんよ。そんな鬼みたいな顔しないで下さいな。小さなことが気になってしまう。拙僧の悪い癖でして」

「某は断りも入れずに戦場を離れたわけではござりませぬぞ。村の田植えが滞りのう捗っておるか確かめんが為、播磨守殿より確とお許し頂いて戻って参った次第。そも、去年(こぞ)と田植えの遣り様を変えよと申されたのは御本城様じゃと伺うておりますが? 其れが心配な故、この目で検分をば致さんと欲しておると言うに。余りと言えば余りな申され様ではござりませぬか?」


 若い侍は内心の不満を隠す気も無いらしい。次から次へと飛び出す言葉からは静かな怒りが伝わってくるかのようだ。

 とは言え、大作としても黙ってサンドバッグになるつもりは毛頭無い。スキンヘッドだけに。


「分かりました。私が悪うございました。謝って済むことなら拙僧が幾らでも頭を下げさせて頂きます。どうかお許し下さい。この通りです。ほら、お園。お前も頭を下げろ」

「も、申し訳ございません。どうかお許し下さいませ」


 ほんの一瞬だけ訳が分からんといった顔をしていたお園も即座に神妙な表情を作ると頭を深々と下げた。隣を見ればお絹も揃って申し訳無さそうな顔で最敬礼をしている。

 中村様とやらの顔には『しょうがないわねぇ~!』と書いてあるかのようだった。




 半刻ほど後、一同は村外れの水田に全員集合していた。いったいどういう流れでこんな羽目になってちまったんだろう。大作は朧気な記憶を辿るがさぱ~り重い打線!

 だが、こっちの都合をまるで無視するかのように若侍は話し始めた。


「大変長らくお待たせ致しました、御本城様、御裏方様。此方にございまするがポット苗、彼方がマット苗にございます。何卒ご検分の程を願い奉りまする」

「う、うぅ~ん。中々に良い塩梅でございますな」


 何とコメントしたら良いんだろう。迷った末に大作は適当な褒め言葉を口にした。

 それを切っ掛けにして背後に控えた有象無象たちも思い思いの感想を出し始める。


「妾も斯様に見事なるポット苗やマット苗は目にした事もございません」

「私なんてポット苗もマット苗も見るのは初めてだわ」

「美唯も! 美唯も見たこと無いわよ!」


 だが、みんなの称賛は中村様とやらの心にはこれっぽっちも届いていないのだろうか。まるで馬耳東風といった顔をしたまま淡々と説明を続けた。


「此等は何れも頂いた書状に書かれておった通り、塩水選、温湯消毒、浸種を致しております。後は彼方で代掻きしております田に保温折衷苗代とやらで正条植するのを待つばかりにございますぞ」

「さ、左様にございますか。これは色んな意味で凄いですねえ。正直言って感服仕りましたぞ。然れど斯様に一遍に色んなことを始めても大丈夫なんでしょうか? ちょっと挑戦的というか野心的というか…… いくらなんでも冒険のし過ぎみたいな気がするんですけど? フォードのエドセルっていうか、バンダイのピピンアットマークていうか…… もうちょっと堅実にやった方が良いんじゃないですかねえ」

「此れは意な事を承る。米作りを改めよと申されたのは他ならぬ御本城様ではござりましょう。其れをまるで他人事の様な申され様。余りと言えば余りにも非道ではありますまいか?」

「いや、あの、その…… 言われてみればそうだったかも知れませんね。前言撤回! 本にすまんこってすたい。まあ、そういうことなら取り敢えずはやってみられては如何ですかな? そう申さばマイケル・ジョーダンも申しておられましたぞ。『挑戦なくして成功なし!』って。駄目なら駄目でその時に考えたら良いんですよ。もし、米作りに失敗しても金で他所から買えば済む話ですし」


 何だかもう本当にどうでも良くなってきたぞ。大作は人を小馬鹿にした様な薄ら笑いを浮かべながら心底から気楽に言ってのける。だって完全に他人事なんだもん。

 だが、中村様とやらはお気に召さなかったらしい。本気で気分を害してしまったのだろうか。怒りを顕にして声を荒げた。


「米を他所から買えと申されましたか? 然れど、その金はいったい何処の誰が払って下さるのでござりましょうや?」

「中村殿。間違えるな、私は相談してるのではない! お願いしているんですよ。っていうかぶっちゃけた話、米なんてもうどうでも良いじゃないですか。知ってましたか? 四百年後には減反政策っていって国が音頭を取って米の生産量を減らそうとしてるくらいなんですよ。一時は水田で麦とか大豆なんかを作れば十アールあたり三万五千円の補助金が支払われてたんですもん。菓子類なんかに使う加工米を作れば二万円。家畜の飼料米だと更に高額の補助金が付いて最大十万五千円にもなったそうな。とにもかくにも米の時代は間もなく終わります。って言うか、二一世紀には第一次産業のGDPシェアなんてたったの1%になってるんです。もう済んだことです。忘れましょう。では、これにて御免!」


 言うが早いか大作はBダッシュで脱兎のごとく逃げ出す。

 ほんの僅かに遅れて続くのはお園、美唯、ほのか、メイ、お絹、エトセトラエトセトラ……

 後に残された若侍は唖然とした表情で口をぽか~んと開けていた。


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