巻ノ参百参拾 京、大坂は燃えているか? の巻
大作が風魔一族の里、風祭の谷でご厄介になり始めてから早くも十日余りが過ぎ去ろうとしていた。
その間、甲斐甲斐しく面倒を見てくれたのは超絶美形くノ一(自称)お絹だ。
「なあなあ、お絹。今日は何処でどんなことして時間を潰したら良いかなあ? 何か面白いアイディアとかあったら言ってみ?」
「そ、そうねえ…… 大佐は何にも考えずに好きなことをしているのが一番良いんじゃないのかしら。大佐は食いたい時に食い、飲みたい時に飲みなさいな。大佐はあの雲のように自由気ままに生きるのよ」
「それもそうだな。お絹のク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ…… 俺は雲! 俺は俺の意志で動く! ざまあみたかお絹!! 俺は最後の最後まで雲の大作!!」
「あはははは…… 大佐ったら今日もご機嫌ね」
互いのことをお絹、大佐と呼び合うようになったのはいったいいつごろからだったのだろう。大作は朧気な記憶を辿るがさぱ~り重い打線!
まあ、そんな些末なことはどうでも良いか。そんなことよりも今は二度とない楽しい日々を精一杯生きることこそ肝要だ。大作はお絹の手を優しく握りしめると立ち上がって……
その時、歴史が動いた! 突如として襖が物凄い勢いで開け放たれる。いきなり姿を現したのは良く見知った顔だった。
「大佐ったらこんな所で油を売っていたのね! 彼方此方と随分と探し回ったのよ!」
「十日も姿を見かけなかったからとっても憂いてたんですからね! 心配で心配でお腹が空いちゃったわ」
「あぁ~ぁ、良かった。私も安堵した途端にお腹が減ったかも知れないわね」
「美唯も! 美唯もお腹が減ったわよ。ねえねえ、大佐。何ぞ食べさせて頂戴な」
お園、美唯、ほのか、メイ、エトセトラエトセトラ…… 次から次へと現れた女性陣が口々に好き勝手なことを言い始める。
しかも、寄りにも寄ってお腹が空いた競争かよ! 年頃の娘がはしたないなあ。余りといえば余りな成り行きに大作は思わず年寄臭い感想を漏らしてしまう。
とは言え、取り敢えずは何でも良いから適当な返事を返さなければならん。だって、黙っていたら間が持たないし。
「まあまあ、みんな餅付けよ。慌てたからって良いことなんて何にもないんだぞ。大抵の場合はな」
「別に私、これっぽっちも慌ててなんかいないわよ。そんなことより、此方のお方は何方なのかしら? 手なんか繋いで随分と仲が良さそうに見えるんですけど?」
「ああ、こいつはお絹って言うんだ。この十日間というもの、ずぅ~っと親身になって面倒を見て下さってな。えぇ~っと…… そもそもお絹ってどういうポジションの人なんだっけ? 確か姫姉さまって呼ばれていたような、いないような」
素に返った大作は真顔でお絹に問いかける。って言うか、こんな大事な事をどうして今まで確認していなかったんだろう。首を傾げて思い返してみるがさぱ~り重い打線。
「言わなかったかしら、大佐。私は相州乱破の頭領、風魔小太郎の娘よ。初めて会った時に言ったような気がするんだけどなあ」
「聞いてない、聞いてない。絶対に聞いてませんから! って言うか、お絹って風魔小太郎の娘だったのかよ! 全く全然これっぽっちも似ていないんですけど?」
「それはしょうがないわ。だって真の娘じゃないんですもの。私の父母は戦の折に亡くなったのよ」
「そ、そうなんだ。それはご愁傷さまだったな。とは言え、いまさら過ぎた事を悲しんだところでどうにもならん。これからは前を向いて生きていこうじゃないか。な? な? な? さて、謎も全て解けたところで本来の話に戻ろうか。今日は何して暇を潰すんだ?」
大作は余裕の笑みを浮かべると両手を肩の高さで掲げてひらひらと揺らす。
だが、意外なことにお園は追求の手を緩める気がさらさらないようだ。少しだけ語気を荒げると興奮気味に捲し立てた。
「んで? もしかして大佐はその女にも懸想していたのかしら? イエスかノーか。はっきりと答えて頂戴な!」
「いやいやいや、そのパターンはもう結構ですから。みんなだっていい加減に飽き飽きしてきただろ? な? な? な?」
「いいえ、本当を言うと私もさっきから気になっていたのよ」
「そのお絹って女はいったい大佐の何なのよ? 詳らかに話してみなさいな」
「美唯も! 美唯も気になってたわ!」
今度は気になってた競争かよ! 付和雷同ここに極まれりだな。大作は頭を抱えたくなる。
これは少しでも対応を誤ると危険が危ないパターンだぞ。用心の上にも用心を重ねなければならん。
「いやいや、俺とお絹はそんな詮索を受けるようなアレじゃないんだ。ただ単に…… そう! ただ単なる泊り客と中居さん? みたいな? お世話になってると言えばお世話になってるんだけど所詮はビジネス上の付き合いに過ぎん。あくまでもギブアンドテイクって言うか何と言うか……」
「え、えぇ~っ! 大佐って私のことをそんな風に思っていたの? 私たち夫婦じゃなかったのかしら?」
「な、な、な…… 藪から棒に何を言い出すんだよ、お絹? 何をどうやったらそんな突拍子も無い話が出てくるんだ?」
「言ったわよ、大佐! 初めて臥所を共にした夜に。もしかして忘れちゃったの?」
「だ、だって…… 覚えていないものはしょうがないじゃん。みんなからも何か言ってくれよ。俺の物覚えが悪いことを。俺は悪くない! これっぽっちも悪くない。絶対ニダ!」
大作は自信満々の顔で女性陣の顔を見回す。だが、返ってきたのは射殺す様な鋭い視線と般若の如き険しい表情だった。
数刻後、一同は座敷に面した縁側に腰掛けて庭を眺めながら世間話に興じていた。
「お園、お茶のおかわりをもらえるかな?」
「はい、大佐。良かったら干し柿もどうぞ」
「ああ、ありがとな」
世の中、腹を割って話せば大抵の物事は理解し合える物なんだなあ。それとも真面目に相手をするのが阿呆らしいと思われてしまったのかも知らんけど。
とにもかくにも永遠に続くかと思われた査問会は何だかわけの分からない内になし崩し的に終わってしまった。
ただ、その過程でいくつか約束をさせられたような気もする。とは言え、今となってはそのどれもが忘却の彼方へと消え去ってしまった。
茶碗に残った焙じ茶を飲み干した大作は縁側から降りると庭先の生け垣を目指す。遥か彼方に聳える山々をぼぉ~っと見上げれば青空に浮かんだ白い雲がゆっくりと風に流されて行く。
長閑だなあ。実に長閑だ。とてもじゃないけど豊臣と戦をしている真っ最中だとは思えん。
ところで何か大事なことを忘れていなかったっけかな? 何だか一つ、とっても大事な事があったような気がするんだけどなあ…… 閃いた!
「なあなあ、お園。日米航空決戦…… じゃなかった、北条と豊臣の航空大決戦はどうなったんだ? どっちが勝った?」
「そうそう、それよそれ! 航空大決戦が終わったお陰で私たち、漸く大佐の元へ来ることが叶ったのよ。すっかり忘れていたわ。んで、どっちが勝ったと思う? もし当てられたら大した物よ」
「ど、どゆこと? 普通に考えたら北条が勝ったんだよな? でも、そうじゃないわけか? だとするとまさかの豊臣勝利か? だけども豊臣の航空戦力なんて高が知れてるだろ? マトモにやったら負けるはずがないぞ。もしかして物凄い油断とかしたのか? それか豊臣がよっぽどの奇策を使ったとか。それにしても豊臣如きに負けてしまうとは情けないなあ。奴らは数ある空軍の中でも最弱。空軍四天王の面汚しだぞ」
「それが大佐の答えかしら? ファイナルアンサ~? だったら外れね。北条は負けていないわよ」
お園は悪戯っぽい笑みを浮かべると両手を肩の高さで翳す。そして人差し指と中指を立てるとクイックィッっと二回曲げた。
「北条は負けていない? んじゃ勝ったのか? わけが分からないよ…… 降参だ、教えてくれ。って言うかいい加減に教えて下さいな。神様、仏様、お園様」
「答えは簡単、北条の不戦勝よ。豊臣は約束の期日までに肝心の航空機を支度できなかったの。前日の夕暮れにもなって織田信雄の家臣、岡田利世様が訪ねてこられてそう申されたのよ。参っちゃうでしょう?」
「そ、それは随分とアレな話だな。チケットは払い戻しとかになったのか? それとも振替公演? どっちにしろ凄い手間だろ。損害も馬鹿にならんし。豊臣に請求するにしても素直に払ってくれるのかな?」
「ところがギッチョン! 藤吉郎って本に手回しが良いわねえ。予めチケットの裏側に印刷しておいたんですって。『止む終えない事情により演目が変更になる場合がございます。予めご了承下さい。お客様都合による払い戻しは受け付けておりません』ってね。それに航空大決戦の穴埋めでやった航空ショーが思いの外、評判が良かったのよ。まあ、お客さんだってやる前から勝ちの決まった航空大決戦なんかじゃ盛り上がり様が無いものねえ」
お園は懐からスマホを取り出すと画面に写真を次々と表示させる。
そこに写っているのは手作り感が溢れる三機の木製ロケット機だ。
確か名前はお代乃、ゆきほ、優だったっけ。お園、ほのか、未唯の母親の名前にちなんで付けたことを大作は思い出す。
機体の周りには子供たちが黒山の人だかりを作り、順番にコックピットに乗せてもらっているらしい。
「私たちと一緒に一枚が銭十文で記念写真を撮ったのよ」
「それに握手会やサイン会、ミニコンサートもやったわ」
「物販収入だけでも十分に黒字が出たらしいわね」
「ふ、ふぅ~ん。それは良かったなあ……」
もしかして俺が企画した航空大決戦なんかよりよっぽど好評だったんだろうか? 大作の心中にどす黒い嫉妬心が澱の様に溜まって行く。
何故だ! 何故、奴を認めてこの俺を認めねえ! 心の中で絶叫すればするほど怒りが膨れ上がって爆発しそうに…… と思いきや、あっという間に雲散霧消してしまった。
だって航空大決戦なんて心底からどうでも良かったんだもん。大作は肩を竦めると小さく口笛を吹く。
いやいやいや、そんなことよりもっと重大事がいくらでもあるやん!
「順番が無茶苦茶で悪いんだけど京や大坂の火攻めはどうなってるんだろ。その後、続報が入ってたりはするのかな?」
「ああ、アレね。アレだったら……」
「詳らかなお話は梶原様か清水様に伺うと良いわ。もうそろそろお戻りになられている筈よ」
「このあいだ江雪斎様から伺ったお話だと何から何まで尽くが燃えてしまって何一つとして残っていなかったそうよ。一体どれ程の人が亡くなったのか誰にも見当も付かないだろうって申されてたわ」
「病を患って大坂城に臥せっていた大政所はお城と伴に焼けたそうね。関白の弟、大和大納言も聚楽第で亡くなったらしいわ。ただ、鶴松(棄君)だけは淀城にいて無事だったんですって。関白が小田原に出陣したんで聚楽第から大坂城に戻っていたんだけれど具合が悪くて淀城で養生していたとか何とか。あと、御所も綺麗に焼けちゃったみたいね」
何だか知らんけどちょっと目を離した隙に随分と酷い事になってるような、いないような。
こんなんじゃあ停戦に向けての和平交渉なんて始められる雰囲気じゃないぞ。大作は頭を抱え込んで小さく呻き声を上げる。
「ねえ、大佐。どうしたの? 京や大坂を燃やしたかったのは大佐でしょうに」
「もしかして一時の感情に流されて取り返しのつかない事をやっちまったんじゃないのかなあ。人間っていうのは後悔する生き物なんだよ。『パリは燃えているか?』なんて言うけれど、本当に燃えちまったら止めときゃ良かったって思うかも知れんだろ」
「そんな話し、間違っても風魔小太郎様や梶原様、清水様の前ではしないで頂戴ね。皆様は京や大坂を焼き払わんと、それこそ身を粉にしてお骨折り頂いたんですから。お礼を言うことはあっても、決して泣き言なんて言っちゃ駄目よ」
「って言うか、ぶっちゃけ俺。京や大坂を焼けなんて一言も言っていないんだよな。もしそう聞こえる様な発言があったとしても慎重に責任を回避しているはずなんだ。だって俺、絶対に責任を取りたくないんだもん。俺はこの件とは無関係。全て秘書がやったことだ。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げる。だけども決して俺のせいじゃないぞ。絶対ニダ!」
腹の底から響くような大声で力強く断言するとガッツポーズ(死語)を作る。
黙って聞いていた女性陣は…… と思いきや、振り返って見ると周りには誰一人として残っていない。
「お呼びで無い? お呼びでないね? こりゃまった失礼致しました!」
大作は縁側に上がると履いていた草履を丁寧に揃えた。




