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巻ノ参拾参 出資獲得 の巻

 翌朝、朝食を終えると五人は急いで部屋に戻った。

 大作はみんなの顔を見回して宣言する。


「昨日は半日掛かって三月のデータを集計した。今日は三か月ずつ遡って十二月、九月、六月を集計しようと思う。そうしたら春夏秋冬が揃うだろ」


 正直言って余り意味の無い作業だが共同作業を通して団結心が強まる。それに遊んでると宗達に思われたくない。

 お園が少し心配そうに言う。


「今日だけで三ヶ月分は大変じゃないかしら」

「大丈夫だ。津田様に二人ほど手伝いをお願いしておいた。それに作業を覚えていただかないと引き継ぎが出来ないからな」


 宗達も大作たちが部屋に籠って何をやってるのか興味があったらしい。手伝いを頼むと喜んで人を回してくれた。


 すぐに大作より少し年上くらいの男が二人やってきた。大作にも一応は学習能力がある。

『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ』を実践しなければ。


 最初に一通りの手順を見学してもらう。難しい作業でも無いから説明は簡単でも大丈夫だろう。実際の作業も特に問題無く行うことができた。心配していた楷書も普通に書けるようだ。あとは上手く褒めれば完了だ。


「お二人とも物覚えが早うございますな。それでは読み上げと書き取りを手分けして行って下さいませ」

「心得ました」


 手伝いの二人はにこりともしなかった。もしかして褒め方が悪かったのか。

 冷静に考えたら帳簿の読み書きなんて連中の方がプロだ。訳の分からん作業を上から目線で教えられても嬉しいはずがない。

 怒りださなかっただけマシだと大作は思うことにした。


 その後は昨日と同じで単調な作業が延々と続く。読み上げながらの作業なのでおしゃべりも出来ない。退屈で死にそうだ。

 一時間に十分ほど休憩を取っては作業を交代する。

 事務処理のプロが二人追加されたおかげで作業効率は五割くらいアップしたようだ。昼を少し過ぎた頃にカード化が完了した。


 少し長い休憩の後にデータの集計を行う。手伝いの二人はこの作業に関しては素直に驚いてくれた。


「紙が勿体無いと思っておりましたが、こんな上手いやり方があったとは目から鱗が落ちる思いにございます。紙がもう少し安ければ良いのですが」

「この紙はそんなにお高うございますか?」

「一束で二百文といったところでしょうかな」


 それって人足の日当の十日分、職人の日当の四日分くらいじゃね? 宗達が気軽に出してくれたから全然遠慮せずにもらったけど結構高いんだ。集計に使うだけなんだから再生紙で良かったのに。大作は後悔するが後の祭りだ。次からは得体のしれない物は値段を先に確認するようにしよう。


 大作は段々と思い出して来た。この時代の紙は完全に手作業で作っていたから高いんだ。

 フランスのルイ=ニコラ・ロベールが紙抄き機械(長網式抄紙機)を発明するのは二百五十年近く先の1798年だ。

 それに、昔の紙は麻の繊維、その後は(こうぞ)雁皮(がんぴ)など木の皮から作られていた。

 フランスのレオミュールはスズメバチが木の繊維から巣を作るのを発見する。そして紙にも応用できるかも知れないと思い付く。1719年のことだ。

 それが実現されたのは百二十一年も経った1840年だ。ドイツのケラーが木材を粉砕してパルプを作る機械を考案したのだ。紙の大量生産時代の幕開けだ。


 二十一世紀ではペーパーレスなんて言って紙を使わない方向に進んでいる。だがコンピュータが無いんだから安価な紙は大量に必要だ。

 木材破砕も抄紙機も水力で大丈夫だろうか。大作は頭の中のto do listは止めてスマホに書き込んだ。


 大作が難しい顔をして考え込んでいるとお園が心配そうに眼を合わせてきた。何か言わなきゃ。


「何でこんなに紙が高いのか考えていたんだ。俺の国では紙なんてタダ同然だぞ。鼻をかんだり尻を拭いたり赤子のオムツも紙で作って汚れたら捨てるんだ。ポケットティッシュって言う鼻をかむ紙を束ねた物に宣伝をくっつけて道行く人にタダで配ったりするくらいだぞ」

「紙をそんな粗末にしてたら今に罰が当たるわよ。せんでんって何なの?」

「引き札ってあるだろ。綺麗な絵や戯文(ぎぶん)を印刷した紙だよ」

「印刷って?」


 お園がどちて坊やになってしまった! 他の面々は興味深げに聞いているが話には参加して来なかった。まだ壁があるのか?


 小休止の後に各月の集計データを縦方向の積み上げ棒グラフにする。さらに春夏秋冬のデータもグラフにする。

 手伝いの二人が大げさに感心してくれたので大作は苦労した甲斐があった。


 参加した全員が満足感と一体感に包まれている。ここは何か良い話をして締めるべきだと大作は思った。


「みんなには統計データの集計という作業を手伝ってもらった。統計を英語ではstatisticsと言うが語源はラテン語の『状態』という言葉だ。イタリア語では『国家』を意味している。天下国家の民、富を管理する非常に重要な学問である」


 大作はそこで一旦言葉を区切ると芝居がかった様子で一人一人の顔を見る。みんな真剣に聞いてくれているらしい。入船納帳を手に大作は続ける。


「南蛮にデータ・マイニングと言う言葉がある。膨大なデータも分析次第で貴重な情報が得られる宝の山だ。『一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の数字だ』という言葉があるが、それくらい統計というのは大事な物なんだ。そしてデータの可視化も同じくらい重要だ。どんな大切な情報も正しく理解されなければ意味が無い。諸君らが本日学んだことを役立ててくれることを切に希望する。以上だ」


 途中からグダグダだったな。まあ意味不明な長話をしなかっただけ朝礼の校長先生なんかよりはなんぼかマシだ。大作はそう思って自分を慰めた。


 夕飯の後、明日に備えて早目に床に就く。

 しかし大作は明日のプレゼンのことを考えるとなかなか寝付くことが出来なかった。




 翌朝、食事を済ませて(くつろ)いでいた大作に宗達が声を掛けた。


「大佐殿、まもなく十人衆の評定でございます。ですがご安堵下され。茜屋様と手前が手分けして既に全員を説き伏せております。大佐殿はお部屋でごゆるりとお待ち下され」

「え~~~!」


 宗達が顔を顰めているが大作にとってはそれどころでは無い。まる二日を費やして作ったプレゼン資料だ。それが日の目を見ないなんて、みんなに言える訳が無い。

 大作に取っては正直言って結果なんてどうでも良いのだ。プレゼン資料に活躍の場があるかどうかの方が遙かに重要だ。


「そ、そ、それは困り、困ります。じゅ、じゅ、十分、いや五分で結構ですのでプレゼンする時間を下さい。三分でも、一分でも結構です。後生ですから拙僧にお時間をお与え下さいませ」


 みんなが注目する中、大作は畳に額を擦り付けるようにして頼み込む。お園と藤吉郎も慣れた物だといった顔で同調する。サツキとメイは暫し唖然としていたが我に返ると揃って土下座をする。

 驚いたのは宗達だ。事前に評定の成功を伝えたと思ったら大作以下五人に土下座されたのだ。


「大佐殿、じゅっぷん、ごふんとは何でございましょう?」

「十分とはその、え~っと、一時(いっとき)の十二分の一くらいでございます」

「左様でございますか。昨日、一昨日と遅くまで『でえたしゅうけい』とやらでお疲れと伺っておりましたので遠慮いたしましたが、大佐殿さえよろしければ半時でも一時でもみなに話を聞かせてやって下さいませ」

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 本気でヤバかった。土俵際いっぱい、徳俵に足がかかった状態ってこんなんだろうかと大作は思った。




 大作がお園を同席させて欲しいと言うと宗達は少し嫌な顔をした。大作たちは再び土下座で無理を通す。この手はあと何回くらい使えるんだろうと大作は心配になった。

 宗達の案内で通された部屋に十人衆とやらが車座に座っている。誰が筆頭とか無いのだろうか。今回、天王寺屋で開催されたのは単なる偶然なのだろうか。


 大作は昨晩、何を話すか散々考えていたが十人衆の顔ぶれを見て予定を変更した。抽象的な話じゃ駄目だ、思いっきり具体的な話で行こう。

 大作は内心の不安を顔に出さないよう精一杯に平静を装いながら話し始める。


「統計学にポアソン分布という言葉がございます。『一定期間に平均λ回起こる現象が一定期間にκ回起きる確率の分布』にございます。プロイセンという国にボルトキーヴィッチなる学者がおりました。この男は国中の騎馬隊で二十年の間に馬に蹴られた死んだ兵を数えて、その平均値がλ=0.61人だと求めました。さらにその数がポアソン分布に似通っていることを見出しました。そして先々どれほどの兵が馬に蹴られて死ぬか言い当てて見せたのでございます」


 スマホを注視しながら夢中になって話している大作には周りの様子が全く見えていなかった。突然お園に脇腹を突つかれて我に返る。

 十人衆の面々が退屈そうにしている。これは不味い状況だぞ。

 お園が大作に向かって軽くうなずくと十人衆に向き直って話し始める。


(たまさか)に起こるように見える出来事も数学を用いれば発生する確率を求めることができるのでございます。賽子(さいころ)を投げればそれぞれの目は同じくらい出ることはどなたにもお分かりにございましょう。ですが明日は雨が降るか、といった偶に起こる事柄が起こるか起こらぬかを示すのが確率にございます」


 十人衆の表情が僅かに和らぐ。何とか持ち直せたようだ。

 大作はグラフを見せながら統計データから事故発生率を数学的に求められたことを説明する。

 要所要所でお園がフォローしてくれたおかげで何とかボロを出さずにすんだ。


 大作はさらに時間をもらって先物取引に関する話をする。


「デリバティブ取引には先物取引、オプション取引、スワップ取引の三つがございます。さらには先物とオプションを組み合わせた先物オプション、スワップとオプションを組み合わせたスワップションなどなど、デリバティブとデリバティブを組み合わせた商品もございます。その取扱い対象は塩、米、木材といった産物に止まらず、気温や雨の量をオプション売買する天候デリバティブと言った物までございます」


 誰一人として話に付いて来ていない。大作にも学習能力はあるのですぐに気が付いた。

 もう良いや。一番楽しいところは十分に堪能した。ここからはお園に任せよう。

 大作はお園の背中を軽く叩いてアイコンタクトを取る。そこからはお園がメインに話をして大作はフォローに回った。


 一通りの説明が終わるころ、お園が取って付けたように言う。


「今まで妾がお話させて頂きましたことは全て大佐様のお考えにございます。大佐様は正に天賦の才をお持ちのお方。異国の言葉にも精通されておられる故、お話が難しゅうございます。ですが、その智慧の湧き出づること泉のごとし。是非とも大佐様のお考えをご理解賜りますよう伏してお願い申し上げます」




 簡単な質疑応答の後、宗達が話を締めくくった。評定の前に出ていた結論がひっくり返る筈も無い。

 あっけないほど簡単に十人衆から銭二万貫文の出資が決定した。


 最後に大作は宗達に発言の許可を得ると、お園から事前に借りていたレンズをかざして言う。


「皆様方の中でレンズと言う物をご存じの方はいらっしゃいますか? これはレンズと言って小さな物を大きく見えるようにする物です。もしイスパニアかポルトガルの商人や宣教師と商いをいたす機会があれば大金を払っても手に入れて頂きたい。ただのガラスでも結構です。それとイスパニア人が南米から持ち帰った銀の中にどんなに熱しても決して溶けない銀があり大量に捨てられていると聞き及んでおります。これも是非とも手に入れて頂きたい。同じ重さの金と交換しても良いのでいくらでも手に入れて下さいませ。ただし足元を見られてぼったくりに遭わないようお気を付けくだされ」


 レンズや謎の溶けない銀に関して質問を受けたが大作は適当にはぐらかす。自分から話を振っておきながら、大作は今はそんなことより海上保険と先物市場に集中すべきだと逆ギレ気味に話を打ち切った。


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