巻ノ参百弐拾九 洗え!洗濯物を の巻
小田原城を追われた大作はいざという時の為に用意しておいた避難場所へと決死の逃亡を計る。
数ある脱出先の中から選びに選んだのは風魔一族の隠れ里的な存在、風祭の谷だった。
そこで出会った超絶美形のくノ一、お絹は傷ついた大作の心を母親の様に優しく包み込んで癒やしてくれる…… かと思いきや。お客様扱いしてくれたのは最初の一日だけだった。
翌日の朝食を食べ終わった大作はお茶を飲んで寛ぐ。寛いでいたのだが……
超絶美形くノ一のお絹がつかつかと近付いてきたかと思うや宣言するかのように言い放った。
「御本城様! 『働かざる者食うべからず』にございますよ。其れが我ら相州乱波の定めと心得られませい!」
「へいへい。そんな当たり前の事、わざわざ言われずとも分かっておりますよ。って言うか、今やろうと思ったのに言うんだもんなぁ~っ! もうちょっと優しく言ってくれても宜しいんじゃありませんか、お絹殿。そんな風に声を荒げていたら折角の美人が台無しですよ」
「あらあら、御本城様。煽てたって何にも出ませんよ。ささ、早う膳を片付けて下さりませ」
苦笑を浮かべた大作は椀に少しだけ残っていたご飯を口に放り込む。丁寧に食器を積み重ねると膳を抱えて立ち上がり、片足で襖を開けた。
それほど長くもない廊下を足元に注意しながらゆっくり運んで行く。土間の裏口から外に出て井戸端まで歩いて行くとお絹が立っていた。
その顔には『待ちかねたぞ小次郎!』と書いてあるかのようだ。いやいや、待たせたのは武蔵なんですけどね。大作は心の中で誰に言うとでもなく突っ込みを入れる。
そんな大作の胸中を知ってか知らずか、お絹はにっこり微笑むと藁を縛って作った粗末な束子を差し出した。
「御本城様、成る程丁寧に洗って下さりませ。ほれ、此処が汚れております故」
「な、なるほど? もしかして成歩堂龍一さんのお知り合いか何かですかな?」
「成る程とは『おふなおふな』の意にございます。恐れながら御本城様の洗われし器は余り汚れが落ちてはおりませぬ。いま少し丁寧に洗って頂きたく存じますれば」
「そ、そうなの? 丁寧にやってるつもりなんですけど洗剤が無いですからねえ。って言うか、お絹殿。小姑じゃあるまいしなんぼなんでも神経質すぎません?」
「し、しんけいしつ? 御本城様が何を申しておられるのやら良う分かりませぬが丁寧に洗って頂かねば困りまする。斯様に忽に洗われては却って手間が増えてしまいます故」
「うぅ~ん、手厳しいですなあ。ちなみに神経っていうのは杉田玄白とかが解体新書を翻訳していた安永七年(1774年)にnerveって言葉をどうするか迷った挙げ句、神気と経脈を混ぜこぜにして作った造語なんですよ。『パォ~ン』ってね。ついでに言うとゲヒルン(Gehirn)は脳髄、ゼーレ(Seele)は魂のこどですな。ここ、試験に出るから覚えとけよ!」
「御意!」
そんな阿呆な話をしながらも二人は和気藹々と食器を洗って行く。
洗った食器は布巾で拭いて乾かし、元あったと思しき場所へと丁寧に返す。ミッションコンプリート! 大作は心の中でガッツポーズ(死語)を作った。
「して、御本城様。この後、今日は如何にしてお過ごしなさるおつもりで?」
「そ、そうですなあ…… こう見えて拙僧は楽器の演奏が得意中の得意でしてな。サックスなんて吹かせたらこの時代でナンバーワンかナンバーツー。少なくとも五本の指に入るくらいの名演奏家なんじゃないですかな? 知らんけど」
だって、この時代にはサックス演奏者なんて世界中を探しても一人もいないはずなんだもん。
大作は心の中で付け加えたが決して口には出さない。ただただ余裕のポーカーフェイスを浮かべるのみだ。
「さっくすと申されるのは黄金色に光り輝いておる吹き物の事にござりましょうや? 然れども吹き物を吹くだけでは今ひとつ物足りのうございますな。せめて琵琶法師の如く、弾き語りなぞできませぬでしょうか?」
「いやいやいや、無茶を言わんで下さりませ。サックスを吹きながら喋れるわけがないでしょうに。うぅ~ん、お絹殿って意外とお茶目さんなんですかな?」
「やはり出来ませぬか? とは申せ、ただ吹き物を吹いておるだけでは面白うござりませぬなあ」
「だったらお絹殿。拙僧がサックスを吹きます故、お絹殿は何か芸…… 踊ってみるとか如何ですかな? ちょっとセクシー系な感じで。儲けは六対四で如何でしょうか?」
「私が六で御本城様が四にございまするか?」
「いやいや、拙僧が六でお絹殿が四にございます」
「ちょっとお待ち下さりませ。斯様な仕儀では……」
二人は暫しの間、時の流れを忘れて互いの取り分について激論を交わす。交わしたのだが……
予想通りというべきなのだろうか。五分五分の線で妥結に至った。妥結に至ったのだが……
「何処で歌って踊りましょうか、お絹殿? って言うかこの村、ほとんど人がいないみたいなんですけど? 何かあったんですか?」
「お戯れを申されますな、御本城様。村の者はみな、京や大坂の焼き討ちへと出掛けております。それで手が足りぬと申し上げたところ、冠者から翁まで掻き集めよと仰せになったのは御本城様にござりましょう。よもやお忘れではありますまいな? お陰で村に残るは元服前の童と足腰も立たぬ翁、後は女性と病人ばかりにござりますれば……」
「そ、そうなんですか。知らぬこととは申せ、これはご無礼仕りました。みんなが早く帰ってこられたら良いですなあ。拙僧も草葉の陰からお祈り申し上げますよ。して、我らは何処で歌って踊れば宜しいかな?」
「うぅ~ん、いま時分でしたら…… まずは河原にでも参られては如何にござりましょう。誰かが着物でも洗っておるやも知れませぬ」
「ナイスアイディア、お絹殿!」
川で洗濯というのは桃太郎の時代から昔話の定番中の定番だ。勝算は十分あるに違いない。って言うか、無いと困っちゃう。それに、分の悪い賭けは嫌いじゃないし。
だが、今回ばかりは運命の女神様が大作に微笑んでくれたようだ。河原には漫画太郎みたいなお婆さんたちが集まって楽しそうにお喋りしながら片手間の様に洗濯をしていた。
『おまえらのようなババアがいるかぁ~っ!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。感情を押し殺すと卑屈な笑みを浮かべ、ぺこぺこと頭を下げながら揉み手をした。
「お嬢様方、ご機嫌は如何ですかな? それにしても今日は本当に良い洗濯日和にございますなあ」
瞬間、老婆たちが一斉に顔を上げて視線を向けてきた。
もしかして、このお婆さんたちも昔はくノ一だったんだろうか。
逃げる奴はくノ一。逃げない奴も良く訓練されたくノ一だったりするのかも知れん。
そもそも、この時代の女忍者をくノ一とは呼ばないんだけれども。
そんなことを考えていると居並ぶ老婆たちの中でも最年長と思しきお婆さんが一同を代表するかの様に口を開いた。
「これはこれは御本城様。麗しきご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じまする。村にお出で頂いておると聞き及んではおりましたが、私共の如き媼にまでお声をお掛け下さるとは至極の極みに存じますれば……」
この人はきっと大ババ様(CV:京田尚子さん)だな。大作は心の中で勝手にコードネームを付ける。
「いやいや、堅苦しい挨拶は抜きにして下さりませ。ところで皆様方、お洗濯をされておられるのですよね?」
「左様、如何にも。洗濯にございます。御本城様には水浴びでもしておる様に見えましたかな?」
「あはははは…… まだ、水浴びにはちょっと早いですかな。ま、それはともかくとして皆様方は洗濯の折、どのような洗剤をお使いですか? もしかしてもしかすると竈の灰を水に浸して、上澄みの汁から灰汁を取って使っていたりはしませぬか?」
「無論にござります。他に何か良い物でもござりますかな? 無患子や皀莢の葉を煮てやれば汚れが良う落ちると聞いてはおりますが、生憎とこの辺りには生えておりませぬ故」
が~んだな。穴があったら埋めたいぞ。いきなり外堀を埋められた大作は窮地に陥る。
だが、窮鼠猫を噛まずんば虎子を得ず。ここから華麗な逆転を決めてこその
知識チートだろう。そのためには無い知恵を振り絞らねば。ポク、ポク、ポク、チ~ン! 閃いた!
「古代ローマとかでは人間の尿を発酵させてアンモニアを作っていたそうですよ」
「にょう?」
「尿っていうのはアレですよ、アレ。小便? 小水? うぅ~ん…… 尿! そうそう、尿ですよ!」
「如何に御本城様の仰せとは申せ、大事な着物を尿で洗うわけには参りませぬ。其ればかりはご勘弁を賜りとう存じまする」
「そ、そうですか。汚れが綺麗に落ちるそうなんですけどねえ。まあ、無理にとは申しません。気が向いたらやってみて下さりませ」
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。大作は山本五十六の名言を今更ながら痛感する。
だが、諦めたらゲームセットだぞ。ここは何としてでもナウなヤングに…… じゃなかった、戦国時代のオールド・レディーにキャッチーなネタを提供せねば。最早、大作は意味不明な義務感だけに突き動かされていた。
数時間後、大作とお絹と愉快な老婆たちは楽しげに語らいながら川で洗濯をしていた。
各々の手には真新しい洗濯板が握られている。
「御本城様。この洗濯板とやらは真に驚かしき絡繰にございますな」
「軽く擦っただけで斯様に綺麗に汚れが落ちるとは何とも不可思議なことで」
「いったいどのような仕掛けになっておるのでござりましょう」
「御本城様は如何にして斯様な事を思いつかれたのでございましょう。宜しければ教えては頂けませぬか?」
思い思いの感想を述べる老婆たちを代表するようにお絹が核心を突いた疑問を口にする。
とは言え、これくらいは大作にとっても予想の範疇だ。余裕の笑みを浮かべると記憶を辿った。
「この洗濯板は1797年にヨーロッパで発明されたと言われております。とは申せ、似たような原理の品が中国で先に使われていたという説もあるそうですな。いずれにしろ特許権はとっくの昔…… 二百数十年後に切れてしまうので心配は御無用。ちなみに日本の一般家庭に広く普及したのは大正期らしいですぞ」
「ほ、ほぉ~! では、我らは何の憂いも無く洗濯板を用うることが叶いまするか」
「其れを伺うて安堵致しました」
「本に御本城様に足を向けては寝られませぬな」
「有り難や、有り難や」
口々に褒めそやす老婆たちの言葉を聞いているだけで大作は心が萎えて萎えて堪らない。だってWikipediaに書いてあることを話しただけなんだもん。
「さて、宴も酣となってまいりましたが拙僧はそろそろお暇させて頂いて宜しゅうございますかな? 生憎と予定が詰まっておりましてな。それではまた。お便りしますね。いつか多分」
いい加減、マトモに相手をするのが辛くなってきた大作は言うが早いか脱兎の如く駆け出した。
余りの素早さに一瞬、虚を突かれたくノ一も即座に後に続く。
「お待ち下さりませ、御本城様!」
「お絹殿、追いつけるもんなら追いついてみなされ! あはははは……」
「御本城様、そんなに走ると転びまするぞ。うふふふふ……」
「いやいや、子供じゃないんですから。って! うわらばっ!」
大声で阿呆なことを叫びながら走り去る若い二人をオールド・レディたちは生暖かい目で見つめていた。
風魔小太郎の屋敷へと戻った二人は翌日から洗濯板の製造と普及に向けての本格的な体制作りに着手した。
まずは材料と労働力、それから製造機器の確保だ。それに販路の開拓も忘れてはならない。
大作は小田原に文を送って北条家に出入りする商人に声を掛けた。
「御本城様、此度は新たな商いを始められるそうな。我らにも何卒、手伝いをばさせて頂きとう存じまする」
「伏して請い願い奉りまする」
「いやいや、お顔を仰げ下さりませ。皆様方は大事なる労働力にございます。困ったことがございましたら何なりとお申し付け下さりませ」
大作はハート様も顔負けの打算的な作り笑顔を浮かべ、精一杯の猫撫で声を出す。
そんな真意に気付くはずも無い商人たちはみんなコロっと騙されてしまった。
最初の試作品である初号機が完成したのは三日目の午後だった。
早速、河原に持ち込んで老婆たちに使って頂いた上で厳しいご意見を拝聴する。
すぐに持ち帰って検討を重ね、ほとんど徹夜で改良を加える。翌日の午前中には早くも弐号機が完成していた。いやいや、初号機の次は壱号機で良いんだっけ?
その後も参号機、四号機が立て続けに作られる。
四号機をベースにした先行試作型が作られたのは六日目のことだった。
「明日は休みにしよう。六日間で天地万物を創造した神様だって七日目には安息したんだもん。仕事ばかりで遊ばないと今に気が狂っちまうんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだ」
試作品の改良とテストと並行して生産設備の開発も進んでいた。
川に小規模なダムを作り、落差で水車を回す。それによって連続回転する細かなギザギザの付いた円盤で板の表面に窪みを削るのだ。
それが一往復するごとに更に別の水車が板を二センチほど押し出す。
端っこまで行けば自動的に次の板がスライドして定位置にセットされる。これで放って置くだけで勝手に洗濯板が製造されるという寸法だ。
先行試作型で発生した僅かな不具合を量産型で改善し、本格的な量産に入ったのは蝉が鳴き始めたころだった。
川の上流や下流にも水車を増設し、二十四時間体制でフル操業させる。
小田原から呼び寄せた商人たちは小田原城下を始めとする領内を彼方此方まで回って洗濯板の普及に勤しんだ。
秋風が吹き始める頃には需要の踊り場に入ったのだろうか。売上が若干だが頭打ちになってきた。
「ねえ、大佐。どういうことなのかしら。早くも普及が伸び悩んできたわよ」
お絹が大作を呼ぶ時、大佐というようになったのはいつ頃からだったのだろう。大作は暫しの間、考え込むがさぱ~り見当も付かない。
「うぅ~ん、どうなんじゃろ。出荷数から考えても普及率は精々、数パーセントといったところだぞ。まだまだ売れる余地はあるはずなんだけどなあ」
「私、使っていて思ったんだけれど洗濯板の表と裏で目の粗さを変えて見るのはどうかしら。洗いと濯ぎで使い分けられるようにね。それと今の洗濯板は目が真っ直ぐになっているでしょう? それを少しだけ弧を描くように扇形にしてやれば力が掛けやすくなるはずよ。製造装置に少し工夫が入用になるけれど顧客満足度を大幅に向上させることが叶う筈よ」
「ナイスアイディア、お絹。やっぱ、お絹は賢いなあ……」
大作は超絶美人くノ一の頭を軽くひと撫ですると体をそっと抱き寄せる。
お絹も優しく抱きしめ返してきた。二人の顔がゆっくりと近付いて行き……
その時、歴史が動いた! 締め切っていた襖が勢いよく開くと二人の子供が駆け込んできたのだ。
「父様!、母様!。姉者が虐めます」
「いいえ、母様!。妾は木綿を虐めてなどおりませぬ。ちいとばかり教育的指導をしたまでにございます」
「違います、父様! 麻姉者は儂の手を抓りました! これは体罰を禁じた改正児童虐待防止法に違反しておりまする!」
二人の子供は口々に言いたいことを言い合い続ける。
それはそうと子供の名前が木綿に麻だと? なんちゅうネーミングセンスじゃ! って言うか、気になるのはそこかよ~っ!
いやいや、どうせこれは久々に出た夢オチのパターンなんだろうけどさ。
ふと我に返った大作は冷静に自分で自分に突っ込んだ。
だが、待てど暮せど夢が覚めることはなかった。




