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巻ノ参百弐拾六 北風小僧の風太郎 の巻

 天正十八年四月十九日(1590年5月22日)のお昼を少し回ったころ、大作は今日も今日とて一人寂しく小田原城下をほっつき歩いていた。

 北条VS豊臣の天下を賭けた航空大決戦まで残すところあと九日しかない。

 パイロットという大任をまかされたのは誰あろう幼女のほのかだ。

 

「あんなチビっ子にこんな大役が務まるんだろうか。って言うか、子供の力を当てにせにゃならんとは世も末だぞ。はぁ~……」


 大作は今日だけで何十回目かの大きな溜め息をついた。


 ほのかは今頃きっと本丸御殿の座敷で缶詰状態になって空中戦闘機動(ACM)の座学にでも勤しんでいることだろう。

 最後に見た幼女の寂しそうな笑顔が瞼の裏側に焼き付いて離れない。その姿を思い出した大作は柄にもなく切ない気持ちになってしまった。


「ほのかの犠牲を無駄にするわけにはいかんぞ。そうでなきゃあいつの魂が浮かばれんしな。とにもかくにも俺は俺で何でも良いから人の役に立つ仕事を見つけて航空大決戦に貢献するしかないんだ。そうすればみんなだって俺のことを見直すかも知れん。って言うか、見直してくれないと困っちゃうもんなあ」


 大声でぶつくさと独り言を言いながら大作は当ても無く彷徨い歩く。彷徨い歩いていたのだが……

 犬も歩けば棒に当たるとは良く言った物だ。不意に背後から近付く気配がしたかと思うと大きな声で呼び止められた。


「これはこれは御本城様ではございませぬか。斯様な所で如何なされましたかな?」

「うわらば! びっくりしたなあ、もう……」


 大作は内心の焦りを必死に隠しながら平静を装って振り返る。そこに立っていたのは身の丈七尺二寸の大男、風魔小太郎その人だった。

 いつ見ても人間離れした風体をしているなあ。って言うか、このおっさんは本当に人類の仲間なんだろうか。鬼みたいな形相はいつもに…… じゃなかった、いつにも増して化け物じみて見える。


「おやおや、日向守殿…… じゃなかった、佐賀守? 佐渡守? 何でしたっけかな?」

「某は出羽守を仰せつかっておりまするが?」

「そうそう、それそれ! んで? その出羽守殿はこんなところでいったい何をされておられるんですかな?」

「いやいや、其れを先にお伺い致したのは某にございまするぞ。御本城様こそ斯様な所で如何なされました?」


 風魔小太郎は小さなことが気になってしまう悪い癖でもあるんだろうか。怪訝な表情を浮かべながら執拗に食い下がってくる。

 大作は内心では辟易としながらも表面上は愛想笑いを崩さない。だって、本気で怒らせたら物凄く怖そうなんだもん。


「あの、その、いや…… 出羽守殿は憲兵隊か何かにでもなったおつもりですかな? 仮にも拙僧は北条家の御当主様にあらせられますぞ。そんな風に上から目線で誰何(すいか)されたら話す気にならんじゃないですか。何か知らんけど物凄く感じ悪いんですけど?」

「す、すいか? 其れは如何なる意にございましょうや?」

「気になるのはそこかよぉ~! 西瓜をご存知無い? ああ、アレって確か天正年間だか慶安年間だかに日本に伝わったんでしたっけ? ちなみにSuicaの有効期限は最終利用日から十年だって知ってましたか? それを過ぎちゃうとカード自体が無効になっちゃうんですよ。まあ、仮にそうなってもJR東日本のみどりの窓口に行けば新しいカードを作って残額を移し替えられるんですけどね。それか、手数料を差し引いて残額とデポジットを払い戻して貰うこともできますよ」

「さ、左様にございまするか。肝に命じて置きまるす。して、御本城様。今日は如何なるご用向きで?」

「う、うぅ~ん…… どうしてもそれが気になっちゃうんですか? そうですなあ……」


 邪魔だと言われて本丸御殿を追い出され、当ても無く彷徨っていただなんて正直に打ち明けるべきなんだろうか。流石にそれは恥ずいなあ。

 とは言え、何か言わない限りこのおっさんの追求は止みそうもない。だけども、すぐバレる嘘をついて後で騙されたと分かったらそれはそれで怖いぞ。

 大作は迷う。大いに迷う。迷いに迷った末、強行突破を決断した。


「出羽守殿、制服さんの悪いクセですな。好奇心は猫をも殺す。事を急ぐと元も子も無くしますよ。そもそも出羽守殿が不用意に打たれた暗号を解読されたのが原因じゃないですか? とにもかくにも、これは拙僧の機関の仕事です。出羽守殿は兵隊を必要な時に動かして下さればよい。無論、拙僧が政府の密命を受けていることもお忘れなく。では、これにて御免!」


 大作は早口で一方的に捲し立てると足早にその場を後にしようと……

 しかしまわりこまれてしまった! って言うか、風魔小太郎は仲間を呼んだ!


 次の瞬間、どこからともなく現れた十人以上の男たちが周囲を取り囲んでいた。

 催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったような、味わっていないような。

 男たちの人相風体はバラバラだ。雑兵足軽みたいな奴もいれば商人風の男もいる。農民やら物売りやら大道芸人やらエトセトラエトセトラ……

 一見すると普通の庶民みたいにしか見えない。だが、突如として現れたということはこいつら全員が風魔の忍びなんだろうか。身のこなしが常人とは掛け離れているような、いないような。

 分からん。さぱ~り分からん。大作は頭を軽く振ってリセットすると再び周囲をぐるりと見回した。

 いや、良く観察すると男ばかりじゃないぞ。若い女、しかも結構な美形が混じっているじゃないか。

 大作は思わず鼻の下を伸ばしてマジマジと見つめてしまった。


「出羽守殿。こちらのお方はもしかして、くノ一にあらせられますか?」

「くのいち? 其れは如何なる物にござりましょう? 生憎と某は耳にしたことはござりませぬが」


 相変わらず鋭い目付きをした風魔小太郎が答えた。だが、その声音には一切の感情が籠もっていないように聞こえる。

 くノ一を知らないだと? 大作の心中に仄かな疑念が浮かんでは消えて行く。


 確かくノ一という言葉は徒然草にも出てくるくらい古い言葉だったはずだ。とは言え、その意味はただ単に女を表していたんだとか。だから女忍者なんていう意味はまったく持っていなかったらしい。ちなみに徒然草のくノ一は清少納言のことを指していたそうな。


 時代がずっと下って江戸期にも女を現す隠語だったらしいが用例は非常に少ないそうだ。なぜならば、その時代の人たちはみんな楷書ではなく崩し字の草書体を使っていたからなんだとか。

 だったら、だったらもう……


「御本城様。御本城様! 如何なされました?」

「うわらばっ! びっくりしたなあ、もう……」


 不意に掛けられた言葉に大作がふと我に返る。

 眼前には鬼みたいな顔をした風魔小太郎が心配そうに顔色を伺っていた。


「いやいや、出羽守殿。本にすまんこってすたい。ちょっと考え事をしておりましてな。実を申さば、くノ一という言葉が世の中に広く普及する切っ掛けを作ったのは山田風太郎の『忍法帖シリーズ』が大きな役割を果たしているんですよ。読んだことはございますか? 無い? そうでしょう、そうでしょう。とは申せ、始めから『くノ一』という言葉が女忍者って意味で使われていたかと言うとそういうわけでもないんですな。たとえば…… たとえば『忍法帖シリーズ』初期作品…… 1964年の『野ざらし忍法帖』までは女忍者のことをくノ一とは呼んでいないんですよ。『くノ一忍法帖』(1960年-1961年)なんてタイトルにまでなっているのに女忍者のことを態々『女忍者』と書いてるくらいなんですもん」

「は、はぁ……」

「それじゃあ『くノ一』って言葉が女忍者の意味で使われるようになった最初の作品は何でしょう? その答えは1964年の『忍法八犬伝』なんですよ。この作品の中では『くノ一』という言葉がハッキリと女忍者の意味で使われているんですね。ちなみにこの年の十月には『くノ一忍法帖』の映画版も公開されています。タイトルを見て『くノ一』は女の忍者だと思った人は大勢いたんじゃないでしょうかね。まあ、今となっては調べようもないんですけど」

「……」

「ちなみに1965年の『自来也忍法帖』や『忍びの者』とか『倒の忍法帖』や1967年の『くノ一死ににゆく』では山田風太郎は完全に『くノ一』を女忍者という意味で書いているそうですよ。少なくともWikipediaにはそう書いてあります。なのでこの時代にその用法が確立したんじゃないですか? おかわり…… じゃなかった、お分かり頂けましたかな。出羽守殿」


 へんじがない、ただのしかばねのようだ。

 風魔小太郎は死んだ魚のような目をしてフリーズしている。

 と思いきや、数瞬の間を置いておっちゃんの瞳に光が戻った。

 何だかターミネーター2のクライマックスのシュワルツェネッガーみたいだなあ。大作は吹き出しそうになったが空気を読んで我慢する。


「まあ、そんなわけでくノ一さん。お初にお目に掛かります。どうぞ宜しく」

「こ、こちらこそ目通り仕り恐悦至極に存じまする。麗しきご尊顔を拝し奉り……」

「んで? お名前は何と申されまするか?」

「き、絹と申します」

「おぉ~っ! 風魔のくノ一でお絹さんですか。もしかして先祖は由美か()るだったりしませんか? いやいや、逆か? だったら子孫にお銀さんがいたりして? いない? いないんだぁ……」


 そんな阿呆な話でもって大作は風魔小太郎を煙に巻こうとする。煙に巻こうとしたのだが……


「して、御本城様。斯様な所で如何なされましたかな?」

「うがぁ~っ! お前は同じセリフしか言えんのか? 壊れたラジオかよ!」


 とうとう堪忍袋の尾…… じゃなかった、緒が切れた大作はあらん限りの雄叫びを上げる。

 だが、今日に限って傍らにお園という最大の理解者を伴っていない。

 お陰で『それを言うなら壊れた壊れたレコードよ』という定番の突っ込みを入れてくれる人は誰一人としていなかった。


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