巻ノ参百弐拾伍 缶詰工場の幼女 の巻
北条VS豊臣の天下を賭けた航空大決戦まで残すところあと十日。
ほのかと大作の凸凹コンビは本丸御殿の座敷で缶詰状態になって空中戦闘機動の座学に勤しんでいた。
「缶詰ですって? それって美味しいのかしら?」
「うぅ~ん、どうなんだろう。好みは人それぞれなんじゃね? 俺は結構好きな方だけどアレって意外と癖のある味だからなあ。特にあのウィンナーの缶詰とかさあ。まあ、どっちにしろ缶詰タイプの戦闘糧食Ⅰ型、いわゆる缶飯は平成二十八年度分で製造が終了しちまった。だから今はレトルトタイプのⅡ型しか食べられないんだ。時代の流れとはいえ、なんだか寂しいよなあ」
「ふ、ふぅ~ん。私も食べてみたかったなあ。そうだ、大佐!その『うぃんなあ』っていうのを今から作ってみましょうよ。ねえねえ、そうしましょう!」
「え、えぇ~っ! ウィンナーを作るってか? それも今から? それはちょっとどうなんだろうなあ……」
若干引き気味な苦笑を浮かべて抵抗する大作の手を強引に引っ張るほのか。だが、必死の悪あがきも虚しく市場に連れられていく子牛のようにドナドナされてしまった。
ある晴れた昼下がり、台所へとやってきた二人は台所奉行に頼み込んで食材や道具を使わせてもらう許可を得る。
台所奉行はほんの僅かに眉を顰めつつも表向きは快く了承してくれた。
長い物には巻かれろ。それが彼の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲笑うが決して顔には出さない。
「えぇ~っと…… 確かソーセージっていうのは塩漬けにした肉を挽いて、香辛料とかで味を付けてから動物の腸に詰めて乾燥とか燻製した物のことだったよな。ちなみにソーセージという言葉の由来はラテン語のsalsusって説があるらしいぞ。要するに塩漬けっていう意味なんだとさ」
「つまるところ獣の肉を塩で漬ければ良いのね。いとも容易く作れそうだわ。それで? いったい何の肉を使えば良いかしら?」
「そこは有り物で誤魔化すしかないな。今から狩りに出掛けるわけにもいかんだろ? 冷蔵庫の中を見て考えようよ」
「れいぞうこ? それっていったい何なのかしら?」
「マジレス禁止。えぇ~っと…… これって山鳥かな?」
「御本城様、其れは夕餉で羹にしてお出ししようと思うておった物にございますが……」
料理長…… じゃなかった、台所奉行がちょっと遠慮がちな顔をしながら話に割り込んでくる。
だが、大作はまったく真面目に取り合わない。人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると軽く手を振っていなした。
「ノープレ、ノープレ。心配御無用ですぞ。これが今日の夕餉に出るんですから」
「大佐、それはノープレじゃなくてノープロじゃないかしら?」
「気になるのはそこかよ~! とにもかくにも料理長…… じゃなかった、台所奉行殿。今宵の夕餉なら憂えずとも結構ですぞ。大船に乗ったつもりで安堵して下さりませ。タイタニックやコスタ・コンコルディアくらいの」
「は、はぁ…… 然れど『うぃんなあ』とは如何なる物にござりましょう? 夕餉に饗するとなれば某も詳らかにお伺い致しとう存じまする」
「そうですか。それじゃあみんなでいっしょに作ったらどうでしょうな? きっと楽しゅうございますぞ。ちなみにウィンナーっていうのはウィーン風って意味ですな。正しくはウィンナーソーセージって呼ぶそうな。んで、どんなソーセージがあるかって言うと…… 日本農林規格にちゃんと基準が示されてるんですぞ」
大作はスマホに画像を表示すると台所奉行に向かって翳す。おっちゃんはキリンみたいに首を伸ばして画面を覗き込んだ。
「ウィンナーっていうのは羊の腸、もしくは二十ミリ未満の人工ケーシングに詰めて加工したソーセージのことですな。つまり羊の腸だったら二十ミリ以上でもウィンナーってことなんですよ」
「ふぅ~ん。二十ミリっていうと一円玉と同じ大きさよ。存外と細い物なのねえ」
「んで、フランクフルトソーセージっていうのは豚の腸、もしくは直径二十ミリ以上三十六ミリ未満の人工ケーシングに詰めたものだ。これも豚の腸だったら二十ミリ未満や三十六ミリ以上でもフランクフルトソーセージと呼ばれる。そして真打ち登場! 待ってましたのボロニアソーセージは牛の腸、もしくは直径三十六ミリ以上の人工ケーシングに詰めた物を言うんだ」
「それも牛の腸ならば三十六ミリ未満でもボロニアソーセージってわけね? そうなんでしょう? ね? ね? ね?」
「Exactly! ほのかは賢いなあ。理解が早くて助かるよ」
そんな阿呆な話をしながらも大作は山鳥の肉をまずは縦方向に薄く切って行く。
良く手入れされた包丁の切れ味は中々のものだ。然ほど苦労することもなく切り分けることができた。
続いて今度は横方向に切る。最後に包丁でトントンと叩いて叩いて叩いて…… ただひたすら叩き続ける。こうやって肉を細かく潰すように切って行くのだ。
この時、力加減は強めにしなければならない。力が弱いと肉を押さえつけるだけにしかならない。ちゃんと切れていないと何の意味もないのだ。
肉が完全に断ち切られているかどうかは手の感触で分かる。包丁が俎板に届いていれば手応えがまったく違うんだもん。
大作は両の手に包丁を持ち、左右交互に肉を叩き続ける。トン、トン、トン、トンというリズミカルな音が暫しの間、台所に響き渡る。
「これぞ二刀流! ってな。話は変わるけど日本の一般家庭でソーセージが食べられるようになったのは第一次世界大戦中からなんだとさ。例に寄って例の如くドイツ軍の捕虜から伝わったらしいぞ。ちなみにウィンナーを赤く着色したのや魚肉ソーセージを作ったのも日本なんだぞ。凄いことだと思わんか? な? な? な?」
「そ、そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど……」
曖昧な笑みを浮かべたほのかがこれっぽっちも興味無さそうに相槌を返してきた。
まあ、色気より食い気っていうしな。妙な薀蓄を聞かされるより早く食べたいって気持ちが先に立つのは分からんでもない。大作は十分に潰し終わったひき肉を手で摘んで小さな塊に小分けして行く。
「あとはこれをラップに包んで茹で上げれば完成だな。ラップ、ラップ…… って、ラップなんてないやんかぁ~!」
「何ぞ『らっぷ』の代わりになる物を探しなさいな。たとえば…… たとえば油紙とかじゃ駄目なのかしら?」
「どうなんじゃろな? 試しに何個かやってみるか? 『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ』って山本五十六も言ってるしな」
「ふ、ふぅ~ん。山本様ってそんなことも仰せになっていたのね。私めはちっとも知らなかったわ」
「まあ、元ネタは上杉鷹山の『してみせて、言ってきかせて、させてみる』なんだけどな。だけど『ほめてやらねば人は動かじ』って一言をくっつけた山本のセンスも見事なもんだろ?」
「見事なる扇子? それっていったいどんな扇なのかしら。一目で良いから見てみたいものねえ」
そんな阿呆な話をしながらも二人は手を休めない。丸めた油紙に山鳥のひき肉をぎゅうぎゅうに詰めると固く握って両端を紐で強く縛る。台所奉行が鍋に湯を沸かしてくれていたので箸で摘んで一個ずつ丁寧に投入する。
「どれくらい茹でれば良いのかしら? その辺りのことはスマホには書いていないの?」
「十分くらいみたいだな。でも、待ってる時間が勿体無い。これが失敗した場合の予備計画を考えておこうか。茹でるのが駄目な場合は蒸すのが良いのかな? レシピによれば三十分ほど蒸す場合も書いてあるし。他には油を引いたフライパンで転がしながら焼き目を付けていくって方法もあるらしいけど。これだったら油紙もいらないな。よし、みんなで手分けして準備しよう」
「分かったわ、大佐」
「御意! 某にお任せ下さりませ!」
残念ながらフライパンなんて便利な物は無いので浅めの鍋で代用する。油には貴重な貴重な荏胡麻油を分けて貰った。
そうこうしている間も大作は油紙ソーセージの浮遊するお鍋を菜箸でかき混ぜ続ける。なぜならばソーセージが鍋肌に決して触れないようにってレシピに書いてあったのだ。
笑いたければ笑うがいいさ。レシピには黙って従う。それが俺の処世術なんだからしょうがない。大作は誰に言うとでもなく心の中で嘯いた。
スマホのタイマーが十分間の経過を告げる。一日千秋の思いで待ち続けたソーセージの茹で上がり時間が漸く到来したのだ。
大作は菜箸を短めに持って一本ずつ丁寧にお湯から取り出すと笊へと移して行く。
「冷めるまで放って置く方が良いのかな? それとも流水で冷ます方が良いんじゃろか?」
「取り敢えずは一つ冷まして食べてみましょうよ。私めは気になって気になって他のことが手に付かないんですもの」
「某も同じ考えにございます」
全員の意見が一致した。大作は多数決を取らずに済んだことにほっと安堵の胸を撫で降ろす。
ほかほかと湯気を立てている一本を菜箸で摘むと水の入った椀に漬けてゆらゆらと動かす。こんなもんで十分なんだろうか? まあ、適当で良いだろう。
ほどほどに冷めるのを待って水から引き上げる。プラプラと振り回して水を切り手の平に乗せる。ほんのりとした暖かさが伝わってくるかのようだ。
引っ張って糸を外して油紙を開くと薄茶色の細長い鶏肉ミンチが姿を見せた。
これってソーセージというよりは『鶏つくね』なんじゃね? 大作は思わず口から出そうになった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
小皿に載せられた山鳥ソーセージを箸で三分割する。
「んじゃ、実食タイムと行きますか。拙僧は遠慮なく真ん中を…… 頂きまぁ~す!」
言うが早いか大作は手掴みで湯気を立てる肉塊を口に放り込む。ほのかも一瞬遅れて後に続く。台所奉行は残り福とでも言わんばかりに最後に残ったソーセージを食べた。
「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」
「あら、大佐。『!』が半角になってるわよ。いつも全角を使うのに珍しいのね」
「これは定型文だからしょうがないんじゃよ。ちなみに『ハムッ』と『ハフハフ』の間が読点じゃなく全角スペースなのも原文を忠実に再現するためなんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。物を食べる時っていうのは存外と大変なのねえ」
「そりゃそうだよ。モノを食べる時はね。誰にも邪魔されず、自由でなんというか。救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」
「うわらばっ!」
突如として大作が台所奉行にアームロックを決めに行った。かわいそうなおっちゃんは目を白黒させて悲鳴を上げることしかできない。
「ご、ご、御本城様。藪から棒に如何なされました?」
「失敬失敬、これもお約束でしてな。んで、油紙ソーセージのお味はお気に召して頂けましたかな?」
「やや塩気が強すぎたのではござりませぬか? いま少し塩を減らした方が宜しゅうございましょう」
「そ、そうですか? では少しばかり塩分を控えると致しましょうか。その方が健康にも良いですしな。あと、油紙は止めておきますか? 何だか妙な風味がしますし。その代わりにこれ。この竹筒を使ってみましょう。これならば繰り返し使えてとってもエコロジーですしね。ほのか、油で炒めた方はどうじゃろな? 試食できそうか?」
「うぅ~ん、どうかしら。もそっと火を通した方が良いかも知れんわね」
そんなこんなで三人は夕方まで山鳥ソーセージの試作品作りに邁進した。
数刻後、座敷に戻った大作たちはスタッフ一同を交えて山鳥ソーセージの試食会を兼ねた夕餉を頂いていた。
お園がずらりと並んだ皿の上から一本のソーセージを箸で摘んで口元へと運ぶ。
ゆっくりと時間を掛けて咀嚼すると暫しの沈黙の後、小首を傾げながら言葉を発する。
「私は揚げた物や煮た物、炒めた物よりも蒸した物が一際に美味しかったわね。脂の具合が程良い塩梅だったのよ。まあ、他のだって決して不味いわけじゃないけれどね」
「そうかそうか。そりゃあ良かったよ。んじゃ、今後は蒸したソーセージが本命だな。ただし他のタイプの改良も進めて行こう。だって、色んなバリエーションがあった方が食生活が豊かになるしさ。みんなもそれで依存は無いかな?」
薄ら笑いを浮かべた大作は座敷に集う一同の顔をぐるりと見回す。見回したのだが……
ガラスの仮面を被った女優の白目かよ! 女性陣たちは揃いも揃って刺すような鋭い目付きで睨みつけてくる。
どげんかせんと…… これはどげんかせんといかんぞ。大作は頭をフル回転させる。
しかし何も思いつかなかった!
「もしかしてソーセージはお気に召さなかったのかな? だけどもこれはあくまで試作品なんだぞ。研究開発を進めればもっともっと美味しいソーセージを提供することが可能なんだ。もちろん十年後、二十年後ということも可能なんだけどさ。とにもかくにもTrust Me! お願いだ、俺にもう一度チャンスをくれ。いや、下さい。お願いしまぁ~すっ! よ、四つん這いになればチャンスを貰えるんですね?」
理由は見当も付かないが怒っている相手には三十六計謝るに如かずだ。ひたすら誠意を見せて謝れば全ての問題は解決するはず。っていうか、しないと困っちゃう。主に俺が。
大作は恥も外聞も投げ捨ててひたすら額を畳に擦り付ける。摩擦熱で額を火傷しそうだ。
だが、萌から返ってきた言葉は予想外のものだった。
「あのねえ、大作。ほのかに空中戦闘機動を教えるって話はどうなっているのかしら? さぱ~り進んでいないみたいなんだけど? 本番まであと十日…… 今日はもう終わっちゃったから残りは九日しかないのよ。ちゃんと分かってるんでしょうねえ?」
「某も其れを案じておりました。すでに方方に告知して周り、チケット販売の出足も好調にございます。其れが今更、開催出来ぬとなれば大事にございまするぞ」
「私たちも会場の設営で身を粉にして働いているのよ。もしもこれが無駄になんてなったら決して許さないんですからね」
「内々の儀も大事なることなれど豊臣方からも卑怯者の誹りは免れますまい。斯様な事になれば北条家末代までの恥にございますぞ。如何なるお考えにございまするか。御本城様!」
「いや、あの、その……」
何にも考えていないんですけど。そんな本音を言ったらみんなどんな顔をするんだろう。想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢する。
その表情から全てを察してくれたんだろうか。萌は小さく溜め息をつくと宣言するかのように一方的に話し始めた。
「私は椎田萌だ! 緊急事態につき現時刻を持って私が臨時に航空大決戦の指揮を執る。ほのか、あんたは明日から缶詰で座学よ。今日一日無駄にした分を取り戻さなきゃならないんですからね」
「わ、分かったわ……」
「それから大作。あんたは絶対に邪魔しちゃ駄目よ。無論、ほのか以外にもちょっかいを出さないでね。手伝えだなんて贅沢は言わないわ。せめて邪魔だけはしないで頂戴な。分かったわね?」
「いや、俺は邪魔するつもりなんて毛頭……」
「わ・か・っ・た・わ・ね!?」
「わ、分かりました……」
蛇に睨まれた蛙っていうのはこんな気持ちなんだろうか。あるいは猫に追い詰められた鼠とか。
だけども窮鼠猫を噛むって諺もあるぞ。だったら窮蛙蛇を噛むって諺もあったら面白いのになあ。
そんな阿呆な考えに現実逃避する大作を無視してスタッフ一同は真剣に航空大決戦の予定を組み直していた。




