巻ノ参百弐拾弐 やられたらやり返せ の巻
ドッキリ大作戦から一夜明けた天正十八年四月十九日(1590年5月22日)の朝、大作たちは今日も今日とて普段と変わらぬ馬鹿げた日常を送っていた。
「なあなあ、お園。俺、氏政にドッキリの仕返しをしようかと思うんだけど何か良いアイディアは無いかなあ?」
「あのねえ、大佐。復讐は何も生み出さないって言うわよ。それとも『やられたらやり返す、倍返しだ!』とでも思っているのかしら?」
「いやいやいや、ゲームの理論的には『しっぺ返し戦略』が最善らしいぞ。だってやられっぱなしじゃ舐められちまうだろ? 取り敢えずはこっちからも反撃できるってことを示しておくことが重要なんだとさ」
「ふ、ふぅ~ん。んで、大佐はいったい何をどんな風にやり返すつもりなのかしら? 詳らかに教えて頂戴な。さあさあ、早く早く!」
お園は食べかけのご飯茶碗を膳に戻すと両の手のひらをヒラヒラと揺らめかせた。大きな瞳をキラキラ輝かせ、興味津々といった表情を浮かべて詰め寄ってくる。
「あのなあ! だからそれを相談してるんだろうに…… 俺が騙されたのは北条が負けそうだってネタだったよな。それにやり返すっていうと同じネタをスケールアップしてみるっていうのはどうじゃろか? それよか反対に北条が豊臣に圧勝するっていうのもアリかも知らんけどさ。まあ、それだと予定通り過ぎるからドッキリでも何でも無いんだけども」
「大佐は御義父様を思ひ驚かせようとしてるんでしょう? だったら同じネタは駄目なんじゃないかしら。いくらボンクラな御義父様でもきっとすぐに気付いちゃうと思うわよ。かといって北条が勝つだなんて当たり前のことをやるわけにも行かないしね。戦とは違ったことで何ぞ面白いネタは無いものかしら。あんたたちも良いアイディアを出して頂戴な。さあさあ、ほれほれ!」
お園は全員の顔を見回しながらちょっと早口でまくしたてる。だが、誰一人として積極的に意見を返してくれる者はいない。
こちゃあ駄目かも分からんな。大作は茶碗に残ったご飯を頬張ると吸い物を口に含んで飲み込んだ。
食器を部屋の隅っこに片付けると人数分のお茶を淹れ、バケツリレーのように全員に回す。
食後のデザートに干し柿を食べながら一同はブレインストーミングを続ける。続けたのだが……
下手な考え休むに似たり。何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。これぞ正に小田原評定だな。大作は小さく溜め息をつくと会議の終了を宣言した。
部屋に籠もってるより外に出た方が気分転換になるかも知れん。そう考えた大作はお園と美唯を連れ立って城下に足を運んだ。
「ヒトを騙す時はね、誰にも邪魔されず…… 自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」
「それってどゆこと?」
「エマニュエル・カントなんて糞喰らえってことさ。すぐに結果が明かされる嘘っていうのは冗談の延長みたいなもんだろ? 騙された当人に楽しんでもらえるならばそれで良いんじゃよ」
「ってことは御隠居様が楽しめるかどうかが大事ってことよね? だけども、騙されて楽しいってどんなことなのかしら。美唯、騙されて楽しかったことなんて思いつかないんだけどなあ……」
顰め面を浮かべた幼女は小首を傾げる。猜疑心で一杯の視線を向けられた大作は心が折れそうだ。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。数歩先を歩いていたお園がくるりと振り返って口を開いた。
「だったら大量の小ネタを集中投入するのはどうかしら? 質より量で勝負するの。これなら一つや二つ外れたところでどうとでもなるわ。きっとどれかが必ずや引っかかるはずよ。ドッキリ百連発! これでどうよ!」
「どうよって言われてもなあ…… 仰天ハプニング百五十連発みたいな感じにやるっていうのか? だけどもアレは放送時間が二百五十八分もあったからできたことだぞ。仮に百連発だとすると…… 二時間くらいは掛かるんじゃね? 準備にはそれの何倍、何十倍も掛かりそうだしさ」
「それはみんなで手分けすればどうにでもなるんじゃないかしら。大佐と私、それから藤吉郎、美唯、萌、サツキ、メイ、ナントカ丸…… 八人もいるんですもの。一人当たりにすれば十二個か十三個だわ。なんくるないさぁ~!」
「そ、それもそうだな。よし、そうと決まれば善は急げだ。氏政を騙くらかすぞぉ~!」
「おぉ~っ!!!」
大作、お園、美唯の三人は本丸御殿へ向かってダッシュで駆け出す。駆け出したのだが…… ナントカ丸に捕まってしまった!
前方から小走りで駆けてきた幼い小姓はちょっと慌てた顔をしている。
「おお、御本城様! 此方におられましたか。随分とお探し致しましたぞ」
「どしたん、ナントカ丸。そんなに慌てて。猫が卵でも産んだのか?」
「えぇ~っ! 小次郎って雄よね? それがどうして卵なんて産むのよ! もしかして小次郎は雌だったのかしら? だったら名前を付け間違えちゃったわ。雌猫に小次郎だなんて……」
「いいえ、美唯。小次郎って名前を付けたのは風魔小太郎様よ。文句があるならあのお方に言っておやりなさいな」
「いや、あの、その…… お園様、美唯は文句なんてこれっぽっちも言ってないわよ。ただ、雌猫に小次郎っていう名前を付けるのはどうなのかなあって思っただけで……」
鬼みたいな風体の巨人に面と向かって文句を言う勇気なんて美唯には無いらしい。言い難そうに言葉尻を濁すと幼女は黙り込んでしまった。
一同が沈黙するのを待っていたかのようにナントカ丸が話に割り込んでくる。
「御本城様、宜しゅうございますかな? 小次郎は卵なぞ産んではおりませぬぞ。其れよりも急ぎの御用がございます。織田信雄様の御家来、岡田利世様と申すお方が参られております。御本城様への御目通りを願い出ておられますが、如何致しましょうか?」
「岡田利世って誰だっけ。そんな奴いたかなあ。ググっても出てこないぞ。いやいや、小田原征伐の項目にいたようないなかったような…… あったあった! 織田信雄の家臣、岡田利世が六月七日に小田原城に入って氏直と二日間に渡って面談したんだとさ。これって例えるならば勝海舟と西郷隆盛みたいなイベントかな? それとも単身、飛行機でドーバー海峡を超えててイギリスへ行き、和平交渉を持ちかけたヘス副総統みたいな?」
「だけども今日は四月十九日よ。一月半も早いわね。何ぞ急ぎの用でもあったのかしら?」
「用があるから訪ねてきたんだろ。用も無いのに物見遊山で敵の総大将に会いに来るなんて奴がいたらびっくりだぞ。取り敢えずまあ話をしてみるか。どうせ暇してたんだし」
一同は足早に本丸御殿へ向かって歩みだす。だが、彼らの脳裏からは仰天ハプニング百五十連発のことは綺麗さっぱり消えていた。
本丸御殿まで進んで行くと入り口の手前で川村秀重がやきもきした様子で右往左往している。
このおっさん、いい歳して何を狼狽えているんだろう。肝っ玉の小さい奴だなあ。大作は内心で嘲り笑うが決して顔には出さない。卑屈な愛想笑いを浮かると揉み手をしながらぺこぺこと頭を下げた。
「政四郎殿、如何なされましたかな? まるで迷子のキツネリスみたいですぞ」
「おお、御本城様。漸う参られましたか。岡田利世殿なれば次の間にお通ししてございます」
「左様にございますか。しかし何か心配ごとでもあるんですかな? 見るからに慌てふためいているみたいですけど?」
「今は戦の真っ最中にございますぞ。斯様な頃合いに敵方の御使者が訪ねて来たことを皆が訝しんでおります。城下においては其処彼処で北条と豊臣が和議を結び、城を明け渡すとの噂が流れておるような。お陰で足軽雑兵から民草まで皆が皆、怯え惑っておりまする」
捨てられた子犬みたいな目をした川村秀重は上目遣いに顔色を伺う。
大作は『知らんがなぁ~!』と心の中で絶叫すると吐き捨てるように呟いた。
「タイミングずれの和平交渉が何になりましょう? 向こうの意図はどうあれ、この状況で戦を終わらせるつもりは毛頭ありません。政四郎殿、要らぬ心配をしておる暇があるのなら帰って戦支度でもするが宜しかろう」
「そ、其れを聞いて安堵致しました。兵どもも心安らぐことにございましょう。然らば某は此れにて御免」
頭を深々と下げると川村秀重は小走りで立ち去る。
『馬鹿共には丁度良い目眩ましだ!』
大作は心の中で毒づいた。草履を脱いで丁寧に揃えると早足で座敷を目指す。目指したのだが……
隣を歩くお園が着物の袖口を軽く引っ張るとちょっと遠慮がちに話しかけてきた。
「ねえねえ、大佐。政四郎様は岡田利世様を次の間にお通ししているって言ってたわよねえ。だけども次の間って今はプロジェクトチームの部屋になってるんじゃなかったかしら。見られたら困る極秘情報とかが山盛りになってるはずよ」
「そうだっけ? そうだったかなあ。まあ、どうでも良いんじゃね? いざとなれば風魔の連中が何とかしてくれるだろうし。途中で蒸発することはよくあることだ」
大作は込み上げてくる内心の不安を無理矢理に抑え込んだ。
本丸御殿の廊下を歩いて座敷へ戻る。当主氏直の自室では氏政が見知らぬ中年武士の相手をしていた。
こいつが織田信雄の家臣、岡田利世とかいう輩なんだろうか。大作は部屋の奥にある自分の席へと歩を進めながら客人に声を掛ける。
「お待たせして申し訳ありませんな、岡田利世殿。できたら今度からはアポを取ってから来て下さるようお願い致しますよ。拙僧も暇ではございませんので」
「おお、新九郎。漸く参られたか。お主がおらなんだで儂が相手をしておったぞ」
「父上が相手をして下さいましたか。そいつはすまんこってすたい。んで、岡田殿。今日はいったい何の御用で参られましたかな?」
座布団の上にどっかと腰を降ろしながら大作はなるべくフランクな口調で話しかけた。
だが、例に寄って例の如く思わぬお園から鋭い突っ込みが入る。
「フランク? それって情け立たないってことかしら? それが何でフランクなの? 私、その言葉の故を知りたいわ」
もしかしてこいつ、知らない言葉に突っ込まなきゃいけない呪いにでも掛かってるんだろうか。大作は苦虫を噛み潰しながらも言葉を選んで一言一言話始めた
「え、えぇ~っと…… その名もズバリ、フランク王国っていう国が五世紀後半の西ヨーロッパに成立したんだ。んで、そのフランク族って連中がとってもフランクな…… ざっくばらんと言うか遠慮会釈も無いというか。とにもかくにも和気藹々とやってたんだとさ。んでもって……」
大作たちはいつもに増して、じゃなかった。いつにも増して言語明瞭意味不明瞭な遣り取りを続ける。
下座で平伏している岡田利世は顔を上げるタイミングを失って頭を下げ続けることしかできなかった。




