巻ノ参百弐拾壱 小田原最後の日 の巻
四月十六日未明、皆川広照の裏切りを切っ掛けに始まった東部戦線の崩壊はたったの二日間で思いもしない急展開を見せようとしていた。
当初、二週間は持ち堪えられると期待されていた壬生城、鹿沼城があっけなく落城。大道寺や和田といった信頼していた武将たちが次々と離反。当てにしていた川村秀重がまさかの出撃拒否。頼みの綱だった御馬廻衆のサボタージュ、エトセトラエトセトラ…… 今や小田原城の周辺は末期戦の様相を呈していた。
「近接支援に空軍機を出せんのか? 敵は目の前に迫っているはずだ。それなら航続距離の短さも問題にならないんじゃね?」
「口惜しい限りだけど手遅れよ。つい今し方、酒匂川の西岸に作った仮設飛行場が敵の手に落ちたわ」
「いやいや、俺たちの攻撃機はゼロ距離発進が可能なはずだぞ。そのために苦労してロケット補助推進離陸まで作ったんだもん。いま使わんでいつ使うというのだ? 今でしょ!」
大作は固く握りしめた拳を振り上げて絶叫する。だが、馬耳東風といった顔のお園は右から左へ聞き流しているようだ。人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると気のない返事を返してきた。
「あのねえ、大佐。それだと離陸はできても着陸ができないじゃないの。それとも何かしら。もしかして片道飛行の特攻作戦でもやれって言うのかしら?」
「いや、あの、その。だったら…… だったらもう、帰還に際しては機体を捨ててパラシュート脱出すれば良いんじゃね?」
「パラシュートなんて作っていないでしょうに! そも、私たちの航空機は腹這いで乗るように作られているのよ。飛行中に脱出なんてできる筈も無いじゃないの」
「う、うぅ~ん。しょうがないなあ…… 誰か特攻作戦に志願する者はいないかな? 死んで護国の鬼になりたい奴がいたら遠慮なく申し出てくれ。死後は二階級…… いや、三階級特進を約束しよう。きっと楽しいぞぉ~!」
おどけた声を上げながら大作は女性陣の顔色を一人ひとり伺う。だが、誰一人として目を合わせようともしてくれない。
これはもう駄目かも知れんなあ。ことここに至っては覚悟を決めるしかなさそうな。
「よし、分かった! この戦はもうお終いだ。どうせ勝ち目なんて万に一つも残っていないしな。時間の無駄にしかならんからとっとと終わらせて次に進もう。そうなるとどうやって終わらせるかが問題だな」
「終わらせるっていっても、どうやって? 大佐には何ぞ良い考えでもあるのかしら?」
「どうせ負けると決まった戦だ。こうなったらせいぜい派手に終わらせるとしようじゃないか。俺の案は三つあるぞ。まずプランAは俺とお園が結婚式を挙げてすぐに自殺するっていう案だ。ヒトラーとエヴァ・ブラウンみたいでとってもロマンチックだろ? プランBは国外逃亡だ。チャウシェスク大統領夫妻やルイ十六世とマリー・アントワネットみたいにな。んで、途中で捕まって最後は殺される。ムッソリーニみたいに逆さ吊りになるのも良いかも知れんぞ。そして真打ち登場。俺のお勧めはプランCだ。ドゥルルルルル~ ジャン! 大本営に宛てて訣別電報を発した後、俺が自ら陣頭に立って全軍突撃でしたぁ~! 硫黄島の栗林中将みたいな感じだな」
「どれもお終いには死んじゃうのね。死なずに済ませるやり方は無いのかしら?」
どうやらお園は死にたくない派なんだろうか。随分と不満気な表情を浮かべて唇を尖らせている。
それに比べると他の女性陣は丸っきり無関心といった顔だ。これっぽっちも興味が無いという態度を隠そうともしていない。
まあ、本当のことを言えば大作にだって心の底からどうでも良い些事なんだけれども。
「あのなあ、お園。人間っていう生き物は誰だって最後は死んじまうんだぞ。歴史上の偉人って大抵は最後に死んじゃうだろ」
「そうかしら? 死んだかどうだか分からないお方だって大勢いらっしゃるわよ。さっきの栗林中将だってそうじゃない」
「いやいや、いくらなんでも生きてるはずが無いだろ。そういうのはMIAっていうんだ。『作戦行動中行方不明』とか『戦闘中行方不明』って奴だな。ちなみに戦死が確認されるとKIAだし、捕虜になった場合はPOW、脱走兵はAWOLって具合でいろいろとあるんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。まあ、栗林中将に限って捕虜になったり敵前逃亡してるなんてことはありそうに無いものね。分かったわ。それじゃあ話を続けて頂戴な」
お園は鷹揚に頷くと目線で先を促した。大作は念の為に全員の顔を見回すが取り立てて意見を言いたい者はいないらしい。全員が全員、揃いも揃って興味無さそうな表情をしている。
「そんじゃあ決を取るぞ。プランAに賛成の人は……」
「決を採るが正しいんじゃないかしら。だって採決って言うでしょう?」
「そ、そうだな。んじゃあ決を採るぞ。プランAに賛成の人は……」
「ちょっと待って頂戴な、大佐。それぞれの案についていま少し詳らかに話を聞きたいわね。質疑応答の時間を作ってもらえないかしら?」
口調こそ丁寧だがお園の言葉には有無を言わせぬ迫力がある。こういう時は逆らわない方が無難だな。大作は小さく溜め息をつくと手振りで先を促した。
「それじゃあ、まずはプランAからよ。確か自害するって話だったわね。どうやって自害するのかしら? 私、痛い死に方は嫌なんだけれども?」
「美唯も! 美唯も痛いのは嫌よ!」
「私も痛いのは真っ平御免の助よ!」
「某も! 某も痛く無い死に方が宜しいかと存じます!」
今度は『痛いの嫌だ』競争かよ。まあ、俺だって痛いのは嫌だけどさ。大作はスマホを起動すると『アドルフ・ヒトラーの死』について調べる。
「えぇ~っと…… シアン化合物(青酸カリ)のカプセルを飲み込みながらワルサーPPKの7.65mm(32ACP弾)仕様で右のこめかみを撃ち抜いたらしいな。ちなみにこのやり方をヒトラーに教えたのはナチ武装親衛隊のヴェルナー・ハーゼ中佐っていう軍医だったそうだ。とは言え、32口径の拳銃弾なんて非力だから下手すると頭蓋骨で滑って貫通しないかも知れんぞ。やるなら口に咥えて撃った方が良いかも知れんな。まあ、その為の保険として青酸カリも飲んだんだろうけど」
「そうなると青酸カリも入用になるわね。そも、拳銃も無いわよ。火縄銃を代わりに使うことになるのかしら?」
「それしかないな。ただしその場合は足で引き金を引かなきゃならんぞ。そうじゃなきゃ紐か何かで引っ張ってやるとか。どっちにしろあんまり格好は良くないな」
「そうねえ。私も見栄えが良く無いのは嫌だわ。この案は一旦保留にしましょうか。それじゃあお次はプランBよ。確か逃げる途中で捕まるんだったかしら?」
お園は小首を傾げると目線で先を促してくる。
何だか取り調べでも受けてるみたいだなあ。大作は折れそうな心を無理矢理に奮い立たせるとわざとらしいくらいに明るい声音で返した。
「チャウシェスク大統領夫妻はヘリで逃げようとしたけど途中から装甲車に乗り換えたみたいだな。フランス国王夫妻の場合は馬車を使ったらしいぞ。家財道具を山ほど積み込んだせいでスピードがちっとも出なかったそうな」
「馬車? それって馬で引く牛車みたいな物だったわね。牛車より速いけれど随分と乗り心地が悪いんだとか何とか」
「そうらしいな。十七世紀には板バネのサスペンションが実用化されて少しはマシになるんだけどさ。でも、ヨーロッパ中を演奏旅行していたモーツァルトも当時の馬車の乗り心地の悪さに閉口していたんだっけ。ってことはやっぱり空気入りゴムタイヤの実用化が望まれるところだな」
大作はスマホでダンロップが発明した空気入りタイヤの画像を探して表示させる。
だが、画面にチラリと目をやったお園は相変わらずの顰めっ面を崩さない。
「うぅ~ん、空気入りゴムタイヤは難しそうね。そうなるとプランBも一旦保留じゃないかしら。んで、プランCは…… 大本営に訣別電報を発してから敵に攻め込むんだったわね。あら、私たちは何処に宛てて訣別電報を打てば良いのかしら?」
「どこでも良いんじゃね? どうせ死んだらこの世界ともおさらばだしな。閃いた! こうなったら三つの案をごちゃ混ぜのてんこ盛りにしちゃったらどうじゃろう。まずは二人でささやかな結婚式を挙げる。んで、大本営に訣別電報を打った後に豊臣の本陣に突撃だ。だけども目前で島津義弘みたいに華麗な東郷ターンを決めて逃亡する。最後は追い詰められ、毒を飲んで鉄砲で自殺だ。どうよ?」
「どうよって言われても…… 私、なんだか死ぬほどどうでも良くなってきたわ。後のことは皆で話し合って決めてくれるかしら。決まったら教えてね」
お園の声音が徐々に低く深く沈み込んで行く。それと比例するかのように表情から興味の色が急速に消えてしまった。
今度という今度こそ年貢の納め時かも分からんな。とうとう大作は潔く白旗を上げる決意を……
その時、歴史が動いた! 廊下を歩く足音が近付いてきたかと思うと急に勢い良く障子が開く。慌てて振り返った大作の目に飛び込んできたのは見知った顔だった。
「父上ではござりませぬか。如何さなれましたかな?」
「新九郎、此れを見よ!」
ドヤ顔で顎をしゃくった氏政が『勝訴』とでも言いたそうな手付きで紙切れを掲げる。A4より一回り大きいくらいの堅紙だ。
だが、例に寄って例の如く達筆すぎて何が書かれているのかはさぱ~り分からない。いやいや、分かりたくもないんですけど。
「い、いったいぜんたい何ごとですかな? 父上」
「此れか? 此れは『ドッキリ大成功!』と書いてあるのじゃ。どうじゃ、参ったか!』
悪戯っぽく瞳を輝かせた氏政が人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。
な、なんだってぇ~! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。出していないつもりだったのだが……
「あの、その、いや…… ひょっとして皆もグルだったりするのか? もしかして佐竹と宇都宮が攻めてきたっていうのは嘘? って言うか、皆川広照の裏切りもフェイクニュース? そもそも豊臣との戦も全部が全部、真っ赤な嘘っぱちだったのか? いや、もしかするとここが戦国時代っていうのからして嘘だったりして? いったい俺は、俺たちは何を…… 何を信じれバインダ~!」
それほど広くもない座敷の中に大作の絶叫が轟き響く。
それを丸っきり無視するかのようにお園も一同に向かって話しかけた。
「はいはい。撤収、撤収。ドッキリは成功してこそ華。失敗すればただの泥。失敗したドッキリに拘ってもしょうがないわ。次こそは必ずや成功させましょうね。部屋を変えたらすぐに次のドッキリの評定を始めるわよ。さあ、御義父様もご一緒にいらして下さいまし」
まるで牧羊犬に追い立てられる羊みたいに一同が座敷を大移動する。
たった一人だけ、ぽつ~んと取り残された大作は黙って唇を噛み締めることしかできなかった。




