巻ノ参拾弐 ブレインストーミング の巻
翌朝、朝食を終えると宗達が入船納帳という大福帳のような物を持って来た。
パラパラと捲って見るが気が遠くなりそうな量だ。一年で四、五千隻くらいありそうだ。
とてもじゃないが一日で全てを集計するのは無理だ。大作はとりあえず先月の一ヶ月分を集計することにした。
廻船問屋が把握している範囲で海難事故の記録を纏めた物も合わせて渡された。
重要機密データなのだろうが会合衆が頼めば何とかなる物らしい。
「くれぐれも取り扱いにはお気を付けて頂きますようお願いいたします」
宗達は何度も何度も念を押した。
「大船に乗った気持ちでご安心下され。船だけに」
まあ忍者が二人もいるんだから大丈夫だろうと大作は思った。
例に寄って大作には何が書いてあるのか読めない。何とかして崩し字を読めるようにならないと字の読めない奴だと思われてしまう。
お園はともかく藤吉郎に見下されるのだけは避けたいものだ。
「凄い量だけど五人もいるんだ。手分けすれば何とかなる。頑張れ! 頑張れ! 出来る! 出来る! 皆なら絶対出来る!」
「大佐は今日もご機嫌ね」
お園は苦笑いしているが他の三人は唖然としている。こりゃいかん。このままじゃ溝ができちまう。あれをやろうと大作は決意する。
「みんな右手を重ねろ。その上に左手だ。いくぞ、ラピュタ王国! ファイト! オー! ファイト! オー! ファイト! オー!」
お園と藤吉郎はやったことがあるがサツキとメイは狐につままれたような顔をしていた。
まず船籍地に番号を振った。お園が入船年月日、積荷の種類、数量、関料、納入年月日、船頭の名、問丸(保管倉庫業者)の名など必要と思われるデータを読み上げる。大作は楷書で短冊に記入した。藤吉郎が細かく分類して束ねて行く。
サツキとメイにしばらく見学して手順を覚えてもらう。その後、藤吉郎も読み上げに回ってもらいサツキとメイが記入に回る。大作は楷書で記入するよう二人に念押しした。
大作は分類係に回る。一分一件のペースで並列作業すれば一時間に百二十件処理できる。四時間足らずで今年三月分データのカード化が完了した。
続いて遭難船舶に関するデータ集計だ。廻船問屋から提出された海難事故に関するリストから対象期間のデータを拾う。
集計して分かったことは思っていたより海難事故が少ない。沈んだ船に関するデータの正確性に問題がありそうだ。よく考えたら海難事故のせいで経営破綻した廻船問屋からはデータが入手出来ないんじゃないだろうか。この辺りに関しては現場の意見も聞く必要がありそうだ。
何にせよ事故率は絶対に過小評価されそうだ。初年度に関しては保険料を高めに設定して余剰金が出たら返金するのが良いかも知れない。
「お疲れさん。お茶でも飲んで一服してくれ」
大作が台所に頼んでお茶を入れてもらった。みんな唖然としている。そういえば女中さんも変な顔をしていた。
この時代、気軽にお茶を飲む習慣は無かったのだろうか? でも室町時代に路傍で煎茶一服を銭一文で飲ませる移動販売の茶屋があったって書いてあったぞ。
違う! これ煎茶じゃないぞ。抹茶だ。随分と高価な物なんじゃないだろうか。後で宗達に謝らないと。
念のためスマホで調べてみるが当時の煎茶は現代とは違って番茶を炒って煮詰めた物らしい。色も濃い茶色をしていたそうだ。
大作は茶碗を台所に返しに行ったついでに女中さんに平身低頭で謝る。抹茶じゃなくて煎茶が欲しかったんだと弁解するのも忘れない。
「さあ、次はデータ分析だな。船の大きさに関するデータは無いから積荷の量で判断するぞ。まずは塩、米、木材、その他に分類。それをさらに大中小に分類して関料を集計。それをグラフ化しよう」
五百枚ほどのカードを人海戦術で分類する。大作がスマホの電卓で集計するが使い難い。こんなことなら本物の電卓も用意しておくんだった。
まあ足し算だけなら算盤の方が速い。どっかで早めに調達しようと大作は頭の中のto do listに書き込んだ。
いろいろ書き込んだような気がするが最初の方の記憶が朧げだ。スマホに入力しておけば良かったと後悔してももう遅い。
一段落付いたところで大作たちはまた一休みする。昼を過ぎているが昼食は無い。何にも無いのは寂しいので台所に頼んで白湯を入れてもらった。
おやつ代わりにカロリーメイトでも食べることにする。好きな物を後に残す主義の大作は迷わずプレーン味を選ぶ。不味い訳じゃ無いんだけど味が無いのだ。
それにしても四本を五人で分けるってなかなか大変だ。大作がナイフで四本を五個に切り分けて四個ずつ食べた。
「前に食べたのより美味しいわね。これなら時々なら食べたいわ」
「長靴一杯だろ。残念ながらこの味はこれでお終いだ。でもあと三種類あるから楽しみにしとけ」
お園にはこんな味の無い物がチーズ味より美味しいのか? 信長の料理人のエピソードで京の薄味が口に合わず、田舎の濃い味を好んだって話があったっけ。まあ塩分を取り過ぎても碌なことは無いと大作は納得する。
おやつまで振る舞ったというのにみんな疲れ果てたって顔をしている。大作は発破を掛けた方が良さそうだと思った。
「みんな聞いてくれ。Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration. 一パーセントのひらめきがなければ九十九パーセントの努力は無駄である。偉大な天才発明家トーマス・エジソンの言葉だ。努力は必ず報われるとは限らない。だけど努力しないと成功は無い。明後日の評定は堺の、そして伊賀の未来に重大な影響を及ぼすだろう。このプレゼン資料の出来如何でその結果が変わるかも知れん。もう一踏ん張りして欲しい」
「そんなに大事なことだったのね。いったい何をさせられているのかと思ってたわ」
「そういうのは先に言って欲しいわ」
サツキとメイが控えめに不満を口にした。
『ですよね~』と大作は心の中で激しく同意する。
『目的があれば人は努力できる』って言葉があったけど目的が無ければ普通の人は根気が続かないのだ。
宇宙飛行士選抜試験の白いジグソーパズルや千羽鶴もそういう極限状態での反応をチェックしているのだろう。
何の説明も無く六時間も単純作業をやらされたら普通は嫌になる。それでも集中力を切らさず正確に作業していた。流石は忍者だと大作は感心する。
「私も説明くらい先にすれば良いのにと思っていたわ」
「某たちは一昨晩に教えて頂きましたがお二人は何もご存じ無い様子。流石にお気の毒にございます」
お園と藤吉郎も同意する。『だったら先に言えよ! 俺が悪いみたいじゃないか』と大作は心の中で愚痴る。
いっそ逆ギレしてやりたいがここで怒っても何の得にもならない。下手したら全員を敵に回してしまう。大作は素直に謝る。
「申し訳ございません。今度から気を付けます。でもみんなも分からないことがあれば気軽に聞いてくれ。今みたいに後から言われても困るぞ」
「そうね。思ってることは何でも遠慮せずに話すって約束したわよね。私も悪かったわ」
「お顔をお上げ下され。気付いておりながら何も申し上げなかった某が悪うございました」
大作はまた反乱かと肝を冷やしたが、腹を割って本音で話せば案外丸く収まるものだ。
サツキとメイが遠慮がちに言う。
「別に不満があったわけじゃ無いわよ。主命とあらば故無きとも事に当たるわ」
「我らは忍び。要無しは知らしむなかれ」
Need not to know.って言いたいのだろうか? 全然違うんだ。大作としてはコミュニケーションの重要性を理解して欲しいのだ。
「そんなんじゃYESマンの社畜じゃないか。伊賀ではそれで良かったのか知らんがここではそれじゃあ通用せんぞ。いいか、人間は『知っていること』よりも『知らないこと』の方がずっと多いんだ。自分の頭で考えすぎるな。分からんことは何でも聞いて良いんだ」
「前に某に言われたことと正反対ではござりませぬか?」
「お前は臨機応変って言葉を知らんのか!」
これぞ見事な逆ギレだ。それはともかく、いくら時間が無いとはいえ焦り過ぎたと大作は反省する。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』という山本五十六の言葉がある。
まずはじっくり信頼関係の構築から始めるべきだった。遠慮なくお互いに意見が言えるようになる必要がある。
過ちては改むるに憚ること勿れ。丁度良い。これからの作業でそれをやろうと大作は思った。
「今からブレインストーミングをやるぞ。テーマは集計結果を如何にして見やすくグラフ化するかだ。ルールは四つ。すぐに結論を出さない。変わったアイディアを出す。とにかく沢山アイディアを出す。人のアイディアに便乗する」
「て~まはお題、る~るは規則、あいでぃあは考えってことね。ぐらふって何?」
お園が解説してくれたので大作はグラフを説明するだけで済んだ。タカラ○ミーのせ○せいに絵を描いて棒・折れ線・円などのグラフを説明する。
大作としては三次元の棒グラフで良いんじゃないかと思っていたが結果はどうでも良い。みんなで自由に意見を言い合える関係を作る方が大事だ。
藤吉郎はアイディアマンらしく積極的に意見を出す。だが大作としてはサツキとメイ、特に気難しそうなメイに積極的に参加して欲しい。
大作は藤吉郎にメイを立てるよう耳打ちする。お園は言われなくても大作の気持ちを汲んで適当にセーブしてくれた。
日が傾くころ、縦方向の積み上げ棒グラフが選ばれた。意見が少し割れたが大作が上手く誘導してメイの意見を多数取り入れることができた。
「みんな良くアイディアを出してくれた。おかげで素晴らしいグラフが出来たぞ。明日も頑張ってくれ。それじゃあ美味い夕飯を食べに行こう」
相変わらず固い表情のメイだが大作にはほんの僅かに表情が緩んだような気がした。
夕飯は昨日に比べるとずいぶんと和やかな雰囲気だった。
お園は大作との道中の出来事を面白可笑しく話して聞かせた。尾張国の周辺しか知らない藤吉郎、伊賀国の周辺しか知らないサツキとメイには物凄い冒険譚に思えているようだ。
ただ、心肺蘇生のエピソードだけはお園の中で完全に無かったことにされているらしい。大作はお園の心の深淵を覗き込んだような気がして少し怖くなった。
寝室に戻った五人は間仕切りの襖を開けて世間話に興じる。大作は作業の続きをやろうかとも思ったがせっかく良い雰囲気なので止めておいた。
床に就いた大作はサツキとメイを仲間にして良かったと心底から思った。




