巻ノ参百拾九 見ろ!太陽を の巻
ナントカ丸によってもたらされた八幡山天文台完成のニュースにお園は狂喜乱舞する。だが、同時に届いた今晩は曇りという天気予報はその喜びを完全に打ち消してしまった。
あまりにも激しいお園の落ち込みようは傍で見ているだけで気が滅入ってきそうだ。こいつはフォローが必要なんだろうか? 大作は薄ら笑いを浮かべると努めて明るい声を上げた。
「そんなに落ち込むなよ、お園。人生なんてこんなもんだぞ。人間万事塞翁が馬? 禍福は糾える縄の如し? って言うか、そもそもこんなに急に完成したって言われても肝心の望遠鏡の性能確認審査がまだじゃんかよ。それに観測計画とかだって何にも考えてないしさ。そう考えたらこれはそのための時間を天が与えて下さったのかも知れんぞ」
「観測計画ですって? そうねえ。私、まず初手には白色矮性を観測したいわ」
「となるとヴァン・マーネン星だな。だってエリダヌス座ο2星Bは日本から見えないんだもん。シリウスBはシリウスが明る過ぎるしさ。とは言え……」
「ヴァン・マーネン星って確か魚座よね。だとすると秋の星座のはずよ。この季節に見ようと思ったら明け方になっちゃうわ。何とかならないのかしら」
「あのなあ、お園。無茶を言わんでくれよ。どうにもならんことをアレコレ考えてもどうにもならんぞ。それよりは今できることの中から考えたよっぽどマシだ。さ~あみんなで考えよう!」
大作は唐突に大声を上げると両の手を打ち鳴らす。車座に集った一同は暫しの間、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。まあ、そんな動物虐待な真似はしないんだけれども。
「え、えぇっと~ お月さまでも観測したらどうかしら? 今日は十七夜、立待月よ」
「あのねえ、美唯。さっきから言ってるでしょう。今宵は曇りだって」
「それじゃあ…… それじゃあ雲でも見たらどうかしら? 雲って良く見ると一つひとつ違っていて面白いわよ。みんな違ってみんないい! ってね」
「私、折角の望遠鏡で雲を見るだなんて真っ平御免よ!」
お園がドスの聞いた低い声で唸るように吠える。それまで半笑いを浮かべていた美唯の顔が瞬時に能面のような無表情に変わった。
こいつはフォローが必要か? 大作は心の中で『Break!』と叫びながら慌てて間に割って入る。
「どうどう、餅付け。今宵は曇りだって言うけど、今現在は晴れてるんだろ? だったら…… だったら太陽の黒点を観察してみないか? きっと楽しいぞぉ~!」
「今年は1590年だったわね。シュペーラー極小期が1420年頃~1570年頃のはずだから黒点活動は通常に戻っているのかしら」
「そりゃそうだろう。とは言え、太陽活動は十一年周期だよな。今年がどうなのかは見てみないと分からんぞ。取り敢えず口より体を動かそう。みんな、八幡山へ行きたいか~?」
「行きたいわぁ~! 八幡山へレッツラゴーよ!」
お園に急かされるように一同は台所へ膳を下げる。手分けして食器を丁寧に洗うと食器棚へと返す。ありあわせの食材を適当に拝借すると各自で思い思いの弁当を作った。
本丸御殿を後にした一同は二ノ丸、三ノ丸を抜けて大手門を抜ける。小田原城の西側を通って長い長い坂道を登って行く。
暫く進むと前方から見知った顔が現れる。江戸城代を勤める遠山筑前守景政の弟、川村秀重だった。
「これはこれは、御本城様。今日も数多の女性をお連れで。いったい何処へ参られるのでござりましょうや?」
「おやおや、政四郎殿ではございませぬか。実は漸う八幡山の展望台が完成しましてな。今からお披露目の観測会を開くところにございます。そうだ! 政四郎殿もご一緒に如何ですかな?」
「観測会にございますか? 昼の日中から? いったい何を観測されるおつもりにございましょうや?」
「それは見てのお楽しみ。ささ、一緒に参りましょう。Let’s go together!」
旅は道連れ世は情け。大作は政四郎の後ろに回って軽く背中を押した。
お園やメイ、美唯たちも着物の袖や裾を掴んで軽く引っ張る。
「いや、あの、その…… 折角のお誘いにございますが某には生憎と急ぎの用がございまして……」
「まあまあ、政四郎殿。そう申されまするな。トルコの諺にもございますぞ。『明日できることは今日やるな』とか何とか」
「そうかしら、大佐。ツルゲーネフは『明日に先延ばししちゃ駄目だ』みたいなことを申されてたはずよ」
「うぅ~ん…… どうなんじゃろな? 大事なのはバランスなんじゃね? 確かピーター・ドラッカーも『最も重要なことから始めよ』って言ってたような気がするぞ。まあ、現実的に考えれば物事に優先度を付けて大事なことから片付けて行くっていうのが正解じゃないのかなあ」
「マジレス禁止! 私が聞きたかったのはそんな当たり前の話じゃないのよ……」
お園は心底から呆れ果てたといった顔で鼻を鳴らす。
政四郎は既に逃げ出すことを諦めてしまったんだろうか。女性陣から開放されたというのに大人しく後に付いてきているようだ。この様子からみて急ぎの用とやらもどうせ大したことじゃないんだろう。大作は考えるのを止めた。
門を潜り土塁の脇を進んで行くと目的地の東曲輪が見えてきた。それほど広くもない平地の端っこに掘っ立て小屋が建っている。何枚もの板を組み合わせて作られた八角形の建物は高さや幅が数メートルといったところだろうか。
「これって望遠鏡と連動しているエンクロージャーなのかしら? ほら大佐、あそこを見て頂戴な。きっと土台の上だけ回転するようになってるんだわ!」
「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」
真面目に相手をするのが阿呆らしくなってきた大作は鼻を鳴らすと吐き捨てるように呟く。
小屋に近付くと半開きになった扉が見えた。屋根の一部が開いており、直径が数十センチくらいの巨大な筒が威圧するかのように顔を覗かせている。
扉の隙間からこっそりと屋内を伺うと室内は真っ黒に塗られているようだ。光の反射を防ぐためなんだろうか。
大作は恐る恐るといった手付きで戸板を叩くと小声で問いかけた。
「ノックしてもしもぉ~~~し」
「御本城様、御裏方様。お待ちしておりましたぞ。ささ、此方へお出で下さりませ。如何にござりましょうや? 我らが作り上げし反射望遠鏡は?」
「おお、ナントカ丸じゃんかよ。って言うか、反射望遠鏡だと? 俺の…… 俺達の望遠鏡って反射式だったのかよ……」
「ねえねえ、大佐。反射望遠鏡だと太陽投影板が使えないんじゃないかしら。アレは屈折式の天体望遠鏡と組み合う物でしょう? 反射式やカタディオプトリック式だとドローチューブの繰り出し距離が短いから使えないと思うんだけれど」
が~んだな。出鼻を挫かれたぞ。これでどうやって太陽黒点を観察すれば良いんだろうか。
「せめて十万分の、いや一万分の一でも良いから太陽撮影用のNDフィルタがあれば良かったんだけどなあ」
「あのねえ、大佐。NDフィルタさえ使っていれば目で見ても安心だと思ってるなら大間違いよ。NDフィルタっていうのは景色を綺麗に写すための物でしょう? だから人の目に有害な赤外線を減らすようには作られていないのよ。要は暗く見えてはるけれども目に悪い光は素通りしているかも知れないの。メーカーサイトにだって目で直接見ないようにって注意書きがあるでしょう?」
「そ、そうなんだ…… そう言えば日食グラスとかも太陽観察器具のJIS規格に準拠した物を使わないと危ないらしいもんな。そうなるとちゃんとした眼科専門医から医学的なアドバイスを受けたうえで遮光性能やら形状まで配慮したNDフィルタを作らねばならんぞ。日食網膜症とかマジ勘弁だからな」
「あのねえ、大佐。私は今すぐにでも太陽黒点を観測したいのよ。そんな物の今から作っていたら出来上がるのはいつになるか分からないじゃないの!」
眉間に皺を寄せたお園の声音は不機嫌さを隠そうともしていない。
そんなことを俺に言われてもなあ。大作は助けを求めるように政四郎やナントカ丸の顔を……
アレ? 二人はいったい何処へ消えたんだろう。もしかして逃げたのか? やられたぁ~! 大作は頭を抱え込んで小さく唸った。
小一時間の後、大作たちは大きな木箱の中に投影された太陽の姿を観察していた。
「どうだ、お園。手作りピンホールカメラの具合は?」
「うぅ~ん…… どうなのかしら。何だか随分と小さくしか見えないわよ。こんなんだったらサツキとメイみたいに鏡を使った方が良かったんじゃないかしら?」
視線の先では壁に反射した光を二人が楽しそうに眺めている。
サツキにやった十センチくらいの鏡で反射した太陽の光を掘立て小屋の壁に映しているようだ。ちなみに投影する距離は鏡の大きさの二百倍くらい離れた方が良いらしい。
十センチの二百倍ということは二十メートルも離れなけりゃならん。これくらい離れるとたとえ鏡がどんな形をしていようが壁に映る光は丸く見えるんだそうな。
つまるところ、これだって立派なピンホールカメラの一種なのだ。
「なあなあ、お園。俺たちがやりたかった天体観測ってこんなんだったのかなあ?」
「私もさっきからそう思ってたのよ。って言うか、反射望遠鏡のテストをするって話はどうなっちゃったのかしら?」
「そうだよなあ。いくら何でももうちょっとマシな時間の使い方があるんはずだぞ。よし、そうと決まれば城へ戻ろう。みんな、小田原城へ戻りたいかぁ~?」
「おぉ~!」
サツキやメイ、ほのか、美唯を置き去りにして大作とお園は小田原城への帰路につく。
だが、本丸御殿は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなっていた。
ヘッドクオーターへと辿り着いた二人を引き攣った顔の政四郎が出迎える。
「一大事にございますぞ御本城様。佐竹と宇都宮の兵が江戸川と利根川の絶対防衛線を越えて攻め込んで参りました。壬生義雄様から今生の別れを告げる電報が届いた後、壬生氏の壬生城と鹿沼城とも連絡が取れなくなっております。
「な、何だってぇ~! ど、どうすれバインダ~!」
お約束、お約束。大作は今や決まり文句となった決め台詞を絶叫した。




