巻ノ参百拾六 一夜城は一日して成らず の巻
大作と愉快な仲間たちは散々な苦労の末にどうにかこうにか塔ノ峰城の東側の端っこへと辿り着いた。一同は少し遅めの昼食を食べ、食後のデザートに干し柿を食べながらほうじ茶を飲んで暫しの間、寛ぐ。
「さて、お腹も膨れたことだ。そろそろ歩みを再開した方が良いんじゃないのかな?」
「そうね、あんまり緩々していたら明るい内に帰れなくなっちゃうわよ。少しばかり急ぎましょう」
「美唯も! 美唯もそう思ってたのよ!」
「某も先ほどからそう思うておりました!」
お園や美唯に続いてナントカ丸までもが次々と同意を表明する。
こいつらには自分の意見という物が無いんだろうか。きっと無いんだろうなあ。まあ、別にどっちでも良いんだけれど。大作は考えるのを止めた。
門番に別れを告げると尾根伝いに東へ進む。木々の間に続く少し窪んだ坂道を登って行くと道が左へ直角に折れ曲がっていた。二十メートルほど南へ進むと今度は右へと直角に折れ曲がる。
「こんなのを喰違虎口っていうんだぞ。こういう風になっていると寄せ手は脆弱な側面を晒すことになるだろ。そこに向かって鉄砲を散々に撃ち掛けてやれば労せずに大打撃を与えられるって寸法だ」
「だけども、大佐。こっちは小田原の側よ。こちらから敵が攻めてくることなんてあるのかしら?」
「それはアレだな、アレ……」
美唯から発せられた鋭い追求に大作は思わず言い淀む。
いやいや、諦めたらそこで試合終了じゃんかよ。何でも良い。何でも良いから適当に言いくるめなきゃならないぞ。大作は頭をフル回転せさた。
「えぇ~っと…… 閃いた! 一説によればこの城を築いたのは大森氏とかいう輩だそうだな。んで、西からこっちへ来ようと思ったら明神岳を通って宮城野城のある四ツ尾越だろ? そのまま尾根伝いに進めば小田原城の裏側へ直通なんだもん。だから東からの攻撃に備えているのは当然のことなんだよ。な? な? な?」
「なぁ~んだ、要するに大佐にも詳しいことは分からないってことなのね? 真面目に聞いて損しちゃったわ」
「あ、あのなあ。損とか得とかいう話じゃないだろ? 違うか? そんな気がするんだけどなあ……」
そんな阿呆な話をしながらも一同は緩やかな斜面を登って行く。
緩やか? いやいや、全く持って緩やかじゃないぞ。何だか急に傾斜が強くなったような、なっていないような。
どうにかこうにか急傾斜を登り切ると今度は深さ三メートルはありそうな空堀が姿を現す。木製の幅一メートルくらいの仮設橋が架かっているので遠慮なく渡らせて頂く。
続いて出現したのは五メートルはあろうかという断崖だ。粗末な梯子が立て掛けられているのでこれも遠慮なく登らせてもらった。
「風雲た○し城かよってくらいの難易度だったぞ。マチュピチュもこんな感じなんじゃろか。いったい補給とかどうしてるんだろな」
「ここがてっぺんなのかしら? 美唯、何だかくたびれてきたんだけれど……」
「いやいや、この上にまだ何かあるみたいだぞ。とは言え、本当に後もうちょっとみたいだな。頑張ろう!」
それほど広くもない平地を進むと一段高くなった平地が広がっていた。その先にあるのが塔ノ峰城の主郭らしい。広さはテニスコートが三面分といったところだろうか。
北側に目をやれば帯廓が延々と伸びている。南側はどうなっているんだろう。急に地面が途切れて見える。どうやら東側と同じ様に深い堀切が巡らされているようだ。
「到着! どうだ、標高五百六十六メートルからの眺望は? 百万ドルの夜景だぞ」
「何を言ってるのよ、大佐。今は真っ昼間じゃないの。それはそうと木が邪魔で遠くが見えないわね。そうだ、あの櫓に登らせて貰いましょうよ」
「美唯も! 美唯もそう思ってたわよ!」
「某も先ほどからそう思うておりました!」
みんなの視線の先には三内丸山遺跡とかに建っていそうな三階建の櫓が鎮座ましましていた。
ここにも番兵と思しき中年の足軽が暇そうに屯している。こんなんで給料を貰えるんだから羨ましい限りだなあ。大作は激しい勢いで揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべた。
「えぇ~っと、ここの管理人の方でしょうか? もし宜しければちょっくら登らせて頂きたいんですけど?」
「これはこれは御本城様! 斯様な所にお見えとは、いったいどういう風の吹き回し…… 如何なる仕儀にござりましょうや?」
「あの、その…… これは前線視察というか敵情視察というか…… なんだろな、検分? そう、検分にございますよ! 彼を知り己を知れば百戦殆からず。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいるんですから」
「さ、左様にござりましたか。それは大儀にございますな。くれぐれも足元にお気を付け下さりませ。決して気の緩むことなきように」
男は厄介事に巻き込まれるのがよっぽど嫌だったのだろうか。軽く会釈をするとすぐにそっぽを向いてしまった。
まあ、ちゃんと許可を得たんだから問題はなかろう。大作と愉快な仲間たちはえっちらおっちらと三階建て櫓の急な階段を登って行く。
ギシギシという不気味な軋みがどことなく不安感をくすぐる。だが、ここは耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶしか無いところだ。
しかし、やっとの思いで辿り着いた展望台からの見晴らしは言葉にできないほどの素晴らしさだった。
「みんな見えるか? アレがかの有名な腰曲輪みたいだな。あっちには空堀も見えてるぞ。城としての規模はそれほど大きくないけどこれだけ険しい山頂だからな。街道の封鎖という目的に対しては必要にして充分な規模なんだろう」
「ふ、ふぅ~ん」
「ちなみに史実だと五大老の一人、宇喜多秀家の隊が塔ノ峰を通って小田原西の水の尾に回り込んだらしいな。んで、あの鍋曲輪には小早川隆景と安国寺恵瓊が二万の兵と共に陣を敷いたそうな」
「此処に? 此処に二万もの兵がですと? 真に信じ難きお話にござりますな」
「あの曲輪に二万ですって? もしかして豊臣の兵って一寸法師みたいに小ちゃかったんじゃないでしょうね?」
その発想は無かったわ! 大作はコロボックルみたいな足軽雑兵を想像してちょっとだけ気持ち悪くなってしまった。
だが、頭の柔らかさという点ではお園の方がどうやら一枚上手だったらしい。大きな瞳をキラキラさせながら小首を傾げると予想外の珍説を披露してくれた。
「もしかして前に大佐が言ってたみたいに縦に三段くらい積み重ねたんじゃないかしら? たとえば潜水艦のベッドみたいにね」
「いやいや、潜水艦が三段ベッドだったのは『あきしお』のころまでだったらしいぞ」
「それって『てつのくじら館』に展示されている潜水艦よね。ちなみにアレのスクリューはイミテーションだって知ってた? だって本物は軍事機密なんですもの」
「そうそう、良く知ってるな。それはともかく今じゃ潜水艦も二段ベッドがあたりまえなんだぞ。何せ人手不足で省力化が進んでるからな。とは言え、艦齢の古いはつゆき型やあさぎり型護衛艦なんかには今でも三段ベッドが残っているんだとさ。ちなみに第二次大戦まで遡れば四段ベッドが当たり前だったんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。ベッドの世界も時代と共に移り代わって行くものなのねえ」
大作の単眼鏡とお園のマイ望遠鏡を美唯やナントカ丸、氏房や供回りといった面々が交代で覗く。
遥か遠くに見える石垣山一夜城の建設現場では人足らしき人々が蟻やゴマ粒みたいに蠢いている。距離は三キロといったところだろうか。
向こうからはどんな風に見えているんだろう。さすがに望遠鏡がなければ見えないんだろうか。
「知っているか、お園。あの石垣山一夜城は続日本百名城にも選ばれているんだぞ」
「続日本百名城? 続ってことは日本百名城もあるのかしら?」
「そりゃあ普通にあるさ。俺たちの小田原城もそっちに入ってるんだ。ちなみに選定に際しては(公財)日本城郭協会が文部科学省や文化庁の後援を得て日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭、城跡を、多くの人に知ってもらい、関心を高め、ひいては地域文化の振興につながることを念じて設定しているらしいな。『(公財)日本城郭協会 公式HPより抜粋』」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだぁ~」
その時、歴史が動いた! 食い入るように望遠鏡を覗いていた氏房が唖然とした顔を向けてきたのだ。
「兄上、彼奴らが彼処へ城を築き始めてから未だ十日しか経っておりませぬぞ。然てもやは、早や土台が仕上がっておるように見受けられまする。如何なる手立てを使えば斯様に手早く城が建てられるものやら……」
「ああ、秀吉はそういうのが得意ですからねえ。一夜城伝説といえば大垣の墨俣城、福岡は嘉麻の益富城なんかもあるでしょう? ちなみに石垣山城に関しては江戸中期に書かれた『大三川志』にこんな記述があるんですよ」
「えどちゅうき? 其れは如何なる物にござりましょうや?」
「気になるのはそこですか? とにもかくにも、大三川志によると秀吉は『長さ六尺の籠に石を入れて石垣とした上に櫓を建て、塀や櫓の骨組みには紙を貼りつけて白壁とした』そうですぞ。また、『北条記(関白勢囲小田原事)』によれば『かの関白は天狗か神か、かやうに一夜の中に見事な屋形出来るぞや』って書いてありますな」
「それって同時代の一次資料じゃないわよね? 信憑性はどれくらいなのかしら?」
いつもながらと言うべきか。お園が鋭い突っ込みを入れてきた。だが、このくらいの追求は大作にとっては予想の範疇だ。余裕の笑みを浮かべるとスマホに視線を落とした。
「聞いた話では小早川文書とかいうのがあるらしいな。俺も読んだことは無いんだけれどさ。んで、工期に関しては四月上旬から六月二十六日までの八十日間というのが通説だ。こいつには石垣造りに穴太衆』を動員したとかいった話も出てくるらしい。まあ、そんなわけで城を遮るように生えていた木々を一晩で伐採したという説が一般的なんだ。それが小田原城に籠もる兵たちの動揺を誘ったとかなんとか。そうそう、工事に動員された人々が四万人にも及ぶって話も伝わっているぞ」
「八十日で四万人ってことは一日当たり五百人ってことよね? 日当が銭二十文だとして一日に銭十貫文、八十日で銭八百貫文ね。お城ってそんなにお安い物なのかしら?」
「あのなあ、美唯。人足の日当だけで城が建つわけないじゃんかよ。私が魔法の壺でも持っていて木材や石材が湧いてくるとでも思っているのか? それに穴太衆は高度な技術を持った専門家集団なんだぞ。日当二十文の人足と一緒にしてやるなよ」
「そ、そうなんだ。美唯、また一つ賢くなっちゃったわね」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべた幼女の顔にはテヘペロと書いてあるかのようだ。
「まあ、一日で城が完成したと本気で思う奴はいなかったはずだぞ。もし一日で作ろうと思ったらそれこそ張りボテや書き割りで作るしか方法がないんだもん」
「だったら…… だったらツーバーフォーとかプレハブとかじゃ駄目なのかしら?
「いい質問ですね、お園。墨俣城なんかはそれだって説もあるくらいだしな。実際、アメリカやカナダでは木造住宅の九割がツーバイフォー工法だと言われてるんだ。メリットとしては耐震性、耐風性が高いこと。なんでかっていうと建物が面で構成されているから地震や台風に強いんだ。それに在来工法と比べると機密性や断熱性にも優れている。あと、冷暖房効率だけじゃなく耐火性だって強い。これって火災保険料の節約にもつながるだろ。あと、たったいま話題にした通りで工期が短い。ツーバイフォーはシステム化が進んでいるから分業しやすいんだ」
「ふ、ふぅ~ん」
一方的にまくし立てられたお園は防戦一方といった顔だ。
勝ったな! 大作は心の中でドヤ顔を浮かべる。
「とは言え、欠点がないわけでもないぞ。たとえば間取りには制限があるし、後になって変更するのはとっても難しい。っていうか無理だし。だって壁面で構造を作っているんだもん。壁をぶち抜いて居間を広くしたいとか言われても困っちゃうだろ? それに窓とかを広く作るのも難しいな。開口部っていうのは壁の穴だろ。柱が無いツーバイフォーだと強度の低下につながっちまう。そんなわけで間取りや窓に関しては制約が強くなる。さらには……」
「まだあるの! ツーバイフォーってそんなにデメリットだらけなの?」
「いやいや、最後まで聞いてから判断しろよ。さっき高機密、高断熱はメリットって話をしただろ? でも、それって欠点でもあるよな? 家の中と外の気温差が大きいってことは結露しやすいってことじゃん。これってカビやダニに注意しなきゃならんってことなんだ」
「なぁ~んだ、そんなことなの。私、憂いて損しちゃったわ」
いやいや、床下には注意した方が良いんだぞ。大作は喉元まで出掛かった言葉を既の所で飲み込んだ。
「そろそろ話を石垣山城に戻そうか。秀吉はこの城に淀君や側室、千利休や能役者まで呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしたそうだ。ちなみに総石垣で作られた城はここが関東で最初らしいな。さっきも言ったけど近江の穴太衆が一つひとつ丁寧に積んだ野面積みなんだとさ。確か今日は四月十六日だったかな? 今から半月も経たない四月二十八日には芝山宗勝が芝弥八郎に宛てた書状に『来月中には石垣山城が完成する』って書くらしい。んで、五月十四日には秀吉が北政所に宛てて石垣や台所は完成。御殿や天守ももうすぐ完成と書いたそうだ。それから『木村宇右門覚書書(伊達政宗言行録)』によると伊達政宗が六月九日に続けて十日にも伺候したんだけど、前の日にはまだだった白壁が完成してたそうな。だけども政宗はこれが白紙だって見破って秀吉に感心されたって自慢してるぞ」
「そんなの近くで見れば誰だって分かるんじゃないかしら」
「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。まあ、そんなこんなで六月二十六日に秀吉は陣所を石垣山城に移す。その晩、二十二時に鉄砲を一斉に撃たせたと書いてあるぞ」
「そんな夜遅くに鉄砲を撃つだなんて随分と迷惑な話よねえ。まあ、戦の最中だからしょうがないのかしら」
お園は忌々しげに呟くと再びマイ望遠鏡で石垣山城を見やった。
足元に注意しながら階段を一歩一歩着実に下って行く。地上に降り立つと番兵の足軽が小さく折り畳まれた紙切れを手にして待っていた。
「漸くお戻りになられましたか。御本城様に宛てて電報が届いておりますぞ」
「せ、拙僧に宛ててですと? 一体どこの誰からですかな?」
「差出人は萌様となっておりますな。こちらの受け取りにご署名をお願い致します」
「いったい何の知らせなのかしら。もしかして恋文とかじゃないでしょうねえ?」
「阿呆なこと言わんでくれよ。どれどれ…… 『四月十六日未明より佐竹、宇都宮の両連合軍が壬生氏の壬生城、鹿沼城を攻撃。現在交戦中なるも予断を許さず。至急、小田原城へ戻られたし』ですと! なんじゃこりゃあ~!!!」
大作の絶叫がそれほど広くもない塔ノ峰城の主郭に響き渡る。
愉快な仲間たちと中年の足軽は黙ってそっぽを向いてしまった。




