巻ノ参百拾伍 淹れろ!美味しいお茶を の巻
小田原城を後にした大作、お園、美唯、ナントカ丸たちは途中で加わった氏房や供回りと一緒に『万歳ヒットラー・ユーゲント』を合唱しながら険しい山道を進んで行く。
太陽が段々と高く昇るに連れて気温も徐々に上がってきた。水之尾の辺りの山中をのんびり歩いていると風祭の水之尾毘沙門天が姿を現す。
「風祭ですって? もしかしてここが風魔一族のお里なのかしら?」
「そうみたいだな。あの毘沙門天は天正年間に建立されたっていうから築十年以内の新築物件だぞ。新築住宅には建築基準法によって十年保障が義務付けられているだろ。っていうか建築許可の必須条項になってるんだ。そういうのを瑕疵担保って言うんだっけ? とにもかくにも政令によって最低でも構造材と雨漏りに関しては建築会社による保障が付いていないと建築許可が下りないんだ」
「ふ、ふぅ~ん。そう言えばこの世で一番怖いのは泥棒よりも狼よりも『ふるやのもり』だって聞いたことあるわね。それで? あれに見えるのがご本尊様なのかしら?」
お園の視線の先にはお堂の中に納められた寅の彫刻が鎮座ましましている。
「増し増し? 何を増すのかしら? ねえねえ、大佐。いったい何を増すっていうのよ?」
「それはアレだな、アレ。『まします』っていうのは『在る』とか『居る』の尊敬語だろ? 確かそうだよな? んで、動詞『ます』の連用形と補助動詞『ます』が重なると更に敬意が強まるじゃん? 『いらっしゃる』の最上級みたいな?」
「そ、そうなんだ……」
「それはそうと建物が築十年なんだからご本尊様も新品同様なんだろうな。ちなみに平成二十七年一月一日以降に取得した美術品等は取得価額が一点百万円以上だと原則として非減価償却資産なんだけど『時の経過によりその価値が減少することが明らかなもの』に関しては取得価額が百万円以上でも減価償却資産と取り扱うって知ってたか?」
「へぇ! へぇ! へぇ! へぇ! だけども、今は天正十八年よ。平成二十七年以降じゃないわね」
そんな阿呆な話をしながら一同は境内を適当にぶらつく。
何でも良いから面白い話は無いかなあ。大作はスマホを弄ると適当に話を見繕った。
「ここ水之尾の辺りは昔から石切山っていう採石場だったらしいな。言い伝えによると小田原城を修築しようと石を切り出したら岩の間から急に血が流れ出したそうな。んで、毘沙門天が北条早雲公の夢枕に立って『俺を傷つけるな。やめてくれたらお前を守ってやるぞ』みたいなことを言ったんだとさ」
「give and takeってことかしら? でも随分と下手に出たものねえ。美唯だったらもし傷付けたら七代先まで祟ってやるって脅すところだわ」
幼女が心底から忌々しそうな顔で吐き捨てるように呟いた。こいつってこんなに好戦的な性格だったっけ? 大作は内心ではドン引きしながらも努めて明るい口調を崩さない。
「それはアレだろ、アレ。北風と太陽みたいなもんじゃないのかなあ。いきなり喧嘩腰で行ったって良いことは無いぞ。とにもかくにも早雲公はちょっと脅されただけでブルっちまった。んで、すぐに作業を中断したそうな。それどころか血を流した岩をご本尊にして毘沙門天を祀ったんだとさ。そのご利益かどうかは知らんけど北条は急成長したとか、しなかったとか」
「確か毘沙門天様は北方を守る神様だったわね。水之尾は小田原城から見て北にあるから道理には合ってるのかしら」
「大久保加賀守殿もお供のご家来衆と一緒に参拝していたそうだぞ。毘沙門天の使いは寅だろ? だから正月初寅の日の寅の刻(午前三~五時頃)に宝泉寺の氏子がご祈祷を執り行っているんだとさ。まあ、二十一世紀には年明け最初の日曜日(元日除く)にやってるらしいけどな。ちなみに寅年の四月にはご本尊がご開帳されるらしいぞ」
「寅年といえば今年だわ。それに四月といえば今じゃないのよ。分かった! だからご開帳されてるのね」
一同は虎の彫像に近付くと思う存分に観察する。舐めるようにと言うか、穴の開くほどと言うか…… とにもかくにも拝観料がタダなのを良いことに徹底的に堪能した。
「毘沙門天様は勝負の神様。我ら北条の勝ち戦を祈願しておいて損はござりますまい」
「ナントカ丸は賢いなあ。まあ、俺たちは今さら神頼みなんかしなくても勝負の行方は見えてるんだけどさ」
「さあ、大佐。まだまだ先は長いわよ。ちょっと急いだ方が良さそうね。だって『百里を行く者は九十九里を半ばとす』なんですもの」
「とは言え『千里の道も一歩から』とも言うぞ。それに『天才は一パーセントのひらめきと九十九パーセントの汗』だもんな」
そんな阿呆な話をしながら歩いて行くと鄙びた片田舎の集落が現れる。
村人たちは突如として現れた謎の集団に対する警戒心を隠そうともしていない。
大作は卑屈な笑みを浮かべながらペコペコと頭を下げて通り過ぎた。
一同は険しい山道をひたすら進んで行く。威張山と思しき山を尾根伝いに越えた。名前も分からない緩やかな丘を越え、小さな小川を何本か渡る。
小一時間も歩いたころ、ナントカ丸が肩で息を付きながら話しかけてきた。
「御本城様、この白石山を越えれば塔ノ峰城が見えて参りますぞ。此処から右に参れば四ツ尾を通って強羅に続いております。左に参れば久野に続いております」
「ねえ、大佐。着いたらすぐにお昼ご飯にしましょうよ。私、歩き通しでお腹が減っちゃったわ」
「だったらもういっそ、歩きながら食べたらどうかしら。美唯はお腹が減り過ぎてもう歩けないかも知れないわ」
「空腹は最高の調味料なんだぞ。あとちょっとなんだから我慢しろよ。頑張れ、頑張れ、できる、できる! 美唯なら絶対に我慢できる!」
いい加減に面倒臭くなってきた大作は無責任な精神論で強引に押し通す。美唯は見るからに不機嫌そうな顔になるとそれっきり押し黙ってしまった。
一行は尾根伝いに山道を進んで行く。十分も歩かない内に隙間なく丸太を並べた門が現れた。
例に寄って例の如く、門前には短めの槍を手にしたみすぼらしい身なりの雑兵が暇そうに屯している。
こちらの姿を認めた門番は深々と頭を下げると上目遣いに顔色を伺ってきた。
「これはこれは御本城様、十郎様。斯様に険しい山中にお出でとは如何なされました?」
ちょっと痩せ過ぎた中年男が愛想笑いを浮かべる。だが、その笑顔は何故だか人を小馬鹿にしているようにしか見えない。
安っぽいプライドを傷付けられたような気がした大作は思わず声を荒げた。
「ここって天下の往来ですよね? 違いますかな? なのに用が無いと通っちゃいけないんですか? どこへ行こうが私の勝手でしょうに!」
「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。雨の中、傘を差さずに踊る人間がいても良い。自由とはそういうことよ。そんなことよりお城に着いたってことはご飯を食べても良いってことでしょう? 私、お腹が減ってお腹が減ってもう目が回りそうなのよ」
「そうよねえ、お園様。ここで食べちゃいましょうよ。大佐、お茶を淹れてくれるかしら?」
「いや、あの、その…… こんな所で食べるのか? もうちょっと歩いたら本丸とかあるんじゃないか? だよなあ、ナントカ丸?」
大作は捨てられた子犬のような目をして小姓に助けを求める。しかし返ってきたのは思いもしない言葉だった。
「某も此処で昼餉を食むのが宜しかろうと存じます。ささ、御本城様。早う茶を淹れて下さりませ」
「はいはい。淹れりゃ良いんだろ、淹れりゃ。って言うか、いま淹れようと思ったのに言うんだもんなぁ~!」
大作は門番に頼み込んで薪を分けてもらうと火を起こす。お湯が沸いたらほうじ茶の茶葉を放り込んでじっくり蒸らした。
「知っているか、美唯。お茶を淹れる湯の適温は種類に寄って違うんだぞ。なんでかって言うと溶け出すお茶の香味成分が温度で違ってくるからなんだ。たとえばカテキンの渋みは八十度以上の高温で溶け出す。だけどもアミノ酸の旨みは五十度くらいの低温で溶け出すらしい。だから煎茶の渋みを出さずに旨みだけ出そうと思ったら七十~八十度が丁度良いんだ。玉露の旨みをじっくり引き出したいなら五十度くらいのぬるま湯でのんびりと。反対に玄米茶、ほうじ茶、中国茶・紅茶とかの香りを出したいなら百度の熱湯を使うと良い。ちなみに煎茶の渋い奴が飲みたいとか緑茶でカテキンを取りたい場合も熱い湯を使うのが良いだろうな。それから…… ってお前ら、もう食ってんのかよ!」
一生懸命にお茶を淹れている大作を他所にお園や美唯、ナントカ丸はご飯を貪るように食べている。
「ありがとう、大佐。丁度、お茶が飲みたかったのよ」
「美唯にも、美唯にも頂戴な」
「御本城様にお茶を淹れて頂くとは真に畏れ多きことにござりますな」
「兄上、某も一杯頂いて宜しゅうございましょうや?」
どいつもこいつも好き放題を言いやがって。俺はお茶汲み係じゃねえぞ!
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。
「お茶のお代わりが欲しい人はいないかな? はいはい、ちょっと待ってくれよ」
卑屈な笑みを浮かべた大作はクッカー片手にみんなにお茶を汲んで回った。




