巻ノ参百拾 神はサイコロを振っているか? の巻
大作とお園は遅めの朝餉というか早めの昼餉というか…… とにもかくにも美唯が腕によりをかけて作った猫の赤ちゃんが食べられるラーメンを食べて空腹を満たしていた。満たしていたのだが……
不意に美唯が小首を傾げると怪訝な表情で口を開いた。
「ねえねえ、大佐。腕によりをかけるの『より』って何なのかしら?」
「それはアレだな、アレ。細い糸を何本か纏めて撚ることを撚るって言うだろ? アレのことだよ。だから色々と手間暇をかけることを『腕に撚りをかける』って言うんだな。たぶん」
この程度の無駄薀蓄なら雑作も無い。大作は余裕の笑みを浮かべる。だが、捨てる神あれば拾う神あり。お園が意外な方向から話題に食いついてきた。
「ふ、ふぅ~ん。ってことは要はアレよね。ボクシングのコークスクリュー・ブローみたいなことなのかしら? それはさぞかし威力が増すことでしょうねえ」
それは全然違うような違わないような。大作としてもイマイチ納得が行くような、行かないような。とにもかくにも触らぬ神に祟りなし。空気を読んで華麗にスルーを決め込む。
と思いきや、好奇心の塊となったお園の興味は早くも別のことに移ってしまったようだ。
「それはそうと、大佐。早めの昼餉じゃなくて早すぎる夕餉ってこともあるかも知れないわよ」
「いやいや、流石に昼餉より先に夕餉を食うのは重大なマナー違反じゃね? お天道様が許してもこの俺が許さんぞ」
「そうは言っても一日に三度のご飯を食するようになったのは江戸時代からなんでしょう?」
「ところがギッチョン! 鎌倉時代初めの有職故実書『禁秘抄』(1221年成立)によると宮中では一日三食だったらしいんだ。ちなみに庶民が一日三食になったのは1657年に起きた明暦の大火からだって説もあるな。江戸復興のために全国から集めた大工や職人を朝から晩まで働かせたんだそうな。それより昔の人たちは昼過ぎには仕事を切り上げていたんだそうな。だけど夕方まで働かせようと思ったら昼休憩と昼ご飯が必要だったってことなんだろう」
「ふ、ふぅ~ん。そう言えば、欧米人が朝餉を食べるようになったのは発明王エジソンのお陰なんですってね。民草にちょっとでも沢山の電気を使わせようと思ってトースターを発明したんだとか何とか」
そんな阿呆な話をしている間にも山中城の左翼では徳川家康の兵三万が西ノ丸への突入を果たす。
と思いきや好事魔多し。あっと言う間にマダム・ヌーもびっくりの人間バーベキューの出来上がりだ。
無線機からは相も変わらずベルの音が鳴り響き、通信士はそれを黙々と記録用紙に書き留める。
仏頂面をした暗号解読班は文字の羅列と乱数表を突き合わせながら解読して行く。
受け取った電文に目を通した藤吉郎が満面の笑みを浮かべた。
「大佐、徳川勢は兵の大半を失って退いたようにございます。代わって山内一豊、堀尾吉晴らの兵が姿を表したそうな」
「んで、家康は? 家康は殺ったのか?」
「そこまで詳らかなことは分かりませぬ。とは申せ何とも書いておりませぬ故、恐らくは討ち漏らしたのではありますまいか?」
「うぅ~ん、そいつは残念だなあ。まあ、これは予行演習だからどうせサイコロでも振って決めたんだろうけどさ。とは言え、本番では是非とも上手いこと殺って欲しいもんだぞ。そこんとこ宜しくな」
「御意!」
このシミュレーションの本来の目的は無線通信を介した情報伝達速度の確認。それと通信機器の操作や暗号解読の手順を習得することだ。
とはいえ、作戦内容に不備や改善点が無いかどうか。その検証も合わせて行うのもアリと言えばアリだろう。大作も気になったことがあれば積極的に口を挟んで行く。
「ところで豊臣秀次や羽柴秀勝の動きはどうなってるのかな?」
「未だに姿を見せてはおらぬようにございます。やはり一柳直末が討たれたことに恐れおののいておるのではありますまいか?」
「そ、そうなのか? だとすると初戦で一柳直末を討ったのは失敗だったかも知れんぞ。あんな小物のせいで肝心の大物が引っ込んじまったんだもん。明日の本番ではその辺りも改善した方が良さそうだな」
そんな阿呆な話をしている間にも左翼を守る松田康長、間宮康俊は戦線を三ノ丸にまで後退させ始めた。
これまでに敵方へ与えたと思われる損害は約三万といったところだろうか。時刻は正午を少し回ったくらいだ。
「そろそろ良い頃合いじゃないのかな? 山中城を退いた兵を日暮れまでに早川へ撤退させるにゃならんし。そうだろ、藤吉郎?」
「畏まりましてございます」
藤吉郎からの指示を暗号班が変換する。意味不明な文字列となったメッセージを通信士が電鍵を叩いて送信する。
待つこと暫し、味方の全部隊が一斉に後退を始めたとの通信が返ってきた。
事前の打ち合わせ通りに事態が推移していれば今ごろ戦場のあちこちでは総大将の氏照が討ち死にしたとの噂が飛び交っているはずだ。それを伝え聞いた敵は北条方が総崩れしたと思い込んで一気に攻め込んでくるに違いない。大作たちはwktkして待機する。
「思うた通りにございます、大佐。漸く豊臣秀次や羽柴秀勝の兵が出て参りましたぞ」
「後はどれくらいの敵を引きずり込めるかだな。まあ、こればっかりはやってみなくちゃ分からないんだけどさ。その辺りはシミュレーションだとどうなってんだ?」
「現地司令官、陸奥守様のお決めになることにございます。今頃はサイコロでも振っておられるのではありますまいか? おお、やっと通信が届いたようにございますぞ。敵方の兵二万の六割、一万二千が焼け死んだようにございますな」
「ふぅ~ん、そんなもんか。まあ、実際にどれくらい殺れるかは明日の本番を楽しみに待つしかないな。んじゃまあ、状況終了。皆さんお疲れさまでしたぁ~! ちょっと早いけど夕餉でも食べながら反省会と洒落こもう」
すでに会場の彼方此方では後片付けが始まっている。大作は暗号係から手渡された記録用紙の束を大事そうに抱えるとお園と一緒に本丸へと移動した。
ちなみに本当の打ち上げは明日の夜に予定されているんだそうな。だが、今日も一日お疲れ様でしたということなんだろう。本丸に戻った一同の前に饗されたのは普段より少しだけ豪華な夕餉が……
その時、歴史が動いた! 息を切らせたナントカ丸が座敷に駆け込んできたのだ。
「御本城様、一大事にございます! たった今、美濃守(北条氏規)様より緊急通信が入って参りました。豊臣方の兵四万が韮山城に攻め寄せておるそうな。朝から通信を送ろうしておられたご様子なれど通信回線が塞がっておったとの由にございます」
「な、何だってぇ~! いやいや、そんな阿呆なことがあってたまるかよ。韮山城攻めは明日、三月二十九日のことだろ? もしかして歴史が変わって一日早まっちまったんじゃなかろうな?」
「何を申されまするか、御本城様。今日は三月二十九日にございますぞ。もしや暦を勘違いしておられたのでしょうや?」
「そ、そうなの? 今日って三月二十九日? マジで? それってもしかすると山中城のアレも本当に攻められてたとか言うんじゃなかろうな?」
酸欠の魚みたいに口をパクパクさせた大作は目を大きく見開いて一同の顔を見回す。
だが、全員から帰ってきたのは人を小馬鹿にしたような嘲笑だった。
見るに見かねたんだろうか。美唯が小さくため息をつくと口を開く。
「そうかも知らんわね。そうじゃないかも知らんけど」
「いやいやいや。だったら、だったらもう…… どうすれバインダ~~~! 明日のパブリックコメント…… じゃなかった、パブリックビューイングのチケットはとっくの昔に完売してるんだぞ! いまさら払い戻せとか言わんよな? そんなん無理だぞ。準備に物凄い大金が掛かってるんだもん。そんなことしたら大赤字も良いところじゃんかよ! 誰か…… 誰か助けて下さ~~~い!」
大作の声音が徐々に甲高くなり、最後は絶叫するような大声に変わって行く。
隣で夕餉の焼き魚を美味しそうに頬張っていたお園は覚めた視線を向けると小さくため息をついた。
「どうどう、大佐。いまさら慌てたって何にもならないわよ。それよりもナントカ丸。韮山城は如何なるご様子なのかしら。美濃守様は持ちこたえられそう?」
「其れならばご安堵下さりませ。豊臣方の兵が泥田に足を取られたところをミニエー銃にて散々に狙い撃ったそうな。凡そ半分を討ち取り、お味方の大勝利との知らせにござりますれば」
「そう、良かったわね。そうなると大佐。やっぱり憂えなきゃならないのは明日のパブリックコメント…… じゃなかった、パブリックビューイングの方ね。たとえば…… たとえばだけども、演目を下田城攻防戦に差し替えちゃいけないのかしら。これならば明日の晩でしょう?」
「それはそうだけど…… だけどもアレって日が暮れてからの話だよな? 流石に開演時刻を十二時間も遅らせたら色々と問題が出るんじゃね?」
「左様にございます。そも、暗くなってからでは照明が足りませぬ。観客席の寒さ対策も入用かと。夜遅くとなれば見に来る童の数も減ります故、物販収入の減少も見込まれまする」
暗い表情をした藤吉郎が眉根を寄せる。完全に我関せずといった顔のお園や美唯とは対照的だ。
みんな違ってみんないい! 大作は急に真面目に考えるのが阿呆らしくなってきた。
「だったら、だったらもう…… 閃いた! 遅れネットって聞いたことあるか?」
「お、おくれねっとですって? 私、そんな言葉は聞いたことも無いわよ。もしかしてネットワーク遅延ってことなのかしら?」
「惜しいな、似て非なる物だ。って言うか全く持って違う物なんだけどさ。所謂、ディレイ放送とか言う奴だ。遅延放送とか時間差放送とも言うな。とにもかくにも今日やった内容をもう一遍そっくりそのまま再現すれば良いんじゃよ。ちゃんと記録は取ってあるんだもん」
大作は手に持った紙束をさもありがたそうに掲げる。
いったい何が気にいらないんだろうか。お園は不機嫌そうな顔で小首を傾げた。
「それって要するに再放送ってことかしら? 一日前に起こった出来事をまるで生中継みたいにやろうっていうの? そんなのまやかしじゃないの! それこそわざわざ見にいらっしゃったお客様を蔑ろにしてると思うわ!」
「どうどう、餅つけ。そうは言うがな、お園。プロモーターたる者、何が何でも公演に穴を開けることだけは避けねばならん。絶対ニダ! 中島らもさんの劇団が地方公演をされた折、皆で牡蠣を食べたら役者の大半がお腹を壊したことがあったそうな。だけど、らもさんは挫けなかったんだ。残った僅かな人数をやりくりして公演を成功させたんだとさ。めでたし、めでたし…… 良い話だと思わんか? な? な? な?」
「しょうがないわねぇ~!」
誰よりも早くラーメンを食べ終わったお園が鷹揚に頷く。腹を割って話せば分かって貰えるものだなあ。大作はほっと安堵の胸を撫でおろした。
天正十八年の三月は二十九日までしかない。日が変わって天正十八年四月一日(1590/5/4)の朝も早くから一同は山中城攻防戦のパブリックコメント…… じゃなかった、パブリックビューイングの準備に余念がなかった。なかったのだが……
「藤吉郎、客の入りはどんな感じだ?」
「まあまあでございます」
「まあまあかよ…… こんだけ頑張って準備したのになあ」
「しょうがないわ、大佐。お味方の大勝利だってことをみんなが知ってるんですもの」
お園が手にした新聞の一面には炎上する山中城の写真がデカデカと掲載されている。北条方の勝利は火を見るよりも明らかだ。火事だけに。
何だかモチベーションが上がらんなあ。もうどうでも良くなってきたぞ。大作は完全にやる気が失せてしまった。
「おお、サツキにメイ! それに萌じゃんかよ。丁度良かった。悪いんだけど今日のパブリックコメント…… じゃなかった、パブリックビューイングの件を任せても良いかな? 俺たちは昨日に済ませちゃったんだ」
「任せるって何をよ?」
「解説とかそんなのだよ。萌、そういうの得意そうじゃん」
「得意そうって言われても攻城戦の実況解説なんてやったこと無いだけど? まあ『私、失敗しないので』だから大丈夫なんだけどね」
軽口を叩く萌に手を振って別れを告げると大作とお園は三ノ丸を後にした。




