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巻ノ参百八 昌幸は死すとも自由は死せず の巻

 天正十八年の二月も下旬に入ると沼津近辺に豊臣方の先鋒が姿を見せ始めた。その後も豊臣秀次、徳川家康、前田利家、織田信雄といった大名連中が続々と到着する。

 徳川方の兵三万が山中城から南西に十キロほど離れた長久保城に着陣したのは二十四日だった。織田信雄の一行も同日に三枚橋城に着いたらしい。


「うっかりしてたなあ。この長距離行軍の移動妨害をすれば良かったかも知れんぞ。相州乱破を使ってゲリラ戦とか仕掛けたら面白いことになったかも分からんな」

「あのねえ、大佐。相州乱破の皆様方は里見へ参られているのよ。人間は同時に二箇所には存在できないでしょうに」

「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。それはそうとあいつら上手いことやってるのかなあ。何か連絡とか入ってきていないのか?」

「ないわよ、大佐。だって今は無線封鎖の真っ最中なんですもの」


 ドヤ顔を浮かべた美唯がまるで鬼の首を取ったかのように話に割り込んでくる。

 大作は発作的にイラっときたが強靭な精神力でもって必死にそれを抑え込んだ。


「いやいやいや、地震から何日経ったと思ってるんだ? とっくに無線封鎖は解除されてるんじゃね? 違うのかな?」

「違うわよ。だって無線封鎖の解除を連絡することができないんですもん。しょうがないでしょう?」


 こまっしゃくれた表情を浮かべた美唯が顎をしゃくる。大作は力なく愛想笑いを浮かべることしかできなかった。




 二月二十五日には徳川勢も三枚橋城へ着陣した。三月三日には豊臣秀次や蒲生氏郷の軍勢も到着する。


 一方、水上戦力は二月十日に毛利水軍が安芸国厳島を出発。二十日には播磨国兵庫港へ到着。志摩の九鬼嘉隆や来島通総、脇坂安治、加藤嘉明、長宗我部元親、エトセトラエトセトラ… 総勢一千隻にも及ぶ宇喜多と毛利の聯合艦隊が一丸となって出航。二月二十七日には駿河の清水港へ無事に到着した。合わせて水軍は包囲戦が長期に及ぶことを想定して清水港へ二十万石もの兵糧も運び込んだそうな。




 風魔小太郎と愉快な相州乱破たちが小田原に帰ってきたのも丁度そのころだった。

 書類の決済に追われていた大作の眼前に鬼みたいな大男が現れる。その顔に浮かんだ表情はこれ以上はないほど得意満面といった様子だ。


「御本城様、ただいま戻りましてございます」

「おお、出羽守殿。よくぞ無事に戻られましたな。出立してからというもの何の音沙汰もござりませんでした故、随分と案じておりましたぞ」

「申し訳次第もござりませぬ。余りに夥しい大地震(おおなゐ)で無線機が壊れてしまいまい、お陰で便りを送ることすら叶いませんでした。何卒ご勘弁下さりませ」

「こ、壊れちゃったんですか? 無線機が? うぅ~ん、参っちゃいましたな」

「いやいや、萌殿が申されるには些細な接触不良との由にございます。容易く繕えるとのこと故、ご安堵召されませ」


 簡単に治るから気にすんなって? まあ、水銀コヒーラとか水銀開閉器とかは壊れやすそうだもんなあ。見た目にも物凄いデリケートな精密機械感が漂ってるし。

 とは言え、簡単な修理くらいは自分たちでできるようになってくれないと困っちゃうぞ。取り敢えず無線技師の養成が先決だな。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。


「そんなことより戦果の方は如何でしたかな? 作戦目標は達成できましたか? 味方の損害は許容範囲内ですか? 戦利品はありましたかな? 何かお土産は?」

「どうどう。餅つきなさい、大佐。制服さんの悪いクセね。ことを急ぐと元も子も無くすわよ。大佐が不用意に打った暗号が解読されたんじゃないかしら?」

「いやいや。ついさっき、無線封鎖してたって言ったよな? 言わなかったっけ?」

「マジレス禁止! それで、出羽守様。安房や下総に何ぞ美味しい物はございましたでしょうか? (わらわ)はそれだけを楽しみにお待ちしておりました」


 大きな目をキラキラさせながらお園が風魔小太郎に躙り寄った。

 風魔小太郎は呼応するかのようにさり気なく距離を取ると暫しの間、小首を傾げて考え込んだ。


 やっぱ千葉の特産物と言えばピーナッツか? ピーナッツなのか? そこそこピーナッツが好きな大作はWktkして答えを待ち構える。

 だが、南米原産のピーナッツがヨーロッパに伝わったのは大航海時代のことだ。東アジアを経由して日本に伝わったのは1706年のことで当時は『南京豆』と呼ばれたらしい。ちなみに現代日本で食されているピーナッツは明治以降に伝来した品種だそうな。

 そんな大作の心配を他所に風魔小太郎は余裕の笑みを浮かべると軽く顎をしゃくった。


「美味い飯と申さば寒サバの『なめろう』を食しましたな。たっぷりと脂が乗った寒サバは殊の外美味しゅうございましたぞ」

「じゅるる~! 出羽守様、早う食べさせて下さりませ。hurry up! Be quick!」

「いやいや、御裏方様。如何に冬とは申せ、釣った魚を安房から持って帰ってくるなどできよう筈もござりませぬ。何卒ご勘弁下さりませ」

「ちょ、おま…… 自分だけ美味しい物を食べておいて私は食べれない…… 食べられないですって? そんなのないわ! そんなのお天道様が許しても巫女頭領の私が決して許さないわよ! ねえ、大佐。聞いてるの大佐!」


 久々に瞬間湯沸かし器(死語)が熱暴走を始めた。

 それにしてもどうしてこのおっさんはお土産くらい用意してこなかったんだろう。気が利かない奴だなあ。大作は思わず風魔小太郎に心の中で愚痴る。


「はいはい、聞いてますよ。なめろうを作れば良いんだろ? 寒サバでさ。美唯。悪いんだけど台所までひとっ走り頼めるか。お昼にひい、ふう、みい…… 何人前だ? とにかく適当な人数分作ってもらってくれ」

「なめろう? それって何なのかしら? 美唯、そんなの見たことも聞いたことも無いわよ」

「お昼には分かるよ。まあ、楽しみにしとくんだな」


 幼女が足早に座敷を後にする。

 こうして何だかわけの分からないうちに風間小太郎の報告会は終わってしまった。




 三月に入ると豊臣方の一部は秀吉の指示を待つことなく戦闘に入る。

 三日には三島において豊臣方と北条方と間で小競り合いが繰り広げられた。六日までに豊臣水軍は伊豆長浜城を攻め落とす。

 この段階で史実から大きく離れるのは不味い。大作は見掛けだけは派手に戦いつつも最小限の損害で撤退するよう指示を出す。


 長浜城主にして北条水軍のリーダー的存在を務める梶原景宗(かじわらかげむね)は当然のことながらこの方針に不満のようだ。

 とは言え、この人は元々は紀伊国出身の海賊だったそうな。水軍トップに引き立ててくれた北条に対する忠誠心も高い。なにせ史実では北条が滅びた後、高野山に入った氏直に付き従ったくらいなのだ。


 それに比べると清水康英(やすひで)の狼狽えっぷりは半端ない。


「御本城様、徳川水軍は西伊豆の諸城を次々と攻め落としておりますぞ。小浜景隆が土肥高谷城、八木沢丸山城を。向井正綱と本多重次が安良里城と田子城を落城させたそうな。西伊豆の諸城や大きな港は次から次と敵の手に渡っておりまする。この勢いで豊臣が攻めて参れば一月で西伊豆は敵の手に落ちましょうぞ。御本城様、いった如何なさるおつもりにございまするか?」

「いや、あの、その…… その話だったら前から何編も何編もしておりますよね? もしかして忘れちゃったでちゅか? 北条の絶対防衛圏は下田城。ここまでは適当に時間を稼げれば良いんですよ。北条水軍の主力はちゃんと小田原に温存してあるんですもん。西伊豆防衛は基本的に全て傭兵で賄っていますしね」

「然れども御本城様、碌に戦いもせずに次々と城が落ちれば兵どもが怯えますぞ。何ぞ一つか二つ勝ち戦を上げねば……」


 清水康英が昭和天皇の一撃講和論みたいな理論というかナニをナニし始める。

 この爺さん、下田城主にして伊豆水軍のトップの癖になんだか頼りない感じだあ。大作は何とも言えない漠然とした不安感を禁じ得ない。


「上野介殿。そのための下田決戦でしょう。水軍の夜間航行訓練は順調ですか? 本番まで一月を切りましたぞ」

「其れならば準備万端滞りのう進んでおります。もう、目を瞑ってでも下田まで参れますぞ。さりながら……」

「貴殿は何をそんなに怯えておられる? まるで迷子のキツネリスのようですぞ」

「決して怯えてなどおりませぬ。とは申せ戦はもう始まっておるのですぞ。それが儂の出番は一月先じゃと申されましてもなあ。修練ばかりでは体が訛ってしまいまする」

「まあまあ、上野介殿。日はまた昇る。果報は寝て待て。寝る子は育つ。のんびりと一月先を待ちましょうや」


 不満そうに口を尖らせる清水康英に対して大作は無責任な楽観論で宥めることしかできなかった。




 同じころ、北条氏邦(安房守)が兵一万五千を率いて碓氷城に向かって行った。

 ほのかや美唯が奏でる陸軍分列行進曲の物悲しいメロディーに合わせて雑兵足軽たちが小田原城下の大通りを行進する。

 いった彼らの中の何人が再び生きて帰ってこれる…… こられるんだろう。それは神のみぞ知るといったところだろうか。まあ、所詮は他人事なんだけれど。

 大作は哀れな雑兵足軽たちのことを心の中のシュレッダーに放り込んだ。



 一方、京の都では三月一日に秀吉が後陽成天皇より北条討伐を名目とした節刀を賜ったそうな。大軍を率いた秀吉はすぐさま聚楽第を出発した

 秀吉に対して後陽成天皇は北条討伐の勅書を発しなかった。とは言え、秀吉に節刀を授けている。これは関白秀吉を天皇の名代としたも同然だ。

 従って豊臣が敗北した場合、天皇の戦争責任といった問題も当然発生する。

 大作は戦争犯罪人として訴追される後陽成天皇を想像して吹き出しそうになったが空気を読んで我慢した。




 三月十五日になると中仙道方面から前田利家や上杉景勝、真田昌幸、依田康国、エトセトラエトセトラ…… 所謂、北国勢が碓氷峠に姿を表す。

 史実では同日、真田昌幸の先遣部隊が碓氷峠において北条勢との戦闘状態に突入したそうな。戦闘準備が不十分だった北条勢はあっけなく総崩れとなって敗退。十八日には大道寺政繁が松井田城で千五百の兵とともに籠城することになる。


 だが、数ヶ月も前から万全の準備体制を取っていたお陰だろうか。あるいは一万五千もの大兵力を増派したせいだろうか。碓氷峠における遭遇戦は北条方の一方的な勝利に終わったらしい。

 まあ、碓氷からの報告を信じればの話なんだけれども。


 通信士が記録用紙にモールス信号を書き殴る。それを暗号係が乱数表と付き合わせながら解読する。

 手渡されたA4より一回り大きい堅紙を四つに切った小切紙を勿体ぶった手付きで開く。そこには例に寄って達筆過ぎる崩し字がミミズのようにのたくっている。大作は暫しの間、黙ってそれを眺めていた。いたのだが…… さぱ~り読めないんですけど!


「ギブアップだ、お園。解読してくれ」

「大佐ったら『まるで成長していない……』のね。まあ、そこが可愛いんだけど。どれどれ…… あらあらまあまあ、大道寺様ったら大手柄ね。真田昌幸を討ち取ったみたいよ」

「い、いきなりかよ。って言うか、遠慮会釈もないんだな。まあ、北条としても真田には散々と煮え湯を飲まされているからな。殺しても飽きたら無いってところだろう。他は予定通りに行ったのかな? 味方の損害とかはどうなってるんだ?」

「神、空にしろしめす。すべて世は事もなし。ですってよ」

「ふ、ふぅ~ん。としか言いようが無いな」


 その後も碓氷からは定期的に単調な報告が入ってくるのみだ。いつしか碓氷のことは大作の意識から消えていった。




 三月二十日には氏直の叔父の北条氏光が五千の兵を率いて河村城の城代として現地入りした。

 ここは敵が足柄街道を通って北から小田原へ侵入しようとした場合の重要な防衛拠点である。

 史実なら足柄城で防衛するところだろう。だが、補給が困難な足柄街道をあえて無抵抗で敵に明け渡すことで補給の負荷を敵に負わせようという巧妙にして狡猾な作戦なのだ。




 近江八幡、柏原宿、大垣城、清州城、三河吉田城、エトセトラエトセトラ…… いろんな所を経由した秀吉が駿府城に入って家康の歓待を受けたのは三月十九日のことだった。

 秀吉も結構な年齢にきている。ここ駿府で暫しの間、長旅の疲れを癒やす。


 駿府を立った秀吉が駿河の三枚橋城へ到着したのは三月二十七日のことだ。

 同日、弘前城主の津軽為信はわずか十八騎の家臣を率いて三枚橋城に駆け付けた。豊臣秀吉に謁見を願い出た為信は無事に津軽三郡と合浦一円の所領安堵状を与えられたそうな。

 出羽国の戸沢盛安ら東国や東北の諸勢力も秀吉の下に参陣。所領安堵を受けたらしい。

 まあ、豊臣が敗れればその安堵状も全てが空証文になってしまうんだけれども。


 翌、三月二十八日には家康の陣所である駿河長久保城へ秀吉が訪問する。その足で山中城を視察した秀吉は簡単な軍議を行った。

 山中城攻めは豊臣秀次を総大将に。韮山城攻めは織田信雄を総大将にすることが決定する


 苦戦中の北国勢を支援する意味でも東海道を進む主力部隊は奮戦せねばならない。

 小田原城へ通じる箱根街道の山中城、足柄街道の足柄城、そして後詰の韮山城。この三城を総力戦で持って一気に粉砕。さらに水軍が伊豆半島を周って下田を同時に落とす。


 初戦から大打撃を与えて小田原に籠もる北条方の戦意をポッキリ折ろうという魂胆なんだろう。

 山本五十六の真珠湾攻撃みたいな発想だな。まあ、アメリカ人には完全に逆効果だったんだけれども。


「ねえねえ、大佐。それだったら真珠湾じゃなくてフィリピン辺りを攻撃すればどうなのかしら? アメリカの方々の反日感情も然程は高まらなかったかも知れないわよ」

「そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。だけどもなあ…… 南部仏印に進駐しただけで在米日本資産の凍結と対日石油全面的禁輸だぞ。当時、アメリカ最大の海外領土だったフィリピンに攻め込んでタダで済むとは思えんのだけどなあ」

「そんなことないわ。ちょっと頭の体操だと思って考えてみましょうよ。ね? ね? ね?」

「しょうがないなあ。まあ、どうせ暇だし一丁やってみるか」


 山中城や下田城に対する豊臣方の攻撃を間近に控えた小田原は今日も平和であった。


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