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巻ノ参百参 故郷への長い道 の巻

 大作とお園を乗せた三十石積の小船は土浦を出発した。小さな船体に不釣り合いなくらい大きな帆は強い北風を受け、霞ヶ浦を南東へと向かって進む。舟の速度は十ノットといったところだろうか。

 吹きっ晒しの舟の上には冷たい北風が休みなく吹き付けている。いつもの大作なら真っ先に艫屋倉に逃げ込むところだろう。だが残念なことにたった三十石の小舟にはそんな大層な物は付いていない。

 仕方がないのでお園にゴアテックスのレインウェアを着せ、二人でエマージェンシーシートを羽織って寄り添うのが精一杯の抵抗だ。


「なんだか妙に寒いわねえ。なんでこんなに寒いのかしら?」

「陸地に比べると水の上は温まり難くて冷め難いんじゃね? だから日中は下降気流が発生して上空の冷たい空気が降りてくるのかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど」

「ふぅ~ん。だったら今は辛抱するしかしょうが無いのね。早く春になったら良いのに」

「さすがに春になる前には温かいところに辿り着けるんじゃね? そうとでも思わなきゃやってられんわ!」


 大作が忌々しそうに毒づくとお園も禿同といった顔で頷いた。

 霞ヶ浦の湖面を進むこと暫し。やがて右手の前方に浮島と思しき島影が見えてくる。現代とは違って完全に陸地とは切り離された離れ小島…… いや、意外と大きな島に見えるぞ。南北は二キロほどだが東西方向には七、八キロはありそうな細長く伸びた島みたいだ。


「浮島って名前だけど本当に浮いてるわけじゃないんだよな。まあ、ひょっこりひょうたん島じゃないんだからしょうがないか」

「そりゃそうでしょう。だけどもチチカカ湖のトトラみたいなのもアリかも知れないわよ。それで? 彼処の人たちはいったい何をしているのかしらねえ」


 望遠鏡を覗きながらお園が不思議そうな声を上げる。大作も自分の単眼鏡を取り出すと浮島の様子を観察した。

 それほど広くも無い原っぱでは大きな桶みたいな物を抱えた数人の男たちが何やら右往左往しているような、していないような。分からん、さぱ~り分からん!


「聞けば何でも答えが返ってくると思うなぁ~っ! たぶんだけどアレは製塩なんじゃね? 浮島では常陸国風土記の時代から『塩を火きて業と為す』だったらしいぞ」

「ふぅ~ん。塩ねえ……」


 お園の興味はそこでぷっつりと途切れてしまったのだろうか。それっきり黙り込んでしまった。




 太陽が南の空へ差し掛かったころ、二人を乗せた小舟は進路を南西へと変える。船頭たちは帆を畳むと長い竿や大きな櫓を巧みに操って舟を進めた。狭い川に入り込むとひたすら西を目指す。細長い手下浦(てかのうら)(手賀沼)を通り抜け、柏の辺りに辿り着いたのは正午を少し回ったころだった。


 大作とお園は船頭たちに丁寧に礼を言うと舟を降りる。現在位置は二十一世紀でいうと柏の辺りだろうか。取り敢えずは流山を目指して西に向かって歩く。


「上手く行けば江戸川を下ってくるサツキとメイたちに合流できるはずだぞ。合流できんかも知らんけどな」

「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」

「どしたん、お園? もしかして合流できない方が良いと思ってるのか?」

「そんなことないわ。私はただ、最悪のケースを想定しているだけよ。戦いとは常に二手三手先を読んで行うものでしょう?」


 二人はそんな阿呆な話をしながら人っ子一人としていない原野を進んで行く。

 歩くことおよそ二時間で江戸川が見えてくる。大作とお園は例に寄って川を下ってくる舟を捕まえると半ば強引に乗せてもらう。

 半時間ほど南へ進むと柴又の辺りに辿り着く。


「からめきの瀬が見えてきたな」

「何なのそれ?」

「来る時には満潮だったから見えなかったのかな? 川のど真ん中を見てみ。関東ローム層の下にある硬い岩盤が露出してるだろ」

「ふ、ふぅ~ん。アレにそんな呼び名が付いてたのね」

「さて、船頭殿。お乗せ頂きまして有難うございます。この辺りで結構ですので川岸に着けて頂けますかな?」


 江戸川が大きく左へ曲がった辺りで小舟を西岸に寄せて貰うと二人は陸へと上がった。

 船頭たちに丁寧に礼を言って別れを告げると大作とお園は休む間も無くまたもや西へと歩を進める。

 例に寄って例の如く(アシ)だか(ヨシ)だかが果てしなく生い茂った湿地帯だ。暫く歩いて行くと道らしき物に行き当たったので少しだけ歩き易くなった。

 巨大な池を左手に見ながらひたすら進んで行くとお園が不満そうに口を開く。その顔色は不機嫌さを隠そうともしていない。


「進まなきゃいけない道は此方で合ってるのかしら?」

「さあなあ、どうなんじゃろ? って言うか、俺たちに目的地なんてあるのかな? 俺の前に道は無く、俺の後に道が出来る。みたいな?」

「あのねえ、道ならちゃんとあるじゃないの。それに私、だんだんとお腹が空いてきたわよ。夕餉は何処でどんな物が食べれる…… 食べられるのかしら? 事と次第に寄っちゃ私、許さないわよ」

「どうどう、餅つけよ。ほれ、この風景に見覚えは無いか? お前、完全記憶能力者なんだろ?」

「これって…… これって私が大佐と初めて会った河原じゃないの? そうよ、そうだわ! 人買いから逃げていた私はここで大佐と出会ったのよねえ。あの人買いは今頃、何処でどうしているのかしら?」

「気になるのはそこかよ!」


 川をバックに記念写真を何枚か撮った二人は凍えるように冷たい冬の石神井川を手を繋いで渡る。

 冷たい! 死ぬほど冷たい。それにしてもどうしてこの川には橋の一つも架かっていないんだろう。謎は深まるばかりだ。

 どうにかこうにか対岸へと渡り切った二人は体を寄せ合って暖を取る。暫しの間、足の裏をマッサージすると再び西へと歩みを進めた。

 やがて日が西の空へ傾き、辺りが暗くなってくる。これは駄目かも分からんな。大作はLEDライトを取り出すと足元を照らす。

 どうにかこうにか江戸城へと辿り着くころ、日はとっぷりと暮れていた。




「如何なされました、御本城様? 二千の兵を率いて小田城攻めに合力すると聞いておりましたが、何ぞ手違いでもござりましたか?」


 出迎えに現れた江戸城代の遠山筑前守景政は大作とお園の顔を見るなり怪訝そうな表情で首を傾げた。

 確かこの男は一手役にして三家老が一人、川村秀重政四郎の兄なんだっけ。流石の大作も先月会ったばかりの男の顔くらいは覚えているのだ。


「いやいや、筑前守殿。ちょっとした行き違いがありましてな。アレはアレですよ。何っていうのかな…… ペンディング? みたいになっちゃったんですよ」

「左様にござりまするか。それは重畳なことで。ではこのまま小田原へお戻りになられるのでしょうか?」

「そ、そうですな。風向きも悪いようなので歩いて帰ろうかと思うております。んなわけで今宵一晩、軒下三寸借りうけましてよござんすか? ただし、夕餉だけは豪華ディナーでお願い致します」

「そのことなれば良く心得ております。ささ、此方へどうぞ」


 遠山景政が自ら先に立って案内してくれたので大作とお園は大人しく後ろにくっ付いて歩く。暫く進むと前にも泊めてもらった座敷に通された。部屋にはあらかじめ火鉢が用意してあったの中はとっても温かい。二人は遠慮なく火にあたらせてもらった。


「良かったわね、大佐。また、タダで泊めて頂けたみたいで。お礼に良いレビューとか書かなくちゃいけないのかしら?」

「どうなんだろな? タダより高いものは無いとも言うぞ。それはともかく、俺たちはサツキやメイたちより一足早く江戸城に着くことができた。あとは油断せず、このリードを維持したまま小田原を目指すだけの簡単なお仕事だ。ここから小田原なら前にも通ったことがあるだろ?」

「でも、あれから四十年も経ってるのよ。道とか変わってるんじゃないかしら。知らんけど」

「ど、どうなんだろ。まあ、ちょっとくらいは変わってるかも分からんな。とは言え、すべての道はローマへ通ずだ。なんくるないさぁ~!」




 大作とお園は久々に食べる豪華な夕餉に舌鼓を打った。

 陪席した遠山景政は小田城攻めの話を聞きたがる。聞きたがったのだが……

 寝坊したので詳しい事は分からないんですけど! だけども正直にそんなことを話したら阿呆だと思われるかも知れん。仕方が無いので大作は精一杯に想像の翼を働かせて話を盛った。




 翌朝、まだ暗いうちに目が覚めてしまった二人は朝食もそこそこに江戸城を後にした。

 景政が用意してくれたお弁当を受け取ると丁寧に礼を言って別れを告げる。

 真っ直ぐ南に向かって伸びている街道は四十年前に比べると少しだけ整備が行き届いているような気がしないでもない。まあ、気のせいかも知らんけど。


 以前、霞が関の関所があった辺りはすっかり更地になっていて何の痕跡も見当たらない。きっと廃屋の部材なんてとっくにリサイクルされてしまったんだろう。

 品川の港は昔と変わらない活気に満ちあふれている。朝も早い時間だというのに何艘もの大きな船の回りで大勢の人たちが忙しなく働いていた。

 前回は良く分からなかった大森貝塚も今回ははっきり視認できる。だけどこれを列車の中からチラっと見ただけで貝塚だと看破したモースも大した奴だなあ。よっぽど目が良かったんだろうか。


「食べた後の貝殻がこんなに(うずたか)く積み上がるだなんて縄文人はよっぽど食いしん坊だったのかしらねえ」

「お園ほどじゃないだろうけどな」

「言ったわねぇ~!」

「あはははは……」

「うふふふふ……」


 二人はそんな阿呆な話をしながらも進路を南西へ変えるとひたすら歩いて行く。日が高く昇るころには多摩川を渡し船で越えた。


「前に通った時はお園ったら凄いビビってたよな。舟に乗るのは初めてだとか何とか」

「そりゃあ誰にだって初めてはあるわよ。でも、私は恐怖をコントロールすることで自分自身に勝つことができた。それで良いじゃ無いの。ところで、あの時は川を越えた辺りで野宿したんだったかしら」

「確かそうだったな。だけど、今日は超ハイペースで行くぞ。超高速参勤交代のつもりでガンガン進もう」

「そうよね。のんびりしていたらサツキやメイに追いつかれちゃうもの」


 何だか趣旨が変わってるんじゃね? 大作は心の中で突っ込みを入れる。だが、それを口に出して言うほど野暮でも無かった。 


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