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巻ノ参百弐 ツェッペリン号は燃えているか? の巻

 小田城を後にした大作とお園は小田原への帰路に就いた。就いたはずだったのだが……

 いったいどこでどう道を踏み間違えたのだろう。気付けば土浦へと辿り着いてしまった。


 だが、これまで幾多の海千山千を潜り抜けてきた大作にとってこの程度のことは最早トラブルの内にも入らない。精々が生活を彩るアクセントといったところじゃなかろうか。

 ちなみに『海千山千』という言葉は古代中国の故事からきているんだそうな。海に千年、山に千年住み続けた蛇は竜になるんだとか何とか。


「えぇ~っ! 蛇ってそんなに長生きするものなの?」

「あのなあ…… マジレス禁止! これはレトリックというか誇張法というか…… とにもかくにもそんな奴なんだよ。鶴は千年、亀は万年とか言うだろ? 言わない? 言わないんだ…… 話は変わるけど蛇は爬虫類だから意外と寿命は長いらしいな。大型のニシキヘビなんて二十五年~三十年も生きるんだとさ。飼育下のアオダイショウが四十六年も生きたって記録があるくらいなんだ」

「ふ、ふぅ~ん」

「ちなみに蛇は変温動物だって知ってたか? だから気温の変化に体温が適応できないとストレスになっちまうんだとさ。そこで湿度や温度の管理に注意を払ってやらねばならんわけだ。それと脱皮不全にだけは特に気を付けてくれよ。いろんな病気の原因になりかねんからな。それはそうと……」


 アレやコレやとスマホで情報を探しながら大作はムキになって蛇の健康管理について力説する。お園はドン引きといった表情をしながらも空気を読んで話の腰を折ったりはしなかった。




「さて、それじゃあせっかく霞ヶ浦くんだりまでやってきたんだ。ちょっくら観光と洒落こもうか」

「そりゃあそうよねえ。せっかくここまで来ておいて素通りなんてしたら勿体ないお化けが出そうだわ」

「ところでこの霞ヶ浦は『常陸国風土記』が書かれた頃には内海だったって知ってたか? それが鬼怒川や小貝川が堆積物を運んできたせいで淡水化が始まっちまったんだそうな。湖底調査によるとヤマトシジミの貝殻が十五世紀から十六世紀ごろ大量に堆積していたらしいな。だから当時の…… って言うか、江戸時代以前は霞の浦って呼ばれてたらしいんだけど現時点の霞ヶ浦は汽水湖なんだとさ」

「ふ、ふぅ~ん。だとすると、まずはその大和蜆(ヤマトシジミ)とやらから頂くとしましょうか」


 まずは食い気が最優先かよ! 相変わらず迷いが無いな。大作は柄にもなくちょっとだけ感動してしまった。


 この時代、香取社大禰宜(ねぎ)や鹿島社大宮司の支配下には海夫とかいう人がいて神祭物を納める代わりに漁業や水運における特権が許されていたんだそうな。

 鹿島と香取の両社は内海であった霞ヶ浦の『扇の要』みたいな位置にある。地政学で言うところのチョークポイントって奴だな。物資の集散地であると同時に東国の代表的な神社でもあったわけだ。

 当時の航路は気象やら海賊やらの脅威も大きかっただろう。その無事を祈って鹿島や香取の社に対する信心は現代とは比較にならないほど高かったようだ。

 立派な社殿には後から後から参拝が絶えず、あちらこちらで様々な行事が執り行われているらしい。

 今回の大作とお園はただの観光目的なので適当に参拝を済ませると次の観光ポイントを目指した。


「知っているか、お園? あの辺りの湖畔一帯には1916年に大日本帝国海軍の航空施設が建設されるんだぞ。以後、霞ヶ浦は日本の近代軍事史と航空史における重要拠点になる。例の巨大飛行船ツェッペリン伯号もこの航空隊基地に来航したそうな」

「ふ、ふぅ~ん。それってレッド・ツェッペリンの名前の由来にもなったアレのことよね? だけどもツェッペリン伯爵の子孫から勝手に名前を使うなって訴えられかけたこともあるんでしょう? そも、大勢の人が無くなった事故の写真をアルバムのジャケットに使うだなんて東西を弁えない所業だわ。御巣鷹山に墜落した日航123便の写真を使うような物じゃないかしら? 思慮が足りないわよ! そんな無体なこと、お天道様が許しても巫女頭領の私が許さないわ!」

「どうどう、餅つけお園。どしたん? もしかして変な物でも食ったのか? お園は世界初の有人動力飛行に成功したんだぞ。もうちょっと航空業界の将来って物に興味を持っても良いんじゃないのかなあ?」

「そうは言っても興が乗らないんだから仕方が無いでしょうに。それよりヤマトシジミとやらはいつ食せるのかしら? 私の我慢にも限りがあるのよ、大佐?」


 お園の大きな瞳が攻撃色に染まっている。これはもう駄目かも分からんな。大作は早くも諦めの境地に…… いやいや、諦めたらそこで試合終了。まだだ、まだ終わらんよ!


「浦賀といえば『カレーの街』だって知ってたか? ここのカレーの歴史は随分と古いんだぞ。1929年っていうから今から三百四十年後だな。さっきのツェッペリン伯飛行船が飛来した折に乗組員たちにカレーが振る舞われたとか振る舞われなかったとか」

「あのねえ、大佐。浦賀じゃないわ、土浦よ」

「え? なんだって?」

「ここは土浦だって言ってんのよ! もぉ~う、難聴主人公は嫌われるんだからね!」

「俺、ちゃんと浦和って言った様な気がするんだけどなあ……」

「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」

 

 そんな阿呆な話をしながら二人は浦賀だか浦和だかを彷徨い歩く。歩いたのだが…… 特にこれと言って面白い物は見当たらなかった。

 四隻の黒船もいなければ浦和レッズもいない。そもそもここは土浦なんだもん。

 二十世紀に霞ヶ浦海軍航空隊が築かれるであろう敷地にも自然豊かな湿地帯や草原が広がるのみだ。


「そう言えばここ浦賀…… 浦和?」

「土浦よ、土浦! いい加減に覚えて頂戴な、大佐」

「そうそう、土浦だったっけ。とにもかくにもその土浦にはあのチャールズ・リンドバーグ夫妻も訪れているんだぞ。1931年8月26日のことだ。名目は北太平洋航路調査ってことだったらしいけどな。当時の霞ヶ浦には外国の飛行機が度々やってくる世界的空港だったんだとさ」

「こんな何も無いところがねえ」

「むしろ何も無かったから発展したんだろうけどな。その一方で霞ヶ浦航空隊は日本で最大の航空戦力を誇る基地として拡大される。予科練の訓練学校とかも置かれたそうな。太平洋戦争が始まるころには大佐か少将が隊長を勤める規模だったらしいな。大佐だったころの山本五十六も航空隊の副長や航空学校教頭を務めたんだとさ。だから今でも銅像が建ってるんだ。まあ、終戦で規模は小さくなって陸自の霞ヶ浦駐屯地や土浦駐屯地だけになっちまったんだけどな」


 いい加減に我慢の限界に達しつつあるお園を宥め賺しながら大作は道を歩いて行く。

 これはもう駄目かも分からんな。だが、諦めの境地に達しかけた時に突如として救いの手が差し伸べられる。それは誰あろう。道端で営業していた屋台風の飲食店だった。

 戦国末期にこんな営業形態があったんだろうか。いや、現にあるんだからしょうがないんだけれど。

 そう言えば、室町時代から一服一銭みたいな移動販売はあったんだっけ。ならば不思議では無いのかも知れんな。大作は自分の中で無理矢理に折り合いを付けた。


「見ろ、お園。何か良い匂いのする物を売ってるみたいだぞ。食べて行こうよ」

「そうね、これって何なのかしら。ご店主、一つ下さいな」

「へい、お熱いですぞ。ご用事なされませ」


 中年の小男が大きな土鍋から謎の液体を掬って器に注ぐ。ぷぅ~んと芳しい香りが漂ってくる。これって何じゃらホイ。粗末な椀に入っていたのは……


「蜆だわ! これがさっき大佐の言っていた大和蜆なのかしら? どうやら酒蒸しにしているみたいね。どれどれ…… あら、諏訪湖で取れる蜆と似ているけれど何だか味わいが少しだけ違うみたいだわ。とっても美味しいわよ。もしかして霞の浦は汽水湖だからなのかしら」

「良うお分かりになられましたな。其れは薄めた塩水で砂抜きしておるからにございましょう。然らば旨味が逃げませぬ故」


 店主が嬉しそうな顔で相槌を打つ。大作も食べてみるがさぱ~り違いが分からない。グルメな人たちは舌の出来が違うんだなあ。関心を通り越して呆れるばかりだ。

 代金は銭十文だそうな。大作は二人分の銭二十文を払おうと…… 払おうとしたのだが小銭の持ち合わせが無い。仕方が無いのでお園に立て替えてもらった。




「さて、腹も膨れたことだ。そろそろ帰りの舟を探すとしようか」

「例に寄って例の如く、ヒッチハイクよね? 行き先は何処なのかしら」


 大作は黙ったままバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと殴り書きのように荒々しい文字で『手下浦(手賀沼)』と書いた。

 チラリと覗き見たお園は納得といった顔で深々と頷く。


「あぁ~あ、そういえばさっき言ってたわねえ。そこから先は歩きだったかしら」

「せいぜい半里かそこらだけどな。さてと…… 何方か手下浦(手賀沼)へ参られる舟はござりませぬか? 恐れながら乗せて頂くことは叶いませぬでしょうか? 後生にございます。我ら二人を手下浦(手賀沼)まで乗せて下さりませ! お願い致します!」

「どうかお願い致します! 何方かお助け下さりませ!」


 半泣き顔を浮かべた大作とお園は大声を上げながら霞ヶ浦の岸辺を練り歩く。

 そんな二人に好奇の目を向けてくる者、そっと視線を反らす者、迷惑そうに顔を背ける者、エトセトラエトセトラ。みんな違ってみんないい。

 だが、誰一人として乗船許可を出してくれる者はいないようだ。世知辛い世の中だなあ。大作は苦虫を噛み潰すと忌々しげにため息をついた。




 それから小一時間の後、二人の姿は三十石積くらいの小船の上にあった。

 細長くて浅い吃水の船体は江戸時代に淀川を上り下りしていた過書船(かしょぶね)を彷彿させる。恐らくは特に関連は無いんだろう。

 四人の船頭が操る船は乗客を乗せれば三十人近い積載量がありそうだ。まあ、閑散期らしいので大作とお園の他には誰も乗っていないんだけれども。

 風向きが順風なので小さな帆の力で船は南へ南へと力強く進んで行く。


「はやいはやい、サラマンダーよりずっとはやいわね」

「十ノットは出ていないだろうけどな」


 二人は顔を見合わせると一頻り大笑いした。それを見た船頭たちも微笑ましい物でも見るかのように暖かい笑顔を浮かべている。


 だがその途端、冷たい北風が吹き付けて二人の体温を容赦なく奪い去った。

 こいつは辛抱堪らんぞ。体の芯まで凍えちまいそうだ。大作は慌ててバックパックからゴアテックスのレインウェアを取り出すとお園に着せる。そして二人で抱き合うように寄り添うとエマージェンシーシートを羽織った。


 何時にも増して制御不能な大作とお園の旅は何処へ向かっているのか当人たちにもさぱ~り分からなかった。


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