巻ノ参百壱 すべての道はローマに通じているか? の巻
小田城を無事に…… とは言えないがどうにかこうにか奪還した大作たちは小田原への帰路に就こうとしていた。していたのだが……
「いやいや、左京大夫殿。お待ち下さりませ。こうして無事に…… とは申せませぬが城を取り戻せたのも偏に左京大夫殿の合力があった故にござろう。今宵は祝の宴を催しますれば枉げてお出で下さりませ」
天庵(小田氏治)や彦太郎(小田守治)、八田左近たちの熱烈な参加要請を受けてしまった。
まあ、日は既に大きく傾いている。冷静に考えればこんな時間に出発できるわけもない。兵だちだって疲れ果てているはずだし。大作は考えるのを止めた。
手子生城に戻ると直ぐにも祝の宴とやらが始まる。このおっさんもしかして早々と祝勝会の準備を整えていたんだろうか。捕らぬ狸の皮算用ここに極まれりだな。
氏治、恐ろしい男! 巷では戦国最弱とか言われている戦国武将だが、この楽観的な生き方が彼をここまで支えてきたのかも知れん。そうじゃないかも知らんけど。
大作は考えるのを止めた。
「ささ、左京大夫殿。まずは一献」
「いやいや、昨晩は酒で大失敗を致しましたので今宵は止めておきましょう。所謂、休肝日って奴ですな」
「左様にござるか。ならば致し方なかろう。彦太郎、左近。飲め飲め」
男たちが酒を酌み交わし、あちこちで戦の自慢話が始まる。いや、見れば女性陣もなにやら楽しそうに盛り上がっているようだ。大作はサツキやメイのところへ這い進もうと……
「お待ち下され、左京大夫殿。しかしあの『ろけっとだん』とやらは何とも気恐ろしい物にござったな。あれさえあらば戦で怖いもの無しにござろう」
「天庵殿。王蟲の怒りは大地の怒りじゃ。あんなものにすがって生きのびてなんになろう」
「な、何と申された! あれに縋ってはならぬと? 左様な物を我が小田城に使ったと申されるか?」
「いやいやいや、決して使っちゃ駄目って意味じゃ無いんですよ? まだ、量産体制が整っていないから貴重ってことなんです。それに北条では来月にも里見攻略戦が控えておりまして。それには大量の火薬や油を必要としておるのです。こんなところでご理解いただけましたかな?」
「な、なんじゃと?! 北条殿は里見を攻めると申されるか? 三月には豊臣との戦が控えておると申しておらなんだか? 左様に次から次へと戦をするなど聞いたこともござらぬぞ」
急に不審そうな表情を浮かべた氏治が声のトーンを落とした。
痛くもない腹を探られるのは勘弁だな。大作は咄嗟に言い訳に考えを巡らせる。
「まあまあ、天庵殿。餅ついて下さりませ。これは戦とも言うのも恥ずかしいような小規模軍事作戦なんですよ。って言うか、二月十六日(1590年3月21日)に発生する地震を利用したテロ作戦なんですもん」
「じしん?」
「地震の意にございます。おびたたしき大地震が震ると申されておられるのです。その夜に相模トラフがスロースリップして大地震が起こるそうな」
絶妙のタイミングでお園が助け舟を出してくれた。大作はアイコンタクトを取って謝意を表す。
「まあ、そんな感じですのでお気遣いなく。我らが里見や豊臣を打倒するのは既定路線にございます。問題はその後ですな」
「その後? にござるか。真に豊臣を倒すことが叶わば天下は大きく乱れることじゃろう。もしや左京大夫殿は豊臣に変わって天下を治めんと欲しておられるのか?」
「いやいや、拙僧が考えておるのはそのさらに先のことにございます。何でしたら日本は天庵殿にお任せしても宜しゅうございますぞ。小田幕府でも開いてみては如何かな? とにもかくにも北条の目指すは世界統一政府の樹立にございます。そして地球連邦初代大統領にはお園。お前が就任するんだ。憲政史上初の女性総理よりずっと凄いだろ? な? な? な?」
「しょうがないわねぇ~」
悪戯っぽい笑みを浮かべたお園は両の手のひらを肩の高さで掲げると首を傾げた。
翌日の早朝、朝餉を食べ終わった一同は氏治たちに別れを告げる。盛大な見送りを受けながら城を後にすると徒歩で帰国の途に就いた。
来たときに通った道をそのまま戻るという簡単なお仕事だ。これくらいなら方向音痴の大作にだって全く問題無い、無いはずだったのだが…… 道に迷ってしまった。!
いつもはオプションみたいにくっ付いてくる相州乱波たちも今日に限って誰一人として姿を見せない。
「こ、ここっていったい何処なんだろうな?」
「さあ、何処なのかしらねえ。でも、すべての道はローマに続いているんでしょう? そのうちローマに辿り着くんじゃないかしら」
「いや、それはそれで困っちゃうんだけどな。パスポートとか持って無いし。と思ったけど、ローマ観光も悪くはないか。よぉ~し、それじゃあいっちょう名所旧跡を巡ると致しましょうか。まずはトレビの泉からだ! あははははは!」
「ちょ、ちょっと待ってよ大佐。急に走らないで頂戴な。うふふふふふ……」
大作とお園はキャッキャウフフしながら人気のない街道を南東へと進んで行った。
桜川に沿って歩くこと暫し。視界のずっと遠く左手に藤沢城、右手に金田城が見えてきた。
やっぱローマ観光は一日にしてならずか。短え夢だったなあ…… 大作は小さくため息をついた。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。突如として前方に高台が現れる。
どうやら周囲を堀で囲み、曲輪が出丸がそこここに作られている平山城のようだ。丘の天辺付近にはこの時代の一般的な城らしく粗末な木造建築物が建ち並んでいるのが見えた。
「あれってかの有名な土浦城なんじゃね? 嘘か本当か知らんけど平将門があそこに砦を築いたっていう伝説があるらしいな。たぶん嘘だろうけどさ。ちなみにあそこはしょっちゅう水害に遭うんだそうな。だけど高台で水没しないから水に浮かんだ亀の甲羅みたいに見えるって言うんで亀城ってニックネームが付いたんだとか」
「ふ、ふぅ~ん。どこいら辺が亀なのかしら。あんまり亀みたいには見えないわねえ」
「まあ、そこは想像の翼を広げてみたら良いんじゃね? 『もしもし亀よ、亀さんよ』ってな」
「なになに? 何なのよ、その歌。教えて頂戴な、早く早く!」
大作は素早くスマホを起動すると『うさぎとかめ』に関して調べる。
作曲 納所弁次郎 昭和十一年(1936年)没
作詞 石原和三郎 大正十一年(1922年)没
よっしゃ、著作権は無問題だな。これで大手を振って歌えるぞ。大作は軽く咳払いをすると大きく息を吸い込んだ。
もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか
なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山 ふもとまで
どちらが さきに かけつくか
どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろう
ここらで ちょっと ひとねむり
グーグーグーグー グーグーグー
これは ねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン ピョンピョンピョン
あんまり おそい うさぎさん
さっきの じまんは どうしたの
「どゆこと? ひょっとしてうさぎが途中で油断して居眠りしたもんだから負けちゃったってオチなのかしら?」
「ピンポ~ン! 正解だ。どんなに優れた能力を持っていようと敵を侮れば敗れることもある。獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くすって奴だな。ちなみに原作はかの有名なイソップ物語だ。こっちの著作権もとっくの昔に切れてるはずだ。そもそもイソップが実在の人物かどうかすら疑わしいしな」
「ふ、ふぅ~ん。だけども獅子って狩りをするのは雌の仕事だって知ってたかしら? 雄の獅子は後からやってきて獲物を横取りするだけなのよ。見下げ果てた奴よねえ」
お園が心底から忌々しそうに顔を歪める。その表情を見ているだけで大作は心が折れそうだ。
もしかしてこいつはフォローが必要なのか? それから暫しの間、大作は腫れ物に触るようにお園のご機嫌取りに徹した。
二人はそんな阿呆な話をしながらも城の大手門に近付いて行く。例に寄って例の如く門の脇には粗末な着物を着て短い槍を抱えた足軽風の門番がぼぉ~っと突っ立っていた。
「そこなお坊様、此れは土浦城に非ず。常名城にございます」
「ひ、常名城ですと? そんな城あったっけかなあ…… あったあった! そうなんですか、間違えちゃいました。てへぺろ!」
「土浦城なればあと半里ほどにございます。ほれ、あれに見えておりますれば」
「あぁ~あ、本当だ。アレだったら亀みたいに見えんこともないですな」
「そうかしら、やっぱり私には亀に見えないわ。亀っていうのはねえ。誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなのよ。独りで静かで豊かで……」
門番に丁寧に礼を言うと大作たちは歩を進める。半里の道のりを歩くのに半時間くらいは要しただろうか。お腹が減って足が疲れ果てたころ、ようやく二人は土浦城に辿り着いた。
「ねえ、大佐。ノープランでこんなところにまできちゃったけれど、此処からいったいどうするつもりなのかしら?」
「そりゃあアレだろ、アレ。目の前は霞ヶ浦なんだぞ。いつもの要領でどっかの船に乗せて貰えば江戸くらいあっと言う間じゃね? 知らんけど」
そんなことを言いながら大作はバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと『江戸』と書き殴った。
「恐れいります、何方か江戸まで乗せていただけませぬでしょうか? 連れと逸れてしまい難儀しております。どうかお慈悲にございます。江戸まで、江戸まで行く船はござりませぬでしょうか?」
「お願い致します。どうかお助け下さりませ。助けて下さぁ~~~い!」
阿吽の呼吸という奴でお園も咄嗟に小芝居を始めた。だが、周りの人たちの反応はイマイチといった感じだ。遠巻きに取り囲む人々の視線は哀れみと嘲笑が入り混じったような複雑な色を見せている。
「これだけ頼んでも…… こんなにも困っているというのに誰も乗せては下さらぬのですか? ああ、なんということでしょう! 戦国乱世というものは人の心を此処まで荒んだものにさせてしまうというのか……」
「いやいや、お坊様。決して左様なことはござらぬぞ。然れども此処から江戸へ行く船はいくら探しても見つからぬじゃろうなあ」
見るに見かねたんだろうか。肩に天秤棒を担いだ物売り風の中年男が遠くから話し掛けてきた。その顔色は極力、厄介事に関わりたくないといった様子だ。
だが、これは貴重な情報だ。大作は瞬時に距離を詰めると男の着物の袖をガッシリと掴んで離さない。
「そ、そうなんですか? 江戸へは行けぬのでしょうか? 拙僧どもはどうしても江戸へ参らねばならぬのです。事は国家の存亡に関わる一大事ですぞ!」
「そ、そうは申されても此処を出入りする船はみな香取流海(霞ヶ浦)を行き来しておる者ばかりじゃ。まして今は冬じゃぞ。荒れた外海に漕ぎだすなぞ命が幾つあっても足りんわいな。如何にしても江戸へ参りたいと申されるなら……」
「も、申されるなら?」
「うぅ~ん…… 浮島の沖を回って印旛浦(印旛沼)から手下浦(手賀沼)へ抜ければ宜しかろう。んで、半里も歩けば太日川に出る故、関宿から下ってくる舟にでも乗せて貰えるのではなかろうか。まあ、運しだいじゃが」
そ、そうなんだ。また一つ賢くなっちまったなあ。大作は今聞いた話を心の中のメモ帳に書き込むと男に手厚く礼を言う。
隣に立ったお園も始終にこやかに話を聞いた後、とびっきりのビジネススマイルを浮かべて深々と頭を下げる。
いつにも増して行き当たりばったりに始まった大作とお園の珍道中はまだ始まったばかりだった。




