巻ノ参百 小田城は燃えているか? の巻
翌朝、まだ外が暗い時間に大作は目を覚ました。時計を確認すると四時の少し手前だ。
こんな朝早くに目が覚めちゃうだなんて真夜中覚醒って奴じゃなかろうか。睡眠障害だったら嫌だなあ。もし、睡眠時無呼吸症候群とかだったら命に関わる病気だし。これって睡眠外来とかに行った方が良いかも知れんぞ。そうと決まれば善は急げだ。近所の病院は……
その時、不意に背後からお園が声を掛けてきた。
「あら、大佐。漸くと目を覚ましたのね。あんまり起きないから憂いてたのよ。朝餉…… って言うか昼餉も通り越して早目の夕餉を食べる?」
「お、お前は何を言っているんだ?」
大作はミルコ・クロコップになったつもりで軽く凄む。だが、お園には全くと言って良いほど通じていないらしい。完全にネタを無視すると布団を畳み始めた。
「食べないなら食べないで結構よ。好きにしなさいな」
「いやいや、食べるか食べないかで言ったら食べるけどさ。だけども何もこんな朝早くから食べなくても…… って、午後四時ですとぉ~っ!」
お園が襖を開けると明るい日差しが射し込んでくる。一瞬、目が眩んだ大作は思わず手で顔を覆った。
「もしかして、もしかしないでも俺、また寝過ごしちまったのかよ…… ひょっとして十六時間くらい寝てたんじゃね? どうしてもっと早くに起こしてくれなかったんだよ!」
「起こしたに決まってるでしょうに! だけども大佐ったら『もうちょっとだけ~』とか『あと五分だけ~』とか言って寝ちゃうんですもの」
不満そうに頬を膨らませたお園は唇を尖らせる。だが、目が笑っているので本気で怒っているわけではなさそうだ。大作は布団を片付けると手早く寝間着から僧衣へと着替えた。
「で、でもさあ…… それを無視してでも起こして欲しかったんだよなぁ。これってまるでノルマンディ上陸作戦の時のヒトラー総統みたいじゃんかよ」
「だけどもアレは作り話だって萌が言ってたわよ。本当は上陸直後に装甲師団への出撃命令が出てたんですって。教導師団だって午後には移動を開始してたみたいね」
「そうは言うがな、お園。Wikipediaによると上陸地点の直近にいた第12SS装甲師団や第21装甲師団はヒトラーの許可を得るのに手間取ったって書いてあるぞ。ようやく反撃が始まったのは十六時間も後だったんだけど時すでに遅しだったそうな。ちなみに第12SS装甲師団はあのカーンを二ヶ月も死守したことで有名な……」
そんな阿呆な話をしながら遅い昼餉というか早い夕餉というか…… とにもかくにも食事にありついた。
空腹は最高の調味料。何を食べても美味しいなあ。満腹になった大作は台所まで食器を持って行き、丁寧に洗って返す。
暇そうにしていた人に頼み込んでお茶を淹れてもらうとお園と一緒に飲む。
「ふぅ~っ。しっかし目が覚めたと思ったら夕方だとは参ったなあ。今日の予定が無茶苦茶になっちまったぞ。って言うか、今日っていったい何をする日なんだっけかな?」
「予定だと今日も防御陣地の構築だったんじゃなかったかしら。だけども大佐、予定は未定であり決定では無いのよ。もう小田城では戦が始まっちゃったみたいよ。ついさっきも使番が見えていたわ。どうやら小田城は落ちたみたいね」
「…… な、な、なんだってぇ~っ! 小田城が落ちただと? 俺が寝てる間に? そ、そ、そんな阿呆なぁ~!」
「取り敢えず見に行ってみましょうよ。サツキやメイたちの様子も知りたいし。ね?」
「そ、そうだなあ。まずは状況把握が肝心か。んじゃあ、小田城へレッツラゴーだ!」
取るものも取り敢えず大作とお園は手子生城を後にした。どこからともなく現れた相州乱波たちが輪形陣に展開する。
北東を目指して暫く進むと視線の先の方で真っ黒な煙が北風にたなびく様子が目に入ってきた。
「アレってやっぱ小田城なのかなあ……」
「そうなんじゃないかしら、そうじゃないかも知らんけど」
稜線を越えた途端に視界が広がって宝篋山が見えてきた。こんな時、嫌な予感ほど良く当たるのは何故なんだろう。立ち並んでいる木造建築物は粗方が燃え尽きているようだ。もはや消火とかいう段階ではないらしい。消防が現場検証とかする段階まで行っちゃってるんじゃなかろうか。
心持ち足を早めて進んで行くと味方部隊の防御陣地が視界に入ってきた。女子挺身隊の部隊指揮官と思しき女性が姿を現す。
「お園様、ご機嫌麗しゅうございます。斯様にむくつけき所にお出でとは如何なされました?」
「大佐と一緒に前線視察でもしようかと思ったのよ。皆は息災かしら? 手傷を負うた者はいないかしら? 食べる物は足りている?」
お園は塹壕内で配置に付いている女性兵士たち一人ひとりに親しげに声を掛けながら歩いて行く。
自分も何か気の利いたことを言った方が良いんだろうか。大作は必死に無い知恵を振り絞る。
「さっ、続けなさい。困ったことがあったらなんでもいうといい。きみたちは大事な労働力なんだ」
ニッコリ微笑みかけながら大作も見様見真似で真似をした。だが、返ってきたのは引き攣った笑顔だけだ。
何故だ! 何故、奴を認めて俺を認めねえ? 大作の胸中をどす黒い嫉妬心が満たして行く…… と思いきや、あっという間に雲散霧消してしまった。だってモブの女性キャラになんてどう思われようが心の底からどうでも良いんだもん。
第三陣地、第二陣地を通り過ぎ第一陣地へと歩を進める。ここで漸く大作は見知った顔を見付けた。
「おお、メイじゃんかよ。景気はどうだ?」
「け、けいき? けいきは良く分からないけれど小田城ならば落ちたわよ。って言うか、燃えちゃったみたいね」
「そ、そうか。そりゃあ良かった、良かっ…… 良かったのかなあ? まあ、今さら言うても詮無きことか。んで? ミニエー銃やテレピン油のコンバットプルーフは出来たのか? 必要なデータとかはちゃんと取れたんだろうな?」
ぶっちゃけた話、小田城が落ちようが落ちまいがどうでも良い。そんなことよりこんな糞田舎まで足を伸ばしたのは新兵器のテストが目的だったはずだ。大作は気になって気になって仕方が無い。
そんな気持ちを知ってか知らずか。メイは人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると気の抜けた声で答えた。
「それなら安堵して良いわ。きちんと書き付けてあるから後で見て頂戴な。それと写真もたくさん撮ったわよ。今すぐに現像する?」
「いや、そのまま小田原に送ってくれ。ここで現像してもどうせ引き伸ばしまではできないからな。それより少しでも早く新聞に載せた方が良いだろう」
「分かったわ。それじゃあ大急ぎで届けさせるわね」
戦場カメラマンのロバート・キャパはノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチで百枚以上の写真を撮ったそうな。だが、現像後のフィルムを乾燥させようとした助手のミスによって八枚だか十一枚だかしかマトモに現像できなかったらしい。
そんな轍を踏みたくない大作は人に丸投げするという究極の安全策を取った。
ちなみに助かった僅かな写真もブレてたりピンぼけだったそうな。まあ、お陰で返って臨場感抜群の戦場写真が撮れたとも言えるんだけれども。
「そんなことよりも大佐。天庵様(小田氏治)たちがお待ちよ。お城に上ってみなさいな」
「そ、そうなのか? だったら早く言ってくれよ。んじゃ、また後でな!」
二人は外堀を越えて進んで行く。焼け落ちた城門を潜ると折り重なって倒れている焼死体が目に入った。
「あぁ~ぁ、みぃ~んな殺しちまいやがった……」
大作はクワトロになったつもりで呟く。だが、お園から秒で突っ込みが入った。
「違うわ、大佐。それはクロトワよ」
「はいはい、突っ込みありがとう。って言うか、お園なら突っ込んでくれるだろうと思ってわざとボケてるんだぞ」
「それくらい分かってるわ。何年一緒にいると思ってるのよ」
「いやいや、俺たち出会って半年くらいじゃね?」
「マジレス禁止!」
そんな阿呆な話をしながらも死体の中を歩いて行く。物言わぬ亡骸の周囲では現地住民と思しき人たちがほんの少しでも経済的価値のありそうな物を片っ端から引っ剥がす作業に没頭していた。
とは言え、ほとんどの死体は黒焦げの丸焼けだ。もしこれが焼き肉だったら食べられた物ではなさそうな。そのせいで刀や鎧具足といった本来なら価値のありそうな品々も屑鉄にしかなりそうもない。まあ、鉄としてリサイクルするだけでもビジネスとして立派に成り立つんだろうけれど。褌一丁に剥かれた哀れな焼死体は空き地の隅っこに無造作に積み上げてあった。
急な坂道を登り、切岸を通り抜け、曲輪の脇を進んで行くと広々とした平地に出た。
全焼した建物群が立ち並ぶ中、煙たいのを我慢して歩くとすぐに見知った顔が現れる。
「おお、左京大夫殿。漸く参られましたか。現に恐ろしきは『てれぴんゆ』にござるな。あっという間に城を丸焼けにしてしまうとは魂消り仕りましたぞ」
「いや、あの、その…… 此方におられましたか、天庵殿。彦太郎殿も左近殿もお元気そうですな。それはそうと天庵殿。もしかして城が燃えちゃったからって怒ってますか? ですけど諸行無常ですよ。形あるものは必ず壊れるんですから。溢れた水はまた汲めば良い。焼けた城はまた建てれば良いんですよ」
「……」
「そ、そうだ、閃いた! もしかして天庵殿は災害減免法ってご存知ですかな? 災害により住宅や家財について損害を受けた人で、その純損害額が住宅や家財の価額の二分の一以上で、しかもその年中の各種の所得金額の合計額が一千万円以下ならば所得税の額が軽減または免除されるんですよ。控除される金額を確認してメリットの大きな方を活用して下さいな。良かったら私が手続きをしてさし上げましょうか?」
大作は『ショーシャンクの空に』のアンディになったつもりで愛想笑いを浮かべながら揉み手をした。だが、小田氏治は怪訝な顔で小首を傾げている。
滑ったか? 滑ったのか? これはもう駄目かも分からんな。と思いきや、一瞬の間を置いて氏治が破顔する。
「いやいや、焼けた城はまた建てれば良いとは良う申された。正に至言じゃな。この天庵、感じ入りましたぞ」
「そ、そうですか。まあ、頑張って立派な城を建てて下さりませ。期待しておりますぞ」
「然らば直ちに城普請に掛かると致しましょう。誰かある! 人を集めて参れ」
せっかちな人だなあ。付き合ってられん。大作は尻尾を巻いて逃げることにしようかと……
その時、歴史が動いた! メイが息せき切って駆けてくるのが目に入った。例に寄って例の如く巨乳を揺らしながらだ。
「大佐! 大佐! サツキからの使いがきたわ。お味方の勝ち戦よ!」
「えっ、なんだって?」
「梶原兄弟は女子挺身隊と国防婦人会で討ち取ったんだけど御馬廻衆の方々も片野城から出てきた太田資正も討ち取ったのよ。んで、そのまま片野城も攻め落とそうってなったわけ。だけどみんな面倒臭くなってきたんでロケット弾で焼き払っちゃったんですって」
「そ、そうなんだ。だけどもそれって今回の小田城攻略作戦からは完全に逸脱していないか? そもそもそんなに戦線を拡大して補給が維持できるのかな? 俺、そんな無謀な作戦を承認した覚えは無いんだけどなあ……」
不安に駆られた大作は捨てられた子犬のような目でお園とメイの顔色を交互に伺う。
だが、メイは聞く耳を持たないといった表情だ。人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らすとちょっと不機嫌な口調で答えた。
「此度の戦の総大将は私じゃなかったかしら? いくら大佐だからと言って口を挟んで欲しくはないわね。一番良くできた軍立ちを立てたわ。これが私が考えた軍立ちよ。成り行きについていろいろ言う人もいるかもしれないわ。でも、それは将や兵がこの軍立ちに合わせてもらうしかないわよ。攻め落とす城はこれより少なくしたくないし、兵もこれより増やしたくなかったの。攻める順も狙ったもの。それが軍立ちよ。これは私が立てたものでそういう軍立ちにしている。明確な意志を持っているのであって間違ったわけじゃないの。日本一の得も言われぬ軍立ちを作ったと思うわ! 著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖つける人はいない! それと同じことよ!」
初めこそ冷静だったメイの口調は徐々に早口になり、最後の方はまるで絶叫するかのようになってしまった。腕をプルプルと震わせ、血走った瞳がギラギラと光っている。
まるで『ヒトラー ~最期の12日間~』だな。薄ら笑いを浮かべた大作はなるべく明るい口調で話しかけた。
「餅つけ、メイ。お前がいま感じている感情は精神的疾患の一種だぞ。鎮める方法は俺が知っている。俺に任せろ」
「は、はぁ? 大佐ったらいったい何を言っているのかしら?」
「マジレス禁止! さ、小田原に帰ろう」
大作は一方的に言い切ると振り返りもせずにそのまま小田城を後にした。




