巻ノ参拾 モモッチ再登場 の巻
翌朝、店の人に起こされる前に三人は目を覚ました。大作は女中に頼んで水を分けてもらい店の裏で頭を綺麗に剃った。
石鹸を使わず水だけでナイフを使うという信じられない条件だったがお園に手伝ってもらって何とか血を流さずに済んだ。
大作は『猿の惑星』のラスト近くでチャールトン・ヘストンが髭を剃っていたシーンを思い出す。シェービングクリームを使っていたけど、どうやって入手したんだろう。
それはともかく『外見で人を判断しないのは愚か者である』とオスカー・ワイルドも言っている。
身綺麗にしておいて損は無い。お園と藤吉郎に関しても可能な範囲で身嗜みを整えた。
女中の案内で朝食の席に着く。さすがに朝食なので夕食とは比較にならないが大作たち三人を感動させる程度には豪華だった。
食事が終わり女中がお膳を下げると宗達が見知らぬ男を一人連れて部屋に入って来た。大作よりは低いがこの時代の人間にしては背が高い方だろう。
ほっそりしてちょっと怖い顔をしている。宗久より少し年上だろうと大作は見当を付けた。
「こちらは十人衆が一人、茜屋宗佐殿でございます」
「拙僧は大佐と申します。お見知りおきを」
大作たちは深々と頭を下げる。お辞儀とお礼はタダだ。
こいつも武野紹鴎の弟子で茶道マニアだ。鶴首茶入れや大名物の茜屋柿を持ってると書いてあった。大作は昨日、予習しておいて良かったと思った。
とは言えググっても生没年すら分からないような奴だ。どうせ『奴は十人衆の中でも最弱。人間如きにやられるとは会合衆のツラ汚しよ』みたいな人数合わせの噛ませ犬なんだろう。
いよいよバトル開始ということらしい。まずは会話の主導権を握らねば。
「I Have a Dream! 私には夢がある。いつの日か堺を世界に冠たる国際金融センターに成長させるという夢が」
「きんゆうせんたーとは納屋、土倉、酒屋など金貸しを一纏めにした所にございます。国際とは明や天竺からイスパニアまで相手に商いをいたすことにございます」
お園が素早くフォローする。とりあえず宗達たちに話は通じているようだ。
大作は何で酒屋が金融業をやってるのか知らなかったが今それを尋ねるのは不味い。気になってしょうがないが我慢して先を進める。
「まずは海上保険からスタートして全国の港に代理店を作ります。続いて堺に米の先物取引所を開設、主要な港にも順次進出します。利用者は米の値下がりや難破のリスクを気にせず確実に利益が確保出来るのですから絶対に受け入れられます。堺を経由しない米も堺で決済されるのですから必然的に堺の米市場の規模は拡大します。対象を米以外の作物や塩・酒・油に拡大。代金決済や信用保証といった仕組みも合わせて整備し、十年で国内シェア五十パーセントを目指します」
「五十ぱーせんととは五割のことにござります」
宗達も宗佐も半信半疑の表情だ。いきなり話が大きすぎたか? いや、これくらいのインパクトは必要だ。
「二十年で明や天竺など東南アジア全域に、三十年で世界進出を目指します。イギリスに先んじて七つの海を制覇。ユダヤ資本に代わって世界経済を裏から、いや表から正々堂々と支配いたします」
「いったいどれくらいの銭が入り用になりましょうか?」
「船と積み荷を合わせても一艘で銭千貫文に収まりますかな。サービス開始直後に続けて船が十艘沈んでも経営破綻しない程度の蓄えは必要にござりましょう。銭二万貫文といったとろこでしょうな」
大作はとりあえず信長の矢銭二万貫を目安にしてみた。そもそも銭一貫文っていくらくらいなんだろう。未だに実感が沸かない。
宗達と宗佐は揃って今までで一番難しい顔をしている。宗佐が少し怒ったような口調で問いかける。
「銭二万貫文は小さな額ではございませんぞ。十人衆で分担しても銭二千貫文ずつにもなります」
「最悪の事態を想定した備えにございます。よほどのことが無い限り回収が可能です。信用保証と言い換えても宜しいでしょう。資金調達の方法もいろいろ考えられます。たとえば十人衆の方々には発起人として株式を引き受けて頂き、不足分は転換社債を発行してその他の商家の方々に広く販売するといった方法も考えられます」
シリコンバレーの起業では転換社債が主流と読んだことがあったので大作は適当な説明で誤魔化した。
大作の集中力は早くも切れそうだった。正直言って海上保険や先物取引なんて専門外も良いところだ。
菱刈金山を開発するための資本金を銭千貫文ほど借りたいだけなのだ。
金に換算すれば十キロ足らずの端金だ。金山がフル稼働すれば一日で掘れるだろう。
こんな端金にいつまで迷ってるんだろう。貧乏臭い連中だ。金持ちほどケチって言うのは本当だな。大作はほとほと愛想が尽きて来た。
「南蛮人の諺に『チャンスの神は前髪しかない』と言う物がございます。好機はすぐに捉えねば後から捉えることは出来ないとの意にございますぞ。堺の皆様にご興味が無い様でしたら博多商人にこのお話を持ち込んでも宜しいでしょうか?」
ここは押しの一手だ。宗達と宗佐が苦虫を噛み潰したような顔をする。こいつらが笑ったらどんな顔をするんだろう。一発ギャグでもかましてやりたくなったが大作は空気を読んで我慢した。
「それでは、とりあえず十人衆から銭百貫文ずつ出資して頂き資本金を銭千貫文として先物取引市場を先に立ち上げては如何でしょうか? 保険と違って売買を仲介するだけですので確実に手数料収入が見込めます。立ち上げ当初は取引量が少ないために取引市場の運用コストが手数料収入を上回るでしょう。しかし運用コストは知れています。取引量が増えれば収支をプラスにすることは十分に可能です」
「儲けが出ると言うことにございます」
ちょっと待てよ。天文二十二年(1553)に町が全焼するって書いてなかったっけ? それって思いっきりヤバくない? まあ、堺が燃えようが知ったこっちゃないか。運が良ければ借金を踏み倒せるかも知れん。
そんな大作の心配をよそに宗達と宗佐は小声で話し込んでいる。随分と待たされた後に宗達が口を開く。
「大佐殿のご提案、拝聴仕りました。三日後に次の会合がございますので評定に上げさせて頂きます。それまでに我ら二人が同心して語らえば皆もきっと靡きましょう。お待ち頂く間は当家にてごゆるりとお過ごし下さりませ」
「ありがたきことにございます。待たせて頂く間、どれくらいの船が沈むものなのか見当を付けとうございます。とりあえず、ここ一年ほどの記録があれば見せて頂けますでしょうか?」
「お安い御用にございます。廻船問屋に話を通しておきましょう。他にもお入り用の物や手伝いが必要なら遠慮無くお申し付け下され」
大作たちは宛がわれた部屋に戻った。
紙を何枚か貰いB6判くらいの大きさに切る。『知的生産○技術』の京大○カードのつもりだ。梅棹○夫も最初は闇市で購入した紙を裁断してカードを自作したそうだ。
スマホから和暦のカレンダーを探して天文十九年と天文十八年を調べる。次の閏月は今年の五月なので集計期間に閏月は無い。旧暦の大の月も調べておく。事故発生率を厳密に比較しようと思ったら必要になる。
これ以上は海難事故に関するデータが届かないとすることが無い。
三人とも疲れ果てたので夕飯まで自由時間ということにして解散した。
気分転換に大作は港に船を見に来ていた。たまには一人になるのも悪くない。
海に向かってバカヤローと言ってみたかったが人がいるので止めておいた。
戦国時代にタイムスリップしたら何をしようと散々考えたものだ。でもまさか保険の外交や証券マンをやることになるとは思ってもみなかった。
もちろん保険の外交や証券マンが悪いとは思わないけど。
物思いに耽っていた大作は遠くから大きな足音を立てて近付いて来る人の気配を感じた。夕飯の準備が出来たのでお園か藤吉郎が呼びに来たのだろうか。振り返った大作は意外な人の姿を目にして驚いた。
「百地様ではございませんか。生憎と仕事が長引いてしまいました。お約束が守れず申し訳ございません」
先日、大作が大げさに驚いたのでわざわざ大きな足音を立ててくれたのだろう。見掛けによらず気配りの出来る人みたいだ。
「お出でになるのが待ち遠しくてこちらから来てしまいましたぞ」
「真にございますか!」
「許されよ。戯れにございます。大佐殿をお見送りした後、急に堺に用事ができましてな。ついでに大佐殿にお会いできぬかと思うておりましたら姿をお見かけしたので声をかけさせて頂きました」
これって宇宙人か未来人の仕業? 前回は向こうのホームグラウンドなのでイベントを回避した。今回はこっちの土俵とは言えないがアウェーでは無いのでイベントを進めても大丈夫だろうか。
先々を考えると伊賀と顔を繋いで置くのも悪くない。大金を持ち歩くことを考えると護衛も付けたい。
とは言え大作の全財産は銭二十貫文にも足りない。山本勘助が知行二百貫で召抱えられたのは破格の待遇だったらしい。銭二十貫文あれば忍者を護衛に雇うくらいならば可能なのだろうか。
銭千貫文の出資は何とか得られそうだ。でも万が一にも駄目だった場合、無一文になるのは不味い。自由に使える手元資金もある程度は必要だ。そうなるとやはり知識の切り売りしか無いだろうか。
伊賀なんて弱小勢力が群れた十万石の小国だ。土地が痩せていて外貨獲得の手段が傭兵くらいしか無い。つくずくスイスみたいな国だなと大作は思う。
こいつらなら少しくらい無茶をやっても歴史に影響は無いだろう。歴史の修正力って言うのがあるはずだ。大作は伊賀のことを心の底から馬鹿にしていた。
眉間に皺を寄せて考え込む大作に百地丹波が声を掛ける。
「大佐殿、何かお悩みごとにござりますか?」
「いえいえ、些末なことにござります。ところで百地様の御用とは鉄砲か火薬にございますか?」
「何故そのように思われたのでしょうか。よろしければお教え下され」
ほんの僅かに百地丹波が目を細める。適当に言ったのにもしかして当たったのか。大作はちょっと驚いた。
数瞬の後、百地丹波がにっこりとほほ笑んだ。だが目が笑っていない。お園や藤吉郎なら背筋を凍らせていたかも知れない。だが大作は根っからの鈍感さで何とも思わなかった。
適当に言ったらたまたま当たったとは言いにくい。なんて言って誤魔化そう。大作は焦る。
「わざわざ百地様のようなお方が堺まで米や味噌を買いに来られるとも思えません。近頃は公方様や大名方も鉄砲や火薬をお求めになられておるそうな。鉄砲や火薬と言えば耳よりなお話がありますぞ」
「お坊様が火薬を扱われておられるのですか?」
「鉄砲は根来寺の専売特許ではございませんぞ。こう見えて拙僧は南蛮人より直々に砲術の指南を受けたことがござります。百地様は火薬が煙硝、硫黄、炭を混ぜて作られることはご存じでしょうな。ですがどのような割合で混ぜるのか、捏ね方、固め方、乾かし方、粒の大きさ、そういった細かなことまではご存じありますまい」
大作は一旦、言葉を区切ると真っ直ぐに百地の目を見据えた。伊賀惣国一揆の指導者にして伊賀流忍術の祖。そんな男を前にしているというのに大作は緊張はしていたが萎縮はしていなかった。
未来の歴史や科学知識を知っているアドバンテージが大作に自信を与えているのだろうか。伊○三尉もそんなことを言っていたのを大作は思い出した。
永禄二年(1559)に将軍義輝は大友義鎮より献上された秘伝書『鉄放薬方并調合次第』を長尾景虎(上杉謙信)へ贈ったそうだ。この時代なら黒色火薬の製造法くらいでも情報価値は大きいだろう。
どうせ数年後には誰でも知るようになる。賞味期限のある情報は価値のある間に売らなければ不良在庫になってしまう。
「お話を聞いた途端に儂が逃げ出したらどういたしますか?」
「そうなったら拙僧の人を見る目が無かっただけのことにございます。それに伊賀国の方は義に篤いと聞き及んでおります。百地様ほどの御仁がそのような真似をなさる筈もございません」
今から切り売りしようとしている知識は大作に取って取るに足らない物だ。そもそも伊賀みたいなちっぽけな国なんて死のうが生きようがどうでも良い。そんな本音は口に出せないので大作は褒め殺しと言う手を使った。
大作は百地丹波の目には津田宗達や茜屋宗佐など堺十人衆と互角に渡り合う謎の僧侶と映っているはずだ。妙に自信を持った態度も自然な仕草に見えているかも知れない。
伊賀だって堺とわざわざ揉め事を起こしたくは無いだろう。
「失礼ながら、もし大佐殿が嘘を申されても儂には分かりかねます」
「そうは申されても今ここで火薬を調合する分けにも参りませぬ。信じて下されとしか申し上げられませぬ。拙僧は逃げも隠れもしませぬ故、もし嘘偽りなら煮るなり焼くなりご随意にどうぞ」
「そこまでおっしゃられるなら信じましょう。儂も人を見る目には自信があり申す」
とりあえず話を進めても問題無いようだと大作は判断した。しかし何処まで情報を与えて良いものだろう。
伊賀は信長とは最後まで対立していたはずだ。それに間違っても伊賀が天下を取るなんて展開はあり得ない。
ハーツオブアイアンでリトアニアが核開発に成功して世界制覇するぐらい無茶な話だ。なら大抵の情報を与えても大丈夫だろう。
まあ考えても分からないからどうでも良いか。大作は考えるのを止めた。




