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巻ノ弐百九拾八 食べろ!七草粥を の巻

 長い長い旅路の末、大作とお園はようやく手子生(てごまる)城へと辿り着いた。


「うぅ~ん、今度の旅もなかなかの長旅だったな。無事に到着できて何よりだよ」

「何を言ってるのよ、大佐。まだ、小田城には着いていないわ。それに、家に帰るまでが遠足なんでしょう?」

「そ、そう言えばそうだな。『百里を行く者は九十を半ばとす』だっけ。だけど、取り敢えずは此処を拠点に小田城攻めを行うんだぞ。それに俺たちは別に小田城に行きたいわけじゃないんだしさ? な? な? な?」

「しょうがないわねぇ~!」


 二人はそんな阿呆な話をしながら本丸の南に掛かった土橋を通って堀を渡る。

 前もって先触れが大作たちの訪問を告げていたためだろう。本丸の手前には幾人もの人々がずらりと雁首を揃えて待っていた。


 その中に見知った顔を見つけた大作はその男を目掛けて歩いて行く。


「こちらにおられましたか八田左近殿」

「お待ち申し上げておりました、御本城様」

「久しゅうございますな、左京大夫殿。此度は小田城攻めへの合力を賜りまして忝のうございます」


 八田左近の隣には見覚えの無いおっちゃんが愛想笑いを浮かべて立っている。スキンヘッドにカイゼル髭、ナイスミドルでチョイ悪親父風の男は軽く頭を下げた。

 こいつ誰だっけ? 大作も引き攣った笑顔を浮かべながらペコペコと頭を下げる。

 不穏な空気を吹き払おうとでもいうのだろうか。咄嗟に八田左近が口を挟んできた。


「此方は某の父、小田讃岐守。今は出家の身が故に天庵と号しております。彼方は小田家の嫡男、彦太郎にございます。どちらも何度か目通り頂いておる筈ですぞ」

「そ、そうでしたかな。とにもかくにもお目に掛かれて光栄の至り。以後お見知りおきのほどを」

「いやいや、ですから何度もお目通り頂いておりますれば」

「まあ、立ち話も何ですな。上げて頂いて宜しゅうございますか? では、失礼いたします」


 それだけ言うと大作は身振り手振りで小田氏治や嫡男の守治に先に立って進むよう促す。二人はちょっと不思議そうな顔をしながらも先に立って案内してくれた。


 その後ろに金魚の糞みたいにくっ着いて歩きながら大作は考える。確か小田氏の本姓は藤原氏だったっけ。宇都宮氏に連なる一門で八田知家を祖とする関東の名族、関東八屋形の一つにして常陸の大名でもある。

 この八家は鎌倉公方を支えるためにそれぞれの国の守護の家柄を認められたり、守護ではなくても守護不入までは認められていたんだそうな。関東八屋形には鎌倉公方ですら手が出せなかったとも書いてある。まあ、戦国時代に入ると北条氏の勢力拡大によって支配力は徐々に弱まって行ったんだけれども。


 現状の北条と小田は同盟関係というよりは一方的に援助を求めるような力関係だ。とは言え、主従関係というわけでもない。信長と家康の関係みたいなものなのか?

 その一方で小田氏の第十五代当主、氏治の年齢は氏直よりも二周りくらいは上のはずだ。氏直の方が立場は上とは言え、あまり偉そうな態度は取り過ぎない方が良いかも知れんな。臍を曲げられたら厄介だし。大作は氏治との微妙な距離感に戸惑う。


 二人が案内されたのは手子生城の本丸の中にある広々とした板の間だった。

 例に寄って大作は上座に敷かれた畳を勧められる。ゲストだから遠慮せずに座るべきなのか? それとも遠慮しておくべきなのか?

 まるで二条城の秀頼と家康の会見みたいに微妙な譲り合いが何度か繰り返される。


「それじゃあレディーファーストってことで私が座るわ。文句は無いわね、大佐?」

「そ、そうだな。いつもいつも済まんなあ。んじゃ、俺はこっちに座ることにするよ。さて、天庵殿。夕飯前に仕事の話と参りましょうか」

「し、しごと? にござりまするか」

「左様、仕事にございます。ちょっとここで復習をば致しましょう。史実では天庵殿は天正十八年(1590)一月二十九日に小田城を攻撃しましたが佐竹方は城から梶原景国と資胤の兄弟が出てきて迎え撃ったそうな。小田城外の樋ノ口の戦いという奴ですな。天庵殿は序盤、優勢に戦いを進めます」


 大作はバックパックから地図を取り出すと板間に広げた。敵味方に見立てた手作り感あふれる手駒を並べて行く。小田親子や八田左近は黙ってその様子を眺めている。眺めていたのだが……


「ところがギッチョン! 梶原兄弟の父親、太田資正が片野城から駆け付けて横から乱入。哀れ小田方は敗走してしまいましたとさ。子供の喧嘩に親が出るとは正にこのことですな」

「んな?! 我らが敗れる? この小田が負けると申されまするか?」

「いやいや、ですから負けないように頑張ろうって話をしておるのですよ。片野城からやって来たってことは恐らくは東からくると考えてほぼ間違いないでしょう。この県道53号つくば千代田線に防御陣地を構築し、迎撃部隊を配置しておけば済む話です。左近殿、この辺りの地理に詳しい者に案内をお願いしたい。敵を迎え撃つのに適した場所探しを手伝って貰います」

「心得ましてございます。藤沢城の兵からも手を借りられるよう手配りいたします」


 満面の笑みを浮かべた八田左近が深々と頭を下げる。小田親子は分かったような分からんような顔だ。

 これにて一件落着。大作は太田資正を心の中のシュレッダーに放り込んだ。


「それよりも大事なることは小田城外の樋ノ口とやらにございますな。小田城の本丸は方形をしており北、東、南西に虎口があって南西は木橋。南側が角馬出。これに相違ございませんか?」

「如何にも。この絵図の通りじゃぞ。よう調べてあるようじゃな」

「んで、樋ノ口とやらは南東部にあると。うぅ~ん、ここは史実通りに進めるのが良いんですかなあ?」

「でも、大佐。歴史には復元力っていうのがあるんでしょう? だったらあまり大きな変化を与えない方が良いんじゃないかしら」


 それまで黙って話を聞いていたお園が急に話に割り込んできた。だが、その突っ込みはイマイチ鋭さに欠けているようだ。


「いやいや、我々の目的を思い出してくれよ。わざわざ百キロも旅してきたのは何のためだ?」

「美味しい物を食べたり珍しい物を見たり…… じゃなかったわよね? いったい何をしにこんな遠くまで来たんだっかしら」

「しっかりしてくれよん。俺の…… 俺たちの目的はミニエー銃やテレピン油、ロケット弾、無線機といった新兵器のコンバットプルーフだろ? そうじゃなかったっけ? そうだったような気がするんだけどなあ」

「そうそう、そうだったわ。だとすると鉄砲やロケットを使わないといけないのね」


 腕組みしたお園が顰め面をしながら軽く頷いた。どうやら話を進めろってことのようだ。大作は顔色を伺いながら探り探り話を進める。


「佐竹方の手勢は多くても三千くらいですかな? 梶原兄弟が率いて出てくるのは千かそこらが精々でしょう」

「後本城様のお見立てに相違ございませぬ。先んじて乱波を放ち、探らせておりましたが敵方の手勢は左様なものかと」


 声の主はと目をみやれば鬼みたいな顔をした巨人が部屋の隅っこで平伏していた。


「風魔小太郎…… 小次郎? いや、小太郎殿でしたな。最近お姿を見掛けないと思っていたらこんな所にいらしたんですか。お元気そうで何よりです」

「御本城様もご機嫌麗しゅう存じます。片野城とやらにも探りを入れておりますれば、詳らかな調べは今暫くお待ち下さりませ」

「そ、そうですか。戦が終わるまでに情報が手に入る事を期待しておりますぞ」


 風魔小太郎だか小次郎だかは黙って深々と頭を下げる。


「とにもかくにも、なるべく大勢の敵を樋ノ口とやらから引張り出したいところですな。ミニエー銃の有効射程を考慮すると…… この辺りでしょう。ここに塹壕を掘ります。後方にもう一つ塹壕を掘って予備戦力を配置。さらにずっと後方にロケット弾を展開させます」

「敵の目と端の先ですぞ。斯様な所に『ざんごう』とやらを掘れますかな?」

「左近殿、掘れますかじゃねえ。掘るんだよ! 夜の月が出ていない時間帯にこっそり掘れば良いのです。天庵殿、別方面で陽動作戦を行っていただけますかな?」

「よ、ようどうさくせんにございますか。心得ましてございます。彦太郎、手配り致せ」

「御意!」


 こういうのはスピーディーにやらねばならん。そうでなくとも二ヶ月後には豊臣方の伊豆長浜城攻略が始まるのだ。それまでに里見も滅ぼさなきゃならんし。って言うか、これって時間的に間に合うのか? 間に合わなかったら笑っちゃうんですけど。まあ、その時はその時だ。大作は考えるのを止めた。




 大作たちがそんなことにうつつを抜かしている間にも女子挺身隊と国防婦人会の面々は次から次へと到着する。

 時をほぼ同じくして別行動を取っていた御馬廻衆たちも続々と姿を現した。

 夕方遅くには殿を務めていたサツキとメイも無事に到着する。長旅でみんな疲れ果てているらしい。予定されていた盛大な歓迎会は明日に順延して貰うよう小田方に頼み込んだ。

 無線機を組み立てて小田城に到着したことを小田原に知らせる。夕飯を平らげるのもそこそこに、一同は宛行われた宿舎に入るとさっさと床に着いた。




 翌日、天正十八年一月九日(1590年2月13日)は初子の祝(はつねのいわい)という行事が行われた。

 聞けば初子(はつね)という行事は毎月あるらしい。その中でも一年で最初の()の日には特別な意味があるんだそうな。子というのは鼠のことで多産と繁栄の象徴なんだとか。

 西洋では穀物を食い荒らし疫病を運ぶとして忌み嫌われているのとは大違いだ。

 股間に手を当てただけで子供を授かる手子生の地ならさぞやご利益もあるんじゃなかろうか。


「俺、こんな行事があったなんて初耳だぞ。どっかの業者が思いつきで始めたんじゃなかろうな?」

「こんなの古からの習わしじゃないの。百人一首の光孝天皇がお詠みになった『君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ』の『若菜摘み』っていうのは初子の日に春の七草を摘むことなのよ」

「なのよって言われても知らんがな。七草粥を食べるのは人日(じんじつ)の節句だから一月七日じゃなかったっけかなあ? ほら、Wikipediaにも鎌倉御所の『七日の朝御祝』とか『椀飯の儀礼』って書いてある…… いやいや、初子の祝が由来だとも書いてあるな。悪かった、忘れてくれ」

「でしょ、でしょ! とにもかくにも今はこの七草粥を頂きましょうよ。サツキ、メイ。あなたたちもお食べなさいな。一口で十歳、七口で七十歳若返るんだから」


 出張先に来てまで正月行事が続くとは想定外だったなあ。

 それはそうと七十歳も若返ったら胎児ですらないぞ。そんなんで生命活動を維持できるんだろうか。

 そんなことを考えながらも大作は七草粥に箸を付けた。


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