巻ノ弐百九拾七 監視社会の恐怖 の巻
守屋城へと続く広い道をお園を中央に大作、サツキ、メイの腹ペコ四人組がGメン75みたいに横並びで進んで行く。
既に陽は大きく西に傾いてきた。ちょっと急がないと夕飯を食いっぱぐれちまうかも知れんぞ。一同はほんの少しだけ足取りを早める。
外堀に掛かった土橋を渡ろうとすると急に道幅が狭くなった。四人は速やかにお園を先頭にした一列縦隊へとフォーメーションを変化させる。この辺りは日頃の訓練の賜物だな。大作は柄にもなく感心してしまった。
守屋城の城門が目の前に迫ってくる。とっても分厚くて頑丈そうな門扉は質実剛健といった感じだ。
門の両脇には例に寄って例の如く、門番と思しき中年男性が二人立っていた。
「拙僧は大佐と申す北条の御本城様にお仕えする陣僧にございます。此方の女性らと共に此度の小田攻めにお供しておりますれば、今宵一晩の宿、及び夕餉と朝餉をご厄介になれますでしょうか? 支払いは北条に付けて置いて下さりませ」
「おお、何やら見慣れぬ坊主じゃと思うておれば御本城様に縁者であったか。なれば遠慮は無用じゃ。ごゆるりと逗留なさるが宜しかろう。お連れの方々はみな、二ノ丸や三ノ丸においでじゃ。道なりにお進みなされ」
「忝なし」
大作は両手を合わせて深々と頭を下げる。女性陣も揃ってシンクロすると門を潜った。
枡形虎口を通って進むと広大な空間に曲輪や土塁、空堀に掛かった土橋、エトセトラエトセトラ…… 鎌倉時代築城の田舎の城にしてはやたらめったら充実した構造をしている。
これはやはり古河公方足利義氏の御座所にしようと北条氏政が永禄十一年(1568年)にリフォームしたお陰なんだろうか。
三ノ丸まで進んで行くと女、女、女。正に姦しいという漢字そのものの状況だ。あちらこちらで大きな鍋や釜が火に掛けられ粥やら汁物やらを煮炊きしていた。なんだかジブリ映画の食事シーンみたいだなあ。あたり一帯には食欲を唆るとっても良い匂いが漂っている。
「ご当主の相馬治胤左近大夫様はどちらにいらっしゃるのかな? 一宿一飯…… って言うか、一宿二飯の恩義を受けるんだ。挨拶くらいちゃんとしておいた方が良いだろ?」
「でも、人ってお腹が空くと急に機嫌が悪くなるわよ。それにせっかくの温かいご飯が冷めちゃうのも申し訳ないわ。先に頂いちゃいましょうよ」
「そ、そうかも知れんな。まあ、挨拶前に飯を食ったからって別に失礼には当たらんか」
「それじゃあ頂きまぁ~す!」
お園は自分の手荷物からマイ茶碗とマイ匙を取り出すと炊き出しの鍋から勝手に雑炊らしき物を掬い取る。見ればサツキやメイも同様だ。こりゃあ出遅れちゃいかんな。大作もバックパックからチタン製クッカーやスプーンを取り出すと後に続いた。
一同は今日一日で見たこと聞いたことなどでわいわい騒ぎながら美味しい雑炊に舌鼓を打つ。お腹が膨れたと思ったら途端に眠くなってきた。まさか睡眠薬でも盛られたらのか?! いやいや、単に今日は久々に長距離を歩いて疲れたからだろう。
とは言え、この疲労感はただ事では無いな。速やかに温かい寝床を探さねば。大作は眠い目を擦りながら周囲を見回す。
だが、すぐそばではお園が早々と一人用テントを組み立てていた。
「あのなあ、お園。こんな立派なお城に泊めて頂くんだぞ。わざわざテントで寝なくても……」
「私、もう草臥れちゃったわ。『連れを起こさないでくれ、死ぬほど疲れてる』のよ」
「そ、そうなんだ。まあ、左近大夫様にご挨拶するのは明日でも良いか。そうそう、ひとつ言い忘れてたけどお前は人にほめられる立派なことをしたんだぞ。胸を張って良いな。おやすみ、お園…… 頑張ってな」
「ちょっと待って、大佐。私も入れてよ」
「私も入れて頂きとう存じます」
言うが速いかサツキやメイまでもが一人用テントに潜り込んでくる。前にもやったことがあるとは言え一人用テントに四人はキツイなあ。まあ、冬で寒いし相手が女子だから我慢できるけどな。贅沢な悩みを抱えながら大作は眠りに就いた。
翌朝、大作は鼻腔をくすぐる芳しい香りに目を覚ました。辺りはまだ薄暗い。だが、お園やサツキ、メイの姿は見えない。大方、朝餉作りを手伝ってでもいるんだろう。
外に出てテントを畳んでいると両手に食器を持ったお園を先頭にサツキやメイが戻ってきた。
「食べ終わったらすぐに出立するそうよ。早く済ませちゃいなさいな」
「ああ、わざわざデリバリーしてくれたのか。ありがとな。うぅ~ん、こりゃ美味そうだ」
「空腹は最高の調味料ですものねえ」
ちょっと急いで朝食を掻き込む。本当はもう少しゆとりを持って食べた方が健康にも良いンだけどなあ。だが、そんな文句を言えた状況では無いらしい。
大作たちが食器を丁寧に洗って仕舞い込もうとしている間にも一部の部隊は移動を開始し初めていた。
「一番後ろにくっ付いて歩くのはもう懲り懲りだぞ。一気に先頭集団へ踊り出よう」
「そうね、今なら何とか間に合いそうよ」
「私たちは後ろから行くわ。それじゃあ手子生城で会いましょうね」
「暫しのお別れにございます」
軽く頭を下げるとサツキとメイが手を振って離れて行く。大作とお園も手を振替した。
ちょっと早足で人混みを追い抜きながら、お園が小首を傾げる
「さっき、手子生城って言ってたわね。それが私たちの行く先なのかしら?」
「あの二人がそう思うんならそうなんじゃね? 二人ん中ではな」
「まあ、騙されたと思って行ってみましょうよ。まさか命までは盗られないでしょうしね」
「俺たち戦に行くんだぞ。とは言え、俺だって命を盗られるつもりなんて毛頭ないんだけどさ。スキンヘッドだけに」
そう言うと、大作は両の手のひらを上にして肩を竦める。
そんな阿呆な冗談が壺に嵌ったのだろうか。お園は腹を抱えて笑うと大作のツルツル頭を暫しの間、撫で回した。
「んで? 手子生城ってどんなお城なのかしら。教えて頂戴な」
「えぇ~っとだな…… ちょ、おまっ! 聞いて驚け。何と手子生っていう地名は女の股に手を添えたら子供が産まれたっていう伝説から付いたらしいぞ。これってちょっとヤバいんじゃね?」
「ふ、ふぅ~ん。だけども、やや子が欲しい奥方には喜ばれるかも知れないわね」
「そうは言うがな、お園。女子挺身隊や国防婦人会って大半が未婚女性じゃなかったっけ? この時代、未婚の母って社会的に大丈夫なのかな? 北条って福祉関係が充実してるから問題無いんだろか?」
「そんなの私に聞かれても知らんわよ。取り敢えず手子生城のお方たちに聞いてみたらどうかしら。知らんけど。それはそうと、大佐。守屋城でご当主の相馬治胤左近大夫様にご挨拶するって話はどうなったのよ? 私、すっかり忘れていたわ」
未婚女性の妊娠というショッキングな話題には一ミリたりとも興味を持ってもらえなかったらしい。お園はあっという間に話題の進路を急旋回させた。
「そ、そうだっけ…… 治胤の治は小田政治から偏偉を貰ったっていうくらいの人だぞ。挨拶くらいしておくべきだったなあ。それにしても何で今ごろになって思い出すんだよ。もう、随分と歩いちまったじゃんかうよ。まあ、済んだことはしょうがないか。帰り道で挨拶させて頂こう。今は先を急がねばならんからな。とは言え、相馬に関しては要チェックなんだよなあ。史実だと治胤と弟の高井胤永は兵百を率いて小田原に参陣したそうな。だけど、息子の相馬秀胤って奴が徳川家康に内応してたんだとさ。んで、戦後は五千石の所領を安堵されたらしい」
「それって北条から見れば裏切り者ってことよね? 放って置いて大事無いのかしら?」
「そりゃあ問題ありありだぞ。昔から『獅子身中の虫』と『無能は働き者』は組織に取って最悪の厄介者と決まってるからな。とは言え、お宅の息子さんは裏切り者です。切腹させて下さいなんて頼めると思うか? 信長じゃあるまいし。だからって忍びを使って暗殺ってわけにもいかんだろ? 豊臣との大戦を前に家臣団が疑心暗鬼に囚われちまいかねん」
「じゃあどうするっていうのよ? まさか放って置くっていうんじゃないでしょうね?」
お園は蛸みたいに口を尖らせて不満そうに呟く。
じゃあどうすれバインダ~? 大作は頭を抱えたくなった。
「うぅ~ん? でも、そういう奴は他にも一杯いるんだぞ。あの松田憲秀や息子の笠原政晴とかそうだろ。皆川広照とかいう輩も小田原城を逃げ出して徳川に投降したらしい。そんな奴らを一人残らず粛清してたらスターリン政権下みたいになっちまうぞ。お前はそんな監視社会に住みたいのか? 俺は嫌だぞ」
「そりゃあ私だってそんな監視社会は嫌だわ。だけども犯罪予備軍を好き勝手させては置けないわ。ちゃんと取り締まらなきゃ社会の秩序が保てないわよ。なんぞ良い遣り方はないのかしら」
そんな阿呆な話をしながら何も無い原っぱを北東へ向かって歩いて行く。時折、田畑や小さな集落が現れるのみの寂しい田舎道だ。太陽が頭上を越えるころようやく手子生城と思しき小高い丘が地平線に見えてきた。
大作はスマホを取り出すと位置を確認する。つくばの中心地から県道24号線を岩井方向に六キロくらいの所だろうか。
西谷田川から東に五百メートルくらい離れているようだ。城の西側には支流が南に向かって流れ、南に位置キロくらいの所で合流しているらしい。言ってみれば二本の川を外堀にしているわけだ。
城域は三百メートル四方といったところだろうか。北以外の三方は湿地帯に囲まれ、人の背丈よりも高い土塁、深くて幅広の堀も作られている。内側の微高地には木造の建物があちこちに建てられていた。
城はぐるりと堀に囲まれ、南東に掛かった一本の橋のみが出入り口らしい。
橋の真ん中を通って進むと南西の角に雄山寺という寺が建っている。
境内には五輪塔が立ち並び、端っこにはお園の背丈ほどもありそうな大きな板碑が見えた。
「ここはかつての手子生城主、菅谷氏の菩提寺だったらしいな」
「これって梵字よね? 何って書いてあるのかしら」
「阿弥陀如来を表す梵字らしいぞ。何って読むのかは知らんけど」
来た道を少し戻り北に向かうと細い土橋の向こうに本丸らしき建物が見える。既に北条の先遣隊から連絡が行っていたようだ。門番に見咎められたりすることはない。城兵を見掛ける度に二人は軽く会釈しながら進んで行った。
「この城は正治年間(1199~1201)に常陸守護職八田筑後守知家の子、知重って人が建てたみたいだな。小田氏のご先祖様だ。以来、ずぅ~っと小田氏の支城だったそうな。建長年間(1249~1256)には菅谷孝久。正平年間(1446~1370)には赤松某が城主だったって書いてあるぞ。大永二年(1522)には矢口主膳正治重が若挟守に任ぜられて入城したんだとさ。その後は天文から天正年間まで小田氏の旗本クラスが代々の城主を勤めたらしい。小田領としては西の端だから下妻の多賀谷氏との境目の城にあたるな」
「ふ、ふぅ~ん」
「小田氏治が佐竹義宣に敗れて小田城が落城したのが天正元年(1573)らしい。
その後は手子生城に篭ったそうだけど天正十六年(1588)に佐竹に攻められて和議。完全に押し込まれちまったそうな」
「それって去年の話よねえ。何のために和議を結んだのかしらねえ。わけが分からないわ」
「それは本人に直接聞いて見てくれよ。もうすぐ会えるんだからさ」
そんな阿呆な話をしながら大作とお園の二人は真っ直ぐに手子生城の本丸を目指して歩く。その後ろ姿は『チャップリンのモダンタイムス』のラストシーンのようであった。




