巻ノ弐百九拾四 戦争直前のメリークリスマス の巻
結論から言えばクリスマスイブのチャリティーコンサートは超が付くほどの大失敗に終わった。
途中までは順風満帆の素晴らしいコンサートだったのになあ。遠い目をした大作は昨日のことのように思い出す。まあ、本当に昨日のことなんだけれども。
トップバッターほのかがリュートで弾いた『きよしこの夜』はそれはそれは見事な演奏だった。会場全体が一体となった合唱で物凄く盛り上がったなあ。
未唯のヴィオラ・ダ・ブラッチョも十分に及第点と言えただろう。ちなみに及第点というのはギリギリ合格点みたいな意味なので決して褒め言葉では無い。間違っても目上の人に使ったりしないように注意しよう。ここ、試験に出るから覚えとけよ! 大作は心の中で誰にともなくアドバイスした。
流れが変わったのはお園が『もろびとこぞりて』を歌い終わる直前だっただろうか。まるでタイミングを合わせたかのように雪がチラついてきたのだ。
「おお、良い塩梅に雪が降ってきたぞ。こりゃあ明日はホワイトクリスマスになるかも知れんな」
そんな風に呑気に構えていたのも束の間。あっという間に辺り一面が白銀の銀世界? 語彙が重複しているだって? とにもかくにも筆舌に尽くし難い暴風雪に包まれてしまった。
これってまるで『大人のための残酷童話/妖精写真』の冒頭みたいだな。っていうかこれぞ正に『ホワイトアウト』そのものだ。
「ホワイトアウト? それって織田裕二が出てくる邦画よね?」
「そうそう、それそれ。あの映画といえば松たか子がAK-47のセーフティーが掛かったままなので撃てないってシーンがあっただろ? アレは……」
「あのねえ、大佐。それは松嶋菜々子じゃないかしら?」
疑問文の形を取っているがお園の口調は断定的だ。これは逆らわない方が吉だな。大作は潔く自分の過ちを認めることにした。だって本当に勘違いしている可能性が高そうだし。
「この際、松たか子か松嶋菜々子かは問題じゃないんだ。俺が言いたいのは本家のAKは表記がキリル文字だし、中国製だとLとかDとか書いてあるから意味が分からんってことだ。と思いきや、実はあの銃のセーフティ兼セレクターレバーはエジェクションポートのダストカバーを兼ねた構造だろ? だからちょっとした推理力さえあればセーフティは解除できるはずなんだ。だって、エジェクションポートが閉じてたら撃てるはずがないんだもん。まあ、セミオートとフルオートの区別は分からんだろうけどな」
「ふ、ふぅ~ん。そう言えば、ダイ・ハード3でもサミュエル・L・ジャクソンがMP5のセーフティを外し忘れるって場面があったわよねえ。あの銃こそセレクター表記がピクトグラムになってるんだから字が読めない人でも外せる筈よ」
「そ、それもそうだな。ちなみに自衛隊の小銃にはア・タ・レとか書いてあるんだぞ。んで、何の話だったかな? そうそう、猛吹雪からどうやって生還したかって話だったっけ」
「私、あんなに辛き目に遭ったのは生まれてこのかた初めてだわ。ホワイトクリスマスなんて二度と御免よ。とにもかくにも今はこうして無事に生き残れたことを素直に喜びましょう」
吹き荒れる猛吹雪の中、八甲田山の青森歩兵第五連隊みたいな目に遭いながらも生還できたのは正に奇跡だろう。大作は神様に感謝を捧げる。まあ、神様なんて信じてはいないんだけれども。
「ところで大佐。収益金の一部を戦災孤児の自立支援に役立てるってアレね。駄目だったみたいよ。大赤字だったらしいわ」
「大赤字ですと! それって具体的にはどれくらいなのかな?」
「詳らかなことは会計担当のほのかに聞いて頂戴な。とにもかくにも赤字だったのは確かよ」
「そ、そりゃそうだよな。第九の代わりに披露するはずだったハイドンのメサイヤも歌えなかったしさ。こうなったらリベンジマッチと行くしかないか。大晦日の恒例といえば…… 紅白! よし、紅白をやるぞ。大急ぎで出演者の人選を進めよう」
「何人くらい入用なのかしら? 仮に一曲五分として二時間なら二十四曲ね。紅白それぞれに十二人でしょう。今年の大晦日は三十日だから、ひい、ふう、みい…… あと五日しかないわよ。選曲やら歌の稽古だってしなきゃならないから大事ね」
「今年って十二月三十日が大晦日なのか? なんだか盛り上がらんなあ。こんなんで大丈夫なのかよ」
そんな大作の心配を他所に天正十七年十二月三十日(1589年2月4日)の正午、小田原において史上初の紅白が開かれた。
羹に懲りて膾を吹く。クリスマスイブのチャリティーコンサート失敗に懲りた大作は紅白の開演時間を日中へと早めたのだ。
「明るいうちに紅白だなんて風情がないなあ」
「しょうがないわよ。照明が確保できないんですもの。それに日が暮れちゃうととっても寒くなるでしょう? ここは涙を飲んで諦めるしかないわね」
舞台の幕が上がり藤吉郎が上手から姿を表す。ちなみに上手というのは舞台に向かって右の方のことだ。
「歌は世につれ世は歌につれ。時代を超えて語り継ぎたい歌がある。珠玉の名曲たちをさぁ一緒に歌いましょう! まずは紅組トップバッターお園様に歌って頂きましょう。思い出の名曲『どんぐりころころ』です!」
いったどこでこんなセリフを覚えてきたんだろう。謎は深まるばかりだ。藤吉郎に恭しげに手を引かれたお園はにっこり微笑むと歌いだした。
「どんぐりころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
どじょうがでてきてこんにちは
ぼっちゃんいっちょにあそびましょう」
紅白歌合戦ってこんなのだったかなあ? いやいや、由紀さおりと安田祥子の姉妹とかが童謡を歌うこともあったっけ。そもそも第一回の紅白では川田正子が汽車ポッポを歌っているし。大作は考えるのを止めた。
結論から言えば小田原において開かれた第一回紅白歌合戦は大成功だった。
紅組はお園、サツキ、メイ、ほのか、未唯、萌といった面々。白組は大作、藤吉郎、ナントカ丸、北条氏政、清水康英、風間出羽守、八田左近、川村秀重、エトセトラエトセトラ。
人数合わせで無理矢理に引っ張り出された人たちは内心どう思っているのか分からない。だが、誰一人として文句の一つも言わずにそれぞれの持ち歌を熱唱してくれた。
審査員と観客からの投票結果は僅差で紅組の勝利に終わる。一同は蛍の光を歌いながら来年の再戦を誓うと家に帰って除夜の鐘を聞いた。
この時代の一日は夕方から始まる。つまり大晦日の日没を以て元旦の始まりなのだ。
そのタイミングで年越しカウントダウンライブをやろうという企画もあった。あったのだが…… クリスマスコンサートの大失敗に懲りた一同の大反対によって却下されてしまった。
年が明けて天正十八年一月一日(1590年2月5日)の小田原城はこれと言って変わったことはなかった。
「大佐、瓦版新聞の元旦特別号にございます」
「ありがとう、藤吉郎。どれどれ…… ってなんじゃこりゃあ~っ! 特別寄稿、北条氏直の所信表明じゃと。俺、こんな文章を書いた覚えが無いんですけど。とうとうボケが始まったのかしらん?」
「いやいや、大佐。其れは萌様に書いて頂きました。以前、大佐にお伺いを立てた折に萌様にお任せするようにと申されましたな? もしやお忘れでは?」
「あのなあ、藤吉郎。俺の記憶力を馬鹿にせんでくれよ。ナントカの忘却曲線って知ってるだろ? しかし、萌にゴーストライターをやらせる羽目になるとはな。歳は取りたくないもんだ」
「大佐、それはエビングハウスの忘却曲線よ。それはそうと、ごおるどらいたん? それって美味しいのかしら」
「あんな物を食ったら腹を壊すぞ。って言うか、喉を通らんのじゃないかな」
とにもかくにも新年の行事を片付けねばらなん。まずは神仏にお供えしていたお餅やご飯を日の出を待って降ろす。これに具を加えて煮込めば雑煮の完成だ。完成なのだが……
雑煮という単語が最初に確認できるのは『鈴鹿家記』という室町時代に書かれた書物らしい。それより前には烹雑と呼ばれていたそうな。
まずは主殿(寝殿)において式三献とか言う儀式が行われる。続いて会所へ移動し移て改めて初献から三献までの三献が出てきた。それから五の膳だか七の膳までが据えられる膳部となる。さらに四献以下の献部? 何だか分からんがそんな物が始まった。式三献には初献に海月、梅干、打鮑が。二献に鯉の刺身が。三献には腸煎が出てきた。
「大佐、箸を付けちゃ駄目よ。これは食べちゃいけないんだから。それじゃあ会所に行きましょうか。初献には雑煮や五種の削り物が出されるのが常なのよ。雑煮っていうのは式三献じゃなくて別に支度した三献の中から初献に出された物なんですからね。ここ、試験に出るからちゃんと覚えておくのよ」
「大作、分かった! それはそうと、やっぱ東日本だから角焼き餅を入れたすまし仕立てなんだな。知ってたか、お園? 西日本だと丸餅を茹で味噌仕立てにするんだとさ」
「そ、そうなんだぁ~! まあ、私は美味しければどっちでも良いんだけどね」
ですよねぇ~! 大作は心の中のお雑煮を心の中のシュレッダーへ放り込むと現実の雑煮に箸を付けた。
雑煮で腹が膨れた大作たちは久々に八幡山の本城へ登って氏政に年始の挨拶をする。
「父上。父と子と聖霊の御名において明けましておめでとうございます。アーメン」
「あ、ああめん? 何じゃそれは、新九郎?」
「マジレス禁止! さて父上、正月の定番と言えばウィーン・フィルのニューイヤーコンサートですな。宜しければ皆で一緒に楽しみませぬか?」
「う、ういいんふぃるのにゅういやあこんさあと? それは…… まじれす禁止じゃったな。まあ良いわ。では、皆で楽しむと致そうかのう」
氏政は渋々といった顔だがお園に宥め賺されて館を後にした。
本丸へと席を移した一同は大作のスマホに入っていたニューイヤーコンサートの定番曲を鑑賞する。
コンサートの締め括りには大作が自らサックスを取って『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』を披露した。
みんなが楽しげな顔でお約束の手拍子を送り、ニューイヤーコンサートは成功裏に幕を閉じた。
「やっぱりこいつが無きゃ正月って気がせんな。さて、明日からは通常業務再開だぞ。何して遊ぼうかなあ。って言うか、そろそろ小田城攻略線の準備に取り掛からなきゃならんかも……」
「何を言ってるのよ、大佐。お正月が忙しくなるのはこれからよ。ねえ、ナントカ丸?」
「左様にございます、御本城様。明日、正月二日には御乗馬始や御吉書始がございます。正月四日には御うたひ始や本城と支城において行われる軍勢改めも検分して頂かねばなりませぬ。努努お忘れなきよう願い奉りまする。正月十日には御参内始。正月十七日には弓始め。そうそう、連歌始めもやらねばなりませ……」
「スト~~~ップ! 今は豊臣との大戦が目前に迫ってるんだぞ。不要不急の通常業務は全て自粛だ。欲しがりません勝つまでは。勝って兜の尾を締めよ。贅沢は素敵だ。な? な? な?」
面倒臭い空気を嗅ぎつけた大作は適当な御託を並べると脱兎の如く座敷を逃げ出した。




