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巻ノ弐百九拾参 楠は残った の巻

 天正十七年の十二月初旬、小田原において大作と愉快な仲間たちは史上初の有人動力飛行に現を抜かしていた。


 一方その頃、遠く離れた京の都では秀吉が小田原征伐への準備に余念がなかった。

 家康に書状を送って来春の出陣や陣触れを指示。詳細を詰めるために家康に上洛を命じる。

 さらには津田盛月と富田一白を徳川領駿河国沼津の三枚橋城に派遣して守りを固めさせた。

 史実では北条の使者、石巻康敬を国境で処刑することも指示したそうな。だが、大作は石巻康敬を秀吉のところへ派遣していない。小田原で無為の日々を過ごしているなずなので命の心配はないだろう。

 また、秀吉は十一月二十四日、北条宛に五ヶ条の宣戦布告を送ったらしい。書状は津田と富田の凸凹コンビによって東海道をのんびり運ばれて十二月五日には三枚橋城へ着くとのことだ。

 書状は箱根の山を越えて十二月七日には氏直の手元に届く。届くはずだったのだが…… そのころ飛行機に掛かり切りだった大作はそれどころではなかった。

 面倒なことを全部を萌に任せっきりにしていた大作は見た記憶すら定かではない。って言うか、たぶん見たんだけれど達筆すぎて読めなかったんじゃなかろうか。


 史実によれば氏直は何やら弁解めいたことを言ったらしい。それでいて氏政は十二月八日付けで兵の動員や城普請を命じて戦支度を始めている。要するにやる気で満々ってことなのだ。




「んで、萌さんよ。宣戦布告を届けてくれた津田と富田って奴らはもう帰ったのか? 何か手土産とかは持たせたんだよな?」

「あのねえ、大作。あいつらとは三ヶ月後には戦うことになるのよ。生かして返すはずがないでしょうに。首を刎ねて城下に晒してあるわ。後で見に行ってみなさいな」

「えぇ~っ! マジかよ…… まあ、宣戦布告がなされた以上は交戦状態に入ったわけだから殺すのもしょうがないか。軍使を受け入れるか否かはこっちの自由だもんな」

「冗談よ、放してやったわ。コマンドーのサリーみたいにね」


 うぅ~ん、はたして津田と富田の凸凹コンビはちゃんと生きてるんだろうか。まあ、どっちでも良いや。どうせ戦が始まったら徳川も豊臣もまとめて皆殺しなんだもん。数カ月ほど早いか遅いかの違いでしかない。大作は考えるのを止めた。




 十二月十三日、秀吉は全国に宣戦布告の朱印状を以って陣触れを発した。

 対抗したわけではないが氏直も十二月十七日に北条領内の家臣や他国衆に向け、小田原への翌年一月十五日の参陣を下命する。

 こうして天正十七年の師走の日本は戦争一色に染まりつつあった。






 暮れも押し詰まった天正十七年十二月二十四日(1590年1月29日)の午後、小田原城は今日も今日とて大忙しだった。

 ちなみに『暮れも押し迫る』というのは『暮れが近くなる』こと。『暮れも押し詰まる』は『暮れの中でも終わが近くなること』という意味で使い分けられているのだそうな。


「ほのか、リュートの調子はどうだ? 調律とかはちゃんとできているのかな?」

「ばっちこ~いよ、安堵して頂戴な。大佐の方こそクリスマスミサの支度はできてるんでしょうね。って言うか、きよしこの夜はいつ弾けば良いのかしら。私めはまだセットリストを貰っていないんだけれど?」

「いやいや、そんなことはないんじゃね? ちゃんと渡したような気がするんだけどなあ。って言うか、きよしこの夜はトップバッターなんだぞ。ほのかの演奏が今宵のコンサートの成否を決めると言っても過言では無いんだ。しっかりしてくれよ」

「そ、そうなの? 私めがトップバッターですって? で、できるかな?」

「できるかなじゃねえ、やるんだよ! 頑張れ、頑張れ、できる、できる! ほのかなら絶対にできる!」


 まあ、最悪でもみんなで合唱すれば何とか格好は付くだろう。大作はリュートを抱えたほのかを心の中のシュレッダーに纏めて放り込んだ。


「未唯、お前さんの方はどうよ? ヴィオラ・ダ・ブラッチョの具合は大丈夫か? たしかジングルベルを弾くんだったよな?」

「たぶん大事ないわね。たぶんだけれど…… あと、お園様が歌う『もろびとこぞりて』も弾くのよ」

「アレって歌詞が難しいよな。みんなちゃんと覚えたられたのかなあ?」

「歌詞カードとかいったかしら? 何か小さな紙に歌詞を刷った物を藤吉郎が支度していたわよ」

「ふぅ~ん、あいつらしい細やかな気配りだなあ。上手く行けば良いんだけど」


 本人たちが大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんだろう。本人たちの中ではな。

 大作はヴィオラ・ダ・ブラッチョを抱えた未唯と歌詞カードを心の中のシュレッダーに纏めて放り込んだ。


「大佐、クリスマスツリーの支度ができたわよ。検分して頂戴な」

「ああ、お園。探してたんだぞ。って言うか、クリスマスツリーじゃと? お前はそんな物を作ってたのかよ。どれどれ、見てやろうじゃないか」


 大作とお園は仲良く二人で連れ立って三ノ丸へと歩いて行く。ところで空模様はどうなんだろう。野外コンサートなので雨が降ったら最悪だ。まあ、ホワイトクリスマスっていうのも悪くはないんだろうけれど。

 遠く西の空を伺って見るがどうやら悪くはなさそうだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。


「アレよ、大佐。どうかしら、大した物でしょう? 樅の木が見当たらなかったから代わりに檜を使ったそうよ」

「そうなのか? 樅の木って日本には普通に自生してると思ってたんだけどなあ。だって高尾山に生えてるのを見たことあるんだもん。それに『樅ノ木は残った』っていう大河ドラマだってあったじゃんか。平幹二朗が主演した奴だよ」

「生えてることは生えてるらしいわね。だけど、大きすぎて持って来られなかったんですって。それはそうと平幹二朗様と申さば国盗り物語のお方よね?」

「他にも武田信玄、信長、北条時宗、義経、篤姫、エトセトラエトセトラ…… 大河ドラマに七本も出演された立派な俳優さんだぞ。ちなみにお若いころ、俳優座の養成所を落ちたんでアルバイトで油売りしてたことがあるんだとさ。蒲田から自転車に一斗缶を積んで田園調布の辺りを売り歩いてたそうな。まあ、すぐに辞めちゃったらしいけどな。まあ、あの斎藤道三だって油売りで大成したわけじゃない。むしろそれで成功しなかったから美濃一国を手に入れられたんだ。それはそうと話は変わるけど平さんもお風呂で亡くなったんだぞ。本当にお風呂って怖いよなあ」

「お風呂場に非常ベルか何かを付けた方が良いかも知れないわね。知らんけど」


 そんな阿呆な話をしながらも二人は檜のクリスマスツリーのところへと歩いて行く。

 高さは三メートルといったところだろうか。いったい樹齢は何年くらいなんだろう。屋外に飾るにはこれくらいが丁度良い大きさかも知れんなあ。お値段はいくらくらいだったのかなあ。

 大作がそんなことを考えていると不意に背後から声が掛かった。


「如何にございまするか、大佐。クリスマスツリーとやらは斯様な物で宜しゅうございましょうや?」

「おお、藤吉郎じゃんか。お前、この件にも関わっていたのかよ。本当になんでも屋みたいになってるみたいだな。もしかしてオーバーワークになったりしていないよな?」

「左様なご心配なら無用にございまする。某の頭は親方の拳骨より硬うございます故」


 言語明瞭意味不明瞭。例に寄って例の如く藤吉郎の言っていることはさぱ~りわけが分からない。これならば右から左に聞き流しても何の問題も無さそうだ。


「何とも立派な樅の木…… じゃなかった、檜だな。こんなの何処で手に入れたんだよ。やっぱ材木屋さんとかを当たったのかな?」

「門松奉行の岡本越前守様に合力を賜りました。ささ、どうぞ。此方へ参られませ。この短冊に願い事をお書き頂けましょうや? お園様もどうぞどうぞ」

「ね、願い事だと? あのなあ、藤吉郎。何と勘違いしてるのか知らんけど七夕じゃないんだぞ。クリスマスツリーに短冊を吊るすなんて初耳も良いとこだぞ。もしかしてお前のオリジナルアイディアなのか?」

「嫌あねあ、大佐。こういう物に願い事を書き付けた紙をぶら下げるっていうのは昔からの定番じゃないの。平安の御代にも梶の葉に書き付けていたそうよ。後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)にも『あまのがは とわたるふねの かぢのはに おもふことをも かきつくるかな』とかいう和歌が収められているでしょう?」


 突如としてお園の口から無駄薀蓄が飛び出した。思いも寄らぬ方向からの奇襲攻撃に大作は一瞬だけ虚を突かれる。

 だが、沈黙は負けを認めたに等しい。何でも良い、何でも良いから言い返さねば。ポク、ポク、ポク、チ~~~ン、閃いた! 大作は取り敢えず言葉のジャブを放ちながら話題の方向性を探る。


「い、いるでしょうって言われても知らんがな…… まあ、何の役にも立たない情報をありがとうな、お園。だけどもこんな紙に願い事を書いただけで叶うんなら誰も苦労なんかしないんじゃないのかなあ。と思ったけど、予言の自己成就っていうのは心理学的にも証明された現象なんだっけ。たとえば…… たとえば、豊川信用金庫事件って知ってるか?」

「えぇ~っと、確か女子高生の何気ない一言があっと言う間に金融機関の取り付け騒ぎにまで発展したとかういう世にも奇妙な物語だったかしら」

「そうそう、それそれ。ピグマリオン効果やゴーレム効果なんかもそれに近いかな。そう言えば……」


 そんな阿呆な話をしながらも大作たちは短冊に願い事を書いては樅の木…… じゃなかった、檜のクリスマスツリーへと括り付けて行く。ちなみに短冊は一枚一文。十一枚綴で十文とのことだ。


「それにしてもこんな紙切れ一枚が一文って高すぎじゃないか? そもそも十一枚も要らんぞ。お前らどんだけ欲望に塗れてるんだよ。とは言え、纏めて買った方がお得だと思うとみすみす損するのも嫌だしなあ。閃いた! 藤吉郎、自分で用意した紙に書いちゃ駄目なのか?」

「いやいや、大佐。此れはチャリティーコンサートの一環にござります。収益金の大半は戦で親を亡くした童たちの為に使います故、何卒ご辛抱下さりませ」

「そ、そうなんだ。それじゃあ仕方が無いか。んで、お園は何を書いたんだ? どれどれ……」


 読めない! 読めないぞ! 例に寄ってミミズがのたくった様な文字は一つとして読むことができない。大作は頭を抱えて小さく唸る。

 いやいや、これって本当に文字なんだろうか? 実は適当にぐにゃぐにゃっと線を引いているだけだったりして。

 

「なあなあ、お園。お前、俺が崩し字を読めないと思って出鱈目に書いてたりしないよな? 正直に話してみ? 怒らないからさ」

「あのねえ、大佐。字が読めないのは別に恥ずかしいことなんかじゃないわよ。ボールドウィンも申しておられるわ。何かを始めるのに遅すぎるということはないってね。今晩からでも読み書きを教えてあげましょうか?」

「いやいや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだよ。むしろ、どうせ読めないんだから嘘っぱちを書いても良いんじゃないかって言いたいんだな。たとえばだけど川上音二郎の一座がヨーロッパ公演した時のエピソードを知っているか? どうせ外国人の客に日本語は分からんだろうからって日本語として意味をなさないデタラメなセリフを喋ったんだとさ。タモリのハナモゲラ語みたいにな」

「酷い話ねえ。でも、私はちゃんとした願い事を書いたのよ。ほら! 此度の戦で北条方が勝ちますようにってね」


 まるで裁判所前で弁護団が『勝訴!』と書いた紙を広げるようにお園が短冊を掲げる。いや、どちらかと言うと三つ葉葵の印籠を掲げる助さんかも知れんな。


「違うわ、大佐。印籠を掲げるのは格さんよ」

「気になるのはそこかよ~! いやいや、過ちては改むるに憚ること勿れだな。印籠を掲げるのは格さん。大作、覚えた!」

「それってもしかして未唯の真似かしら? ちっとも似ていないわよ。うふふふふ」

「そうか? 結構似てると思うんだけどなあ。あはははは」


 そんな阿呆な話をしながら大作は短冊に『勝訴!』と書こうと…… いやいや違うな。『印籠を掲げるのは格さん』と書いて…… 違う違う! 何かもっと大事なことがあったような、なかったような。うぅ~ん。さぱ~り重い打線!

 もう、どうでも良くなってきたぞ。大作は短冊を心の中のシュレッダーに放り込ん…… ちょっと待てよ。これって一枚一文もするんじゃなかったっけ? 勿体ない勿体ない。一休み一休み。

 大作は考えるのを止めた。


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