巻ノ弐拾九 堺の商人 の巻
大作が必死で無い知恵を絞ったチューリップバブルの話は不発に終わった。
部屋はまるでお通夜のようだ。せっかく坊主のコスプレしてるんだしお経でも上げてやろうか。大作はほとんどやけくそ気味に開き直っていた。
まあ、タダで旨い飯を食わせてもらえたんだからモトは取れただろう。
帰りに食事代を請求されたらびっくりだけど。
いや待て。まだ九十九髪茄子の話をしていないぞ。ここまで来たら最後の最後まで悪あがきをしてやろう。
「津田様は茶器を集めておられるそうですな。九十九髪茄子を松永弾正様が銭千貫文で買ったそうですがこれは妥当な価格だと思われますか?」
「確かに途方もない額にございますが天下三茄子の中でも一番の名物にございます。銭千貫文でも安いのではござりませぬか?」
「そう言えば楢柴肩衝を銭三千貫文で買いたいと言った者がおるそうですな。物の値打ちというものは売り手と買い手が納得すれば決まるものなのでしょう。ですがこんな話もございますぞ」
大作は泣いても笑ってもこれがラストチャンスだと気合いを入れる。
「世界で最も有名な投資家ウォーレ○・バフェ○トが投資対象としての金についてこんなことを申されております。世界中にある金を全て合わせると目方はおよそ四千五百万貫目ほど。これを一つに固めると縦横奥行きが六十八尺ほどになりましょう。銭にして銭二百億貫文と言ったところでしょうか。一反の田んぼが銭十貫文だとすると二十億反の田んぼと同じ価値を持つことになりましょう。一反から一石の米が取れるとすれば二十億石の米が取れます」
大作はバフェ○トの有名な話をスマホの電卓で単純計算しながら披露した。だがとんでもない結果が出てしまったぞ。二十億反って二百万平方キロじゃないか。グリーンランドくらいの広さだぞ。それに二十億石って何だよ! 日本全国の石高を合わせても二千万石くらいだというのに。二十一世紀の話を十六世紀に適用させるのは幾ら何でも無理がありすぎた。
みんな揃って唖然としている。どうやって仕切り直せば良いんだ。
思わずお園と目が合う。何を考えているのか分からない目線だが『大作ファイト!』と解釈しておこう。
「株式には配当というインカムゲインが発生します。しかし金には利息が付きません。キャピタルゲインでしか利益を上げることが出来ないのです。茶器も全く同じことです。この種の投資は買い手が増え続けて行くことを前提にしております。しかしバブルは必ずや弾けます。そんな物に投資するくらいなら、この大佐に投資して下され!」
大作は頭を畳に擦り付けるようにして懇願する。お園と藤吉郎も即座に真似をする。
気まずい沈黙が流れる。大作は声を掛けられるまで顔を上げるつもりは無かった。これでも分からんような能無しならさっさと見切りを付けて次の鴨を探すのみだ。こいつが駄目でも三十六人衆はまだ三十五人も残っている。
暫しの沈黙の後、宗達の声が聞こえた。
「お顔をお上げくださりませ。申し訳ござりませぬが手前どもにはお坊様のお心が知れませぬ。お坊様は何をお求めになられておられるのでしょうか?」
『そこから説明しないといけないのかよ~!』と大作は心の中で絶叫する。
もしかして投資って言葉の意味が分かって無いのか? オランダ東インド会社が作られるのは五十二年後の1602年だもんな。
そう言えばインカムゲインとかキャピタルゲインとか説明無しに言っちゃってたな。事前の予定から大きく外れたのでアドリブに頼りすぎたことを大作は反省した。
「先ほどの話にも出て参りましたオランダと言う国に東インド会社という世界初の株式会社がございます。拙僧が作ろうとしておるのもこれと同じような物にございます。まずは皆様のご意見も伺いながら事業計画書を作成いたします。それにご賛同頂ける出資者から出資金を集めて株券を発行いたします。事業が成功すれば配当金が支払われます。必ずや高いパフォーマンスをお約束いたしましょう」
「銭を用立てろとおっしゃっておられるのでしょうか?」
首をかしげながら宗達が疑問を口にする。
「似て非なるものでございます。事業にご賛同頂ける方々にそれぞれ自分で決めた額を拠出して頂きます。信託と言っても良ろしかろう。信じて託すると書きます。儲けが出れば出資額に応じて配分いたします。万一、事業が失敗した場合は出資額の一部、最悪の場合は全額が還って来ませんが出資額以上の負債を負うことはありません。これを有限責任と申します」
宗達がまたもや難しい顔をして黙り込んだ。
大作は話をしながら帰り支度を始めていた。とりあえずこのやり方では駄目だな。良い勉強になった。
電球の開発で一万回も失敗を繰り返したエジソンは言ったそうだ。『一万通りのダメな方法を見つけただけだ』と。
このプレゼンは失敗ではない。上手くいかない方法を発見したのだ。次はもっと上手くやるぞ。大作は楽観主義と悲観主義の間を右往左往していた。
どうでも良いけど『うお~さお~』って何だか変な響きだよな。
大作の集中力は完全に切れていた。心ここに在らずんば虎児を得ず。
外はもう真っ暗だ。スマホの時計を見ると十九時を回っている。大作は宗達が次に何か言ったタイミングでお暇することに決めた。
だが大作の予想はまたもや裏切られることになった。
「夜も更けて参りました。床を用意させましたので今晩は我が家にお泊り下さいませ」
大作たちが通された寝室も立派な部屋だった。お園が巫女であることを考慮したらしく襖で仕切られた二部屋を用意してくれた。
こういうのもスウィートルームって言うのだろうか。一泊で幾らくらいするのだろう。もし請求されたら大変だなと大作は思った。
「今日は畳の上で眠れるぞ。これは夜着って言う掛布団の一種だな。着物みたいな形をしていて綿が入ってるんだ。とっても暖かいぞ」
お園は大作の言葉を右から左に聞き流す。そしてまるで勝ち誇ったような表情をして言った。
「やっぱり逃げなくて良かったじゃない。あんな美味しい夕餉は初めてだわ」
「某も覚えず思ひ惚れて給へり」
「それは結果論に過ぎん。あんなのは運が良かっただけだ。毎度毎度あんなに上手く行くと思ってたら長生き出来ないぞ。とは言え成功の要因を正しく分析せず『運が良かった』だけで済ませていてはいつまで経っても成長は望めないがな」
大作は穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。仕方ないのでもっともらしい話をして精一杯の虚勢を張る。
だが藤吉郎はともかくお園には通じていないようだ。
そんなことより明日の心配だ。状況的に見て宗達は一晩じっくり考えて明日に結論を持ち越すつもりらしい。
今日のプレゼンではお園と藤吉郎は置物みたいにさっぱり役に立たなかった。せめてサポート要員くらいにはなって欲しい。
「お前ら若いんだから少しくらい睡眠時間を削っても大丈夫だろう。四時間ほど集中して勉強して貰うぞ」
ほとんど歳は違わないのを棚に上げて大作は宣言する。有無を言わさぬ気迫にお園も藤吉郎も黙って従う。いや、むしろ知らないことを教えてもらえるのを喜んでいるようだ。
お園は異常な記憶力で関連知識を吸収した。宗達の前で隠れてスマホを操作するのは大変なのでこの能力は大いに期待できる。
藤吉郎も記憶力では負けるが人たらしで有名な持ち前のコミュニケーション能力がある。これを活用すれば説得が容易になるだろう。
時間が限られているので必要と思われる知識を厳選して二人に叩き込む。そして想定される様々な展開を予想して対応を決めた。
それはそうと会合衆は『えごうしゅう』と読むのは誤りで『かいごうしゅう』が正解と書いてあるのを大作は発見する。
どっちが本当なんだよ? 宗達の前で口に出さなくて良かった。危うく大恥を掻くところだった。
会合衆は十人だったとも書いてある。宗達を逃すと残りは三十五人では無く九人しかいないということらしい。
百地丹波の名前も見かけた。あのおっさん有名人だったんだ。堺で商売するなら顔を繋いでおいた方が良いかもしれないと大作は思った。
今後、傭兵や忍者を手配する機会があるかも知れない。もし大金を持ち歩くことになったら護衛くらい雇った方が良いんだろうか。
日が変わる頃、勉強会を切り上げて三人は床に就く。久々の畳は本当に寝心地が良かったので大作はあっと言う間に熟睡した。
そして幾年もの年月が流れた。海上保険や先物取引といった新しい概念を普及させるには大変な苦労があった。
大作は膨大な統計データを集めて集計し、適正な保険料を計算した。
お園は保険や先物の仕組みを分かり易く説明したパンフレットを作成する。
藤吉郎は営業部門のトップとして全国を飛び回って次々と大口顧客を獲得した。
大作はすでに夢だと気付いた。でも、お園は隣の部屋なので寝相で中断されることは無さそうだ。
お園との間に一男一女を授かり、藤吉郎も所帯を持って豊かで賑やかな日々が続くと思われた。
だがそんな日常は突然に終わりを告げる。永禄十一年(1568)に織田信長が堺に矢銭二万貫を課したのだ。
徹底抗戦を叫ぶ会合衆の面々。その中でただ一人、信長との和平を主張する今井宗久は孤立して行った。
会合衆の筆頭となっていた大作は独断で信長への回答を送る。「クソバカヤローメと言ってやれ!」
大作は莫大な資金を惜しげもなくばら撒いて第一次信長包囲網の前倒しを図る。
このタイミングで叩かないといずれ伊賀国も侵略される。大作は根気よく説得して百地丹波も味方に付けた。
数万の傭兵に一万丁を超える大量の鉄砲を配備する。村上水軍も味方に付けた。
通常の三倍速い大佐に『これで勝てなきゃ貴様は無能だ』と言われそうな状況だ。
って言うかこの状況で戦を仕掛ける信長って自殺願望でもあるのか?
しかし伏兵は意外なところにいた。今井宗久の私兵が大作の屋敷を襲撃したのだ。
「謀ったな宗久!」
「大佐!」
お園の魂を絞りだすように呻く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。
『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』
大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。
侍の振り上げた白刃に日光が煌めく。
「あの時点では通常の三倍速い人は少佐だよ! それより、ちゃんとした護衛が必要だな。伊○三尉みたいにはなりたくないし」
トイレに行きたくなった大作は真夜中に目を覚ました。




