巻ノ弐百八拾八 飛べ!ツイン滑空機 の巻
ぐずる梶原景宗と清水康英を何とか宥めすかして大作は下田沖決戦の作戦計画を披露した。
まずは来年の四月一日に大島の東側に伊豆水軍を戦船を結集させる。そして日没を待って下田の灯りを目標に月明かりの無い暗闇を進軍する。あとは下田城とタイミングを合わせた二点同時の荷重攻撃? 加重攻撃? 過重攻撃? 何だか知らんけどそんなのを加えるのだ。
狭い湾内に押し込められた豊臣水軍は文字通り袋の鼠そのもの。後は今時大戦の決戦兵器、テレピン油で焼き払うだけの簡単なお仕事だろう。
「まあ、そんなわけで月の無い夜に数百隻の艦隊で大島から下田を目指す。この困難な作業が実現出来るか否かが勝敗を決すると言っても過言ではありませんな」
「月も出ておらぬ真っ暗闇の中に船を漕ぎ出すと申されましたか? 左様に御無体を申されましても叶うはずも……」
「上野介殿。できるかなではございませぬ、やるのです! そのために訓練しようと申しておるのですぞ。諦めたらそこで試合終了にございますぞ」
大作は思いっきりドスを効かせると精一杯の邪悪な笑みを浮かべた。だが、数々の修羅場を潜り抜けてきた本物の戦国武将にそんな張ったりは通じないらしい。相変わらず小首をかしげている。
これは真面目に説明した方が良いかも分からんな。大作は小さく溜め息をつくとバックパックからタカラトミーのせんせいを引っ張り出した。
「原理は実に簡単なものなんですよ。たとえばですけど下田からちょっと西に行くと竜宮窟っていうのがありますよね? あの辺りに少しばかり距離と高さを離して二か所で火を焚いてやります。んで、船は利島の方向から二つの火が縦に真っ直ぐ並んで見える様に進めてやるのです。こんな感じですかな。飛行場のPAPIみたいな物ですよ。まあ、あれの場合は上下のズレを見るための物なんですけどね」
「ぱ、ぱぴ? にございますか」
梶原景宗が素っ頓狂な顔をしているが大作はガン無視を決め込む。両手の人差し指を前後に離して立てると清水康英の方に向けて左右に動かした。
「遠くにある方が高いに決まってます。ですから見え方でコースから右に外れているのか左に外れているのかは簡単に分かりますよね。あとは下田城が真横に見えた辺りで進路を変えるだけの簡単なお仕事でしょう?」
「うぅ~ん…… 言うが易しにございますな。然れども其れを真っ暗闇の中で行うは至難の技と申せましょう。何百もの船が揃って其の様に進める物にござりましょうや? 互いに打ち当たるのではござりますまいか?」
「それは軍用機のフォーメーションライトみたいに物凄く暗いライトを船の前後に灯してやれば宜しいんですよ。無論、前方には光が漏れない様にフードみたいな物で覆ってやらねばなりませんが。ナチスドイツ軍用車両のボッシュライトやノテックライトみたいな感じですかな?」
大作はシュビムワーゲンの画像を探すとスマホに表示させる。梶原景宗と清水康英は画面をチラリと見やるが特にリアクションを返さない。
通じていないのか? 現物を作って見せないと分かってもらえないんだろうか。いやいや、こいつらだって流石にそこまで阿呆ではなかろう。
「まあ、まずは騙されたと思って試してみられませ。まだ決戦までは三月以上もあるんですから。トライアンドエラーの精神で行きましょう」
「大佐、それは間違った和製英語よ。正しい英語の表現だとトライアルアンドエラーね」
「そ、そうだな。まあ通じてるみたいだから良しとしようじゃないか。とりあえずは昼間に艦隊行動を取るところから訓練を始めて下さい。それから徐々に難易度を上げて行けば宜しゅうございましょう。そうそう、この作戦は最重要機密事項ですぞ。決行の直前まで絶対に誰にも話さないようご注意下さい」
「だ、誰にも話してはならぬのでござりまするか?」
何とも言えない不思議そうな表情の梶原景宗と清水康英が揃って顔を見合わせた。
ナイスリアクション。大作は心の中でほくそ笑む。
「それは機密保持のためでございます。あのヒトラー総統だってラインの守り作戦を極秘にするため高級将校に秘密保持誓約書まで書かせたでしょう? そのためには備前守殿と上野介殿には史実通り仲違いして頂かねばなりませぬな」
「な、仲違いにござりまするか?」
「左様にございます。備前守殿は下田で豊臣水軍を迎え撃つのは無理だと思ったんでしょうね。二月の末に手下を率いて三浦半島の油壺へ逃げ出してしまうんですよ」
「て、敵を前に逃げ出すですと? 儂が其のような卑怯な真似をする筈も……」
途端に梶原景宗が血相を変えて声を荒げる。こいつも瞬間湯沸かし器(死語)かよ。大作は心の中で小さく溜め息をついた。
「どうどう、餅付いて下さりませ。先ほどから申し上げておりますでしょう。これは敵の目を欺くための欺瞞工作。そうやって下田城には僅か六百の守兵しかおらぬと敵に油断させてやるのです。そんなことよりも上野介殿。貴殿はそろそろ出家しなくちゃなりませぬな。Wikipediaによれば清水上野入道と号すって書いてありますぞ」
「如何にも。某は既に新七郎に家督を譲っておりますれば頃合いを見て出家しようと思うておりました。大戦の前には済ませておかねばなりませぬな」
「それってやっぱ断髪式みたいなのをやるんですよね? ちょっとだけで良いから拙僧にも切らせてもらって良いですか? 一回で良いからやってみたかったんですよ」
「ねえねえ、大佐。もしかして得度式のことを言いたいのかしら?」
即座にお園が鋭い突っ込みを入れてきた。大作はアイコンタクトを取ると軽く頷いて謝意を表す。
「そうそう、それそれ。相変わらずお園は物知りだなあ。とにもかくにも、上野介殿、腕に寄りを掛けて立派な得度式をやりましょうね。約束ですよ」
「畏まりましてございます。船のこともお任せ下さりませ」
「御本城様は大船に乗ったつもりでご安堵下さりませ。船だけに」
二人の爺さんが急にドヤ顔で胸を張る。だけど信用して大丈夫なのかなあ。イマイチ安心感が持てないんですけど。
だけども船の扱いに関しては向こうがプロなんだから信じるしかあるままい。大作は夜間艦隊行動の件を心の中のシュレッダーに放り込んだ。
大作とお園の二人はその後も小田原城内を適当に練り歩く。
コーラス隊の練習を見学したり、ミニエー弾の製造工程を見学したり、テレピン油の製造工程を見学したり、エトセトラエトセトラ…… 要するに糸の切れた蛸のように当ても無く適当に小田原城内をぶらついたのだ。
「ねえねえ、大佐。きっと私たち、みんなからよっぽど暇なんだと思われてるわよ」
「ふんっ! そう思いたい奴には勝手に思わせておけば良いさ。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやって言うだろ? 優雅に泳いでいるように見える白鳥だって水面下では一生懸命にバタ足してるんだぞ。と思いきや意外や意外。アレって『巨人の星』が言い出しっぺだって知ってたか? 本当の白鳥はそれほど必死にバタ足してるわけでもないんだな。そもそも水鳥は尻尾の油脂腺から出る油で羽繕いしてるから水を弾くように出来てるそうだぞ。ついでに言うと羽毛の中に空気が溜められるようになってるから浮き袋の代わりになるんだとさ。不思議な話もあったもんだろ?」
「ふ、ふぅ~ん。白鳥って鵠のことだったかしら。そういえば日本武尊は亡くなった後に鵠になったそうね。とにもかくにも私、遊んでると思われるのだけは勘弁して欲しいわね。だって真に遊んでなんかいないんですもの」
お園に取っては白鳥のことなんかより自分が遊んでいると思われることの方がよっぽど重要だったようだ。さっきから微妙に言葉の勢いが強くなってきたような気がしてならない。
これはフォローが必要かも知れんな。大作は卑屈な笑みを浮かべながら上目遣いで顔色を伺う。
「なんぼなんでもそれだけは無いんじゃないのかな。どうしてかっていうと視察っていうのも立派な仕事なんだもん。昔から指導者や指揮官っていう輩は邪魔にならない程度に現場をうろちょろするものって相場が決まってるんだよ。チャーチル首相からロンメル将軍まで皆そうだったんだぞ。その結果、山本五十六やバックナー中将みたいに死んじまう人もいるんだけどさ。アッ~! それで思い出したぞ。飛行機はどうなったんだろうな?」
例に寄って例の如く大作が唐突に大声を出す。相変わらずの話題の急展開ぶりにお園が怪訝な顔をしつつも相槌を打った。
「ここからなら近いわね。丁度良いわ、近くば寄って目にも見ましょうよ」
「そうだな、それが良さそうだ。どうせ通りすがりなんだもん」
少し歩いて行くと山角康定と愉快な仲間たちが相も変わらず雁首を揃えて屯している。
って言うか、人の輪の真ん中にいるのはほのかと未唯じゃないのかなあ? 大作は思わず自分の目を疑った。
「おいおい、ほのかと未唯じゃないかよ。お前ら何でこんなところで油を売ってるんだ?」
「あら、大佐。私たち油なんて売っていないわよ。確かテレピン油奉行は岡本越前守様じゃなかったかしら」
「そう言えば萌が言ってたわね。油を売っていたのは斎藤道三じゃなくて道三のお父上だって」
「お前らは本当にああ言えばこう言う奴らだなあ。まあ、油のことはこの際どうでも良いや。んで、ここで何をやってるんだ? 怒らないから正直に話してみ。さあさあ」
今の大作には無駄話に付き合ってる暇など一秒も無いのだ。
百ドル紙幣の肖像画で有名なベンジャミン・フランクリンも言ってるぞ。Time is money! まあ、本当を言えば暇で暇でしょうがないんだけれども。
「あらまあ。大佐ったらまた妙なことを言い出したわねえ。私たちは飛行訓練のためにここに来てるのよ」
「未唯たちに空を飛べって言ったのは大佐じゃないのよ。ひょっとして忘れちゃったんじゃないでしょうね? って、もしかして真に忘れちゃったのかしら? まったくもう勘弁して頂戴な」
幼女コンビの顔が忌々しげに歪む。その顔を見ているだけで大作の心は折れそうだ。いや、まだだ。まだ終わらんよ!
「忘れたとは失敬だな。俺はただ、覚えておく必要の無い記憶を消去したに過ぎんのだ。捨てるのと失くすのは違うだろ?」
「そ、そんなものかしら? だけども私たちに空を飛べって言ったのは大佐よ。それを覚えておかなくて良いなんて道理に合わないと思うんだけどなあ」
「それは見解の相違って奴だな。お前らにとっては重大なことだろうが俺にとって無用かも知れんだろ? な? な? な? んで、空は飛べたのか? って言うか、俺はてっきりお園が世界初の有人動力飛行をやるんだと思ってたぞ」
「だったら三人で一遍に飛ぶのはどうかしら。そうよ、それが良いわ。そうしましょうよ」
またもや何の脈絡も無くお園が思い付きを口にした。隣では山角康定や職人たちが唖然とした顔で慌てふためいている。
「ま、ま、真に恐多きことなれど御裏方様、この機体に三人で乗るのは些か…… と申しますか、何をどうやろうと難しゅうございますぞ。このままでは翼面荷重が倍近くになります故、離陸することすら叶いますまい。主翼の設計からやり直すとなれば大層な手間となりましょう。早くて十日。ことに寄っては半月は掛かりましょう」
「うぅ~ん、それは困りましたな。とは申せ三人乗りの航空機なんて珍しくも何とも無いと思うんですけどねえ。九七式艦攻や天山、彩雲なんかもそうでしょう? そうだ、閃いた! アレなんかどうですかね。ツインムスタングやMe609みたいに二機を合体させちゃうっていうのは。そうすれば手っ取り早く定員を増やせます。こんな感じですよ。言うなれば『飛べ!フェニックス』の逆バージョンですな」
大作はスマホに表示させた画像を一同が揃って覗き込む。だが、返ってきたのはさぱ~り分からんといった反応だった。
暫しの沈黙の後、山角康定が遠慮がちに口を開く。
「恐れながら御本城様。滑空機を斯様な形に作り直すとなればカタパルトを一から作り直さねばなりませぬ。とても半月では間に合いませぬぞ。テスト期間も含めればとてもではありませぬが1580年代の有人動力飛行など叶うはずもござりますまい。何卒、お考え直し下さりませ。伏してお願い申し上げます」
その発想は無かったわ。大作はツインムスタングやMe609を心の中のシュレッダーに放り込んだ。




