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巻ノ弐百八拾四 歌え!メサイアを の巻

 翌日、朝餉を終えた大作たちはお茶を飲んで寛いでいた。暫くすると見覚えのある顔が現れる。


「えぇ~っと…… どちら様でしたかな?」

「またまた、お戯れを。御本城様、八田左近にございます」


 それって誰だっけ? 大作は心の中で頭を抱える。いやいや、確かこいつは小田氏治の長男じゃなかったっけかな。だとするとナントカ治って名前なんじゃなかろうか。


「大佐、こちらは小田友治様よ。して、左近様。本日は如何なる御用で参られました?」

「父から文が届きました故、一刻も早うお見せ致そうと参上仕りました。ご覧下さりませ」


 男は恭しげに書状を差し出す。受け取ってもどうせ読めないんだけどなあ。大作は内心でボヤキながらも如何にも大事そうに受け取った。

 丁寧に折り畳まれた紙を広げてみれば例に寄ってミミズが這ったような文字が並んでいる。これは眉間に皺を寄せて読む振りをするしかないなあ。

 と思いきや、お園が真横から首を伸ばして覗き込んできた。


「どれどれ…… ええとねえ、大佐。天庵様は大佐がくるのを首を長くしてお待ちだそうよ。麒麟みたいにね。それでどうなのよ、小田派遣軍の支度は滞りなく進んでいるのかしら?」

「さ、さあなあ。どうなんだろう。進んでいたら良いんだけれど」

「ご、御本城様。もしや進んでおらぬのですか?」

「いやいや、左近殿。ご安堵召されませ。進んでおれば良いなあと申したまでのことにございます。では、今から皆でひとっ走り見に参りましょう。Let's go together!」


 言うが早いか大作はお園の手を取って立ち上がる。一瞬遅れて八田左近も腰を上げた。




 大言壮語した手前、何もせんわけにも行かんだろう。とは言え、サツキとメイはコーラスの練習に立ち会っているんだっけ。あそこに連れて行ったら八田左近はどんな顔をするんだろうな。想像した大作は一人ほくそ笑んだ。


 今日も今日とて小田原城への長い坂道を降りて行く。大手門を通って二ノ丸へ進む。遠くの方から歌声が風に乗って聴こえてきた。


「「ハーレルヤ ハーレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレールヤ ハーレルヤ ハーレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレーールヤ」」

「おっ! みんな朝早くからちゃんと練習してるみたいだな。感心感心…… って、これってヘンデルのメサイアじゃんかよ! あいつら何をやってるんだ?」

「何を言ってるのよ、大佐。これはエヴァンゲリオン第弐拾弐話『せめて、人間らしく』じゃないの。もしかして忘れちゃったのかしら?」

「いやいや、それは知ってるけどさ。だけども何でこのタイミングでこんな歌を練習してるんだろうな。だってチャリティコンサートで歌うのは第九なんだぞ。わけが分からないよ……」


 ぽか~んと口を開けた大作は肩の高さで両の手のひらを掲げる。

 だが、三人の気配を察したメイは急に振り返ると悪びれることもなく口を開いた。


「あら、大佐。年末だからって第九を演奏するのは日本くらいなんでしょう? 欧米ではメサイアの方が一般的だって言ってたじゃないの」

「あのなあ、ここは日本だぞ。遠い外国の話なんか知ったことかよ。それにもう第九を演奏するってチケットを売っちゃったんだぞ。今さらどうすんだ?」

「そんなこと別にどうでも良いんじゃないかしら。どうせ誰もメサイヤと第九の区別なんて付かないんだし」


 メイの顔には悪びれた様子の欠片すらない。もしかして確信犯なのか? だったら真面目に相手をするだけ阿呆らしいな。大作は卑屈な笑みを浮かべると小さくため息をついた。


「そ、それもそうだな。どうせお前ら第九の練習なんてやっていないんだろ? 何だかもうどうでも良くなってきたぞ。そうだ! これが俺の…… 俺たちの第九なんだよ。それで宜しいですかな、左近殿?」

「さ、左様にございますな」


 八田左近は神妙な顔で頷いた。本当に意味が分かっているんだろうか。まあ、どっちでも良いんだけれども。




 続いて一行は三ノ丸のコンサート会場予定地へと向かう。


「本番は三週間後…… まだ二十日ほど先のことです故、何も準備が出来ておりません。舞台はあの辺りに設営します。観客席はあっち側に扇形に作ろうかと思っております。お園、ちょっとそこに立って歌ってみ」

「え、えぇ~っ! 歌うの? 私が? 私はコンサートには出ないんだけれど……」

「いやいや、ちょっと雰囲気を確かめたいだけだよ。って言うか、もし歌いたけりゃコンサートに出てもらっても全然オーケーなんだぞ。サプライズ出演ってことで一曲だけ歌ってみたらどうだ。みんな大喜びじゃね?」

「そ、そうかしら? まあ、本番で歌うかどうかはともかくとして今日のところは何を歌おうかなあ。そうねえ…… 歌い続けてはや半年。私の人生にとって最も大切な思い出の曲を魂こめて歌います。どんぐりころころ。聴いて下さい」


 お園は自分で曲紹介をすると舞台が作られるはずの所へ勿体ぶった足取りでゆっくりと歩いて行く。

 情感たっぷりに歌い上げるお園のどんぐりころころを聴きながら大作と八田左近は観客席と思しき場所まで足早に移動した。


「やはり後ろの方までは声が良く通りませんな。屏風のような物を立てて音を反射させようと思ってはおるのですが」

「然れども御本城様、コーラス隊とやらには随分と数多の人数(にんじゅ)がおりますれば案ずるには及びますまい」

「いやいや、左近殿。お園はソロで歌うんですぞ。それにほのかと申す女性(にょしょう)もギター…… じゃなかった、リュートを弾く心積もりなれば困ったことになりましたな。うぅ~ん」

「いっそ扇形を止めては如何にござりましょう。ぐるりと周りを囲むように見所(けんじょ)を設けてやればみなに等しく声が届くのではありますまいか?」

「それは如何な物でしょうかな。横はともかく、後ろ側の客は絶対に文句を言いますよ。それかもういっそのことターンテーブルにでも乗せてグルグル回しながら歌ったりリュートを弾くっていうのもアリかも知れませんな」


 二人がそんな阿呆な話をしている間にもお園は一曲歌い終わったようだ。これ以上はないというドヤ顔を浮かべながら戻ってきた。


「ねえ、大佐。もしかして私の歌をこれっぽっちも聴いていなかったんじゃないでしょうね?」

「そ、そ、そんなことはないぞ。いつもに…… いつにも増して聴き応えのある素晴らしい歌声だったな。本番を楽しみにしているよ」

「御裏方様が斯様に歌が上手とは存じ上げませなんだ。いやいや、本番とやらが楽しみにございますなあ」


 意味深な笑みを浮かべた八田左近が露骨に胡麻を摺ってくる。

 そんなあからさまなお世辞でも機嫌が良くなるものなんだろうか。まんざらでもないといった顔のお園が顎をしゃくった。


「ふ、ふぅ~ん。まあ良いわ。それで次はどうするのよ。そも、左近様は何をしに来られたんだったかしら?」

「確か小田派遣軍の支度は滞りなく進んでいるのか。とか何かじゃなかったっけかな? ですよねえ、左近殿」

「さ、左様でございますな。御本城様の合力を我が父天庵は今日今日(けふけふ)と待ち嘆いております。して、御本城様は如何なる古兵(ふるつわもの)を遣わして頂けましょうや?」

「いや、あの、その…… 言ってませんでしたかな? 女子挺身隊と国防婦人会のことについて説明しましたよねえ? 言ったと思うんですけど」


 そうは言ったものの連中が何処で何をしているのかなんて大作には見当も付かない。だからって正直に知らないって言ったら阿呆だと思われるかも知れん。

 頭を抱えて無い知恵を絞る大作を哀れに思ったのだろうか。見るに見かねたといった顔のお園が助け舟を出してくれた。


「ねえねえ、大佐。だったらアレはどうかしら、アレ。ロケット弾の発射テストを見に行きましょうよ。それが良いと思うわ」

「そ、そんな予定あったっけかなあ? 俺、何にも聞いていないんだけれども」

「プロジェクトルームの予定表にちゃんと書いてあったわよ。もしかして読んでないのかしら」

「いやいや、ちゃんと読んでますから。読んでたんだけど内容を覚えていなかっただけなんだよ。俺は物覚えが悪いんだからしょうがないだろ? な? な? な?」

「しょうがないわねぇ~」


 お園を先頭に大作と八田左近は金魚の糞みたいにくっついて歩く。大手門を潜って外に出ると東へ向かう街道を進んだ。

 またもや歩きかよ。いったいどこまで行くんだろう。もっと近場でやってくれれば良いのになあ。大作は心の中で苦虫を噛み潰すが決して顔には出さない。

 道なりに三十分ほど歩くと酒匂川が見えてきた。河口にほど近いだだっ広い河原には十数人の人足風の男たちが手持ち無沙汰に屯している。他にも荷物を運んで来たらしい馬子や馬。髷を結い、腰に刀を差した侍らしき男たち。足軽風の男たち。エトセトラエトセトラ。

 その中にたった一人だけ大作の見知った顔があった。あったのだが…… 誰だっけ?


「あのお方は御馬廻衆が筆頭、山角康定上野介様よ。しょっちゅう朝飯を食べにくる山角紀伊守様の兄上様だわ」

「あぁ~あ、どっかで見たことあると思ったよ。どもども、上野介殿。今日はまた絶好のロケット日和ですね。ちょっくら見学させて頂いても宜しゅうござますかな? 決してお邪魔は致しませんので」

「これはこれは、御本城様。態々お越し頂けるとは恐悦至極に存じまする。間もなく撃ち放つところなれば今暫くお待ちくださりませ。ささ、此方へお出で下さりませ」


 突然のアポなし訪問だったにも関わらず山角康定は機嫌良く受け入れてくれた。

 案内に従って河原まで降りて行くとコングリーヴ・ロケットとは似ても似つかない鎮座ましましている。

 不安に駆られた大作は何とも形容のし難い気持ちで胸が一杯になってしまった。


「こんな物が…… こんな物がロケット弾だと申されまするか? 後ろに付いている筈の長い棒はどうなっているんでしょう? アレが無いと安定して飛ばないのではありますまいか?」

「いやいや、御本城様。案ずるには及びませぬ。我らのロケットはスピン安定式にござりますれば弓矢が回りながら進むが如く遠き所まで真っ直ぐに飛ぶのでござりまする。まずは篤とご覧下さりませ」


 取り付く島もないとはこのことだろうか。やんわりとした拒絶にあった大作は進められるままに床几だか胡床だかに腰を掛けることしかできない。


「然れども上野介殿。このロケットはジャイロで姿勢を安定させてるわけじゃないんでしょう? だったらスピン安定にしろフィン安定にしろある程度はスピードが出ないことには姿勢の安定なんて期待出来ないんじゃないですかねえ。違いますか?」

「まあまあ、御本城様。細工は流々仕上げを御覧じろと申します。まずは撃ち放ってからお話をお伺い致しまする。放てぇ~!」


 山角康定は足軽たちの方を向き治ると大声を上げながら手を振った。

 何をどうやったのか良く分からないが突如として轟音が響き渡る。直後に細長い棒状の物体が火を吹きながら飛んで行った。後にはもうもうと立ち込める白煙が棚引く。


「ロケットは? ロケットはどうなった?」

「彼処よ、彼処。随分と遠くまで飛んだわね。一里くらい飛んだんじゃないのかしら。何かの畑に落ちたみたいだわ。あな、いみじや! 燃えてるわ、畑に火が着いちゃったのよ!」

「うわぁ、大変だぞ! 火事だぁ~! 火事だぁ~! 誰か…… じゃなかった、こういう時はきちんと役目を決めて頼まないといけないんだっけ。そうじゃないと傍観者効果で誰かがやるだろうと思って誰もやらないんだよな。左近殿、119に電話して消防車を呼んで下さい。お園は俺と一緒に初期消火を試みるぞ。ただし二次災害に注意だ。火に巻かれないように細心の注意を払え」

「え、えぇ~っ。私たちで火を消すって言うの? 其れは消防に任せた方が良いんじゃないのかしら」

「急がないと手遅れになるぞ。急げ急げ急げ! Hurry up! Be quick!」


 呆然と立ち尽くす山角康定を放置して大作たちは右往左往と走り回った。


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