巻ノ弐百八拾弐 進め!新聞拡販団 の巻
翌日、朝食を終えた大作は藤吉郎を引き連れて城下の商家を回ることにした。
お園や未唯は誘ってみたけれども用事があるとか言って付いてこなかったのだ。
「まずは北条と直接取引のある商家に行ってみよう。大口取引の相手なんだから邪険にはされんだろう」
「左様にございますな。もしも無礼を働く様なら商いを止めると言うてやれば宜しゅうございましょう」
「いやいや、そんな脅迫みたいな真似をするのは企業コンプライアンス的に問題ありだぞ。それにし後々に凝りを残しそうだしさ。飽くまでも穏便にお願いしなけりゃならん。それに、ちゃんとした商家なら新聞広告の効果は理解してもらえるはずだ。って言うか、広告の意義が理解できんような馬鹿とは付き合う必要が認められん」
「それは広告を載せねば商いを止めると言うのと同じではござりませぬか?」
「ですよねぇ~!」
二人は一頻り大笑いすると大手門を潜って城下へ下って行った。
まず最初に大作たちは伊勢屋という看板の掛かった鉄砲鍛冶を訪れる。
近世、近江商人と並んで伊勢松坂出身の商人は各地で大活躍していたらしい。江戸時代には『江戸に多きものは伊勢屋、稲荷に犬の糞』とまで言われるくらい伊勢出身の商人は多かったそうな。
「頼もう! 拙僧は大佐と申します。ご主人はいらっしゃいますか? アポなしで申し訳ありませんが是非ともお目通りをお願いしとうございます」
「へぁ、大佐殿? って、いやいやいや! 御本城様ではございませぬか! 暫しお待ち下さりませ。今すぐ呼んで参ります」
番頭と思しき中年男は店の奥へ引っ込むとすぐに初老の男を連れて戻ってきた。
店主、番頭、手代、丁稚、エトセトラエトセトラ…… ずらりと並んだ人々が這い蹲る。
「御本城様、本日は急な……」
「いやいや、伊勢屋殿。お顔をお上げ下さりませ。こちらこそアポなしで押し掛けて済みませんな。今日は伊勢屋殿に是非ともお目に入れたい物がありまして朝早くからお邪魔しております」
その言葉を待っていたかのように藤吉郎が瓦版新聞を取り出す。
伊勢屋は恐る恐るといった手付きで受け取ると紙面に目を落とした。
「此度、ここ小田原において新聞を発行する運びとなりました。順次、販売地域を広げて行く所存。戦が始まるまでには領内全域に。行く行くは全国、全世界へと展開して行こうかと思うております」
「ほ、ほほぉう。これはまた随分と驚かしき話にござりまするな。して、我ら伊勢屋が何ぞ合力を仕ることがござりましょうや?」
「一つは新聞の定期購読をお願い致したい。一部が銭一文ですが月極でご契約を頂くと銭二十文、年間契約だと銭二百文。大変お得になっております」
大作は用意してきたパンフレットを見せながら滔々と捲し立てた。
引き攣った愛想笑い浮かべながら伊勢屋の主人は相槌を返す。
「さ、左様にござりまするか。一つは、との仰せにございましたな。他にも何かございましょううか?」
「いま一つのお願いはここです。この空いた広告スペースを埋めて頂きたいのです。ちょっとややこしい話になりますので上げて頂いても宜しゅうございますかな?」
「いや、あの、その……」
返事も待たずに大作と藤吉郎はズカズカと店に上がり込むと座敷らしき部屋を目指す。
勝手知ったる他人の家。まあ、本当は何も知らないんだけれども。
大作は適当に座布団を並べると自らは下座に座った。
「ささ、ご主人。上座へどうぞどうぞ」
「何を仰せになりまするか。御本城様を差し置いて上座になど座れる筈もございません」
「いやいや、本日は拙僧がお願いに参上した立場なれば伊勢屋殿こそ上座へどうぞ」
「何をおっしゃいますやら……」
「そうは申されましても……」
このままでは埓が開かない。仕方がないので藤吉郎が上座へ座った。
「さて、伊勢屋殿。お手前は企業ブランドという物の価値をどのようにお考えでしょうか。口さがない者たちは『江戸に多きものは伊勢屋、稲荷に犬の糞』などと申しておるそうですぞ」
「お稲荷様と犬の糞を立ち並べるとは極まり無く無礼な事にござりまするな」
気になるのはそこかよ~! 大作はちょっと呆れたが気を取り直して話の軌道修正を図る。
「ブランディングの肝は消費者に対して商品やサービスに一つのイメージを共有してもらうことにございます。そのためにはまずブランド戦略を立てねばなりません」
「ぶ、ぶらんどせんりゃく…… にござりまするか」
「日本製の車や時計の品質は世界一と言っても過言では無いでしょう。ですがドイツ車やスイス時計の方が単価はずっと高い。その原因は何だと思われます、伊勢屋殿?」
「さ、さあ…… 某如きにはとんと分かり兼ねまする」
大作はタカラ○ミーの『せん○い』に適当な画像を表示させながら勿体ぶった笑みを浮かべる。
「最も重要なこと。それは競合他社との差別化と思し召されませ。顧客のロイヤリティによって長期的な売り上げを確保する。これができればブランド自体の価値に寄って利益率は自ずと高まります。知名度が上がれば企業の調達力も向上する。ばんざ~い! ばんざ~い!」
「万歳とは目出度いの意にございます」
小首を傾げた伊勢屋の疑問に答えるように藤吉郎が解説役を買って出た。大作は軽く頭を下げて謝意を示す。
「とにもかくにも、まずは自分たちの強みを理解してターゲットユーザーを決めてやらねばなりません。そのためにはブランド・アイデンティティとポジショニングが肝要となりましょう。何が売りかってことですな。たとえば安心感とか安全性、格好良いとかイケてるみたいな? 伊勢屋さんは鉄砲を商っておりますが競合他社との差別化については如何様にお考えですかな?」
「いや、あの、その……」
「此度の大戦が終われば太平の世が訪れるでしょう。そうなると伊勢屋殿が商っておられる鉄砲も業界再編の嵐が吹き荒れるは必定。そこで必要になるのはリポジショニングです」
「りぽじしょにんぐ? にございますか」
「軍需を民需に切り替える。軍民転換ってことですよ。例えばですけど……」
大作と藤吉郎はそれから二時間ほど粘った。粘りに粘った末、根負けした伊勢屋から広告を取った。
さらに図々しくも広告を掲載してくれそうな知り合いを二社紹介してもらう。これを二十数回ほど繰り返せば全人類に広告を依頼できるかも分からんな。大作は取らぬ狸の皮算用をして一人ほくそ笑んだ。
ああ見えて伊勢屋は業界のリーダー的な立場か何かだったんだろうか。あの伊勢屋さんが広告を出すんならば我々も。そんな感じで後に回った店では比較的簡単に広告注文を取ることができた。
「大佐、こんなに簡単に注文が取れるとは思うてもおりませなんだ。こんなことならいま少し値を上げても宜しかったのではありますまいか?」
「いやいや、藤吉郎。逆だよ、逆。始めは安く提供して広告の効果を実感させる。値上げするのはそれからだ」
「左様に上手く行くものでしょうか? 一旦安値に慣れてしまうと容易には値上げに応じて貰えぬような気がしてなりませぬ。前に申されておられましたな。手塚治虫が赤字覚悟の格安でテレビアニメを作ったせいで未だにアニメーターは安月給なんだとか」
「ああ、アレな。アレはなあ…… とは言え、あのダンピングがなければ今みたいにテレビアニメが大量生産されることもなかったんだろうなあ。そう考えると……」
そんなことを考えながら大作と藤吉郎は八幡山への長い坂道を登って行った。
翌日から瓦版新聞の発行が始まった。取り敢えず発行部数は千部からのスタートだ。試供版という扱いで主だった商家に無料で配って回る。合わせて人を使っては記事に対する意見を聞いて回り、紙面の改善を図った。
そして幾年もの年月が流れる。
新聞の安定した発行には大変な苦労があったが大作と藤吉郎は力を合わせて徐々に発行部数を増やして行った。
地域毎に販売拠点を作っては徐々に販売網を広げて行く。その過程では想像すらしていなかった苦労が山の様にあった。
大作は高度に組織化された新聞拡販団を全国に展開し、あの手この手を尽くす。
宅配や引っ越しを装ってドアを開けさせる。不当景品類及び不当表示防止法に触れる高価な景品を配る。長期契約を強要したり解約時に景品の返却を迫る。独居老人宅に上がり込み、契約するまで長時間に渡って居座る。嘘をついたり同意を得ず勝手に契約書を作成する。エトセトラエトセトラ……
始めは僅か千部からスタートした瓦版新聞も今では一千万部を超える世界最大の新聞だ。他にも業界紙など日刊紙二十二、週刊紙十五、雑誌七、テレビ局やラジオ局まで抱えている。文字通りメディア王国と呼ぶに値するだけの絶大なる影響力を誇っていた。
大作はマスコミュニケーションによって全世界の政治、経済、文化、芸術から道徳観念までもを操る。
お園との間に一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。
だがそんな日常は突然に終わりを告げる。とうとう国民生活センターや公正取引委員会が動き出したのだ。
印刷所でゲラ刷りをチェックしていた大作は突然乱入した警察官に肝を冷やした。
「大佐!」
お園の魂を絞りだすように呻く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。
『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』
大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。
警察官が懐から取り出した逮捕状をドヤ顔で掲げる。
「うわらばっ!」
背中に鋭い痛みを感じて大作は唐突に夢から覚めた。
無茶な拡販は止めておいた方が良さげだな。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。




