巻ノ弐拾八 開けチューリップ の巻
今井宗久が部屋を去って十数秒。狭い部屋の中で大作、お園、藤吉郎の三人は息を殺すように押し黙っていた。
いったい何が始まるんだ。警察でも呼びに行ったのだろうか。逃げた方が良いかも知れない。例に寄って変なイベント発生の予感がする。少なくとも待っていて良いことは無さそうだ。大作は素早く見切りを付ける。
「ずらかるぞ。ここで今全滅したら未来の日本を守る為に戦う者が居なくなっちまう。明日の為に今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ」
「私は女よ」
「今井様は待てと申しておられましたぞ」
「厠を借りるとか言って外に出てバラバラに逃げるんだ。昨日野宿したところに集合だ」
二人はまだ納得いかないと言った顔をしている。こいつら戦国時代に生きてる割に危機感が足りないんじゃないか。大作は心底から呆れた。
「お前らは俺の判断が信じられないのか? Trust me! 生きてさえいれば再起のチャンスはいくらでもある。今は生き延びることだけを考えろ」
「……」
「返事はどうした?」
「黙って帰るのは失礼じゃないかしら。せめて一声掛けて帰るべきよ」
ここへ来てまさかの反乱か。こいつらが俺に逆らうとは。大作は焦った。
「もう知らん、勝手にしろ。縁があったらまた会おう」
大作は素早くバックパックを背負うと立ち上がる。引き戸に耳をくっ付けて気配を探るが物音はしない。
お園が呆れ果てたような口調で声を掛ける。
「本当に帰っちゃうの? 私たちはご挨拶してから行くわね」
「某も後で必ず参ります。しばらく待っておって下され」
許しがたいほど危機感の無い連中だ。こんなんで良く今まで生きてこられたな。付き合ってられん。大作はあっさりと二人を切り捨てた。
物音を立てないよう慎重に引き戸を開けると素早く廊下に出る。
裏口から脱出だ。草履の一つくらい拝借してもバチは当たるまい。
だがそんな大作の目論みは呆気なく崩壊した。
「お待たせ致しました、大佐殿。こちらは天王寺屋の主人、津田宗達様にござります」
またもや宗久に突然背後から声を掛けられてしまった。だが大作も今度はある程度警戒していたのでそれほど驚かない。
大作が振り返ると宗久の隣に背が低くて少し太った時代劇の悪代官みたいな男がいた。笑顔を浮かべているが本心からの物なのか分からない。
「も、も、申し訳ありませんがトイレ、じゃなかった厠を……」
「お初にお目に掛かります。手前は天王寺屋の主人、津田宗達にございます。宗久殿からお坊様がお作りになった品を見せて頂きました。手前供も南蛮との商いで様々な品々を見て参りましたがあのような品は初めて拝見いたしました。夕餉を支度させておりますので是非ともお話をお聞かせ下され。それにしてもお坊様はいったい如何にしてあのような品を思い付かれたのでしょうか? 他にも珍しき品々をお持ちとか。番頭や手代に話を聞かせてやって……」
なんなんだこいつ…… RPGのNPCなのか? こっちの話を全然聞いてくれない。
とは言え警察に突き出されるわけでは無さそうだ。タダ飯を食わせてくれるんなら逃げるのはその後でも問題無い。って言うかこの宗達って奴にターゲットを乗り換えたら良いんじゃね? 大作は素早く方針を変更する。
「あれはジンバルという絡繰でして今より千八百年も前にギリシャという国にて作られた物にございます。インク壺と言う硯のような物を乗せるのに使われたと書物にございます。行灯や蝋燭など倒れては困る物を乗せるのにも使えますぞ」
「ほうほう、じんばると申すのですか。これは素晴らしき物でございますな。立ち話も何ですので夕餉を召し上がって頂きながらお話をお聞きかせ下さいませ。お連れの方もこちらへどうぞ」
大作たちは先ほどの粗末な部屋とは大違いの客間に通された。出入り口は板の引き戸では無く襖だ。
この時代は襖じゃなくて唐紙障子って言うんだっけ? お園も藤吉郎も珍しそうに見ている。
ちゃんとした畳が敷いてあって床の間には何て書いてあるのか読めないけど掛け軸が掛かっている。
たぶんお園には読めるんだろうけど今それを聞くわけにも行かない。覚えてたら後で聞いてみようと大作は思った。
上座を勧められたので遠慮せず座る。席が決まっている時に変に遠慮するのは却ってマナー違反なのだ。ちゃんとした座布団が敷いてあることに大作は感動した。
宗達が手を叩くと襖が開いて女中と思しき若い女性がお膳に乗った料理を運んで来る。
大作は料亭で和食なんて食べたこと無い。そもそも戦国時代の食生活も判らない。だが心肺蘇生で名主の家に泊まった時の料理より数段は上に見える。お園と藤吉郎も目を輝かせている。
まず食器が漆器だということに驚かされた。米も白米だ。
精米は平安時代に始まったらしいが武士に広まったのは鎌倉末期、一般に普及したのは江戸時代以降らしい。
一方で戦の折には足軽にも白米が支給されていたらしい。
大作は先ほど一向宗の名を出した手前、正信偈を唱える。般若心経と違って全然自信が無かったが何とかボロを出さずに済んだ。
ちゃんと火が通されているようなので大作は安心して食事に手を付けた。名前も分からない魚だが久々の貴重な動物性タンパク質だ。
食事はとても美味しくて一同は和やかな雰囲気に包まれていた。宗達と宗久は酒を飲んだ。大作にも勧められたが頑として断る。未成年だし判断力が低下してミスすると不味い。そもそもドブロクみたいな見た目が気持ち悪かった。
大作は隙を見てスマホで津田宗達に関して調べる。永正元年(1504)生まれだから四十六歳くらいだろう。堺三十六人衆の一人と書いてあるが何番目なんだろう。三十六人衆の中でも最弱とかだったら格好悪いぞ。
博多商人や大友氏など九州方面との取引で富をなし、三好氏や大阪本願寺と交流を持ったとのことだ。どうりで宗久と違って羅針盤に興味を持ってくれた訳だ。
どうでも良いが津田宗達の息子も宗久という名前だからややこしい。
どういう話題なら宗達の興味を引けるんだろう。大作は頭をフル回転させる。
「津田様は博多や大友様と商いをされておるそうですな。時に船が嵐に遭うて沈んだり荷を失うことがございましょう。羅針盤は航海の安全性向上に役立ちまするが危険を完全に無くすことは叶いません。ならば発想の転換が必要にございます」
「はっそうのてんかん?」
「考え方を変えるということにございます。拙僧は船主から一定額の保険料を集める代わりに船が遭難した際の損失を補償する海上保険という仕組みを考案いたしました。言わば船の頼母子講にございます」
海上保険の歴史は古代ギリシャ・ローマ時代にまで遡るそうだ。日本では慶長・元和年間(1596-1624)ごろの朱印船貿易における抛金が起源らしい。
宗達や宗久は勿論、お園や藤吉郎も揃って呆けた顔をしている。やっぱこいつらには難しすぎるか? でももう少しだけ頑張ってみようと大作は心を奮い立たせる。
「確率論や統計学に大数の法則というものがございます。船の一艘一艘は沈むか沈まぬか分かりませぬ。しかし百艘二百艘と集めれば何艘くらい沈むかは過去のデータ…… え~っと、その、記録? 履歴? 何かしら記した物がございますな。これを航路や季節、船の種類別に集計して事故の発生する確率を計算します。膨大な計算量になることでしょう。あの棒はそのためにとても役に立ちます」
「そうすると結局は誰が得をするのでございましょうや?」
暫しの沈黙の後に最初に我に返った宗久が声を出した。無反応は辛すぎる。大作は心の底から感謝した。
「直接的な利益を得るのは保険を運用する者にございます。払い戻す保険料より受け取る保険料が多くなるように料金を設定すればよろしい。だからと言って船主が損する訳ではござりません。一艘しか船を持たぬような船主にとってはもしも船が沈めば大変な損失となりましょう。それを一定額の保険料を払うことで賄うことができるのでございます。これを南蛮ではリスクヘッジと申します」
「りすくへっじ?」
宗達が間の抜けた声で鸚鵡返しする。大作はよくぞ聞いてくれましたと得意になって解説を始める。
「リスクとは危ういという意味にございます。商いをしておりますと天気、流行病、地震、津波、戦など様々なことで損をする恐れがございましょう。ヘッジとは生垣という意味にございます。垣根の内に籠ってリスクを遣り過ごそうということにございます」
「そのりすくへっじがあれば損する恐れ無しに商いが出来るのでございますか? そんな上手い話があるとは信じられません。どこかに落とし穴があるのではございませんか?」
「もちろんリスクヘッジのために一定の費用負担が必要です。世の中のあらゆることはトレードオフ、彼方立てば此方立たずの関係にあります。大失敗した時の巨大な損失を避けるためには普段から少額の費用負担を甘受しなければなりません」
大作の必死の説明にも関わらず宗達と宗久は勿論、お園と藤吉郎も虚ろな目をしているようだ。宗達の気を引くキャッチーなネタは無いのか?
大作はただでさえフル回転させている脳にオーバーブーストを掛ける。突如として天啓のように九十九髪茄子という名前が脳裏に閃いた。
もともとは足利義満の唐物茶入が十五世紀末に村田珠光の手に九十九貫で買われたことから九十九という名になった。その後も転売される度に値が上がり朝倉宗滴が五百貫、松永久秀が千貫で買ったそうだ。これって茶器バブルだよな。
「オランダのチューリップバブルをご存じですか?」
大作は知ってたらびっくりだよと思いながら話す。あれは今から九十年近く先の1637年に起こるんだ。そもそもまだオランダすら無い。
「チューリップという花がございます。球根と言って百合根みたいな物から育ちまして大層と美しい花を咲かせます。初めは花を好む有徳人が競って買い求めておりました。珍しい物は千フロリン。家族四人が四年は食べていけるほど高値が付いたと申します。まあ銭百貫文くらいでございましょうか」
「花一輪が銭百貫文でございますか……」
宗久が呆れたように呟いた。その場にいる全員が目を丸くして驚いている。大作から見れば茶碗に千貫の方がよっぽどびっくりだ。興味を引けているのに気を良くして大作は続ける。
「話はここからでございます。初めは花好きだけが買い求めておりました。しかし儲けになると知った商人たちがこぞって買い求めるようになるや値は鰻登り。球根ひとつが邸宅と交換されることもあったそうです」
「儲けになるなら商うのは当然にござりますな」
「売り買いだけで大儲けできるとなると百姓や職人までが球根を欲しがるようになりました。ですが球根が取引出来るのは冬の間だけでございます。稲刈りの後に米の取引をするのと同じにございますな」
大作は一旦話を止めてみんなが話に付いて来ているか様子を見回す。退屈そうにしている奴はいないようだ。質問してくる者もいない。続けて良さそうだ。
「そこで考え出されたのが先物取引です」
「さきものとりひき?」
1531年に開設されたベルギーのアントワープにある商品取引所では現物の先渡取引が行われていたらしい。だがそれは将来の売買を約束した取引でしかない。
現物を伴わない本当の意味での先物取引は江戸時代初期の『つめかえし』が起源だ。なので宗達たちが先物取引の概念を想像すら出来ていないのは間違い無い。
「たとえば武蔵国で米千石を一石六百文で買ったとします。船で一月掛けて京へ運びます。一月の間に一石あたり百文下がったら銭百貫文の損にございます。そこで買い付けと同時に商品先物取引を利用して千石の売契約をして利益額を確定します。もし値下がりすれば先物で利益が出るので現物の損失と相殺できます。値上がりした場合は利益を捨てることになりますが損にはなりません。大儲けの機会を捨てる代わりに採算割れもしない仕掛けにございます」
全員がそろって悲しそうな顔をしていることに大作は気付く。やはり駄目か。猿でも分かるように易しく説明したつもりだったのに。とりあえずチューリップバブルの話を終わらせることにしよう。
「先物取引では現金も現物の球根も要りません。『来年四月に千フロリンで球根を売る』などと書かれた手形をわずかな内金で売買いたします。銭に限らず家、家具、田畑などを担保に手形を書きます。こうして球根を欲しがる者がどんどん増えて値段は上がる一方でした。ですが値段が上がり過ぎて元々の買い手だった花好きは見向きもしなくなってしまいました」
ここで大作は話を一旦切ると芝居掛かった仕草で全員の顔をゆっくりと見回した。全員の視線が大作に集まる。この話、受けてんのか? もう知らん。タダ飯のお礼なんだし落ちだけは付けておこう。
「終わりは突然にやって参りました。球根を欲しがる者がだれ一人としていなくなってしまったのでございます。手形は不渡りとなり三千もの人々が借金を払えなくなりました。夜逃げする者もおれば、お上に訴え出る者もおりました。上へ下への大騒ぎの後、手形は無かったことされました。僅かの者が財を成し、僅かの者が一文無しになりました。めでたしめでたし」
大作は強引に落ちを付けた。沈黙が部屋を支配していた。




