巻ノ弐百七拾九 大作、ハムになる の巻
八幡山の城に戻った大作たちは皆と一緒に今日一日の話をしながら夕餉を召し上がる。
口一杯にご飯を頬張った藤吉郎が和紙と思しき紙切れを差し出してきた。
「ご覧下さりませ、大佐。萌殿に作って頂いた版下で早速、一面記事を刷り直して参りました。如何にございましょう?」
「どれどれ? ほっほぉ~! スクリーン線数は六十本ってところかな。綺麗な物じゃないか。良くやったな、シンジ。じゃなかった、藤吉郎」
「全ては萌殿のお陰でございます」
「取り敢えず湿式法でやってみたんだけど途中から曇ってきて参ったわよ。露光に三、四十分も掛かったから途中で乾かないかと心配だったわ。落ち着いたら石油ランプでもアーク灯でも良いから強力な光源を作った方がよさそうね」
途中から話に割り込んできた萌がドヤ顔を浮かべた。
結局は萌頼みかよ。大作は心の中で苦虫を噛み潰すが決して顔には出さない。
「そんなことより萌さんよ。無線の方はどうなってるんだ? できたら来月の小田城攻略戦には持って行きたいんだけどなあ」
「だったらテストに付き合ってくれるかしら。通信のテストをしようと思ったら送受信の両方で簡単な修理くらいできるスキルを持った人間が必要になるでしょう?」
「そ、そりゃそうだよなあ。まあ、そんなことならお安い御用だよ。んで、どうやるんだ? やっぱ船を使うのかな?」
「あの重たいバッテリーや発電機を運ぶことを考えたら船で一択でしょうね。んじゃあ、未唯。夕餉を食べ終わってからで良いから上野介様の所までひとっ走り頼めるかしら?」
「わ、私が? でも、もう外は真っ暗みたいなんだけれど……」
急に萌から名前を呼ばれた幼女は露骨に狼狽えた顔をする。助けを求めるような視線を向けられた大作は咄嗟に顔を反らした。
「ちょ、おま…… み、未唯はこんなに小ちゃいのよ。こんなちびっ子を夜の夜中に一人で外にやろうだなんて無下な了見だわ! そんなの児童虐待案件じゃないの!」
「どうどう、餅付け。別に大型船じゃなくても良いんだろ? だったら明朝に浜へ行って適当な船を探せば良いじゃん。こう見えてもそういうのは得意なんだぞ。明日は俺のヒッチハイクテクニックを見せてやるよ。さあ、ふるえるがいい!」
「はいはい、当てにしてるわよ。それじゃあ今日は早めに寝ましょうか」
翌日の大冒険に思いを馳せながら大作は眠りに就いた。
翌日の早朝、食事を終えた一同は足早に坂道を下る。
「俺はようやく下り始めたばかりだからな。このはてしなく遠い坂道をよ!」
「そんなに遠くないわよ。って言うか、今日は下田まで行くんでしょう。これっぽっちは目と鼻の先じゃないのよ」
「マジレス禁止!」
二ノ丸に寄って無線機、発電機、バッテリーを二頭の馬に背負わせる。そこで萌たちに別れを告げると大作とお園は海岸を目指す。
朝も早い時間だというのに砂浜や沖合いには何艘もの船が停泊していた。大作はタカラ○ミーのせ○せいを取り出して『下田 同行二人』と大きく書いて掲げる。
「お尋ね申す。皆様方の中に下田へ向かわれる船はおられませぬか? 恐れ入りますが下田まで乗せて下さいませ。お願い致します。何方でも結構です」
「助けて下さい! 助けて下さい! 誰か助けて下さ~~~い!」
ノリノリの表情をしたお園も大声を上げる。若い娘がはしたないなあ。でも、何だかとっても上機嫌な様子だ。こいつは負けれはおられんぞ。大作も声を張り上げた。
「お願いしまぁ~す! どうか皆さんの温かいご支援とご協力を……」
「もし、もし。恐れながら御本城様ではございませぬか。斯様に朝も早うから如何なさいました?」
「お、おお。吉良殿…… じゃなかった、上野介殿。丁度良い所でお会いしましたな。今から下田へ戻られるんですよね? 恐れ入りますが乗っけては頂けませんでしょうか? できたらタダで。ついでに帰りも送って頂けると本当に助かるんですけど」
「いやいや、御本城様からお代を頂くなど滅相も無い。然れども下田に何用にござりまするか? つい先日も伊豆を回って参られたと聞き及んでおりますが?」
「上野介殿、好奇心は猫をも殺すって前にも申し上げませんでしたかな。とにもかくにも乗せて頂けるのなら助かります。ついでと言っては何ですが、荷物を運ぶのを手伝って貰えますかな?」
「はいはい、ただいま。誰かある! 御本城様に合力致せ!」
大勢の人たちに手伝って貰って馬の背から荷物を降ろすと船へと運ぶ。海に落としたら最悪だ。大作は慎重の上にも慎重を期した。
ついでに船員に頼んで帆柱の天辺に登って貰うとアンテナ線を張って頂く。
船長に許可を得て艫矢倉に無線機を設置すれば準備完了だ。大作はレシーバーを耳に当てながら電鍵を叩いた。
気分はもうすっかりム○カ大佐だ。不意に後ろから殴られたりしないよう背後にだけは気を抜かない。
「・・・ー ・・・ー ・・・ー」
「いったい何なのよ、それは? そう言えば東郷様を訪ねた折にもやっていたわねえ」
興味津々といった顔のお園が小首を傾げる。
「ああ、これはタダの試験信号だよ。『V V V』って送ってるだけさ。ヴィクトリーって意味じゃ無いぞ。あ! 返ってきた。なになに……」
「いったい何て言ってきたのよ? 教えて教えて! ねえねえ、早く教えて頂戴な!」
「えぇ~っと…… 『ハヤクイケ』だとさ。早く船を出せって言ってきたぞ。相変わらずせっかちな奴だなあ。お園、悪いんだけど船長に船を出すように言ってくれるかなぁ~?」
「いいともぉ~!」
大きな振動の後、船がゆらゆらと揺れ始めた。艫矢倉の隙間から見える陸地が徐々に遠ざかって行く。
大作はバッテリーを節約するために専ら待ち受けに徹する。折からの北風を帆に受けた船は例に寄って十ノット近い速さで相模湾を南へ下って行く。一時間ほどで真鶴岬の先っぽを掠めた。小田原城との距離は二十キロといったところだろうか。
『マナヅルミサキノオキヲツウカ カンドリョウコウ』
『コチラモカンドリョウコウ』
バッテリーの状態も良好。時折、思い出した様に電解コヒーラの微調整をするくらいしか大作にはすることがない。だんだん飽きてきたんですけど。
「なあなあ、お園。ちょっと代わって貰っても良いかな。和文モールスは覚えたんだろ?」
「モールス符号なら覚えたけれど、いったい何を送れば良いのかしら?」
「さ、さあなあ。心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく送りつくれば良いんじゃね?」
「分かったわ。私、やってみるわね」
お園はおっかなびっくりといった顔でレシーバーを受け取るとそっと耳に当てる。
恐恐といった手付きで電鍵に触れると小刻みに手を動かした。
『モシモシ ワタシ オソノヨ』
お前はリカちゃん電話かよ! 大作は心の中で突っ込むが決して顔には出さない。なるべく音を立てないよう注意して艫矢倉の戸板を開けて外へ出ると…… さ、寒ぅ~~~っ!
こりゃあいかん。冷たい北風で身も心も氷り付きそうだ。一瞬で体温を奪われた大作は慌てて艫矢倉へと引き返す。
「あら、大佐。随分と早いお帰りね」
「そ、そうかなあ。これでもまだ手加減した方だぞ」
「ふ、ふぅ~ん。あっ~! 返事が返ってきたわよ。どれどれ…… 『モシモシ ワタシ ミイヨ』ですってよ! へぇ~! 未唯も和文モールスを覚えていたのね」
「あぁ~! そう言えば船で京の都へ行く道中で教えたっけ」
「『マタ コジロウガ ドコカヘイッチャッタミタイ』ですってよ」
「堪らんなあ! もう、紐で繋いでおくしかないんじゃね?」
大作は部屋の隅っこに黙って大人しく座る。お園と未唯の無線チャットをワッチするのが唯一のお仕事だ。
初島の内側を通り過ぎ城ヶ崎の鼻先を掠める。日が西の空に傾いたころ船は無事に下田へと辿り着いた。
船乗りたちに手伝って貰って無線機やバッテリー、発電機を陸に上げる。
山の上にある下田城まで運ぶのは流石に辛すぎる。代わりに海岸近くにある網元の屋敷に泊めて頂けることになった。
夕飯を待つ間、大作は消耗したバッテリーを充電するために発電機を回す。
「ねえねえ、大佐。小田原と下田って六十キロくらいだったかしら?」
「そんなもんだったかなあ? だけどもそれがどうしたんだ」
「此度の実験は小田城奪還作戦の折、小田原城と通信できるかのテストなんでしょう? だったらもっと遠くまで行かないとテストにならないんじゃないかしら」
「え、えぇっと…… 小田城って小田原城から百キロ以上は離れてたよな。それって南に行くとすれば三宅島の辺りなんじゃね? まあ、碓氷峠とかとも通信したいからテストをやらなきゃならんのは確かなんだけどさ。だけど…… だけども三宅島まで行く船なんてあるのかな? あったとしてもあんな所にまで行きたくないぞ。閃いた! 小田原側にも動いて貰えば良いんじゃね? 江戸の辺りまで行って貰えば百キロ以上になるぞ。早速、無線で頼んでみようよ。俺がアンテナ線を張るからお園は無線機の用意をしてくれるかなぁ~?」
「はいはい、今やろうと思ったのに言うんだもんなぁ~!」
萌が不満たらたらなのはモールス信号を通しても伝わってくるほどだった。だが、最終的には納得してくれたらしい。明日の早朝にも小田原を出て三浦半島を周り江戸湾を北上してくれることになった。
これは帰ったらちゃんとした礼を言わねばならんな。大作は心の中のメモ帳に記入した。
夕餉は新鮮で美味しい魚料理だった。お園は大満足の様子だ。嬉しそうに舌鼓を打っている。
明日も朝が早い。食後は雑談も程々にして床に就く。就くはずだったのだが……
「ねえねえ、大佐。夜になると昼とは電離層の状態が変わるんだったわねえ?」
「そ、そうだなあ。中波って奴は昼間はD層を通過する時に弱まっちまうから遠くに届かないんだっけ? でも、夜になるとD層が消えちまうからE層の反射で遠くまで届くって寸法だな」
「D層やE層の他にF層もあるんでしょう? A層やB層やC層はどうなっちゃったのかしら?」
気になるのはそこかよ~! 予想外のお園の質問に大作は一瞬だけ虚を突かれる。だが、直ぐに平静を取り戻すと立て板に水の様に言葉を発する。
「あぁ、それな。それはアレだよアレ。電離層を研究してノーベル賞まで取っちゃったイギリスのアップルトン教授って人のせいなんだ。最初の論文を書く時に反射波の電界ベクトルだか何だかを表すのにEって記号を使ったんだとさ。んで、後から見つかった上の層にFとか下で見つかった層にDと付けたそうな。ちなみにF層は昼間には性質の違うF1層とF2層の二つに分かれるんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。とにもかくにも昼と夜で振る舞いが違うんでしょう。だったら夜にも通信のテストをした方が良いんじゃないかしら? そうでしょう?」
「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。って言うか、お園がそう思うんならそうなんじゃね? お園ん中ではな」
「そうに決まってるじゃないのよ。昼にテストして夜にテストしないなんて道理に合わないわ。さあ、やるわよ。早く支度して頂戴な。夜だからテストしないなんて身勝手は許さないんだからね。そんなのお天道様が許しても巫女頭領の私が許さないわよ!」
「どうどう、餅付け。だれもやらないなんて言ってないだろ。って言うか、今やろうと思ったのに言うんだもんなぁ~!」
のろのろと布団から這い出すと大作は無線機のスイッチを入れてレシーバーを耳に当てる。
「……きこえますか…… 萌よ…… 私はム○カ大佐です…… ロボットにより通信回路が破壊されたため、緊急事態につき私が臨時に指揮を執っています…… 今、あなたの心に直接呼びかけています…… 返信です…… 返信をするのです……」
「……」
へんじがない、すいっちをきっているようだ。
「駄目だこりゃ。まあ、別にどうしても今晩やらなきゃならんわけでもなし。また明日の晩にテストしようよ」
「……」
「もしもし、お園さん。もしもし? って、寝てるしぃ~!」
すやすやと寝息を立たている顔はとっても幸せそうだ。そんな姿を見ているだけで大作はモリモリやる気が削がれていく。って言うか、もともとやる気なんてゼロに等しかったんだけれども。
「おやすみ」
大作は無線機のスイッチを切ると布団に潜り込んだ。




