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巻ノ弐百七拾四 走れ!真っ赤な白バイ の巻

 真冬の北風に吹かれながら大作とお園は無心に天体観測を続ける。気が付くと大勢いたギャラリーたちは一人もいなくなっていた。これはもう駄目かも分からんな。別に星は逃げちまうわけじゃない。今日のところはそろそろ切り上げた方が良さげかも知れん。


「なあなあ、お園。随分と冷えこんできたぞ。今日はこの辺りでお仕舞いにしないか。夜露は体に毒だとか何とか」

「それって真の話なの? っていうか、別に露なんて付いていないわよ。とは言え、とっても寒いし随分と眠くなってきわたねえ。今宵はここまでに致しましょうか。だけど、明日から忙しくなるわよ」

「え、えぇ~っ! もしかして毎晩、夜遅くまで観測するつもりなのか?」

「そうよ、そうに決まってるじゃないの。やっとの思いで念願の望遠鏡を手に入れたんですから」


 ドヤ顔を浮かべたお園が胸を張って宣言する。不意に大作の脳裏に選択肢が浮かび上がった。


 そう、かんけいないね

 殺してでもううばいとる

 ゆずってくれ、たのむ!!


 確か二番目を選ぶと『な、なにをする! きさまら~!』ってなるんだっけ。

 阿呆な想像をした大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢する。


「だったらアレだ。風を凌いで暖かくして観測できるような小屋を作らにゃならんな。明日にも作らせよう」

「そうね、頼んだわよ。確と約したんだから」

「あのなあ、俺が一人で作るわけじゃないぞ。お園も一緒に手伝ってくれないと困っちゃうぞ」

「はいはい、始めての二人の共同作業ね」

「いやいや、始めてじゃないから。たぶん、百一回目くらいじゃね?」


 そんな無駄話をしながら銀マットの埃を払って折り畳む。寒い、本当に寒い。二人は逃げ去るようにその場を撤収した。




 翌朝、例に寄って大作は寝坊した。目を覚ますと傍らにお園が寝ているのに気付く。

 アレ? いつもは早起きなのに珍しいなあ。何とも言えない違和感を覚えた大作はちょっと遠慮がちに声を掛ける。


「なあなあ、お園さんよ。俺が言うのも何だけど、そろそろ起きた方が良いんじゃね? 外はもう明るいみたいだぞ」

「ゲホゲホ…… おはよう大佐。ゴホゴホ…… 私、どうやら(しわぶ)()みを患うたみたいね。大佐は大事ないのかしら? ゲホゲホ……」

「いや、どうなんだろな。今のところは何とも無いっぽいけど分からんぞ。念のため、大事を取って今日の公務は休むことにするよ。誰かある、誰かある!」


 大作の急な大声が頭に響いたんだろうか。お園が忌々しげに顔を顰める。数瞬の後、襖が開くとナントカ丸が顔を覗かせた。


「御本城様、何遍も何遍も申し上げませなんだか? 畏れながら御用の折は其処な呼び鈴を引いてから伝声管でお伝え下さりませ。伏してお願い申し上げ奉りまする……」

「まあまあ、餅付けよ。そんなことより私は生須賀(むすか)大佐だ。地球は狙われている…… じゃなかった、ロボットによりお園が風邪をひいちゃったみたいなんだ。緊急事態につき臨時に私が指揮を執る。悪いけどひとっ走り待医(たいい)の田村安斎(栖)殿を呼んできてくれるかなぁ~?」

「いいともぉ~! 御裏方様、お大事になされませ」


 深々と頭を下げた後、ナントカ丸は風のように走り去った。風邪だけに。なんちゃって。大作は心の中で大爆笑するが決して顔には出さない。


「んで、朝餉はどうするよ? もしかして食欲が無かったりするのかな? 風邪ひいたときは桃缶ってのが定番だけどちょっと手に入りそうもないぞ。とは言え、干し桃とかあるかも知れんな。食べたいか? どうしても食べたいって言うんなら探してきてやらんこともないけどさ」

「ゴホゴホ…… 粥で良いわ。緩めの粥を作って頂戴な。ゲホゲホ……」

「そうかそうか。んじゃ待っててくれるかな。ひとっ走り台所に行ってくるよ」


 大作は手早く寝間着を着替えると廊下に出て台所を目指す。目指したのだが…… 例に寄ってあっという間に道に迷ってしまった!

 どうすれバインダ~! 心の中で絶叫するが決して顔には出さない。どうにかこうにかパニックを押さえて当てもなく城内を彷徨い歩く。

 きっと彷徨えるオランダ人もこんな気持ちだったんだろうなあ。とは言え、全ての道はローマに続いているとか何とか。最悪でも左手さえ壁に付けていれば迷わずに済むはずだ。

 そうそう、たしか左手は添えるだけなんだっけ? いやいや、世界最高峰NBAのスリーポイントコンテストに出場するような名シューターでも左手が積極的にリリースに関わってる人もいるとかいないとか。だったらもう、だったらもう……

 だが、曲がり角を曲がった途端、意外な光景が目に飛び込んでくる。それは他でもない大作が最初にいた座敷だった。


「ごめんよ、まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない。わかってくれるよね? ララァにはいつでも会いに行けるから」

「ララァ? 大佐ったらその女にも懸想していたの?」


 もはや定番となった決まり文句をお園が口にする。だが、目が笑っているので本気では無いらしい。

 お園の脇に控えていたおっちゃん…… 確か田村安斎(栖)とかいう待医が遠慮がちに口を開いた。


「御本城様、ご機嫌麗しゅう存じます。御裏方様が咳き病みを患われたと伺うて取る物も取り敢えず飛んで参りました。たったいま麦門冬(ばくもんどう)をお飲み頂きました故、間もなく効いて参ることにござりましょう」

「おお、田村殿。朝っぱらからお呼び立てして申し訳ござりませんな。して、お園…… じゃなかった、お督の容体は如何ですかな? 田村殿のお見立てや如何に?」

「お熱も然程はございませぬ。安らかに伏しておられれば直に癒えることにござりましょう。麦門冬を三日分出しておきますので朝と夕にお飲み下さりませ」


 待医のおっちゃんは何の根拠も無い楽観論を述べるとそそくさと帰って行った。

 暫くすると宿老が二人、いつものようにやってくる。だが、大作が朝食会の中止を告げるとお園へのお見舞いを言うやいやな逃げるように立ち去る。

 もしかして感染を恐れているんだろうか。まあ、飛沫感染とか怖いといえば怖いなあ。

 大作がそんなことを考えていると静かに襖が開いて未唯が顔を覗かせた。


「お園様、咳き病みを患われたって聞いたけど大事ないかしら? お台所からお粥を頂いてきたわよ」

「わ、忘れてた…… 未唯、ナイスリカバリーだな。『よくやったな、シンジ』って感じだぞ。さ、さ。お熱いうちにお召し上がり下さい。何だったら俺がふぅふぅしてやろうか?」

「いいわよ、自分で食べれる…… 食べられるから」


 布団の中で体を起こしたお園は椀を受け取るとふぅふぅ息を吹き掛けながらお粥を食べ始めた。その様子から見るにつけ、どうやら猫舌(ラングドシャ)では無さそうだ。


「ところで、未唯。俺の朝餉はどこにあるんのかなあ?」

「さ、さあ? ここではないどこかじゃないかしら。知らんけど。器は後で下げにくるから座敷の隅にでも置いといて頂戴な。それじゃあ、お園さま。ゆっくり召し上がってね」

「ありがとう、未唯。ゲホゲホ……」

「お、俺の朝餉は……」


 未唯がピシャリと襖を閉めると座敷には静寂が戻ってきた。お園がお粥を啜る小さな音だけが響く。

 黙っていると間が持たないなあ。大作は何か適当な話題を探して頭を捻る。閃いた!

 だが、ほんの一瞬だけ早くお園が口を開く。


「ねえねえ、大佐。ゴホゴホ…… 黙っていると間が持たないわ。何ぞ面白い話でも無いのかしら。ゲホゲホ……」

「いや、あの、その…… いま言おうと思ってたのに言うんだもんなぁ~! 俺、あんまりびっくりしたから何を言おうとしてたのか忘れちゃったじゃんかよ」

「ゲホゲホ…… すぐ忘れちゃうくらいなんだから、どうせ大したことじゃないんじゃないかしら。ゴホゴホ…… だったら、だったら豊臣を倒した後のことでも考えましょうよ。ね? ね? ね? ゲホゲホ……」

「大丈夫か、お園? 安静にしとけよ。んじゃあ俺がその何だ? ポスト豊臣の具体的プランを提案させていただこうかな。よぉ~く耳をかっぽじって聞いとくれ……」

「ポスト? それって文なんかを入れる箱のことだったかしら。郵便ポストや公衆電話が赤いのがどうとか言ってたわねえ。ゴホゴホ……」


 激しく咳き込みながらもお園が鋭い突っ込みを入れてきた。感染ったら嫌だなあ。大作は思わず仰け反って距離を取る。

 それはそうと、これはもしかしてもしかすると無駄薀蓄を傾ける絶好の機会なんじゃね? 内心で舌なめずりをしながらも精一杯の神妙な表情を作る。


「赤い物はポストに限らんけどな。ヘンペルのカラスじゃないけど赤い物を片っ端から調べて行けば良いんだよ。消防車とかサンタクロースとかなんぼでもあるだろ? 白バイだって警視庁が大正七年に導入した当初は赤かったらしいぞ」

「赤いのに白バイだったっていうの? それってどういうことかしら。わけがわからないわよ。ゲホゲホ……」

「いやいや、シャーロック・ホームズにだって青い紅玉ってあるじゃん。まあ、アレは原題『The Adventure of the Blue Carbuncle』のCarbuncleを紅榴石(ガーネット)って解釈した結果なんだろうけどさ。とにもかくにも、そろそろ話を戻しても良いかな? 『post-』っていうのは『~の後』って意味の接頭辞なんだよ。だからポスト豊臣っていうのは……」

「ポストの話はどうでも良いわ。ゴホゴホ…… それよりもその赤いけど赤くない物? 其れの本意を教えて頂戴な。ゲホゲホ…… ゴホゴホ…… ゲホゲホ……」


 とうとうお園の咳が止まらなくなってしまった。もしかして新型コロナウイルスだったら嫌だなあ。思わず仰け反って距離を取りそうになる。

 とは言え、そうだったらとっくの昔に感染してるんじゃね? 今ごろ心配したってどう考えても手遅れだな。こうなったら開き直るしかないだろう。諦めの境地に達した大作はお園の背中をそっと摩りながら精一杯に優しい声を掛けた。


「赤いけど赤くないっていえば赤方偏移とかもそうなんじゃないのかな? 他には…… 演色性って言葉を聞いたことあるかな? 平均演色評価数(Ra)っていうのがあるんだとさ。最近は改善されたんだけど昔のLEDは色の再現性が悪かったとか何とか。もっと昔の話だと白熱電球と蛍光灯でも色が全然違って見えたらしいな。ジャングル大帝レオが何で白いのか知っているかな? 戦後しばらくしたころ動物絵本を描いていた手塚治虫は締切に追われて真夜中にライオンを黄色く塗ったんだそうな。ところが翌朝その絵を見たら真っ白だったんだとさ。どっとはらい。結局、その絵は没になったんだけど後年これをネタに真っ白なライオンっていうキャラクターが生まれたんだ」

「ふ、ふぅ~ん。ライオンって獅子のことだったわねえ。確か我が子を千尋の谷に突き落としたんだったかしら。それってパワハラにはならないのかしら」

「パワハラっていうのは『社会通念に照らして当該行為が明らかに業務上の必要性がない、又はその態様が相当でないものであること』なんだぞ。相手がちょっとでも嫌だと思ったら即アウトなセクハラとはそこんところが違うんだな。我が子を鍛えるための教育という業務上の適正な範囲で行われている場合にはパワハラにはあたらないんだ」

「そ、そうなんだ。獅子の子も苦労が絶えないのねえ。私、獅子の子じゃなくて本に良かったわ。それはそうと麦門冬って言ったかしら。アレってとっても良く効くみたいよ。随分と楽になってきたわ」


 もしかしてそれってプラシーボ効果なんじゃね? あんな怪しげな薬が効くなんて、とてもじゃないけど信じられないんですけれど。

 大作は内心で失礼なことを考えながらも決して顔には出さない。


「風邪ひいた時は暖かくして寝てるのが一番だぞ。今日は一日、のんびり横になっていようよ」

「だけども食べてすぐ横になったら牛になるんじゃなかったかしら?」

「そんな俗説、信じるに足りんぞ。何の科学的根拠(エビデンス)もないんだからな。それに、もし牛になったからって何か困ったことでもあるのか? 無いだろ? だったらもう、気楽な牛ライフを満喫しようじゃないか。な? な? な?」

「……」


 へんじがない。ただのおそののようだ。

 いやいや、どうやら眠っちまったらしい。その隣に布団を敷くと大作もごろりと横になる。

 健やかな寝息を立てるお園の横顔を見ているうちに大作の意識も夢の中へと誘われて行った。






 大作が目を覚ますと一頭の巨大な牛になっていた。いやいや、巨大というのは人間と比較しての話だ。良く分からんけど牛としては平均的な大きさなんじゃなかろうか。知らんけど。

 それにしても、よりにもよってカフカの変身かよ! 大作は大声で絶叫した。したつもりだったのだが…… 口から出たのは『モォ~ゥ!』という牛の鳴き声だった。


モウゥ(もしかして) モォ~~ゥ(たいさなの)?」


 不意に隣から掛けられた牛の鳴き声に振り向いてみれば雌と思しき一頭の牛と目が合った。

 それにしても可愛い牛だなあ。これってもしかするともしかして……


モゥ~(ひょっとして) モォ~ゥ~(おそのなのか)!」

モォ~ゥ(たいさが) モゥ~ォ~(へんなこというからよ)!」


 そして幾年もの年月が流れた。。


 お園との間に一男一女? 雄と雌の子牛を一頭ずつ授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。


 だがそんな日常は突然に終わりを告げる。

 明応四年(1495)の九月。北条早雲こと伊勢新九郎長氏が千頭の牛の角に松明を灯して小田原城へと迫ったのだ。箱根山の背後から勢子に偽装した兵たちが一斉に鬨の声を上げながら火を放ってくる。


 これって所謂、火牛の計って奴だ。嘘か本当か、っていうか多分嘘だろうけど木曽義仲も倶利伽羅峠の戦いで使ったとか、使わなかったとか。元々は古代中国の戦国時代に斉の田単が燕軍を打ち破ったとか、破らなかったとか。

 それはそうと、関東では農耕に牛を使わなかったんじゃなかったのか? それなのに千頭もの牛をどうやって準備したんだろう。タダで調達できたとは思えんが資金はいくらくらい掛かったんだろう。千頭の牛を操ろうと思ったら千人以上の人手だって必要になるだろうし。

 そもそも千頭の牛が突っ込んでくるより千人の兵が突っ込んだ方がよっぽどマシなんじゃないのかなあ。


 とは言え、動物を兵器として使おうという発想自体は決して悪くない。米海軍だってイルカやアシカを軍事利用しているくらいだし。

 そう言えば、ソ連軍だって第二次大戦中に地雷犬ってのを使っていたんだっけ。毎日、エンジンを掛けたトラックの下で犬に餌をやる。それを繰り返した後、爆弾を背負わせた犬をドイツ軍の陣地に向かって放つだけの簡単なお仕事だ。まあ、実際には自軍に帰ってくる奴もいて散々な結果になったとか、ならなかったとか。普通に考えて上手く行きそうには思えないし。

 まあ、神風特攻隊や人間魚雷回天を実戦投入した日本が言えた義理では無いんだけれども。


 とにもかくにも、千頭の牛たちは小田原城を目掛けて暴走を続ける。いよいよ城が目の前に迫ってきた。


モォ~~ゥ(たいさ)!」


 お園の魂を絞りだすように(うめ)く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。


モゥ~(すまん)モォ~ゥ~(おまえをしあわせに)モゥ~ォ~(してやれなかった)


 大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。

 角に括り付けられた松明の炎が揺らめく。




「起きて頂戴、大佐! そろそろ夕餉の刻限よ。起きないなら先に食べちゃうわよ」


 目を開けると未唯が人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべていた。


「そんなに寝たら、今晩眠れなくなっちゃうわよ」


 すっかり具合が良くなったんだろうか。お園もすっきり爽やかな顔で突っ込みを入れてくる。

 いやいや、あんたも人のことを言えんだろ。大作は心の中で激しく突っ込むが決して顔には出さなかった。


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