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巻ノ弐百七拾参 星に願いを の巻

 八幡山の古城の一室を勝手に占拠した大作と愉快な仲間たちは夕餉を求めて彷徨い歩く。大作は左手の指紋が擦り切れるかと思われるほどの苦労の末、辛くも夕飯にありつくことができた。お腹が一杯になった一同は仮設指揮所に戻って寛ぐ。


「ねえねえ、大佐。お腹も膨れたことだし外に出て望遠鏡で星を見ましょうよ。冬は天体観測にもってこいなんでしょう?」

「そうだな。冬は空気が乾燥してるしジェット気流がチリやホコリを吹き飛ばしてくれる。それに夜の時間も長いしな。寒いのが玉に瑕だけどさ」

「それに冬ならば一等星より明るい星が七つも観測できるのよ。日本で見れる一等星より明るい星は十五個しかないから半分近くも見れる…… 見られるわ」

「ちなみに南半球も含めた全天だと二十一個だぞ。外洋航海に堪えられる船ができたら全世界を天体観測して回るのも良いかも知れんな。きっと楽しいぞ~!」


 二人はそんな阿呆な話をしながら庭に出ると適当な場所を探して歩く。他の面々もwktkといった顔で付き従った。

 外には冷たい北風が吹きすさび、じっとしていては凍えそうだ。大作は両手に息を吹きかけると強く擦り合わせながら首を竦める。


「寒ぅ~! みんな暖かくしとけよ。もしも風邪とかひいたら大変だぞ。この時代にはマトモな医者なんていないんだからな」

「えぇ~っ! それってもしかして待医(たいい)の田村安斎(栖)様はまともじゃなかったってことかしら?」

「いやいや、そういう意味じゃないよ。うぅ~ん、なんて言えば良いのかなぁ…… そもそも風邪っていうのは正式には風邪症候群っていう上気道の急性炎症の総称なんだ。粘膜にウイルスが感染することによって引き起こされる炎症、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、喉の痛み、咳、たん、発熱、エトセトラエトセトラ。原因微生物の九割はウイルス、残り一割は細菌、マイコプラズマ、クラミジアみたいな連中なんだな。ちなみにウイルスには二百以上もの種類があるから原因の特定は非常に困難らしいぞ。それにウイルスって奴は無数の型があるうえ、時々刻々と突然変異を繰り返しているんだとさ。だから人間の免疫機能が役に立たんのだ。ちなみに厳密な意味ではインフルエンザは風邪とは別の病気だぞ。ここ、試験に出るから覚えとけよ」

「ふ、ふぅ~ん。未唯、風邪に二百もの(くさ)があるだなんて思いもよらなかったわ」

「だったらこの機会にちゃんと覚えておいてくれ。まずはライノウイルス。風邪の三割か四割はこいつだ。春や秋の鼻風邪は大抵がこいつだぞ。二番手はコロナウイルス。冬に鼻や喉が軽い炎症をおこしたらこいつが犯人だ。んで、RSウイルス。こいつは季節を問わないけど冬に流行ることが多いな。赤子は気管支炎や肺炎になることもあるから要注意だぞ。他にも春夏秋に鼻や喉にくるパラインフルエンザウイルス。プール熱で有名なアデノウイルス。下痢も起こすエンテロウイルス。エトセトラエトセトラ。とにもかくにも、種類が沢山あるから万病に聞く風邪薬なんて物は存在しない。だから二十一世紀の医学を持ってしても症状に応じて対処療法的に薬を処方することしかできないんだ」


 適当な無駄話で時間を潰しているとようやく観測に向いていそうな空き地が見付かった。大作は銀マットを敷いて荷物を降ろす。

 自分の望遠鏡を大事そうに抱えたお園はぐるりと満天の星空を見回すと口を開いた。


「ねえねえ、大佐。冬の大三角っていうのはどれのことかしら?」

「えぇ~っとだな…… たしか南東はこっちだっけ。あの斜めになってるオリオン座が分かるかな?」

「鼓星のことかしら。左上の真っ赤なのが平家星ね。んで、右下の白いのが源氏星よ」

「なんか知らんけど地方によっては逆の名前になってるところもあるらしいな。とにもかくにもあの赤いのがベテルギウスだ。いつII型超新星爆発するかさぱ~り分からんとか言われてるけど四百年後にもちゃんと存在してるから安心しろ。と思ったけどベテルギウスは地球から六百光年以上も離れてるんだっけ。実はとっくに爆発してたりしてな。知らんけど」


 望遠鏡で見た赤色超巨星は二十一世紀よりずっとずっと明るく見える。聞いた話によると最近、ベテルギウスが急激に暗くなっているらしいのだ。

 奴は二十一ある一等星の中でも最弱。一等星の面汚しよ! とか言われているとか、いないとか。

 かつては一等星の中でも上位陣に属していたとは思えぬ没落ぶりだ。これぞ見事な盛者必衰の理って奴だな。大作は何だかちょっとだけ切なくなってしまった。


「あっちのリゲル…… 源氏星だっけ? アレも見てみ。青白くて明るいだろ。奴はシリウスの百倍も遠くにあるんだぞ。それなのにあんなに明るいんだ。これって凄くね?」

「ってことは本当はとてつもなく明るいってことでしょう? もし近くにあったらさぞや明るいことでしょうねえ」

「仮にシリウスくらい近くにあったなら半月よりも明るいって話だもんなあ」


 大作とお園は二人だけの世界にすっかり没入してしまう。お陰で周りのことが全く見えていなかった。

 蚊帳の外に置かれたその他大勢のギャラリーたちは寒そうに震えている。震えていたのだが…… とうとう我慢の限界に達してしまった! 辛坊堪らんといった顔で口々に不満を発し始める。


「ねえねえ、お園様。未唯にも覗かせて頂戴な」

「私も私も! 私もちょっとで良いから星を見てみたいわ」

「某にも拝見させて頂けませぬでしょうか?」

「私めだけ仲間外れなんて狡いわよ。って言うか、何でお園だけが望遠鏡を持ってるのかしら? 私めだって、私めたちだって望遠鏡が欲しいわよ!」

「煩い! 煩い! 煩~い! 誰も見せないなんて言っていないでしょうに! 順に見せてあげるから黙って待ってなさいな!」


 突如としてお園の瞬間湯沸かし器が発動した。殺気立った視線で睨みつけられた一同は黙って唇を噛みしめることしかできない。

 これはヤバいぞ。このままだと国民不満度が上がっちまう。大戦を目前に反乱とか起こされたら最悪だなあ。大作は咄嗟の判断で間に割って入る。


「まあまあ、餅つけよ。一人ひとりに望遠鏡を配るだなんてどう考えてもコストパフォーマンスが悪すぎるだろ。それよりも大きな望遠鏡を作って全員で共同利用した方が効率が良いんじゃね? すばる望遠鏡とかハッブル宇宙望遠鏡だってそうなんだぞ。な? な? な?」

「しょうがないわねぇ~ その代わり観測時間はちゃんと皆で分けるのよ。独り占めしようたって決して許さないんだから」

「いやいや、均等割りじゃないぞ。利用したければちゃんとした研究テーマに基づいて綿密な計画を立ててから管理委員会に提出してくれ。それが認められたら観測時間が配分されるって寸法だからな」


 一同は揃って分かったような分からんような顔をしている。だが、面と向かって反論するつもりもないらしい。もしかしてマトモに相手をするのは阿呆らしいと思われたんだろうか。

 まあ、こっちだってこれっぽっちもマトモに相手なんてしていないんだからお相子なんだけれども。微妙な雰囲気を敏感に感じ取った大作は咄嗟に論点ずらしを試みた。


「って言うか、ほのかや未唯にはヴィオラ・ダ・ブラッチョやリュートをやったじゃん。それに猫の小次郎とかワイヤーソーとかもさ。あと、メイには腕時計をやらなかったっけ? 藤吉郎にだってファイヤースターターをやったような気がするんだけどなあ?」

「恐れながら私は何も頂いておりません」

「某も何かを頂戴した覚えはございませぬが」

「私なんて一度貰ったノンホールピアスを返せって言われたのよ。まあ、代わりに指輪を貰ったんだけどさ」


 とうとうサツキやナントカ丸、萌までもが口々に好き勝手なことを言い始める。だが、大作はこれっぽっちも狼狽えない。

 慌てない慌てない、一休み一休み。心の中で静かに呟くと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「まあ、世の中っていうのは思い通りに行かんのが世の常だぞ。取り敢えずお前らは俺の望遠鏡でも覗いててくれるかなぁ~? 望遠鏡や星は決っして逃げたりしないんだぞ。絶対にだ! だからのんびりゆったり待っててくれよん」

「しょうがないわねぇ~ 一つ貸しよ」

「いやいや、貸しとか借りとかじゃないからさ。とにかくホレ、見てみ見てみ。冬の大三角、ベテルギウスの下に星が三個並んでるのが見えるだろ? そこから左下の地面近くにある白いのがおおいぬ座のシリウスだな。映画版のナウシカだって『シリウスに向かって飛べ!』とか言ってただろ。シリウスは-1.5等星。あらゆる恒星の中で最も明るい星なんだぞ」


 大作は得意になって無駄薀蓄を繰り出す。だが、お園は些細なミスすら見逃す気はないようだ。『意義あり!』といった顔で素早く右手を掲げた。


「何を阿呆なことを言ってるのよ、大佐。最も明るい恒星は太陽に決まってるじゃないの」

「そ、そう言えばそうだっけ。さすがはお園、よく引っ掛からなかったな。んじゃ次に行こうか、お次は…… こいぬ座のプロキオン! ベテルギウスとシリウスを線で結んで正三角形を作ってみ。すると「プロキオン」が見つかるだろ? プロキオンはベテルギウスと同じくらい明るいけどこっちは真っ白だな。一見すると青白いリゲルと似たように見えなくもないけどこいつは主系列星の終末期に差し掛かってるんだぞ。そう遠くないうちに赤色巨星になっちまうはずだ。といっても数千万年先の話だけどな」

「す、数千万年ですと! 其れがもうじきだと申されまするか? 随分と気の長い話にござりますなあ」


 例に寄って藤吉郎が大げさなリアクションを取る。いつもに…… じゃなかった、いつにも増して芝居がかった態度だなあ。もしかしてこいつ、人たらしって言うよりかは演技性パーソナリティ障害か何かじゃなかろうか。まあ、それならそれで別に全然かまわないんだけれど。


「あのオリオン座…… 鼓星だっけ? その上にある黄色い星が見えるかな。あいつがぎょしゃ座の一等星カペラだぞ。冬の星座ではシリウスの次に明るい星なんだ。こいつも主系列星の末期に差し掛かって……」

「そんな星なんかよりもっと面白い星を観測しましょうよ。私、藤原定家の書かれた明月記に出てくる客星が見てみたいわ」

「それってメシエカタログのトップバッターM1かに星雲だな。奴は西暦1054年に大爆発した超新星の残骸なんだぞ。中心核の中性子星は十六等星だから五十センチくらいの望遠鏡を作らないと見えそうもないな。毎秒三十回転しているパルサーからは電波やX線も出てるんだ。こいつも電波望遠鏡がなけりゃ観測できんし」


 大作は自分の単眼鏡を取り出すとおうし座の右端にある三等星『ζ星』を探す。かに星雲はそこから西北に一度ほどのところにあるはずだ。残念ながら大作の口径四十二ミリ倍率十倍の単眼鏡ではもやっとしたシミみたいにしか見えない。


「お園の望遠鏡ではどう見える? それって倍率はどれくらいなんだ?」

「手持ちだとブレて良く見えないわね。何か支えになる物は無いのかしら」

「ちょっと待ってろ。テントのポールを使おう。こうやって組み合わせてマジックテープで括れば…… どうよ!」

「素晴らしいわ、大佐! バンバンカチカチ、アラ? やっぱり駄目みたいねえ、雲みたいにしか見えないわ。ロス卿の申されたフィラメント構造を見ようと思ったら口径三十センチくらいの望遠鏡が入用なのかしら」


 取り敢えず赤道儀の開発が喫緊の課題だな。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。

 オリオン座大星雲M42、馬頭星雲、ウルトラマンのふるさとM78星雲、エトセトラエトセトラ。二人は思い付くまま気の向くままに望遠鏡を向ける。


「そうだ! その望遠鏡ならエリダヌス座のο2星(ケイド)も見れる…… 見られるんじゃね? ο1星(ベイド)のすぐ近くにあるはずだぞ。お園、前に白色矮星が見たいって言ってたじゃんかよ。あの星こそ人類が本当の本当に最初に発見した白色矮星なんだ」

「見える! 見えるわ! 本当に真っ白けなのねえ。感動した! それじゃあ大佐、今度は赤色矮星が見たいわ。ラランド21185だったかしら? アレはどこにあるのよ」

「え、えぇ~っと…… だったらまずは、こじし座四十六番星を探してくれるかな。3.8等星だから肉眼でも見えるはずだぞ。そこからちょい左上かな? 7.5等星だからその望遠鏡なら楽勝のはずだぞ」

「見える! 見えるわ! あの橙色の星でしょう? 赤色って言う割には橙色をしているのねえ。こんなにいろんなお星さまが見られるなんて私、とっても果報者ね。大佐に巡り会えて本に良かったわ」

「どうよ! 惚れ直したか? そんじゃあお次は……」


 夢中になって星空を観察する大作とお園には周囲のことが全く目に入らない。いつの間にか周囲には誰もいなくなっている。二人はそれに気付くこともなく寒空の下で朝まで天体観測に没頭していた。


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