巻ノ弐拾七 はじめてのプレゼン の巻
大作は道行く人々に手当たり次第に今井という店を知らないか聞いてみる。しかし誰一人として知っている人はいなかった。
「今井様と言うのは堺でも名立たる豪商なんでしょう?」
「名前を間違えておられませぬか?」
「今井宗久を間違えるはずがないぞ。大河ドラマやゲームにも良く出てくる有名人だ」
年代が早すぎたんだろうか。早すぎて腐ってたら嫌だなあ。大作はドロドロに融けて骨だけになる今井宗久を想像して気持ち悪くなった。
不安に駆られた大作が慌ててスマホで調べてみると屋号は納屋と書いてある。
納屋業というのは現代の倉庫兼金融業だ。こんなんで探しようがあるんだろうか。
納屋宗次の家に寄宿して武野紹鴎から茶を学び女婿になったらしい。このころから納屋宗久と称して茶会に出入りしていたそうだ。
初名が久秀、今井兼員、通称が彦八郎、後に彦右衛門。号は昨夢庵寿林。薙髪の後に宗久と名乗ったという資料もある。
どうすれバインダー! お前は怪人二十面相かよ!
江戸川乱歩は1965年没だな。ギリセーフだ。
天文二十年(1551)に天王寺屋の主人で堺の豪商の津田宗達(津田宗久の父)の茶会に招かれたとの記述もある。
これらの情報を統合して総当たりするしか無さそうだ。たかだか南北三キロの町だ。何とかなるだろう。
いや待てよ。お園のアスペルガー症候群、じゃなかったサヴァン症候群が使えるんじゃないか?
「お園、今から言う名前に憶えがあったら言ってくれ。納屋宗次、武野紹鴎、納屋宗久、今井兼員、彦八郎、彦右衛門、昨夢庵寿林、天王寺屋、津田宗達、津田宗久。どうだ?」
「大佐って堺に知り合いが大勢いるのね」
「名前が六つもある奴がいるせいだな。用があるのはそいつ一人だ」
「天王寺屋なら目の前にございますぞ」
全然当てにしてもいなかった藤吉郎から鋭い突っ込みが入る。
大作が目の前にある店の看板を見上げるとミミズが這ったような文字が書いてあった。
これで天王寺屋って読むのか。藤吉郎に字が読めない奴だと思われるのは格好悪いな。
大作は必死にポーカーフェイスを作る。
「ナイスアシスト藤吉郎。ここがあの男のハウスね。頼もう!」
大作は赤い前掛けを着けた丁稚と思しき少年に声を掛ける。
「へい!」
間髪を入れずに威勢の良い返事が返ってくる。良い返事だ。従業員教育が行き届いているなと大作は心の中で感心する。
「拙僧は大佐と申します。今井様がこちらに来られておりませぬでしょうか?」
「いえ、生憎と本日はお見掛けしておりません」
そりゃあそうだろう。自分の家でも無いのに入り浸ってたらびっくりだよ。ここから話を広げて今井宗久の居所を探るつもりなのだ。
そんなことを考えていた大作は背後から急に声を掛けられて心臓が止まりそうになった。
「手前に何かご用ですかな? お坊様」
「うわぁ!」
もう嫌だ戦国時代なんて、マジでバックミラー付けるぞと大作は心の中で絶叫する。
三人が慌てて振り返るとそこにはどこからどう見ても商人にしか見えない若い男が立っていた。
一般庶民よりほんの少し高級そうな小袖を着ている。何だか良く分からない幾何学的な模様だ。
髪型は総髪にしている。大作は男の目つきを見てちょっと神経質そうな印象を受けた。
本当にこいつが今井宗久なのだろうか。今年で三十歳のはずだが随分と若く見える。
こんなに急に会うと思っていなかったから身だしなみが滅茶苦茶だ。ボサボサの坊主頭を剃っておくつもりだったのに。
「わた、拙者、じゃなかった。拙僧は大佐と申します。本日はご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます」
大作は天王寺屋の店先なのに人目を全く気にせずに深々と腰を曲げて最敬礼した。お園と藤吉郎も空気を読んで即座に真似をする。
「お、お顔をお上げ下され」
子供連れの坊主と巫女にいきなり頭を下げられては流石に未来の豪商もたじたじといった様子だ。
「実は今井様に是非ともお力をお借りしたき義がございまして遥々と江戸から罷り越しました」
大作は宗久から見えないように注意してお園と藤吉郎を小突く。二人はすぐに意図を察する。
「お願いいたします今井様。どうかお助け下さいませ」
「後生にございます。なにとぞお慈悲を」
お園が得意の嘘泣きを披露する。いつの間にかギャラリーが集まりだした。効いてる効いてる。宗久があからさまに狼狽えだした。
「番頭さん。済みませんが空いてる部屋をお借りします。お坊様方、こちらへどうぞお上がり下さい」
大作たちはアポ無しで宗久との面会をゲットした。
通された部屋は殺風景な狭い部屋だった。物置や納屋ではなさそうだが断じて客間では無い。丁稚の部屋じゃないかと大作は推測した。
まあ客扱いしろと言う方が無理がある。宗久はあからさまに疑念の籠った表情をしている。
とりあえず物乞いの類で無いことを分かって貰わなければならない。
大作はバックパックから西○で特売の日に買ったスプ○ン印の上白糖を取り出す。昔は偉い人に会って貰うには手土産は必須だ。
ザビエルが京に来た時は手土産が無かったので後奈良天皇にも足利義輝にも会って貰えなかったとWikipediaに書いてあったのだ。
大作は恒例となったお約束のセリフを言う。
「これは僅かですが心ばかりのお礼にございます、とっておいて下され」
「上白糖とは白い砂糖と言うことでございますか? 雪のように真っ白ですな」
「ス○ーン印の上白糖は北海道産の甜菜から作られております。砂糖黍と違って寒い土地でも育ちます」
「その甜菜とやらを畑で作れば砂糖が取れるのでございますか?」
宗久の表情が急に真剣な物に変わった。単なる手土産のつもりだったのに砂糖に食い付かれてしまったので大作は困惑する。とは言え警戒心を解くのには丁度良い話題だったかも知れない。
大作は砂糖に関する情報をスマホで素早く調べる。慶長十五年(1610)に薩摩国大島郡(奄美大島)の直川智が黒砂糖の製造に成功したとか元和九年(1623)に琉球王国(沖縄県)で儀間真常王が砂糖生産を奨励したとか書いてある。
奈良時代には薬として扱われるくらい貴重だったらしい。戦国時代でもまだまだ高価だったはずだ。予定とは違ったがそっちから攻めてみよう。大作は素早く方針を変更する。
ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが飼料用ビートから砂糖を分離したのは1745年なので今なら競争相手はいない。
「今後は茶道で茶菓子を召し上がる機会も増えるのではありませぬか? 南蛮貿易の拡大に伴って食生活は急速に変化しております。甜菜を使った砂糖製造は大きなビジネスチャンスですぞ」
「びじねす? その甜菜とやらはどこで手に入るのでしょうか?」
「イタリアと言う国ではバルバビエートラ(Barbabietola)という名で呼ばれております。イスパニアから東に三百里ほどの国にございます。イスパニア商人に頼めば容易く手に入りましょう。それよりも今井様には是非ともご覧頂きたいものが御座います」
いかんいかん。このままでは砂糖の話で終わってしまいそうだ。大作はバックパックからさっき作った羅針盤を取り出す。
お園と藤吉郎が思わず息を飲む。その様子を見て宗久は怪訝な顔をしている。
「これはいったい何でございますか」
「羅針盤をご存じでしょうか。指南針とか方位磁針とも申します。拙僧はこれを揺れる船の上でも正しく南北を指し示すよう工夫を施しました。これを船に乗せれば陸から遠く離れた海の上でも方位を見誤ることがございません。海運の安全性を画期的に向上することが叶いまする」
宗久は大作から押し付けられた羅針盤を弄びながら苦虫を噛み潰したような顔をしている。
いきなり不発か。この時代の宗久は甲冑なんかに使う鹿皮を商っていたそうだ。
堺に住んでるいるからと言って南蛮貿易に関わってるわけではないのだ。
さっさと諦めて次に行くか。大作はバックパックからネイピアの骨を取り出す。
「時に宗久様。一石あたり四百八十七文の米を三百二十一石買うと幾らになりますかな?」
「大佐殿は米がご入り用なのでございますか?」
「いえいえ、この棒を使えば足し算しか出来ない者でも簡単に答えを求めることができまする。そのデモンストレーションをお目に掛けましょう。ところで算盤をお借りできますか?」
「算盤でございますか。名を聞いたことはございますが見たことはございません」
Wikipediaには室町時代である文安元年(1444)の墨書銘の残るそろばんが現存すると書いてあったので油断していた。そう言えば使用可能な状態の日本最古の算盤は前田利家の物らしい。1550年に算盤は普及していなかったのか。
仕方ないので大作はバックパックからタカラ○ミーのせ○せいを取り出す。
「四と八と七の棒をこのように並べます。一の位は一倍なので四八七そのままです。十の位は二倍なので二段目を読みます。一の位は四、十の位は一と六を足して七、百の位は一と八を足して九。この九七四を十の位なので四八七より一つ左に書きます。百の位は三倍なので三段目を読みます。一の位は一、十の位は二と四を足して六、百の位は二と二を足して四、千の位は一。この一四六一を百の位なので四八七より二つ左に書きます。これらを足してやると一五六三二七となります。答えは百五十六貫三百二十七文でございます」
お園と藤吉郎は借りてきた猫のようにおとなしくしている。二人とも一言も聞き漏らさないよう必死に頑張っているようだ。
大作は念のためにスマホで計算して結果を確認する。良かった、合っていた。『どうや!』と大作はどや顔で宗久にスマホの画面を向ける。
だがアラビア数字で表示されているので宗久には読めないことを大作は失念していた。
「この白い板はどのような絡繰りでございますか?」
そっちかよ~! 大作は盛大にズッコケた。だが大作はメゲない。
下がらぬ! 降りぬ! 引き上げぬ! ギブアップしたらそこでゲームセットなのだ。
「これはタカラ○ミーの『せん○い』と申します。ここを動かすと書いた物がたちどころに消えてしまいます。紙と違って何度でも書いて消せるので紙が無駄になりませぬ」
「これは面妖な。いかな絡繰にございますか?」
「これも羅針盤と同じで磁石を利用しております。磁石の筆で磁石の粉を引き付ける仕掛けにございます。本に磁石は素晴らしき物にございますぞ。今に磁石の力で人や物を浮かび上がらせて馬よりも早く遠くまで運ぶ日が来ることでございましょう」
大作は自信満々の表情で磁石の将来性を力説する。何だか趣旨が変わってんじゃね? 軌道修正を図らなければと大作は焦る。
そもそも俺は何を目的に今井宗久に会いに来たんだっけ。いやいや、こっちの都合はどうでも良い。今井宗久の心に訴えかけなければ。
「今井様は甲冑に用いる鹿皮を商っておられるそうにございますな。ですが戦乱の世はいつまでも続くわけではございませんぞ。今井様はポスト戦国を見据えた経営戦略をお持ちにございましょうか。我々には一向宗を通じたネットワーク、歩き巫女のコネクション、全国の行商人による物流システムがございます。ぜひとも今井様のビジネスパートナーとしてサポートさせて頂きとうございます」
Wikipediaによると宗久は信長の時代には会合衆のトップとして君臨していたらしい。だが秀吉の時代には小西隆佐や千利休が重用されたため相対的に地位が低下したそうだ。大作は一縷の望みを掛けてそこをプッシュしてみた。
だが宗久は相変わらず難しい顔をして羅針盤やネイピアの骨を弄んでいる。
まあ、まだ商人として駆け出しの宗久に三十年以上先の心配をしろというのも少し無理がある話かも知れない。
ここは傷の浅いうちに潔く撤退しよう。大作は決断した。退く勇気も必要だ。右腕に死の呪いの痣がある人も言っていた。
ギブアップしたらそこでゲームセットとは言うけれど、粘ってもタイムアップでゲームセットなのだ。
ただしスプ○ン印の上白糖だけは回収せねば。タダでくれてやる訳には行かない。
宗久が羅針盤とネイピアの骨に気を取られている隙に大作は素早く上白糖をバックパックに放り込んだ。
お園と藤吉郎にアイコンタクトを取る。二人が軽くうなずいた。大作はわざとらしく咳払いしてスマホの時計を見るふりをする。
「少々長居をしすぎましたかな。これ以上お邪魔してはご迷惑と言う物。そろそろお暇させて頂きましょう」
「お坊様。すぐ戻りますゆえ、しばらくお待ち頂いてよろしいでしょうか」
「いえいえ、どうぞお気遣いなく」
宗久が羅針盤とネイピアの骨を持って部屋から出て行く。
大作、お園、藤吉郎の三人が残された部屋を重苦しい沈黙が支配していた。




